第一章1 『夏休み前日』
夏休みまであと一日。
差し迫って行われた期末テストも終了しているいまの時期、学生の大半は夏季休暇を待つばかりとなる。
一日を学校で過ごして、放課後――
俺はだらだら坂を登り、探偵事務所へと向かっていた。
探偵事務所では、俺を含めた三人が働いている。
あと二人は、《名探偵》と管理人さん兼探偵助手。
《名探偵》の名は、鳴沢千秋。
世間から他の名探偵を指して名探偵とは呼ばないほどの本物の《名探偵》で、小学生の頃この人にスカウトされて俺は探偵をすることになったのだ。年は二十代後半らしいのだが、詳しいことは俺でもわからない、謎に包まれた人である。
そして、もう一人。
名前は密逸美。
優しくて綺麗なお姉さんで、俺とは幼馴染みたいな感じだろうか。年も俺より二つ上の大学一年生。主に事務所の管理と助手として探偵のサポートをしている。膨大な知識を持ち、その知識の泉からは欲しい知識がすぐに引き出される。もっとも、所長はひとりで事件を解決する手腕を持つので、探偵として俺が事件を扱う際に探偵助手をしてくれるのだ。
まあ、この探偵事務所に来る依頼はほぼ所長への依頼だし、所長が世界中を飛び回って事件を解決してくるので、俺と逸美ちゃんは事務所で番をするのが主な仕事である。
「開くん、学校お疲れさま。麦茶いる?」
「うん。いる!」
事務所にやってくると、ソファーに座って本を読んでいた逸美ちゃんが顔を上げて聞いた。
俺の返事を聞くと、ふわふわとした長い栗色の髪を揺らせて立ち上がり、給湯室へと歩いて行く。逸美ちゃんは立つとわかる通り、女としては背が高い。俺とも視線が変わらないし、胸も大きく、マンガの中に出てくるおっとりしたお姉さんって見た目をしてる。
ソファーに座っていると、逸美ちゃんは麦茶片手に戻ってきて、俺の隣に腰を下ろした。
「どうぞ」
「ありがとう」
もらってすぐ飲む。事務所までは長いだらだら坂を登らなければならないので、汗をかかずには辿り着けないのだ。
「あらあら。そんなに慌てて飲まないの。うふふ」
「喉乾いててさ」
こんなやり取りからもわかる通り、逸美ちゃんは俺を本当の弟のように思っていて、俺のお世話をすることと俺を可愛がることを生き甲斐にしている。そう所長が言っていた。いつまでもただの弟でいたくない俺としては、色々ちょっと複雑なのだけど、この居心地のよさを失いたくないのでいまは現状維持って感じだ。
「おかわりは?」
「いる。ちょうだい」
事務所内は冷房も効いているので、ようやく汗も引いてきた。
麦茶の入ったグラスをテーブルに置くと、逸美ちゃんが聞いた。
「開くん。昨日は凪くんと昔のゲームで遊んだんだって?」
「そうそう。なんか俺の部屋でゲームしたいとか言い出してさ、仕方なくゲーム機出してあげたんだよ」
凪はよくうちに遊びに来るのだ。うちで夕飯まで食べたりお風呂にも入ったり、勝手で図々しいやつなのである。
「そうだったの。楽しかった?」
「まあ、やったゲームは懐かしかったし、ゲーム自体は楽しかったかな。でも、途中から凪がひとり用のRPGやってるときは、横で話してるだけだったけど」
逸美ちゃんはにっこりと優しい笑みを浮かべて、
「うふふ。ふたりは仲良しさんだね」
「どこが。仲良くないし」
「けど、開くんが横で話してくれるなら、わたしもここでRPGとかやっちゃおうかな。開くんとのおしゃべりのオプション付きっ」
と、嬉しそうに言う逸美ちゃん。
「いつも普通に話してるだろ。べ、別に、やりたいならいいけどさ」
「うん」
と、逸美ちゃんは朗らかな笑顔でうなずいた。
あまり共感してもらえるかわからないけど、実は、俺は誰かがゲームをやっているのを見るのが好きだったりする。ゲームの内容や難易度によっては、自分でやるより見てるほうが好きなのだ。仲が良い相手のプレイを見て、横でまったりお茶でも飲みながら口を挟むスタイルを好むのは、ゲーム好きの凪がひとりでRPGやアクションゲームをプレイしている様子を、その横でよく見ていたからかもしれない。
「そういえば。逸美ちゃんだったらどんなRPGの世界に入りたい? もしゲーム世界に入るならさ」
昨日、凪に聞かれた質問だ。
この問いに対する逸美ちゃんの回答が気になったのだ。
逸美ちゃんは悩むようにして「うーん」とうなり、そして言った。
「わたしだったら、開くんがいればなんでもいいかも~」
「ま、またそういうこと言う」
恥ずかしいことを平気で言ってくれる。
俺の反応も気にせず、逸美ちゃんは続けた。
「あとはね、歴史とか神話とか、学術的な要素が散りばめられた、古典的なファンタジーなんていいかも。SFっぽい要素もあるとなおよし」
なるほど。知識欲が人一倍強い逸美ちゃんらしい回答だ。
「逸美ちゃんがいっしょだったら、いろんな知識の解説があって楽しそうだね」
「うふふ。そう言ってもらえて嬉しいわ。じゃあ今度、そういうのやろうね」
「まあ、逸美ちゃんはゲームじゃ危なっかしいからね。いっしょにやるか!」
逸美ちゃんはふわりと微笑んで、
「約束ね。でも、危なっかしいのは開くんもだよ? お姉ちゃんがついてないと心配だもん。そこが可愛いところでもあるんだけどね。ふふ」
「ちょっ、変なこと言うなよ」
「照れちゃって照れちゃって」
「照れてないし」
「はぁ。開くんの照れ隠し、可愛い」
うっとりため息をつくな。恥ずかしいじゃないか。くそう、こんな調子でいつも逸美ちゃんのペースになってしまう。困ったものだ。
ゴホン、と咳払いしてから、俺は話題を変える。
「そういえば、所長って今日来るって言ってなかった?」
逸美ちゃんは人差し指を顎に当てて、
「んー。今日は来ると思うけど、またすぐ出かけるかも。事件の依頼が何件かあったみたいだから」
なるほど。
俺が納得したとき、探偵事務所の階段を上る音が聞こえた。
この事務所は三階建てマンションの二階部分にあり、一階は車庫兼物置、二階が事務所、三階が所長の住居になっている。
コツ、コツ、コツ。
コツ、コツ。
優雅なリズムで階段を上るその足音は、俺のよく知る音だった。
所長の足音だ。
コツン。
と。
足音が止まると――
ノックもなしに、事務所のドアが開いた。
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