ネフェルネフェルウアテンとスメンクカラー②
前回の続きで、今回はネフェルネフェルウアテンについてです。
前回の最後にスメンクカラーは本当に男性なのかと書いたわけですが、これはスメンクカラーと同一人物ではないかとも考えられているネフェルネフェルウアテンに関連します。
それでは、まず一般的にはあまり有名ではないネフェルネフェルウアテンについてです。
前回でも書きましたが、この王の妃はスメンクカラーと同じアクエンアテンの長女メリトアテンで、即位名も同じアンクケペルウラーです。
そして、このネフェルネフェルウアテンですが、スメンクカラーとは違いエジプト各地にその活動の痕跡を残しています。
まずアマルナ中心部では、リングが多数発見されていますが、その数はアクエンアテンよりは少ないものの、ツタンカーメンよりも多いです。
ちなみに、アクエンアテンと同等程度の権力を持っていたのではないかと思われているネフェルティティの名前入りの遺物の発見数は非常に少なく、これは少々意外に思えます。
さらに、いくつかの貴族の邸宅の入口に書かれた主の称号などが書かれた碑文にも、アクエンアテンではなくネフェルネフェルウアテンの名前が含まれていますし、王宮などにもこの王の名前が含まれる装飾漆喰の一部が見つかっていることから、この王がアマルナを一定期間統治していたことを窺わせます。
また、シナイ半島の北部でも、この王の名前が記された封泥が発見されていますし、ルクソールでは、この王が自らの葬祭殿をこの地につくろうとしていると記述されています。
グラハム・フィリップスの「消されたファラオ」でスメンクカラーがアメン神官と和解をしたくだりに出てくるのが、この碑文なのですが、実際にはこの碑文に書かれている王の名はスメンクカラーではなくネフェルネフェルウアテンです。
ついでに書いておけば、この本ではアクエンアテンの父であるアメンヘテプ3世はアクエンアテンの治世後半まで存命し、なんとツタンカーメンの父でもあるとしています。
そして、スメンクカラーはツタンカーメンの兄であり、彼らふたりの母親はネフェルティティの妹ムトネジェメトであるとしています。
「消されたファラオ」では、ツタンカーメン兄弟の母ムトネジェメトとしているムウトベレトは、アマルナの岩窟墳墓のいくつかでその姿が描かれています。
そして、そのツタンカーメンの墓は、幸運にも大規模な盗掘を免れ、多くの遺物が発見されたわけですが、この墓からもネフェルネフェルウアテンの名前が入った遺物がツタンカーメンの副葬品として発見されています。
しばらく前にニュースにもなりましたが、有名なツタンカーメンの黄金のマスクも本来はこの王の副葬品だったものをツタンカーメンの埋葬の際に再利用したのではないかという提案がされていました。
結局証拠とされるものが不確かということもあり、この説は大部分の専門家には認められませんでしたが。
しかし、もっと証拠がはっきりとわかる遺物も多くあります。
ツタンカーメンのミイラが身に着けた副葬品、例えば腕輪にはネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラーの名前が残されていますし、胸飾りのひとつではネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラーをツタンカーメンの名前であるツタンカーメン/ネブケペルウラーに書き換えたものの作業が雑だったために元の持ち主の名前が読み取ることができます。
また多くの専門家が指摘しているとおり、カノプス容器やミイラをつける黄金のバンドのようなツタンカーメンの重要な副葬品にも、ネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラーが元の所有者であるものも含まれています。
そして、実はこのツタンカーメンの遺物の中に、ネフェルネフェルウアテンは、実は女性だったのではないかと思わせる証拠があります。
それが前述したカノプス容器で、そこに記された碑文にネフェルネフェルウアテンの名前と「彼女の夫にとって有益なもの」という一文が含まれています。
では、女性かもしれないネフェルネフェルウアテンが何者であるのかといえば、多くの候補者が上がるわけですが、女性の場合では可能性が高いのはやはりアクエンアテン妃ネフェルティティではないでしょうか。
ただし、そうは言ってもやはり2号墓の壁画もあり、スメンクカラーという男性の王が存在したとする意見は強いうえに、ネフェルネフェルウアテンもアクエンアテンや王妃メリトアテンとともに名前が記された証拠もあり、アクエンアテンと共同統治をしていたネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラーという男性の王と、同じ名前の女性形で書かれた名前の存在から女性の王、そしてネフェルネフェルウアテン/アンクケペルウラーと同じ即位名を持ち、同じ妃を持ったスメンクカラーという男性の王という3人の王が次々に即位したがいたとする説もあり、決定的証拠なしで自らの主張を述べ合うだけで決着のつかない論争に嫌気がさしたエジプト学者がこの説を支持したりしています
ということで、いったいどれが正しいのかは、それぞれに説得力のある説明をする専門家がいるわけですが、決定的な証拠ないので決着はついていません。
ちなみに、自らの立ち位置を鮮明にしておけば、私はやはりネフェルティティがスメンクカラーと同一人物であるネフェルネフェルウアテンではないかという説を支持しています。
この話を始めたら、なかなか終わりがやってこないのですが、今回はここで終わりにして続きはまた次回にします。