ピラミッドの建造年数
再びピラミッド。
今回の「ピラミッドの建造年数」はいつか書こうと思っていたテーマです。
そもそもこの年数がどこからやってきているのでしょうか。
まずダメな方からいえば、古代から伝わる噂に基づくもの。
ですが、これもまったくダメかといえば、意外にニアピンではあったりもしますので、バッサリというわけにはいかないのですが。
次にもう少し信用できるもの。
これは積み上げられた石に書き込まれた労働者の落書きを根拠としています。
そして、そのなかでも上部で見つかったもっとも新しい年数がピラミッドのもっとも完成に近い日付とされ、さらに確定できる王の治世年数ともされています。
だが、これは本当に正しいのでしょうか。
一応これを肯定する根拠というものを先に示しておけば、そのピラミッドの所有者は死後すみやかに埋葬する必要があります。
つまり、ピラミッドがどれほど完成に程遠い状況でも埋葬しなければならない。
そして、ピラミッドの入り口を塞ぐのは埋葬が終了した時点。
もし、この時点が完成とするのなら、この王の治世年数の終わりがピラミッドの完成と同じという話は完全に成立するというわけです。
さて、ここでそれに反する意見を提示します。
ピラミッドの完成は埋葬が終わった時ではなく、それに関わるすべての工事が終わったときである。
まあ、現代はこれが標準なわけですが。
では、積み上げられた後に残った作業とは何でしょうか?
それに答える前にさらにもうひとつ質問をします。
ピラミッドの石はどうやって積み上げたのでしょうか?
もちろんこれについてはほぼ確定しているので書いてしまえば、傾斜路を使用するというものです。
そして、もう一度最初の問いに戻ります。
残った作業とは何か?
それは、つまりこの傾斜路の除去です。
そして、そこにもうひとつの作業が加わります。
それは外装石の仕上げ。
カフラー王のピラミッドに残る外装石の痕跡から最終的な仕上げは石の設置後ということになっています。
では、頂上に置かれるキャップストーンから基壇まで凹凸もなくきれいな直線状に仕上げるためにはどうしたらよいのでしょうか?
答え。
すべての石の設置後、上から下へ削りながら仕上げることが唯一の手段となります。
逆、すなわち下から順に仕上げるということも考えられる気もしますが、これは絶対とはいわないもののほぼ無理だと言えます。
できない理由。
それはどうやって積み上げられるかを考えれば一目瞭然。
傾斜路の存在。
つまり、そうするためには、仕上げが完成しないうちには傾斜路をつくるわけにはいかず、肝心の石の積み上げ作業に支障を来たすから。
そして、仕上げがすべて外装石の設置後となると、傾斜路の形状もほぼ確定できます。
直線状のもの一本では仕上げをおこなうことが困難になるのだから。
つまり、足場はどうする?ということです。
少し本筋から離れてしまったので話を戻します。
外装石の仕上げをしながら傾斜路を除去するのは結構な時間がかかると思われることから、個人的には積み上げられた石に刻まれた年数をそのまま採用するのは問題があるのではないかと思うのですが、建造年数を語るとき、専門家を含めてそのすべてがなぜか「石材の積み上げ時間のみ」しか考慮していません。
実を言うと、以前、この問題を現代日本で一般の人にとって一番有名なエジプト学者である河江肖剰氏に尋ねたことがあるのですが、やはり明確な答えは返ってきませんでした。
もっとも、それは十年以上前のことなので、その後進展があったかもしれません。
最近彼はユーチューブをやっているようなので、興味のある方は彼にこの質問をするといいのではないでしょうか。
彼がこの質問にどのように答えるか興味があります。
そして、これに関して一つのおもしろい情報をつけ加えておきます。
それはクフのピラミッドの南側で発見された「太陽の船」が発見されたピットに残る次王ジェドエフラーの名前と治世年。
ここに書かれていたのは彼の最晩年とされるものとされています。
つまり、彼は治世年の多くで父王のピラミッドの残務処理をおこなっていたことになります。
そして、このピットがピラミッドの南側にあり、ピラミッドを形作る石材の主要運搬ルートとも一致することも興味深いです。
それはどういうことか?
このピットに残るその文字は積み上げの最期まで使用された傾斜路を除去されないかぎり書くことができなかったということです。
つまり、作業はそこに書かれていた年数と完全に一致とまでいかなくても、それに近いところまでおこなわれていたことは十分に考えられるというわけです。
とりあえず、今回はここまで。




