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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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数値で見るアマルナにおける王たちの痕跡

今回は、エジプト好きと自負する人でもそうそう見たことがないであろう数値から。


まずは、North Suburbと呼ばれるアマルナ中心部からやや北にある住居が密集した地区から発見された王族の名が入った指輪等遺物の数。

アメンヘテプ3世 18個。

アクエンアテン 65個。

ネフェルティティ 21個。 

メリトアテン 1個。 

ネフェルネフェルウアテン/スメンクカーラー 43個。 

ツタンカーメン/ツタンカーテン 70個。 

アンクエスエンアメン/アンクエスエンアテン 3個。 


続いて、アマルナ中心部で発見された遺物に残されたカルトゥーシュの割合です。

アメンヘテプ3世 11.1パーセント。

アクエンアテン 30.6パーセント。

ネフェルティティ 5.6パーセント。 

ネフェルネフェルウアテン/スメンクカーラー 22.2パーセント。 

ツタンカーメン/ツタンカーテン 19.6パーセント。

アテン神/不明/その他 10.9パーセント。


最後に、アマルナにおける墓職人が住んでいた労働者の村で発見された遺物に残されたカルトゥーシュの割合です。

アメンヘテプ3世  4.1パーセント。

アクエンアテン 6.8パーセント。

ネフェルティティ 0.0パーセント。

ネフェルネフェルウアテン/スメンクカーラー 17.6パーセント。

ツタンカーメン/ツタンカーテン 59.6パーセント。

アテン神/不明/その他 11.9パーセント。


これは、以前「The Egypt Exploration Society」が20世紀前半におこなったアマルナの発掘調査の報告書となる「City of Akhenaten」から私自身が拾いだしたものなので、公的に発表されているような完璧なものではありませんが、それなりに概要は掴めると思います。


ここから少しだけこの数値を詳しく眺めていくわけですが、その前にいくつか前提条件になるものを提示しておきましょう。


まず、アマルナという場所ですが、これは父アメンヘテプ3世が死去し、王位に就いたアクエンアテンが治世5年頃ルクソールから王都を移した場所で、治世17年頃アクエンアテンが死亡し、次の王となるツタンカーメンが即位後すぐに放棄されたとされています。

つまり、現在のエジプト学者の見解ではアマルナとは実質アクエンアテンの統治期間にだけ存在した都となります。


次は、アンクケペルウラー/ネフェルネフェルウアテンまたはスメンクカーラー。

彼または彼女たちはアクエンアテンの治世末期短い期間共同統治していたとされる王です。

ちなみに、即位名が同じなのでネフェルネフェルウアテンまたはスメンクカーラーと一括りにしていますが、その大部分はネフェルネフェルウアテンだと思ってください。


最後にもうひとつ。

発見される遺物というのは本来その統治者の治世年数に比例されるものです。

ただし、時代が古いものがより減っていくのは当然なので、対象になるのは30年弱という非常に短い期間ではあるものの、その辺は考慮すべきものと考えます。


では、それを踏まえて、まずは北の住居地域と中心部の遺物から見ていきましょう。

もちろんその基準となるのは、この地を都と定め、その死とともにアマルナという都市も実質的な終わりを迎えたアクエンアテンとなります。


彼の数値と比較すると、ネフェルネフェルウアテンとツタンカーメンというふたりの後継者の名が入った遺物が数多く見つかっていることに驚かされます。

なにしろネフェルネフェルウアテンは、存在そのものを怪しまれるくらいに痕跡がないうえにその統治期間が短く、ツタンカーメンは王位についてすぐにアマルナから離れたとされているのですから。

ですが、この数値を見るかぎり、前者に関しては少なくてもアマルナにおいてはそれなりの影響を持った活動をしており、後者については王都ではなくなったものの、その治世期間もアマルナはそれなりに都市活動が維持されていたように思えます。


つぎに、主に王墓造営に携わった者たちが住んでいた労働者の村のもの。


こちらでもネフェルネフェルウアテンの名を含む遺物が多数見つかっていますが、これはふたつの可能性があることを示しています。

まず、アクエンアテンの埋葬をおこなったのはツタンカーメンではなく、ネフェルネフェルウアテンであった可能性。

そして、王の埋葬は後継者が取り仕切るというエジプト学の常識を踏まえて考えれば、そのことはすなわちアクエンアテンの後継者はネフェルネフェルウアテンだったということにもなります。

それからもうひとつですが、そちらはもちろんこの王の墓もアマルナに造営されていた可能性となるわけですが、こちらについてはツタンカーメンと一緒にあとで述べることにします。


そして、この地の遺物の状況でもっとも注目すべきはツタンカーメンの名を持つものの比率の高さ。

アクエンアテンの10倍近い全体の約6割というのはさすがに異常です。

ですが、それと同時に、このことはツタンカーメンの統治期間にアマルナの王墓に関する特別なことがおこなわれていたことを示しているともいえるでしょう。

もちろん真っ先に思い浮かぶその特別なこととは、アクエンアテンやティイのミイラをルクソールにまで運びだす、いわゆるアクエンアテン王墓解体事業です。

ですが、こうであるとも考えられないでしょうか?


