カルナック神殿 第3塔門
ここで「アマルナへの扉」などと名乗っているとおり、古代エジプトにおける私の本来の守備範囲は言うまでもなくアマルナであり、かの地ならメジャーなところから玄人好みも場所まで含んだガイドブックをつくれる自信があります。
まあ、そういう依頼など来るはずもなく、ただの自慢に終わることは間違いありませんが。
それはそれとして、では、アマルナ以外に好きな場所はどこかと言われれば、ルクソールにあるカルナック神殿となります。
もっとも、それも限定的な部分のみですが。
今回はそのひとつである第3塔門についてです。
ガイド付きのツアーでカルナック神殿を観光する場合、それは第1塔門から始まります。
続いて、1中庭、第2塔門を軽く説明してこの神殿の目玉のひとつである大列柱室へと向かい、続いて、次の中庭に進み、オベリスクの説明となるわけですが、第3塔門はその間にあります。
私もエジプトに行き始めた頃は御多分に漏れずパッケージツアーを利用していたのですが、第3塔門を詳しく説明したガイドはいませんでした。
たまに説明する場合でも、言及するのはその塔門の裏側の装飾についてだけで、表側についてはほぼスルーでした。
そのときの説明は、「第3塔門をつくったのはアメンヘテプ3世だが、表の装飾に手をつけないうちに彼は亡くなり、その装飾をおこなわれたのは第19王朝のセティ1世とラムセス2世の時代になってから」というものでした。
たしかに説明のとおり第3塔門をつくったのは第18王朝の王アメンヘテプ3世。
裏側、つまり、東側の装飾は彼のものです。
ですが、本来の表である列柱室内にある西側の装飾はなぜか第19王朝の王であるセティ1世とラムセス2世によるもので、アメンヘテプ3世によるものはまったくありません。
ということは、ガイドの説明どおり。
では、ないのです。
実は。
では、どうしてそのようなことになったのかといえば、本来の塔門を覆う形でのちにもうひとつ壁ができたからということになります。
これについては後でもう一度説明することにして、とりあえず進むことにしましょう。
その結果が現在の状態ということなのであれば、それによって隠された本来の第三塔門の装飾はどうなっていたのか?
完璧なものではありませんが、それは二か所で確認できます。
一か所目は野外博物館。
図像や碑文は消された形とはなっていますが、アクエンアテンがアマルナなどで見られるものとはまったく違う旧来のモチーフで図像化されている非常に珍しいものが確認できます。
そして、もう一か所はもちろん壁の内側です。
列柱室方面から見て左側、北側の塔門でその痕跡を見ることができます。
と言っても、塔門表面には派手な装飾はありません。
残っているのは、旗竿用の壁龕両脇にある各三行の短い碑文だけです。
ですが、これがなかなか興味深いのです。
そこには第3塔門をつくったアメンヘテプ3世の名が刻まれているのですが、例によって「アメン」の名が削られています。
これはアメンヘテプ3世の息子アクエンアテンの統治時代におこなわれたものです。
さらに、この一部が彫り直しされているように見えます。
つまり、アマルナ時代が終了後それは修復されたということです。
ですが、最終的に壁が築かれ、新しい装飾が施されたということになります。
この壁の増築の理由ですが、確定的なことはわかりません。
ですが、この作業と同類のものは、実はカルナック神殿の別の場所でも見ることができます。
ハトシェプスト女王のオベリスクを囲む周壁。
それから、第4塔門内側。
これがその場所となります。
そして、こちらの当事者はどちらもハトシェプスト女王とトトメス3世となります。
実は、前者はハトシェプスト女王とトトメス3世の例の話の根拠となるもので、パッケージツアーに参加してここを訪れれば、ガイドはその説明をしてくれます。
ただし、この話もガイドによって違い、それのどれが正しいのか、いや、その話自体が本当に正しいのかは定かではありません。
まあ、とにかくそちらはよく聞く話ですので今回は後者についてだけ書かせてもらいます。
実はこちらこそが非常に興味深いものなのです。
これは今世紀になってから発見されたものですが、第四塔門内もうひとつ塔門表面が見つかり、さらにその塔門に沿うように座像が多数発見されました。
その座像に名が刻まれていたのはハトシェプスト女王と彼女の父トトメス1世。
これを見ると、素直に例の話を信じたくなりますが、その作業は本当にトトメス3世が彼女の痕跡を消すためにおこなったのかといえば、大きく頷くには少し躊躇うものがあります。
その理由。
それは今回の主題である第3塔門の件。
もし、ハトシェプスト女王とトトメス3世の話を肯定してしまうと、こちらもセティなりラムセスがアメンヘテプ3世の痕跡を消そうとしていたという話になってしまいます。
もっとも、こじつけ的に例の説を肯定すれば、第19王朝の王たちはこの塔門に大きく描かれたアクエンアテンの図像を消すためとも言えなくもありませんが。
つけ加えるのならば、実はこの塔門の増設はルクソール神殿第2塔門でもおこなわれています。
しかも、当事者は再びラムセスとアメンヘテプ3世。
個人的には、現在ある装飾の名前の変更や追加をするだけよりも壁を増築し、あらたに装飾したほうが、制限なく自由に装飾のモチーフを決めることできるという装飾方法の問題と片付けたほうがいいように思います。
さて、今回の塔門増設の話ですが、余程遺跡に詳しいガイドにあたらないかぎり聞かれない話でしょうから、ルクソールに行く機会があり、実際にそれを自らの目で確かめたいという方は自ら進んで探さないと出会うことはないと思います。
一応それを見つけるポイントを載せておきます。
カルナック第3塔門。
これは一度トトメス1世のオベリスクのある中庭に出て、そこからナイル河を背にして左側、つまり北側に回ると、アメンヘテプ3世の塔門と第19王朝の壁の間に不自然な隙間があり、入ることができれば、説明に書かれた部分を見ることができます。
三か所の中では一番難度が高いです。
ですが、これを実際に目にした人はこの神殿に何度も行っている経験があっても少ないはずなので、チャンスがあればトライし、写真でも撮れば、自慢の一枚になること請け合いです。
特にエジプト好きと自称する人に対しては。
カルナック第4塔門。
これはハトシェプスト女王のオベリスクのすぐ近くにある塔門の中に微妙な位置に並べられた黒い石製座像が目安。
ルクソール神殿第2塔門。
オベリスクがラムセスの立像が並ぶ第1塔門を抜け、第1中庭とアメンヘテプ3世の列柱室の間にある塔門が第2塔門になります。
本来の塔門が増設した壁によって覆われていることは横から見ると、確認できますが、進行方向左側、東側のものが特に確認しやすいです。
もっとも、それが増設された壁に覆われた塔門というつもりで見ないとわからないまま素通りしてしまいますが。
ちなみに、かなり高い部分にあるのでそれを見つける難易度はかなり高いのですが、その塔門にはツタンカーメンの次に王に即位しセティやラムセスにアマルナ一族としてアクエンアテンと一緒に闇に葬られたアイの装飾を見ることできます。
オマケ的にもうひとつ。
ルクソール神殿の第1塔門の左側のものにはきれいな装飾が残る墓で有名なネフェルタリ王妃のレリーフがハッキリと見ることができます。
シストラムを振る比較的大きく描かれた女性が彼女になります。
場所は塔門の内側でモスクとの狭い隙間を進むとよりよく見ることができますが、通路からでも見ることは可能です。
今回は最終的にはマニア用観光ガイドのようになってしましたが、カルナック神殿、ルクソール神殿については、ガイドブックに載っていない見どころもたくさんあるので別で一度やるのもいいかもしれません。
ということで今回は終了です。




