ロベリアの産まれた日
完璧だった僕の人生。
僕は、その日の2週間ほど前から余裕がなかった。
それなのに、妻はそんな僕を笑いながらいつも通りの様子で毎日を過ごしていた。だから、僕は努めて冷静なふりをして、工房へと向かう。
僕はこの村では唯一のパン職人だ。とは言っても、生地は多くの場合それぞれの家庭で女達が作っていて、僕は大きなパン焼き竈でそのパンを焼いてあげるのが仕事だ。
すごく儲かる訳では無いけれど、この村には竈が1つしかないから朝から夕まで大盛況だし、その分暮らしには余裕を持てている。
僕自身が、生地から作り焼いたパンも日に20程は売れる。昔から手先が器用だと言われて、調子に乗って生地に模様を飾ったパンを焼き出してから、僕は自然とパン職人になった。
それにはなんの不満もないし、むしろ天職だと思っている。遠い西にある王都近くの街から美人の嫁さんも貰えて、日々充実している。もうすぐ、僕らの愛の結晶も産まれてくる。人生は全て上手くいっていた。
だから、少し・・・退屈だった。
そうしてその後僕は、この日々の大切さを知ることになる。
いつものように、馴染みの女達がそれぞれパンの種を持って工房へとやってくる。その日も朝から大盛況で、妻と妻のお腹の中の子どものことはすっかり頭の片隅へ行っていた。
工房の外からドタドタと人の走る音がする。何かあったのかと顔を上げると、隣の家のロナじぃが駆け込んできた。
「え、ちょ、ロナじぃ・・・走ったりして・・・腰は大丈夫なの?」
「じゃっかましいわ!!!そんなことより、お前んとこのっ、産気づきよったぞ!!!もう頭が見っ」
ロナじぃの言葉を最後まで聞かずに走り出す。
工房の窯の中にはまだパンが入っていたが、そんなことは後で考えよう。妻は!子供は!!!
バンっと勢いよく家のドアをあけると、すぐ目の前のキッチンで妻が助産師と薬師、それから出産経験のある女衆に囲まれていた。
「妻は・・・子供は・・・!!!産気づいたと聞いてっ・・・」
「まあ、落ち着きなさい。
あんたが騒いでもなんにもならんし、ほれ可愛らしい女の子だよ。」
老齢の助産師の言葉に、その場にいた女達は僕を笑った。
けれど、僕はそれどころじゃなかった。
(女の子だって?)
今年は、何年目だ・・・。前回はいつだった??
呆然と立ちすくんでいると、僕が喜びの余りどうかしてしまったのだと勘違いした女達が、僕を妻の元へと誘導する。されるがままに、横になっている妻の枕元に膝をつき、助産師から我が子を受け取った。
まだふにゃふにゃとしていて、あまり人間っぽくない顔をしたそれは、僕と愛しい妻の子供だという。その少し熱いくらいの体温を腕に感じて、僕は泣いた。
無事に産んでくれた妻への感謝だとか、無事五体満足で産まれてくれた娘への喜びだとか、そんな真っ当な涙ではない。
なぜ、女の子なのだ。男の子であれば、僕がいま流した涙は喜びや感謝から来るものであったに違いないのに。
「あなた・・・この子の名前を」
妻が僕の腕にそっと触れた。愛しい妻の額には汗が滲んでいた。よく頑張ってくれたと妻の額の汗を拭ってキスを落とした。
そうして、抱いた我が子を見下ろし名前をつける。
「ロベリア。君の名前は、ロベリア。とても可愛らしい花をつけるんだ。君もきっとそうなる。」
ロベリアの額にそっとキスを落とした。
ロベリア、その花言葉は
「悪意」
(ロベリア、君は神様から僕への、きっと唯一の悪意だ。)
完璧だった僕の人生。




