第三章45 『ドラゴンの涙』
嵐をまとった《天空の剣》で、俺はファフニールに斬りかかる。
「決めてこい」
穏やかな声で、凪がつぶやく。
そして。
ファフニールの首元へ、ドラゴンスレイヤーは届いた。
「はあぁぁぁあ!」
上空から振り落とされる勢いをそのままに、《国士無双》と《神機妙算》、《攻撃上昇応援》と《魔力上昇応援》、計四つの能力上昇魔法でパワーアップし、さらに凪の《ラファール》との合体魔法をまとったドラゴンスレイヤーは、ファフニールの首を切り裂いた。
「グゥァァァオ!」
ファフニールの悲鳴。
血飛沫も、俺に降りかかる。
全身に返り血を浴びた俺は、この瞬間、不死身になった。
この先、どんな打撃も状態異常も、俺の前では無力になる。
よし……!
勝った!
俺は空中から落下しながら、ファフニールに言った。
「終演だ。よく間違えることなく、最後まで最善手を打ち続けてくれたな。俺の論理に応えてくれたこと、感謝するよ。三連戦、お疲れ様」
低空飛行に移行した鈴ちゃんの箒から、凪が飛んだ。
凪は俺を抱えて、ふわりと地面に着地する。
「勝ったね、開」
凪が俺をおろした。
「ああ」
次第に、ホワイトアウトが消える。
視界が戻ると、みんなが集まってきた。
そのとき、ファフニールから暗い影が抜けるように、何者かが出てきた。
形状としては、手足がないため、ヘビに近い。
ファフニールと変わらぬほど大きく、凶暴な顔つき。
名前が表示される。
ヨルムンガンド。
俺たちが戦闘の構えを取るが、ヨルムンガンドはまるで海にでも潜るように、堅い岩の地面に穴を作って消え去った。
「逃げられたか」
ぽつりとつぶやく。
「おそらく、ファフニールに取り憑いていた邪悪な魂が、ヨルムンガンドだったんだ。ゲームのシナリオ上では、逃がすより他に方法もなかったんだろう」
マイルズくんがそう言うと、鈴ちゃんが眉を下げて、
「それでは、ヨルムンガンドとはいずれ戦う必要があるということでしょうか」
「ま、いずれの話はそのときに考えるしかないさ」
と、凪がクールに言った。
パン、と逸美ちゃんは柏手を打ち、
「でも、ドラゴンを無事に倒せたんだからいまは喜ぼう! 開くんも返り血を浴びて不死身になったんだから、この先、恐れるものはなにもないわ」
「そうだね! あの竜を倒したなんて、ボクたちすごいことをしたんだ。やったね」
マイルズくんが笑顔で言った。
「うん」
と、俺はうなずく。
逸美ちゃんが俺に魔法をかけた。
「あ、そうだ。《天照》。これで、開くんもぴかぴかね」
言葉通り、鮮血にまみれた俺の全身が綺麗になる。
「ありがとう、逸美ちゃん」
「いいえ」
ふふ、と逸美ちゃんは優しく微笑む。
ハネコも鈴ちゃんの肩に戻り、みんなで喜びを分かち合っていると。
「か、か、か、開さん! ううう、後ろ!」
鈴ちゃんが尻餅をついて足をガタガタ震わせるオーバーリアクションで、俺の背後を指差した。
ファフニールが目覚めたか。
すぐにも竜が逸美ちゃんたちに襲いかかってこないように警戒して、俺は《天空の剣》を構えて振り返る。
不死身になった俺に、怖いものはない。
しかし。
「待ちたまえ。ワタシはこれ以上、キミたちと戦うつもりはない」
そう言ったファフニールの目は、これまでとは違っていた。生気があるというか、澄んでいる。首のキズ口も閉じて、少し癒えてきている。ファフニールには不死身になれる血が流れているのだから、自然治癒とみていいだろう。
「キミたちは強い。ワタシの負けだ」
俺は剣を収めて、
「元に戻ったんですね」
ファフニールは重々しくうなずく。
「そうだ。ワタシはどうやら、何者かに操られていたらしい。そのせいで、随分と長い間雨を降らせていなかったようだ」
「その前に、ぼくたちは《ドラゴンの涙》というアイテムが欲しいんだ。おくれよ」
凪が図々しくもそんなことを言うので、俺が注意する。
「こら、凪。話には順序ってものがあるんだぞ」
逸美ちゃんは手を向けて、回復魔法をファフニールに唱えた。
「《天照》。首のキズが、これで少しでも癒えれば」
「感謝する。ワタシは治癒力が高いからもうキズ口は閉じているが、おかげで回復が早まる。しかし、キミたちはアイテムを求めてやってきたのか。申し訳ないが、残念ながらワタシにはわからない。代わりに、雷雲を呼び、雨を降らせよう」
ファフニールは翼を大きく羽ばたかせて、ぎゅんと空高く舞い上がった。すぐに姿が見えなくなったかと思うと、遠吠えのような鳴き声が聞こえる。
すると――。
空に影がかかり、雨雲が現れた。
ぽつり。
雨粒が落ちてきた。
「雨だ。雨が降った」
ほっぺたに落ちた雨粒を、俺は手の甲で拭う。
逸美ちゃんは手のひらを上に向けて、
