王名表
多少なりとも古代エジプトに興味を持った人には「王名表」という言葉を聞いたことがあると思います。
まあ、言葉どおりなのですが、少しだけ説明を加えておけば、初代とされるナルメル王から続く古代エジプトの王を治世順に並ぶものです。
そして、古代エジプトに興味を持っており、これについての知識を得ている人は「王名表」という言葉を聞けばあるサイトを思い出すことでしょう。
アビドスのセティ1世神殿。
そう。
オカルトマニアがオーパーツがあると喧伝する中部エジプトにあるこの場所に建つセティ1世の神殿。
その神殿のレリーフは「王名表」を語るうえで避けて通ることはできないのです。
ついでにいえば、このアビドスにはもうひとつ王名表がありました。
この神殿のすぐ近くにあるラムセス2世の神殿に色が残るものがありました。
ラムセス2世の建造物といえば、数は多いのですが、そのレリーフの出来がどうかといえば、微妙なものばかりです。
ですが、この神殿の建物に残るレリーフはいつもの砂岩ではなく石灰岩製ということもあり、「本当にラムセス2世のものか」と疑いたくなるくらいに美しいものですので、アビドスにいく機会があれば忘れずに見学してもらいたいと思います。
まあ、ありましたと書いたところで分かったとは思いますが、現在はその主要部分は大英博物館にあるわけですが。
話をアビドスの王名表に戻します。
アクエンアテンやツタンカーメンが異端の王とされた根拠のひとつが、セティ1世神殿の王名表に名が残されていないことです。
曰く、これが消されたファラオの証拠だと。
もちろん同じくこの王名表に名が残されていなかったことからハトシェプスト女王も公認された王ではなかったということになっています。
ですが、これは事実なのか?
多くのエジプト学者もこの通説を支持しているわけですが、個人的にはこれは疑くべきものと思っています。
その理由。
存在し活動していた痕跡が多数残されているにもかかわらずアマルナの諸王やハトシェプスト女王と同じくこの王名表では省かれた第17王朝の王たちの存在。
そして、この王名表の少しだけ後のものとされるトリノの王名表にはセティ1世の神殿にある王名表にはないその第17王朝のものを含む数多くの王が記されていること。
つまり、アビドスの王名表は必ずしも公式の王名表をそっくり写し取ったものではない。
つまり、あれが完全な真実とはいえない。
そして、もうひとつ。
こちらが今回主張したかったことなのですが、それはそこから話を発展させたものです。
実は王名表というものはどこかに「公式な」ものがあったのではないか。
これは一見すると根拠がなさそうに思えますが、トリノの王名表を例に出せば、創作であれだけのものはつくれない。
つまり、その参考にするだけのものがあったのでないかと考えてもおかしくないのではないでしょうか。
さらにその知られざる王名表からトリノの王名表がつくられたとすると第二中間期の王朝の並び順は非常に興味深いです。
ほぼ同時期に存在したヒクソス系の王がそこに記されているだけではなく、テーベ系の第17王朝の王よりも先にあること。
つまり、成立順ということであればそれほど間違っていないものの、のちにエジプトを統べる第18王朝の諸王にとっては「消されるべき存在」が記録に残っている。
これを深読みすれば……。
公式な王名表はある都市に住む権力者たちとは隔絶された者によってつくられていたのではないか。
そして、もちろんその都市とは古都メンフィスであり、公式な王名表に名を刻む順はメンフィスの統治者の順番と同じであるというルールであれば、現在知られている異民族の諸王の次に彼らを追い出したテーベ系の王の名があってもまったく問題ないということになります。
王名表は多くの想像を掻き立てる要素が多く含まれるアイテムではあります。
せっかく王名表について書いたので蛇足的にもうひとつ。
まず残念な事実から。
あれだけ書いたにもかかわらず、アクエンアテンやハトシェプスト女王がトリノの王名表でどのように扱われていたのかを書かないのにはもちろん理由があります。
それは、そこが失われているから。
今後も見つかる予定もなさそうですし、永遠の謎になりそうです。
それからもうひとつ。
実際に統治し、多くの建造物を残したながら、王名表から削り落とされたハトシェプスト女王やアクエンアテンのような王もいれば、その逆に王名表以外の痕跡もない王もいます。
もちろん初期の王はこのカテゴリーに入る者が多くいるわけですが、もう少し後の時代にもそのような王がいます。
ウセルカラー。
一応第6王朝二番目の王とされていますが、大きな建造物どころかその墓も見つかっていません。
どうして、このような王がセティやラムセスの魔の手から逃れ、王名表に名を残せたのか大いに興味を引かれます。
ということで、今回はここまで。
P.S
ラムセス2世。
……最近はこの王の名はラムセスからラメセスに改められつつあります。ただし、古くからのエジプトマニアにとってはラムセスの方が馴染み深いのでここではラムセスを使用します。




