ツタンカーメンの本当の墓はどこかを考える ③
一応、自説の根拠を示しておけば、キーになるのは治世期間が二年とされるラムセス一世の王墓である「王家の谷第十六号墓」です。
治世期間のすべてを使用すればこの程度の規模の墓が造営できることを示しています。
それを踏まえてアイの墓「王家の谷二十二号墓」を見ると規模はほぼ二倍。
そして、アイの治世期間はラムセス一世の二倍の四年。
つまり、アイの治世期間でもこの墓は完成できるというわけです。
もし、本当にツタンカーメンが自身のための墓として「王家の谷二十二号墓」を考えていたのなら、場所の選定をしただけか本当に造営が始まったばかりということになります。
せっかくですからラムセス一世王墓とツタンカーメン王墓の比較もしておきましょう。
ツタンカーメン王墓はラムセス一世王墓の半分からせいぜい三分の二の大きさ。
最初から造営を開始したものであれば、一年程度ということになります。
この状況だけから考えれば、たしかに専門家が説く、「ツタンカーメンが非常に若かったので臣下が王墓造営をおこなわなかった」という話も納得できそうな気もします。
ですが、それはツタンカーメン王墓だけを見た場合です。