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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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カルナック神殿のオベリスク

今回の舞台はパッケージツアーでも必ず訪れるルクソールのカルナック神殿。


さて、質問です。

あの広大な敷地を持つ神殿には現在何本のオベリスクが立っているでしょうか?


カルナックを訪れたことのある多くの人は神殿中央に鎮座するトトメス1世とハトシェプスト女王が奉納したオベリスクを思い出し即座に二本と答えることでしょう。

しかし、カルナックにはさらにもう一本、第一塔門前に第19王朝の王セティ2世のオベリスクがあります。

もっとも最初の二本とは比べようもないくらいに小さなものですが。

ついでにいえば、現在はローマに聳えるトトメス4世が完成させたオベリスクももともとカルナックにあったものです。


では、そのほかにそこに立っていた痕跡があるオベリスクはどれくらいあるでしょうか。

当然前述ものの対となるものはすぐに挙げられますので、他のものはということに絞ることにしましょう。


まず、もっともわかりやすいところから。

トトメス1世のオベリスクの西側、第一塔門から入ってくれば手前になる位置に残る基壇に載っていたオベリスクはトトメス3世のものとなります。

このオベリスクの破片は周辺で見ることができます。


続いて、ハトシェプスト女王の二組目のオベリスク。

こちらはカルナックの東西軸線上の最深部にあたる「トトメス三世祝祭殿」の裏側にその痕跡が残っており、その破片は付近のブロック置き場で見ることができます。

そして、このオベリスクの頂上部のひとつはカイロ博物館の庭に展示されています。

ちなみに前出のトトメス4世のオベリスクもこの近くに立っていました。


そして、いよいよディープなものを。

もともとあった場所はアテン神殿ではないかという程度で正確な場所は特定されていませんが、現在は第二塔門前で見ることができる「アクエンアテンのオベリスク」と呼ばれるものがあります。

個人的には本当にあれがオベリスクなのかは疑うべきではないかと思っているのですが、一応そのようなことになっているので紹介します。

このオベリスクの破片は、第二塔門に入る直前で見ることができるのですが、すぐ近くにあるよく目立つ花崗岩製の大きな破片はトトメス3世のもので、肝心のアクエンアテンのものはそれよりもかなり細い柱のようなブロックです。

しかも、オベリスク自体に彼の名前が残っているわけではないので、これを見つけるには、「アテン」という文字とアクエンアテンが持つ独特称号を目安にするしかないです。

次回カルナックに行ったときに探してみてはいかがでしょうか。


さて、次です。

さらにディープなのがトトメス2世のオベリスクです。

このオベリスクが元々あった場所はトトメス1世のオベリスク付近。

具体的にはトトメス1世のオベリスクの西側。

そこは先ほど述べたトトメス3世のオベリスクの場所だろうと思われるでしょうが、トトメス2世のオベリスクはさらに西側、つまりトトメス3世はトトメス1世とトトメス2世のオベリスクの間に自らのオベリスクをねじ込んだことになります。


ここでひとつ疑問が浮かびます。

オベリスクの建て方、いや立て方と言ったほうがいいでしょうか?

よく言われている傾斜路を使った方法は実に合理的なものなのですが、それはあくまで何もない最初のオベリスクを立てるときの話。

二組目、ましてトトメス三世のように二組のオベリスクの間にオベリスクを立てるときにもあれをおこなうのは作業スペースを考えればかなりの技術(プラス気合と覚悟)が必要といえるでしょう。


せっかくオベリスクの話をしているので、ついでに聖池脇に横たわるオベリスクにも触れておくことにしましょう。

これは現存するハトシェプスト女王のオベリスクの対になるものなのですが、そこに刻まれた王の名前がなかなか興味深いです。

奉納者であるハトシェプスト女王があるのは当然なのですが、そこに父王トトメス1世と共にトトメス3世の名前もあります。

もちろんこれはのちにつけ加えたものではなくオリジナルですし、現在立っているオベリスクにもトトメス三世の名前が刻まれています。

現地ガイドが語る「幼いながらも正当な後継者であるトトメス3世と義理の母ハトシェプスト女王との権力奪い合いとドロドロの愛憎劇」というあの話を何度も聞かされた者からいえば、あってはならんものなのですが。

ですが、話はそこで終わりません。


なんと、第19王朝のセティ1世はこのオベリスクに名前をつけ加えました。

高所作業車などない時代、日本人の感覚では即座に梯子と言いたいところですが、しっかりした足場を確保する必要があるうえ、オベリスクを倒してはいけないという前提があることを考えれば、やはり日干し煉瓦を使った傾斜路なのでしょうか。

ラムセス2世もトトメス1世やトトメス4世のオベリスクに自らの名前を刻み込んでいますが、おそらく同じ方法を使ったのでしょう。


話をトトメス2世のオベリスクに戻します。

今は基壇の痕跡もわからぬトトメス2世のオベリスクですが、その破片は少しだけ注意すればハッキリと見ることができます。

その場所。

それは、オベリスクがあった場所からさらに東に進んだフィリッポス・アリダイオスがつくった聖舟安置所。

この聖舟安置所の南側の基壇に使われた花崗岩製のブロックにトトメス2世のホルス名が刻まれており、これがオベリスクの一部とされています。

もしかしたら、この花崗岩製の至聖所の大部分はトトメス2世のオベリスクの破片を再利用しているのかもしれません。


そして、最後はアメンヘテプ3世のオベリスク。

ラムセス2世とともに建築王として名高いアメンヘテプ3世ですが、私の知るかぎりオベリスクはこれだけです。

ただし、このオベリスクは少々、いいえ、非常に見学しにくい場所にあります。

アメン大神殿の北側にあるモンチュ神の神域の入り口付近。

つまり、現在立ち入り禁止区域です。

そこにこの王の誕生名が確認できる花崗岩のブロックが残っているのですが、これを見る、というかこのエリアに入るのは大変で、アメンヘテプ3世のオベリスクの破片があることを知ってからは何度もトライし、偶然入ることが許され、やっと見られたときは狂喜したものです。

なお、ウィキペディアにはこのオベリスクはラムセス2世のものと書かれていますが、あの書き込みをおこなった方は現場に行っていないのでしょうね。きっと。

まあ、ウィキペディアなどその程度のものなのですが。


ここまでが現在確認できるものとなりますが、そのほかに存在が確認できているものとしてホルエムヘブのオベリスク、それから伝承として伝わっているものにはトトメス3世の貴金属製の高価なオベリスクなどがあります。


カルナックのディープな話はまだまだありますので、いずれまた書きたいと思います。

ということで、今日はここまで。

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