傾斜路
石材の運搬方法についていずれ書こうと思っていたのですが、今回は古代エジプトの建築において重要な役割を果たした傾斜路です。
クレーンなど存在しなかった時代で高所に重い石材を運び上げるにはこれしかなかったわけですが、特にピラミッド建造において傾斜路の存在を頑なに否定する自称専門家のなんと多いことか。
この話に一度ケリをつけよう。
それがこれをやる気になった直接的な理由となります。
まず、ギザのピラミッドの建造に傾斜路を使用したという説を否定する方々が必ず口にすること。
それは……。
そのようなものを造ってしまっては、ピラミッドと同程度の量の石材が必要になる。
そして、ギザにそのような痕跡が残されていない以上、傾斜路は使われていない。
そのような方にハッキリ言います。
馬鹿ですか?あなたは。
古代エジプト人はピラミッドを含む多くの建築物を日干し煉瓦で建てていた。
その彼らが石材を運びあげるためだけの一時的な建築物である傾斜路をつくるために採石場から石材を切り出し苦労して運搬しなければならないのか。
まして、それを律儀に積み上げるなど……笑止。
もちろん傾斜路をつくるために、巨大な石材を積み上げることが絶対に必要ということであれば、その話は成り立ちます。
ですが、傾斜路をつくるのにギザのピラミッドを形作るような巨石は必要ありません。
では、傾斜路の主要材料とは何か?
日干し煉瓦、石材の破片、そして、周辺に広がる砂漠から無尽蔵に手に入れることができる砂利。
つまり、簡単に現地調達できるものが使われた。
まあ、当たり前のことですが、傾斜路にお金をかけるわけにはいかないのです。
それに、必要性がなくなれば早急に撤去しなければいけませんし。
さて、前置きはこれくらいにして、ここからが今回の本番です。
ピラミッド建造に傾斜路が使用されたという痕跡はあるのか?
テレビでエジプト特番をぼんやりと眺める、またはパッケージツアーでエジプトに旅行したことがある程度という人であれば、確信はないものの、おそらくノーに近い答えが持っているのではないでしょうか。
なにしろCGでは見せられてはいても、その痕跡の映像を流されることはありませんから。
ですが、答えはイエス。
つまり、あります。
実は、多くの場所でその痕跡は見つかっていますが、もっとも有名なのは中部エジプトのアビドス近郊シンキにある第四王朝時代の小さなピラミッド。
ここには四方向に傾斜路跡がハッキリと残されています。
そして、ここにある傾斜路は日干し煉瓦とともにピラミットと同じ大きさの石材が使用されています。
色々な方がギザの傾斜路は石材で~と主張したのはこれを根拠にしているのかもしれません。
もっとも、ピラミッドで使用されている同じ大きさの石材と言っても、ギザのピラミッド群で積み上げられたひとつ数トンというものではなく、このピラミッドの石材はそれなりの人であれば人力でも運べるのではないかと思える程度のものですが。
ついでに言っておけば、さらに南のエドフにある同時代の石材製の小さなピラミッドにも傾斜路跡が残っています。
こちらのピラミッドがある場所は、この地で最も有名な観光スポットであるホルス神殿から五キロほど南西に行った砂漠と耕作地帯の境あたり。
他の小ピラミッドに比べれば行きやすいところなので、個人旅行でこの地を訪れたら足を延ばすのもいいかもしれません。
では、肝心のギザはどうか?
あります。
しかも、観光ルートに。
もっとも、大部分の現地ガイドもその存在を知らないために説明もなく、観光客の大部分は素通りしてしまいますが。
クフ王のピラミッド周辺にある三か所の傾斜路跡のうち一番わかりやすいのがピラミッドエリアからスフィンクスへ向かう道路沿いにあるもの。
一見すると周壁のように見えるそれは王妃のピラミッド建造用と思われる傾斜路跡になります。
これはピラミッドを構成する石材よりははるかに小さいものの、比較的大きな石の破片を積み上げた平行な壁をつくり、その間に砂利などを詰め込んだもので、おそらく王のピラミッドをつくるための傾斜路も同じような構造だったと思われます。
残りのふたつのうちのひとつは、貴族のマスタバ用で、もうひとつはクフ王のピラミッドの南側にあるため王のピラミッド用と思われます。
ただし、王のピラミッドのための傾斜路跡は、少々の運と見分ける目がないと見つけられないものではあります。
ということで、一応結論。
傾斜路には巨大石材は必要ない。
それから、ピラミッドをつくるための傾斜路の痕跡は存在する。
今回はここまで。
続きは次回ということで。




