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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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ツタンカーメン王墓に関するエジプト学者が触れない話

ツタンカーメン王墓に関しては多くの話が語られています。

もちろん日本人のエジプト学者も多くの場所で意見を述べています。

ですが、どういうわけかこれだけは触れません。


なぜ、ツタンカーメン王墓が小さいのか?


もちろんこれについて述べていないというのは語弊があり、相応の理由がつけられています。

ただし、あれを本心から言っているのであれば大きな矛盾があります。

もう少しいえば、大きな疑問があるということです。


ツタンカーメンの治世年数は約十年。

ほぼ同じだけの治世年数であるトトメス四世は装飾こそ間に合いませんでしたが、墓の構造としては完成していました。

さらに、第19王朝初代の王ラムセス1世はわずか二年という治世年数にもかかわらず、ツタンカーメン王墓よりも大きな墓に埋葬されました。

多くの専門家が「ツタンカーメンの本来の墓」とする次王アイの墓という話も非常に怪しい。

アイの治世年数は六年。

ラムセス1世の治世年数と墓の大きさを基準にすれば、アイの治世年数で十分につくることができる大きさなのですから。


ツタンカーメンの年齢が彼の王墓造営が進まなかった理由というのも怪しいです。

王墓造営は一大国家プロジェクト。

即位とともに始まるという話と矛盾します。


つまり、ツタンカーメンの王墓があれだけ小さいことには別のストーリーが必要だということです。

ですが、エジプト学者はそれには触れない。

これだけ面白いテーマなのに。


不思議なことです。


私自身の考えを記させてもらえれば、十年という治世年数に王墓造営工事に手をつけなかったということはなく、それにふさわしいものが残されていなければならない。

さらに、トトメス4世王墓を例を考えれば同一箇所で十年間も工事をすれば十分王墓が出来上がっていることから、本来の王墓は王家の谷以外の場所で造営されていたと考えるべき。

そして、なんらかの事情でその王墓を放棄し、ルクソールの王家の谷で新しい王墓を造営し始めたというストーリーこそツタンカーメンの王墓について説明するにふさわしいものに思える。

ここまで言い切ったのだから、本来の王墓の場所も示さなけれければならないだろう。

私が考える本来の王墓。

それはアマルナのアクエンアテン王墓近くにある未完成墓「29号墓」である。

個人的になぜあの墓が全く注目されないのか不思議でならない。


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