表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

115/130

アマルナの都市遺跡 

あまり知られていませんが、私のエジプトにおけるホームタウンである中部エジプトのアマルナは新王国時代の都市遺構を残しています。

そして、ここの遺構を見ると非常におもしろい事実がわかります。

アクエンアテンとその一族が王宮と言える場所に暮らしていたものの、所謂貴族と呼ばれる者も庶民と混在して暮らしていたことがわかります。

もっとも、貴族と言ってもヨーロッパや明治から昭和にかけての日本のような爵位というものが存在せず、肩書の有無だけで貴族かどうかの判別をしているので、必ずしも現代人の概念とは違うかもしれませんが。

ついでにいえば、称号や肩書のついた遺物が発見された遺構は岩窟墳墓の数に比べて圧倒的に多いので、称号や肩書だけで貴族と判断するのは間違いなのかもしれませんし、岩窟墳墓を持てる者こそが本当の貴族だったのかもしれません。

ちなみに岩窟墳墓の被葬者と同じ名がアマルナの都市遺構から見つかったのは数例のみ。

この辺をテーマに一文書けそうです。


では、同時代の他の都市ではどうなっていたのか?


当然気になると思いますが、実はこの話はこれ以上進まないのです。

つまり、発見されていないということです。

たとえば、新王国時代の事実上の都だったルクソール。

ルクソール西岸は巨大な墳墓群があり、そこには貴族の墓もあります。

ですが、彼らの住居の遺構が全く見つかっていないのです。

「生者の町」ルクソール東岸では。

ルクソールで唯一都市遺構といえるものが発見されたのは「死者の町」ルクソール西岸というのは皮肉なものですが、そこでも都市というより、王宮に関わりのある者たちの住居と言ったほうが近く、有名な岩窟墳墓の被葬者であるセンネフェルやナクトやラモーゼと言った貴族の住居は見つかっていないのが現状です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