ネフェルネフェルウアテンだけではなくツタンカーメンもアマルナに王墓を造営していた。

それも、アマルナの完全放棄を決め、父王のミイラをルクソール移送することに決めた自らの治世末期ギリギリまで。


以前にも書きましたが、ツタンカーメンは都としてはアマルナを放棄したが、王墓造営地としてのアマルナは残すつもりでいたのではないか。

これが私の考えとなります。

では、そう主張するだけの根拠があるのかといえば、実はあるのです。

アマルナに。


旅行ガイドなどには載っていないため一般にはあまり知られていませんが、アマルナにはアクエンアテンの王墓以外にさらにふたつ、アマルナ27号墓とアマルナ29号墓という未完成ではあるものの王墓と言っても差し支えないくらいに非常に大きな通路式の墓があります。

ですから、ふたりの王がアマルナに王墓をつくるつもりでいたというのは、「それはあきらかな妄想である」と切って捨てるほど根拠がないというわけではないのです。

そして、もしそうであれば、王墓造営に携わる労働者の村にネフェルネフェルウアテンの名がある遺物がアクエンアテンのものより多いことも、王家の谷にあるツタンカーメンの墓があのような粗末なものだったということも納得できます。


ツタンカーメンの王墓が大きさやレイアウトからそこが本来の王墓ではないというのは当然ですが、「では、もともと予定された彼の墓はどれだったのか」という話になったとき、専門家を含めてほぼ確実にその墓は次王であるアイのものという結論に行き付きます。

ですが、アマルナ好きとしてはそこでひとこと言いたい。

アマルナに残された未完成の墓も少なくてもその候補として考えるべきだと。


最後にここまであえて触れてこなかったふたりについて書きます。

アメンヘテプ3世。

それから、ネフェルティティ。


まず前者ですが、アクエンアテンの前王にもかかわらず、関わる遺物がどの場所でも多いことに気づいたと思います。

実は、この事実もアメンヘテプ3世もアマルナにやってきた、いわゆる「アメンヘテプ3世とアクエンアテン共同統治説」の根拠となっています。

ですが、ルクソールにあるアメンヘテプ3世王墓の装飾を見れば、さすがにそれを支持するのは難しく、前王時代からの家臣や職人が多数アマルナにやってきていた証拠くらいに留めるのが妥当なところに思えます。

そして、この王に関係する遺物が多数見つかっているという事実は、アクエンアテンやツタンカーメンなどアテン信仰関係者との関係を断ったことを示すためアマルナにそれらを投棄したという話を否定する根拠になりそうです。


それから、ネフェルティティ。

アクエンアテンの妃であり、王と同程度の権力と影響力を保持していたとされる彼女に関わる遺物がどの場所でも少ないことには少々驚かされます。

もちろん、ネフェルネフェルウアテンの妃であるメリトアテンや、ツタンカーメンの妃であるアンケセナーメンに比べれば圧倒的に多いのですが、だからといって最初の疑問が消えるわけではありません。

これがなぜなのか?

これについてはわかりませんとしか言いようがないです。

以前なら、アクエンアテンの治世期間中に彼女失脚したという話をその理由として押しつけることができたのでしょうが、アクエンアテン治世最末期までネフェルティティの生存が確認された今となってはその理由も使えませんので。


ただし、根拠なしではありますが、その理由を強引に挙げるのなら、ネフェルティティがネフェルネフェルウアテンと名を改めて王になったからということが一番納得できる理由になるでしょう。

こうすれば、ふたり分を合計され、アクエンアテンと同様の権力者という話とも十分に辻褄が合いますので。

まあ、これが正しいかどうかについてここでやり始めたら大変なことになりますので、今回は言いっぱなしということにしておきます。


ということで、少々長くなりましたが、いかがだったでしょうか。

ただ妄想を並べるのではなく、このようにデータを出して考えてみるのもたまにはいいのではないでしょうか。

では。

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