ピラミッドの建造過程のシミュレーション Ⅰ
古代エジプトのピラミッド建造過程のシミュレーションとは言ったものの、単純に体積と建造にかかったとされる治世年数から導いたものです。
もちろん古代エジプトにおける最大の国家事業ともいえるピラミッド建造は、王になった瞬間から始まったのは間違っていないのでしょう。
ですが、おそらく最初の数年は場所の選定、それから整地、インフラや傾斜路の整備などに費やされたと思われます。
ですから、単純に治世年数で割り返すやりかたが正しいとは私は思っていません。
まあ、参考程度のものと思ってください。
それから重要なことがもうひとつ。
今回のシミュレーションはあくまで石材の積み上げについてのものです。
過去のエピソードでも書いていますが、古代エジプトのピラミッドの外装石は大まかには削り落とされてはいたものの、最終的には積み上げ完了後にきれいに仕上げられたことがわかっています。
しかも、頂上に輝くキャップストーンに合わせて上から下へ。
ということは、この方法で仕上げをしていくということはそれなりに足場がないとできません。
足場。
つまり、傾斜路。
ですから、石を積み終えたからといって、盛大に傾斜路を破壊するというわけにはいかなかったと思われます。
石材の積み上げ完了イコールピラミッドの完成という考え方に私は賛成しかねます。
では、外装石の仕上げをしながら傾斜路の除去をする作業はどれくらいの時間がかかるのか?
これについての参考になるものがあります。
クフのピラミッド南側にあるこの王の「太陽の船」が納められていた舟坑の蓋石。
そこに残されていた労働者の落書き。
そこには次王ジェドエフラーの確認できる最終治世年にあたるものが書かれていました。
11回目の家畜頭数確認作業。
これがその最終治世年数をあらわすものとなります。
家畜頭数確認は2年に1回おこなわれたとされていますが、年1回として11年といったところでしょうか。
トリノの王名表パピルスでは8年となっているこの王の治世年数から考えてもこの辺が妥当なところでしょう。
とにかく、これはクフの死後も傾斜路の除去は続けられ、ジェドエフラーはその治世年数の大部分を使ってその作業をおこなっていたことを示す。
そう思って差し支えないと思われます。
なにしろ、クフのピラミッドに使われた石材の主要供給場所はピラミッドから南に延びる傾斜路を使って運ばれていた。
その除去が完了するまでジェドエフラーはその舟坑を穿つことができなかったわけですから。
そして、その作業はそれだけの時間が必要だったということになります。
つまり、建造年数にカウントしなくてもよい時間ではないということです。
ですが、そう言いながら、ということにはなりますが、今回はそれについては省いてあります。
もっとも、他のシミュレーションでも仕上げに時間をかけているものはほんの僅かしかありませんが。
ということで、次回このエピソードをやるときはいよいよピラミッド建造改め、石材積み上げシミュレーションを。
予告しておけば、対象はクフのピラミッド、治世年数は25年で。
では。




