アクエンアテンの家族
古代エジプトの異端の王アクエンアテン。
彼が信じ、広めようとしたアテン信仰は彼の死後あっという間に廃れるわけですが、その理由のひとつに後継者がいなかったことがあります。
もちろんアクエンアテンの次の王は有名なツタンカーメンなのですが、即位したとき彼は幼少であり、結局世継ぎを残さぬままこの世を去り、アテン信仰とともに第18王朝崩壊へと向かうわけです。
もし、ツタンカーメンに兄弟がいれば、または、アクエンアテンに弟でもいれば、となるわけですが、どうもそういうことはなかったようです。
ということで、今回はその辺も踏まえたアクエンアテンの家族についてです。
まずはアクエンアテンの兄弟ですが、その存在した痕跡がハッキリしている人物はひとり。
トトメス。
おそらくアクエンアテンの兄であり、彼が長生きしていればトトメス5世としてエジプトを統治したと思われます。
あまり触れられることはないのですが、ここで小ネタを披露しておけば、トトメス3世以降、トトメスとアメンヘテプという名の王が交互に即位しています。
もしかしたら、アメンヘテプ1世からトトメス1世に王位が継承されて以降、そのようになる予定だったのかもしれませんが、早世等の理由にトトメス2世、3世と続いたのかもしれません。
とにかく、兄トトメスが早くに亡くなり代わりに即位したのがアクエンアテンというわけです。
ちなみに、アクエンアテンは改名によってその名になったのであり、当初はアメンヘテプと名乗っていました。
話を進めましょう。
実を言えば、確実に存在したとわかっているアクエンアテンの兄弟はこのトトメスのみ。
多くの側室を抱えていたとされるアメンヘテプ3世ですが、名が知られている残りの子供はすべて女性。つまりアクエンアテンの姉妹でした。
つまり、第18王朝の終焉はアクエンアテンの父アメンヘテプ3世の時代から始まっていた。
そう言えなくもありません。
さて、ここからは根拠はないのですが、妙に説得力があるアクエンアテンのふたりの弟についての話となります。
ひとり目。
スメンクカラー。
いわゆる消されたファラオの一員であるこの王はアクエンアテンの治世末期に突然登場するのですが、その出自はまったくわかっていません。
文字通り突然王として現れた。
そのような感じです。
そこで生まれたのがスメンクカラーはアクエンアテンの弟説。
もう少し説明すれば、スメンクカラーはアメンヘテプ3世の側室の子だったというものです。
それだけを聞けば、これはないことはないと思えます。
なぜなら、正妃ティイの子であるアクエンアテンでも王位に就く前の痕跡を確認できる遺物は数えるほどしかないのだから、そのような者が埋もれていてもおかしくないというわけです。
さらに、スメンクカラーが王族の一員だったと言われるのは、アクエンアテンの長女メリトアテンの夫であるということもその根拠となっています。
メリトアテンはアクエンアテンの娘たちのなかでも特別な存在であったことはアマルナの貴族の墓に残るレリーフからあきらか。
そのような存在である彼女と結婚できるのは、平民はもちろん並みの貴族でもまったく不釣り合い。
王族の、それも特別王に近い者でなければならない。
それがその主張の根拠のようです。
続いてふたり目。
ツタンカーメン。
彼は例のDNA検査でアクエンアテンの子であると判定されていますが、それでもいまだ彼の父はアメンヘテプ3世だと主張する方も少なからずいます。
私自身はそちら側には与していないのですが、今回は紹介ということでその主張を書かせていただきます。
ツタンカーメンがアクエンアテンではなく、アメンヘテプ三世の子である理由。
それはスメンクカラーと同じ、その痕跡がないこと。
これについては少しだけ説明しておきます。
先ほど紹介したDNA検査以前にツタンカーメンがアクエンアテンの子である根拠とされていたのが、アマルナから北西に20キロほど行ったアシュムネインで大量に発見されたアマルナ時代の石灰岩ブロックのひとつに「王の息子」という称号がついたツタンカーメン(この当時の名はツタンカーテン)の名があったことです。
残念ながら、そこに残されていたのは「王の息子」という文字だけであり、そこに示された王がアクエンアテンであるかはこれだけではわかりませんでした。
ここから、ツタンカーメンの父はアメンヘテプ3世であるという主張が出てきます。
その主張の理由のひとつとして挙げられるのがアクエンアテンの唯一の息子であるならば、もっと多くの痕跡が出てくるはずだというものです。
なにしろ、アクエンアテンの娘たちに関しては、アマルナに残る貴族の墓のレリーフはもちろん、アシュムネインで見つかったブロックにもその名を記したものが多数見つかっていますので、わずかひとつしかその名が記されたものが見つからないのは彼がアクエンアテンの息子ではないからだ。
それに加えてアクエンアテン、スメンクカラー、ツタンカーメンという即位順がツタンカーメンはアクエンアテンの弟であるという有力な根拠になっています。
曰く、もしツタンカーメンがアクエンアテンの息子ならアクエンアテンの息子ではないスメンクカラーの後に即位するということはない。
つまり、ツタンカーメンはスメンクカラーとともにアクエンアテンの弟であるからそのような順になった。
それがその主張となります。
実をいえば、このふたつの主張には大きな穴があるのですが、話半分として聞く分には十分に面白いものでもありますので、穿り返すことはせずに放置することにします。
ということで、今回はここで終了。
アクエンアテンの家族と言いながら、今回はアクエンアテンの兄弟だけになってしまいましたので、当然次は彼の娘たちになります。
では。




