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ツタンカーメンは無名のファラオではなかった Ⅱ
1911年に刊行されたセオドア・デイビスのホルエムヘブの墓の調査報告書「Tombs of Harmhabi and Touatankhamanou」の中で、当時のエジプトの発掘調査の元締めだったガストン・マスペロが、ツタンカーメン王墓が発掘される前のツタンカーメンに対する認識がどのようなものだったのかを詳しく書いています。
結論から言うと、日本のエジプト学者が著作の中で盛んに主張する「存在するかも怪しまれた無名のファラオ」はあきらかに間違い、よく言っても表現が間違っているといえます。
王墓発見の前であっても、「まだわからない部分が多い謎の王」というのが的確な表現であり、いわゆる素人ならともかく、専門家の間では無名ということはなかったのです。
そして、ツタンカーメンの研究に手をつけ、発展の礎をつくったのはサー・ジョン・ガードナー・ウィルキンソン。
日本のエジプト学者は彼を非常に軽く扱っていますが、もう少し彼の功績は評価されるべきでしょう。