ツタンカーメンの本当の墓はどこかを考える ②
多くの専門家が支持するツタンカーメンの元の墓は「王家の谷二十二号墓」だったという説ですが、私としては否定せざるを得ないです。
というよりも、なぜここまで専門家がこの説を支持するのか理解できません。
「王家の谷二十二号墓」そのものも完成から程遠く、内部の装飾も玄室のみに施されているだけです。
それこそ四年というその治世期間にふさわしいものだといえ、ツタンカーメンの治世期間にアイの治世期間を加えた時間をかけて造営されたものには思えません。
もちろんこのような批判は以前からありました。
それに対する答えはこのようなものです。
ツタンカーメンは幼少であったため、墓が必要になるのはまだまだ先のことになると考えた臣下が王墓造営をおこなっていなかった。
そして、ツタンカーメンの健康状態が悪くなり、慌てて「王家の谷二十二号墓」の造営を始めたのだが間に合わず、現在の「王家の谷六十二号墓」に手を加えて王墓とした。
ちなみに、この「王家の谷六十二号墓」の元の持ち主がアイで、アイはツタンカーメンに自身の墓を差し出す代わりに「王家の谷二十二号墓」を手に入れた。
ですが、この話は非常に怪しい。
古代エジプトにおいて王墓造営は国家の最優先プロジェクトだったはず。
それをなぜツタンカーメンのときだけ死の直前まで手をつけずに放置していたのか。
個人的にはこれはないと思っています。