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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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屈折ピラミッドの謎

屈折ピラミッド。

エジプトの首都カイロ中心部から南に30キロほど行ったダハシュールに聳えるピラミッドです。

以前は中に入ることができませんでしたので外側からその外観を眺めるだけでしたが、最近一般にも公開され、エジプトにあるピラミッドのなかでも屈指の複雑さを誇る内部構造の一部を見学できるようになりました。


さて、今回はこのピラミッドに関するあまり語られない謎についてです。


ちなみに、このピラミッドで最も有名な謎とはその名前の由来となったその形状なのですが、今回それはスルーします。


それでは、いきましょう。

まずは外観から。

このピラミッドは外装石がよく残っています。

ダハシュールに聳えるもうひとつのピラミッドである赤ピラミッドの外装石がほぼ完全に失われているのとは対照的です。

最初の謎はこれ。

すなわち、なぜこれだけ外装石が残っているかということです。

それを語るにはまず外装石が失われる理由を述べなければなりません。

簡単に言ってしまえばそれは石泥棒の仕業。

ですが、この石泥棒という言葉はなかなかの曲者です。

まず、彼らの作業年代が広すぎます。

古い方から言えば、ラムセス2世時代にはほぼ確実にその作業はおこなわれていました。

新しい時代でいけば、ピラミッドの調査が始まりその保全が始まる直前までその作業はおこなわれ、アブラワシュのピラミッドが現在の無残な姿になったのは、実を言えば、比較的新しい時代におこなわれた石泥棒の成果なのです。

ついでに述べておけば、第四王朝第三代の王ジェドエフラーが建てたアブラワシュのピラミッドが外装石だけではなく核になる石まで持ち去られたのは石質が非常によかったから。

アブラワシュで採れる石灰石の質がギザやサッカラ並みであれば、アブラワシュにも六十メートル級のピラミッドが聳えていた可能性は十分あったでしょう。


そこにつけ加えなけれならないのは、石泥棒の種類です。

泥棒に種類などないだろうと言われそうですし、確かにその通りなのですが、話の都合上ここはどうしてもつけ加えておかねばなりません。

そして、それは大きくわけてこのふたつに大別されます。


地元住民による個人または小集団。

統治者または権力者による建設資材に利用するためにおこなう公的で大規模な石材強奪。


それを踏まえて話を進めます。


古い時代からおこなわれていた石泥棒によるピラミッド解体ですが、エジプト学者が説明するその作業手順はこうなります。

四隅の下部から上部へと進む。

屈折ピラミッドほどではありませんが、外装石が残るカフラー王のピラミッドはこの手順に見事に当てはまります。

では、屈折ピラミッドはどうかといえば、実はそうなっていないのです。

その状況を大まかにいえば、屈折した上部はほぼ外装石は失われ、下部の大部分は手つかずのままとなっているのです。

さらに四隅からという手順も、一部については当てはまらないのです。

これについて専門家の意見はこうです。

下部は傾斜が急であったために手をつけなかった。

ですが、それは周辺の住民が夜間にこっそりとおこなう「本物の石泥棒」作業の場合の理由であって、作業の困難さや危険度などは採石の必要性に比べれば些細なものでしかない権力者が組織的におこなう場合には当てはまりませんし、屈折ピラミッドより傾斜角度がある階段ピラミッドの外装石は見事になくなっているわけですからどうもその説明では納得しかねるものはあります。

個人的には、そこにはおこなわなかったのではなく、おこなえなかった理由が必要になると考えます。


いったいどのような場合にそうなるのかまでは思い浮かびませんが、何も提示せずに終わりにするのは少々気が引けますので、たいした根拠はありませんがひとつだけ挙げてみたいと思います。


屈折ピラミッドと同じように最下部の外装石が残るメイドウムの例から考えれば、屈折ピラミッドもその下部は土砂に覆い尽くされていた。

そのため下部に手をつけることなく上部の石を手に入れることができたのではないでしょうか?

その土砂とはもちろん撤去されずに残っていた傾斜路です。


繰り返しますが、これは可能性があるのではと挙げてみた程度で根拠はありません。

あしからず。


次はふたつの入り口の謎。

ピラミッドは北側の斜面にあるひとつの入口がある。

これがサッカラにある最初につくられた階段ピラミッドから続く基本形になります。

もちろん基本ですから、いくつかの例外はあります。

カフラーのピラミッドには入口が二つ発見されていますし、中王国時代のピラミッドは北側につくられなかったりしています。

ですが、それを踏まえてもこの屈折ピラミッドは異常です。

北側と西側にあるふたつの入口。

しかも、その内部構造はあきらかに独立したもので、そのふたつを繋ぐ通路は積み上げた石材を無理やり開けたトンネルのようなもの。

これをどう説明するのか?

専門家の意見も様々です。

そもそも、これが意図されたものなのか、それともなんらかの事情により北側からの入口が使用できなくなったので西側に新たな入口と内部構造をつくりあげたのかというところから意見が集約できていないのですから、どれも決定打になりえるはずはないのです。

それに加えて少し前までその可能性があるものとして知られていたのは、屈折ピラミッドピラミッドにはさらに別の入口があるという話です。

これは西側の入口が塞がれていたときに、内部で作業をしていた発掘隊があらぬ方向から風が吹き込んできたという奇妙な体験をしたことが発端になっています。

もっとも、こちらについては大ピラミッドに先立ってこのピラミッドでおこなわれた例のミューオン測定時に特に発表がなかったので何も出なかったようです。


そして、最後。

これは公開された北側の入口から入る通路を通らないと確認できないことなのですが、ふたつの角度の斜面を持つことで知られているこのピラミッドですが、その内部にもうひとつ傾斜角60度の小ぶりなピラミッドが隠されていることはあまり知られていません。

どうやら、この傾斜角60度のピラミッドこそスネフルが本来目指したもののようです。

ですが、その大きさに不満があったのか、それとも後に問題になった崩壊危機がこの時点で発生したのかはわかりませんが、とにかくそれを覆い隠すようにやや緩い約54度の傾斜角に変更し、さらにその工事の最中にさらに緩い角度に変更した。

それが屈折ピラミッドになります。


最後はやはりあの形状に触れてしまいましたが、今回の話はこれでおわりです。

気持ちの悪いオカルト話などなくてもピラミッドは十分に楽しめる。

そのことが少しでもわかっていただけたら幸いです。


屈折ピラミッドは多くの書籍で取り上げていますが、どれも内容が薄いです。

このピラミッドについて知りたければ、日本語の本であれば「ピラミッド大全」、さらに深く知りたければ、「The Monuments of Sneferu at Dahshur」に目を通すことをおすすめします。

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