竜のお話 後編
前編に引き続き、後編です。
彼の纏うひんやりとした空気が、少し熱を持ったように感じるのは、きっと焚き火のせいだけではないと思う。けれど、彼が泣くのは珍しいことのような気がしたから、そのまま、私は彼の手を撫でながら、目を閉じていた。
少しの時間そうしていると、彼が私の手をもう一方の手で優しく止める。目を開かなくとも、彼が私の顔をじっと覗き込んでいるのがわかる。
「さあ、ロベリア・・・今日はもうおやすみ。」
そう言って、水竜は私が眠るの見届けた。
そして、今に戻る。
寝物語を思い出している間に、もう目の前には滝が見えていた。この水のカーテンを右手にして、左へと伸びる道を歩いていく。
岩壁を沿わせていた左手に、青い花が触れた。ここで右へ、滝のある方へ曲がれば畑がある。道はまだまっすぐにも続いている。私は、なんの確信もないにもかかわらず、迷うことなくまっすぐ歩を進めた。
水のカーテンと岩壁の間を縫って歩く。道は途中から登り坂になっていて、少し汗を滲ませながら登る。すると、目の前にも水のカーテンが現れる。左手の岩壁にはさらに上へと登る階段が雑に掘られていた。
何度かの折り返しを繰り返しながら上へ、上へと登る。すると、今度は階段がなくなり岩壁の中、洞窟へと続く道が現れる。少し中を覗くと、岩苔がうっすらと翠色に光っていて、足元や岩壁を照らしている。
歩けそうだと判断し、歩を進める。すると、そこは大きな円を描いた空間であることに気づいた。そして、真ん中の天井にはぽっかり穴が空いていて、そこから月明かりが柔らかく降り注いでいた。
端の壁伝いに、ぐるぐると螺旋状に坂が続いていて、まるで私がここまで来ることは全てお見通しのようだと笑う。そして、気づく
(あぁ、違うんだわ。これはきっとここで過ごしたいつかの少女の為の道だ)
考えて、少し胸が苦しくなったが坂を上る歩は緩めない。私はきっと彼の全てを欲している。
それは、失って置き去りにした過去を埋めるため。なんて皮肉なのだろう、いつかの少女と水竜のせいで失った様なものなのに。
「あぁ、月が近い」
そんな考えなど、今この瞬間にはなんの価値も持たないかのように感じてしまう絶景が広がる。
坂を登りきると、少し強い風が髪を乱暴にさらう。眼前には濃紺の空に悠然と輝く月と星々。
岩場の上には、大きな湖があり煌々と月明かりを反射して、金色だったり青色だったり、様々な色をたたえている。
湖の真ん中に、竜がひっそりと佇んでいた。
水色とも翠色ともとれるような不思議な輝き方をする鱗に全身を覆われ、今は畳まれている翼は大きく力強い。
涼し気な目元は悲しそうな色をしていて、彼と同じ深水色の目は美しかった。
初めて見た竜は、とても美しくて、繊細で、大きく力強いのに触れると崩れそうで私はしばらく見とれていた。
やがて、私は1歩、2歩とその竜に近づく。気づけば太ももまで湖に浸かっていたが、ここまでの道のりで熱く火照った身体には水の冷たさがとても心地よかった。
そうして、私は竜のそばに辿り着くとぐるりと回ってその頭のある方へと向かった。
すぐ側にきた私に彼は首を擡げて頭をすり寄せる。私は迷わず、彼の頭に抱きつく。水の匂いがした。
「こんな所まで1人で上がってきたの?お転婆さんだね」
深き水の奥から響くような、静かでそれでいて全身を震わせるような声で彼は言った。
「あなたもこんな所まで一人で来たんでしょう。お転婆さんだわ」
そう言うと彼は静かに笑った。だから、私も笑った。
抱きしめていた頭を離し、鼻頭から輪郭にそって撫でさすると彼は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「バレリアン、あなたとても美しいわ」
「ありがとう。褒められたのはどれ位ぶりだろう。
ロベリア君もとても美しいよ。」
「お上手ね」
他愛ない言葉のやりとり、その中で彼は私の手を離れ頭上に輝く月を見遣ると、南の空へとその視線を移し大きく力強い雄叫びを放った。
あまりの衝撃に私が身体に掴まると、その長い尻尾を器用に使って私の体を支えてくれた。
そうして彼は静かに、竜から人へと姿を変えていく。竜の鱗は水の中で空気がそうなるように少しずつ泡の形を取り上へと舞い上がる。溶けだした魔力の水の中から彼が現れる。
それまで彼を構成していたキラキラと月明かりを反射する水滴のような魔力の塊は、天の川のように連なりながら遠く南の空へと流れていった。
「南の大地で眠る友へ、鎮魂の雨を」
彼の言葉に応えるように、途端強い風が吹き、私と彼のあいだを駆け抜けたあと天の川を追い掛けるように南へと消えた。
「さあ、ロベリア下へ戻ろう。」
こちらを振り返った彼の姿に、私はそれどころではない。慌てて後ろを向き、叫んだ。
「なんで裸なのよ!!!服は!!!?服!!!!」
当然といえば当然なのだが、彼は何も身につけず生まれたままの姿だった。いくら私が7才であって14才くらいであるとしても、最低限のデリカシーは持ってもらいたい!
「あー・・・ごめんね?多分その辺に脱ぎ捨てたから・・・えっと、着替えるからちょっと待ってね。」
彼の声からやってしまったという雰囲気が伝わる。後ろで湖の中を対岸へとパシャパシャと歩く音が聞こえたかと思うと、彼は嬉しそうに衣服の発見を報告してくる。
「ロベリア!あったよ!」
「いいから、服を着なさいっ!」
「はい・・・。」
しゅんと項垂れているのが手に取るようにわかるがこれから、竜になる度に見せつけられても適わない。男は最初が肝心、初めに躾なければいけない。と村でおばさん達が話していたことを、ふと思い出す。
それで、自分がここ最近村のことや7歳のロベリアについてあまり考えなくなったことに気がついた。こうしていつかは、思い出す機会がなくなり、忘れなくとも記憶の中に埋もれて見つからなくなっていくのだろう。
それでいい、そう思う。
ひょっこりと顔を出して覗き込んでくる彼の鼻をつまみ、遅いと一喝する。
そうして、手を繋ぎ取り留めのない話をしながら、秘密基地のような洞窟へと続く道を歩いた。
空には変わらず月が煌々と輝いていた。