「本当ね」
次第に雨が強まり、さらさらとした雨が糸のような線状になる。
そして、雨が弱まってゆく。
弱い雨の中、再び明るくなった空を見上げて、俺は指を差した。
「見て。虹だ」
「あらぁ。綺麗な虹ね」
逸美ちゃんが感嘆の声を漏らす。
すると、雨粒が俺の目の前で水色に光った。手のひらを差し出すようにすると、そこに雨粒のカタチをした石のような物がゆっくりと手におりた。
手の中に収まる。
俺の目の前に、
『クエスト ドラゴンの涙 CLEAR』
の文字が浮かんだ。
鈴ちゃんが俺の手中にある《ドラゴンの涙》を見て、
「雨が涙になるなんて、ステキですね」
「それに、こんなに綺麗な虹も見られたんだ。危険を顧みず頑張った甲斐があったよ」
と、空にかかる虹を見るすがすがしい顔の凪。
確かに、凪のあのステータスで最強の黒竜ファフニールに挑むなんて、危険の渦に裸で突撃するようなものだ。すごい勇気だった。
凪が俺に拳を向けた。
「この勢いでちゃっちゃとクリアしようぜ、相棒」
「だな」
と、俺は凪と拳を合わせた。
やがて。
雨が止むと、ファフニールが空からおりてきた。
「蓄えていた金は街の人間に渡そう。また、キミたちにもワタシから邪の心を払ってくれた礼に、一部を授けよう」
ということで、俺たちはファフニールから金をもらった。
これを売れば、ゴールドに換金できて、冒険に役立つアイテムが買えることだろう。
俺は聞いた。
「あの。石化された人たちを治す方法ってあるんですか? 俺たちの仲間ってわけじゃないけど、石になった人を助けてあげたいんです」
ファフニールは、毅然と言った。
「ワタシは、自分の身を守るために人間たちを石化してきた。だが、治す方法もある。彼らがまたワタシを襲ってきたら、そのときは返り討ちにして再び石化することになるだろう。それでもいいと言うのなら、教えよう」
「はい。それは構いません」
と答え、治す方法を教わった。
それは、谷底の温かい湖の水を掛けること。
まず、石化された《七星連合》の青年を治してあげた。
「うわぁ! な、なんだ? 治ってる。おれ、竜に石にされたはずなのに……」
俺は言った。
「竜は自分が狙われたら、またあなた方を石にするそうです。今回は治してあげたけど、次まで俺たちは面倒見られませんからね」
「ありがとう! わかったよ、ありがとう」
治す方法や俺たちが《ドラゴンの涙》をゲットしたことをその青年に告げて、残る《七星連合》の仲間は彼に治してもらうことにする。
「キミたちはすごいよ! たったの五人でさ。実はおれ、今回ので怖くなってしまったんだ。だから、ちょっと情けないけど、ゲームクリアはキミたちに託すよ。頑張ってくれ」
他の《七星連合》の人たち――つまり、主にギルド上層部の人たちは、今後も活動を続けるだろう。
いずれ、《七星連合》の上層部たちと会うこともあるかもしれないが、それはすぐじゃないと思う。
そして、俺たちはファフニールの元へと戻った。
ファフニールは、五人横並びになっている俺たちを見下ろした。
「いま、この世界には異変が起きている。キミたちがこの世界に平和をもたらしてくれ」
「はい」
俺は強くうなずく。
それから、ファフニールは俺たちのこれからの道しるべを教えてくれた。
「北には宇宙に伸びる大樹――世界樹が、東にはまばゆく輝く聖杯がある。近い場所ならこの二つだ。目指す場所へゆきなさい。キミたちの英雄譚が聞ける日が来ることを祈っている」
「ありがとうございました」
と、逸美ちゃんが深く頭を下げた。
さようなら、と俺たちも挨拶して、振り返る。
「さあ。俺たちの手で、この仮想現実を終わらせよう」
「世界を平和にして、現実に戻るためにもね」
凪がふっと笑って、片目を閉じた。
朝日が照らす凪の姿は、どこか明るい気持ちにさせる。これから続く冒険への意欲が湧いてきた。
しかしこれで、七つのアイテムはそれぞれ誰かが手に入れたことになる。
楽してクリアするために俺たちを狙う輩もいることだろうけど、決して誰も欠けることなく、自分たちでこの世界を終わらせる。
俺たちは西に一歩踏み出した。
そのときだった。
空が暗くなる。
いや、空に風穴が開いた。
まるでブラックホールみたいだ。
なんなんだ? あれは。
不意に、突風が吹いた。
風から俺たちを守るようにファフニールが翼でガードしてくれたが――
端にいた俺だけが、宙に投げ出された。
「うわぁぁぁぁぁ」
「開くーん!」
手を伸ばす逸美ちゃんの叫び声が遠くなった。
まるで空に開いた風穴へ吸い込まれるように、俺はみんなと離れてしまった。
一体、俺はこれから、どこへ行くんだ……?
そして、いつのまにか、俺は気を失っていた。