ネフェルネフェルウアテンとメリトアテン
昨年末の特番でネフェルネフェルウアテン王が取り上げられたそうです。
その番組で、この王はアクエンアテンの長女でツタンカーメンの義姉となるメリトアテンであるとしたとのことでした。
面白ければそれでよい程度のTV番組なのだから聞き流す大人の対応をすべきなのかもしれませんが、アマルナ時代を守備範囲としている私としてはこれをやり過ごすのはやはり難しい。
ということで、今回はこの話です。
まず結論を言います。
あり得ないとまでは言いませんが、そう主張するのはかなり難しくこじつけ的になります。
ネフェルネフェルウアテン=メリトアテン説の根拠らしきものは、Wikiを参照してもらえばわかります。
ちなみに、日本語版Wikiで、セメンチカレなる者が登場していますが、「スメンクカラー」または「セメンクカラー」と言われている人物のことです。
この時代をやっている日本人であれば、絶対にセメンチカレなどとは書き込むはずもないので、ここに書き込みしている連中というのはそれ相応の知識の持ち主ということなのでしょう。
さて、本題に戻ります。
ここからから語るのはそこに書かれていないことです。
ツタンカーメン王墓からアンクケペルウラー/ネフェルネフェルウアテンの遺物の流用品が多数発見されているわけですが、ここで取り上げるのはそのひとつ。
この王墓の発掘者ハワード・カーターの遺物番号「1k」である箱の取っ手です。
貴金属製が作られたわけでもないみすぼらしいその遺物に私がなぜ注目するのか?
それはそこに書かれているものが重要だからです。
そこにはアクエンアテン「王」とネフェルネフェルウアテン「王」とともに、メリトアテン「王妃」の名があるのです。
ここで、わかるのはふたつ。
アクエンアテンとともに書かれるべきネフェルティティの名がないこと。
そして、ネフェルネフェルウアテン妃としてメリトアテンが書かれていること。
アクエンアテンとネフェルネフェルウアテンが共同統治をしていた可能性は考えられても、ネフェルネフェルウアテンとメリトアテンが同一人物である可能性はこれを見るかぎりありえません。
ネフェルティティが改名して形式上の王妃としてメリトアテンを立てた可能性よりも低いといえるでしょう。
もちろん、「ネフェルネフェルウアテン王」の妃だったメリトアテンが、「王」の死後、「ネフェルネフェルウアテン女王」として即位したということであれば話は別で、金沢大の河合望氏は根拠付きでこの主張しています。
一見すると筋は通っていますが、その意見に賛成しかねる立場の者から言わせてもらえば、やはり後付け感はぬぐえませんが。
とにかく、決定的な証拠もないこの話。
この論争にケリをつけられるのは、やはりネフェルティティまたはネフェルネフェルウアテンの墓の発見でしょう。
そう言う点で、KV62の秘密の部屋がなかったという事実は残念でなりません。
もっとも、少ない証拠から色々と妄想できるちころが、アマルナ時代の楽しみのひとつなのですが。




