ただひとつ
凶手を一瞥して、彼は刀を手に取った。しかし、その切っ先は相手に向けられていない。
「何のつもりだ? 主がやるべきは、自らの命を守ることであろう?」
「ククク……そんな価値のある命なら、な」
「……腑抜けを屠ったところで、何の面白みもない。話せ。儂の本来の仕事でも久方ぶりにしようではないか」
「なんだ、禅問答でもするつもりか?」
「破戒僧にそんなものはできぬ。精々、主が我が好敵手足りえるよう、少し手を貸すだけのこと」
「ふん、碌な者が集まらないな、この場所は」
「何しろ、北の果てだ。さもあろうさ」
「気が狂った女に、スポーツに狂った集団に、刀に狂った男。挙句の果てに破戒僧ときたか……こいつは傑作だ」
「狂っておらぬ人などおらぬよ」
「ならば、自分が生きる意味すら知らぬ、機械のような人間はいないだろう?」
「機械とな?」
「そうだ。生まれた時から死ぬまでの道がすでに決まっていた。己の人生はすべて、誰かに決められていた」
「そうか。それで?」
「それだけだ」
「ふん? それで主はそれをどう思うのだ?」
「……空虚だ、と思う」
「それだけか?」
「つい先ほど知らされたばかりでな。頭も心も混乱している」
「道理よ。しかし、あえて問おう。どう思う?」
「悔しい」
ついて出た言葉がそれだった。
操り人形の人生を否定したい。
自分の存在証明をしたい。
「そうよな。右へ倣えの人生ではつまらなかろう。して、どうする?」
「どうもこうもない。俺はもうすぐ死ぬだろう」
「かもしれぬ。しかしな、主は悔しいと言った。それがすべてではないか?」
「どういうことだ?」
「何かを変えたい、と思っているのだろう。それができるかどうかは別として」
「……そうだ。変えられるものなら変えたい」
「ならば、そうするが良い。主は一介の剣士にはあらず。それだけの力があろう?」
「破戒僧殿にそうまで言っていただけるとは。嬉しいがな、どうも俺の未来は決まっているらしい」
「未来予知でもされたか?」
「そんなところだ」
「……神仏とて、完全な存在ではない。信仰の道に生きる身としては、言うべきではない言葉だがな」
「それがどうした?」
「一兆分の一かもしれぬ、あるいはそれ以下の確率かもしれぬ。その未来予知とやらが外れるかもしれぬ」
沈黙がその場に流れた。
「主は己の命に価値があるか疑問だと述べたな。その価値の有無が、己自身の唯一性の有無に繋がるとするならば、すでに主の命は価値を得ておる」
「劣化コピーかもしれないがな」
「だとしても、だ。主には主にしかできぬことがある筈。大体にして、だ。何ができなくても、何をしていても、何も持っていなくても、主は主にしかなれぬ。誰がどれだけ否定しようが、主がどれだけ卑下しようが、主は主だ。そこに理由はいらぬ。また、問答の余地もあるまい」
「ハハ……哲学かよ。この殺人鬼に向かって」
「相手は何者だろうと、其れは揺るがぬよ。それに……」
白髪の破戒僧は最後の言葉を吐き出した。
「そのことに誰かの許しはいるまい? 主が主であることを誰が否定できる? その命は紛れもなく主のものだ」
ああ、そうか。
俺は――。
彼は息を大きく吸い込む。
「俺が欲しかったものはすでに持っていたのだな」
こんばんは、星見です。
コロナ騒ぎがまだ続いていて辟易しています。まるで中世に戻ったかのような状態だと思っています。
つまらない話は置いておいて「ひげひろ」を昨日読みました。
ドはまりしました。
この話は私には書けない、とすら思いました。この作品に出合えたことに感謝です。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……




