ツタンカーメンは本当に無名のファラオだったのか?
ぼんやり眺めていた某サイトでこのようなお題が提示されていました。
ツタンカーメンは無名のファラオだったということなのだが、どの程度認識されていたのか?
確かにツタンカーメンを扱う多くの本でツタンカーメンは無名だったと書かれています。
そして、それは現代だけではなく、古代においても同じで、そのため王墓入口に墓職人の小屋が建てられたのだということが書かれていたりします。
多少たりともツタンカーメンについて興味を持って調べるとこの種の話が出てきます。
そして、これは本やネットだけではなく、エジプト学者の口からも同様のことが語られるので多くの方はこれが真実だと思ってしまうわけです。
ですが、ハッキリ言って、これは大きな間違いです。
このような話をしているエジプト学者は、一般の人が知る「定説」に合わせているのでなければ、あきらかな勉強不足といえるでしょう。
これについてはそのうちまとめて説明しますが、古代の人にも忘れられていたかについてだけ述べておけば、それはどの階級の者を対象にしているかにもよりますが、支配階級について言えばノー。
それはマネトの記述にアクエンアテンなどともに登場することがその証明となります。
以前書いた王名表を扱ったエピソードでも述べましたが、アビドスの王名表が唯一無二の正統なものと思わないほうがいいのです。