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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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ツタンカーメンの本当の墓はどこかを考える ①

ルクソール西岸観光の目玉である王家の谷。

そして、そこに行けば、ほぼ確実に入るツタンカーメン王墓。

その感想は様々でしょうが、一般的な感想としてはやはり小さいということになるのでしょう。

特に、王他の谷にある他の王墓に比べてしまうと。

これは事実です。

そして、そこでガイドによって語られる理由は、治世年数の短さ。

約十年。

たしかに短い。

そして、その年数では王墓が完成できなかったので、臣下の墓を流用したというのがもっともらしく語られ、それを聞いたお客さんは納得するわけです。


ですが、この十年が王墓にふさわしいだけの規模の墓が造営できないのかといえば、ノーとなります。

たとえば、王家の墓で最高の装飾が施されたとされる第十九王朝のセティ一世の治世年数はツタンカーメンの治世年数とほぼ同じ十年。

ツタンカーメンよりも以前にエジプトを統治したトトメス四世も同じく十年間の統治期間で先王アメンヘテプ二世と同規模の王墓を造営しています。

ツタンカーメンよりも治世期間が短いラムセス一世でさえ、ツタンカーメンよりも規模が大きい墓を造営しています。


つまり、十年の治世期間は王墓を造営するには短いということはないということです。


一応、追加情報として加えておけば、専門家の大部分はツタンカーメンの本来の墓は次王アイの王墓となる「王家の谷二十二号墓」で、ツタンカーメンの死亡時、そこはとても埋葬に使用できる状況でなかったために現在の墓を利用したということになっています。

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