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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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エジプトの食事

古代エジプトの食生活は意外に豊かだったことは多くの証拠によってわかっています。

もちろん王族と庶民には大きな開きがあったでしょうし、どちらかと言えば王族に近い貴族と庶民との差もそれなりにあったことでしょう。


実際のところ、本物の庶民がどのような食事でどれほどの栄養状態だったのかはアマルナで発見された骨の分析からくらいでしかわからないといえます。


庶民の暮らしがよかった証拠として引き合いに出されるギザのピラミッド建造に従事した労働者たちですが、彼らの食事が庶民の平均だと断言するのはさすがに言い過ぎだと思います。

ついでいっておけば、いわゆるピラミッドタウン近くで発見されている労働者の墓は、あくまで工事の監督者や技術者のものであり、実際に石の切り出しや石材運搬といった単純作業をおこなった者たちのものではありません。

では、彼らの墓はどこにあるのかということになるわけですが、発見されていないというのが真実です。

つまり、アマルナで発見された庶民の遺骨は厳しい労働環境に置かれていたことがわかっていますが、それに比べて非常に厚遇されていたというギザのピラミッド建造に従事した労働者の実態は彼らの墓が発見されて骨の分析がおこなわれてみないとわからないということです。

ピラミッドタウンのプロジェクトに参加している日本人エジプト学者はギザの労働者の厚遇ばかりを強調しこの違いをあまり触れたがらないようなのですが。


さて、前置きはこのくらいにして、本題である食事について話を進めていきましょう。

まずどのようなものを食べていたのか?

これは遺物や神殿や墓の壁に残る装飾で確認することができます。


遺物について言えば、馴染み深いところでいけば、ツタンカーメン王墓から見つかった遺物にも食べ物に関わるものがたくさんあります。


各種パン、果物、野菜、木の実、蜂蜜。


そして、肉。

多くの写真に写る白い楕円形の大型容器の中身がそれとなります。


さらにワイン。


黄金のマスクや純金製の棺に目が行きがちですが、葬送は死者があの世で生活できるために必要なものを持たせるため、このようなものも数多く墓に納められていました。


墓の壁を飾る壁画やレリーフでは古代エジプト人がどのようなものを食していたか、さらにハッキリします。

といっても、これは墓に装飾できるようないわゆる上級国民のみという限定つきですが。

まあ、とにかくそれを踏まえて言えば、少なくても王族や貴族の食事はなかなか豪華といえるでしょう。


では、古代エジプト人の食事風景はどのようなものだったのか?


実はこれがよくわからないのです。

食べ物ほどには。


もちろん文字的資料があれば最高なのですが、どうやらそれを直接言及するものはないようです。

では、壁画やレリーフではどうなのか?


手元にあるルクソール西岸にある貴族の墓の資料を探した限りではワインを飲むシーンはあっても食事しているものは見つかりませんでした。

まあ、すべてのレリーフを探せば出てくるかもしれませんが、供物としての食品はあっても食事をするシーンが簡単には見つからないということは、物を食べるシーンは神殿や墓の装飾のモチーフにするには不似合いということだったのかもしれません。


貴族ですらこうなのです。

当然王や王族となればなおさらハードルが上がります。


ひとつの例外を除けば。


異端の王アクエンアテン。


彼がその例外にあたる人物となります。


ツタンカーメン王の父親であるアクエンアテンの活動は、ルクソールやアマルナで多くのレリーフで確認できます。

もちろん他の王たちと同様、誇張はありますが、意外にも自身や臣下の墓に残るレリーフは事実が描かれていることがわかっています。


たとえば、アマルナのアテン大神殿。

多くの墓でモチーフとして描かれているのですが、細部は違っていることが珍しくなく、同じ墓に描かれているものでも微妙に違うことすらあります。

以前は表現方法の違いということで片付けられていたようですが、最近の発掘調査の結果、そのすべてが進化の過程を現わしていたことがわかりました。


つまり、百パーセントの信頼性はないが、それなりに真実は語られている。

そう考えても問題ないと思われます。


それを踏まえてということになりますが、少なくても新王国時代までの王や王族の食事シーンを描いた唯一と思われるアマルナのレリーフ。

それによれば、彼らは床に座り、手掴みで肉を食べています。

何の肉か?

そのレリーフに残るのは鶏の肉らしきものですが、多くの証拠から牛肉も食していたのはわかっています。

現代でそれに近いのは、インドや中東、アフリカでよく見かける食事と同じなのかもしれません。


では、なぜフォークやナイフを使用していないのか?


これは根拠なしの推測ということになってしまいますが、ナイフやフォークを使って食事をする必要性を感じなかったからではないでしょうか。


当然牛のような大きな動物を切り分けていたシーンがレリーフに残っていることから、そのようなナイフはあったわけですし、必要があればフォークだって生み出していたはずですので。


ナイフやフォークを使わず食べる行為、イコール野蛮、または遅れた文明。


そう考える方もいるでしょう。

ですが、それが正解なのかは疑問と言わざるをえません。


一見すると不便に思えるそれを、簡単に劣った文明と言うかどうかは、もちろん個々の判断になるわけですが、私自身は自国の価値基準がどの世界においても至高であると考えることを戒めるようにしています。

自らの土地で有益なことが他ではまったく役に立たないことを多くの経験でわかっていますから。


ということで、最後は少し説教臭くなりましたが、ここで終わりです。

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