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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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ツタンカーメンの葬祭神殿

2021年4月に新たな発見のニュースがありました。

Z・ハワス率いる発掘チームによるもので、ニュースによれば「アテンの夜明け」なるアメンヘテプ3世時代の住居跡とのこと。


紙面に踊る「ポンペイ級の発見」や「ツタンカーメンの墓に次ぐ重要な考古学的発見」かは微妙ですし、場所的にそれは以前発見されていたアメンヘテプ3世の宮殿に関連したものである可能性もあるとは思いますが、素晴らしい発見であることは間違いありません。

ですが、私が注目したのはハワスが元々探していたのはツタンカーメン王の葬祭神殿だったという部分。


そう。

第18王朝~第19王朝の王たちは一部の例外を除けば葬祭神殿と呼ばれる自らの記念神殿をつくり上げていましたが、有名なツタンカーメン王の葬祭神殿はまだ発見されていないのです。


まず、はっきりさせなければならないのは、ツタンカーメンの葬祭神殿はつくられたのか、それともつくられていなかったのかということです。

多くの人が知っているとおり、この王は若くして亡くなり、治世年数も短いためそのような施設をつくる時間がなかったのではないかとも考えられますが、私はいくつかのことを根拠にこれを否定します。

まず、治世年数に関していえば、彼よりも短い王も、たとえばツタンカーメンの次王アイ、第19王朝のシプタハがそれにあたりますが、彼らもそれなりの規模の記念神殿をルクソール西岸につくり上げていますので、治世期間の短さによってつくることができなかったということはありません。

そして、もうひとつ。

ツタンカーメンの葬祭神殿が存在した根拠があるのです。

有名なものは彼のものとされる立像ですが、それよりもはっきりとわかるものがあるのです。

ツタンカーメンの名が記されたレリーフの一部が第19王朝の第4代目の王メルエンプタハの葬祭神殿の再利用ブロックとして残されていました。

現在それが見学できるかはわかりませんが、私がルクソールを訪れたときには葬祭神殿内に設置された倉庫内に保管されていました。


では、なぜ存在するものが発見されないのか?

個人的かつ無責任な意見を言わせてもらえれば探す場所が間違っている。

これに尽きると思います。


そこまで言うのならどこにあるのか言ってみろとなるわけですが、もちろん私は発掘できる立場ではないので予想をするだけとなりますが、せっかくですから書かせてもらいます。

以前どこかでも書いた気がしますが、第18王朝の墓と葬祭神殿にはそのつくられた場所には規則性が感じられます。

王墓については別の機会に話をするとして、葬祭神殿に関してはハトシェプスト女王からアイ/ホルエムヘブまでの葬祭神殿は治世順に北から南につくられています。

たぶんハワスもこの法則に気づき、アメンヘテプ3世の葬祭神殿とアイ/ホルエムヘブの葬祭殿の間の地域に狙いをつけたものと思われます。

ちなみに、ニュースではアメンヘテプ3世の葬祭神殿とアイ/ホルエムヘブの葬祭殿の左隣に建てられたよく目立つ第20王朝ラムセス3世の葬祭殿の間としていますが、間違ってはいないものの、目印としてハワスが狙いをつけたのはあくまで第18王朝の葬祭殿であるアイ/ホルエムヘブの葬祭殿だと思われます。

では、最初に述べた探す場所が悪いとはどういうことかといえば、過去に遡ればわかることです。

実は、現在よりも発掘が容易にできた前々世紀から前世紀初頭にこの地域一帯には今よりも葬祭殿の痕跡がハッキリと残っていました。

ですから、当時に発見されていないということは現在ハワスが発掘している場所を含めて砂漠地帯にはラムセス3世葬祭殿のような後代の建造物がそのうえに建てられた場合を除けばツタンカーメンの葬祭神殿はないということです。

では、どこにあるのか?

その場所とは、現在はもちろん発掘が散々おこなわれた過去数百年においても痕跡がなかった場所、すなわちアメンヘテプ3世葬祭殿の南側に広がる耕作地帯であると私は考えます。

この場所は「大発掘時代」はともかく現代の調査は一度も入っていない場所ですので十分可能性はあるでしょう。


ついでにいえば、希望が大量に入った憶測にはなりますが、その近くには謎の王アンクケペルウラー/ネフェルネフェルウアテンの葬祭殿もあるのではないかと考えてもいます。

こちらに関しては、その建設が始まる一文が残っていることから、何かしらの痕跡は期待できるのではないかと思われます。


そういうことで、私の予想通りの場所にふたつの葬祭殿がつくられていればアメンヘテプ3世の葬祭神殿の調査をおこなっているドイツ隊が案外ハワスよりも早く見つけるかもしれませんが、部外者である私にとっては「誰が」などどうでもいいことなので、早く見つかることを希望します。

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