ファラオのしっぽ
もちろん古代エジプトの王は尻尾が生えていたということではなく、これは王が身に着けていた「尻尾付き儀礼腰衣」と呼ばれる腰から垂らす飾りのことです。
王は力強い雄牛とも表されるので、雄牛の尻尾に見立てた「ファラオのしっぽ」を使用するのだと説明がされています。
それがどういうものかということですが、王が描かれているレリーフを注意して見ると、王の腰からひも状に下がったまさに尻尾のようなものが出ているものがあります。
それがこの「ファラオのしっぽ」です。
自分が最初にこれの説明を受けた時には、男性のファラオと男性の神には「もれなく」尻尾が付いているとされていました。
ところが、この「もれなく」が曲者でした。
まず、神様の方で例外が現れました。
オシリス神とプタハ神とコンス神です。
「この三人の神様は包帯を巻いている状態が正装だから」尻尾はつけられないというのが、あるエジプト学者に問い合わせた時に返ってきた理由です。
次に「男性の」という部分ですが、女性の王として有名かつ資料が揃っているハトシェプスト女王はどうかということですが、あります。
しっぽ。
これはハトシェプスト女王葬祭殿やカルナックの建築物の彼女の図像が描かれたレリーフで確認できます。
もっとも、彼女の場合は王になるために男性に扮していたという説明がよくされているので、ここで「女性」に認識していいのかは微妙です。
ただし、その図像に添えられている碑文などをみるとやはり女性形で書かれているので、男性に扮していたというその話そのものが微妙だったりもします。
また、ファラオと男性の神のすべてに「しっぽ」がつくかというと、ある時とない時があります。
たとえば、ツタンカーメンの厨司。
ここでは、同じ面に尻尾がある神と尻尾がない神が描かれていたり、同じ神であるにもかかわらず尻尾のある図像とない図像が描かれたりと、いったいどのような法則でそれが描き分けているのかを正しく説明できる人が教えてくださいと言いたくなります。
では、次にアマルナというか、ここまで説明してきたのは実はこれをやりたかったからなのですが、それまでの風習とは隔絶されたようなアマルナ時代の「ファラオのしっぽ」の扱いはどうであったのか。
まず、アテン神の図像である太陽円盤に尻尾はつかないのは当然といえるかもしれません。
そして、アクエンアテンが、アテン神を「父」と呼んでいたりしていますので、おそらくアテン神は男性の神様、かつ尻尾がありませんので、オシリス神やプタハ神の列に並ぶことになりそうです。
次はアクエンアテンなのですが、ここが今回の肝の部分です。
この王は、アテン神を唯一の神としてそれ以外の神は認めないという異端の王とされています。
そのアクエンアテンがこの伝統を扱ったのかというと、少し面白い特徴があります。
アクエンアテンの図像を、とりあえず、私が調べた範囲ではしっぽが確認できるのは、すべてアテン神前期名があるものだけです。
もちろん例外はあるのでしょうが、少なくても後期名とともにあるアクエンアテンの図像には見ることができませんし、2号墓にあった謎の王でアクエンアテンの後継者であるスメンクカラーの図像にもありません。
つけ加えれば、この尻尾付きのアクエンアテンがあるレリーフは、たとえアテン神の表記がなくても、アテン神前期名が使用されていた時代と思って間違いないでしょう。
この「ファラオのしっぽ」をレリーフなどで調べていくと、模様や色には多くのバリエーションがあるのですが、実はこの「ファラオのしっぽ」の現物は見つかっていません。
なぜ、見つからないのかという点については、同類のものがあるのでその時にやることにしますが、つけ加えておけば「ファラオのしっぽ」自体についてを説明する文字資料もないようです。
ですから、素材についても植物由来のものであるとか、実際の牡牛の尻尾だとか様々な説明はありますが、あくまで推測ということになります。