第一章4 『八月一日』
八月一日。
今日から暦も八月だ。
朝起きて、俺は自分の部屋にかけてあるカレンダーをめくった。
夏本番。
いよいよ、今日からテストプレイが始まるんだ!
現在、朝の八時半ジャスト。
出かける準備をして、お茶の間に顔を出した。
そこには、妹の花音とおばあちゃんがいる。
お父さんは仕事だしお母さんもパートに出ているから、いま家には二人しかいないのだ。お母さんのパートに関しては、今日は朝のなんだかがあるから、普段よりちょっと早いらしい。ついさっき出かけたところだ。いつもは九時を過ぎたくらいに家を出るのに、今朝は忙しそうだった。
花音は俺を見上げて、
「お兄ちゃん、ゲームするんでしょう?」
「そう。だから帰りは遅くなると思う」
「あたしも連れて行ってくれればよかったのに」
「花音はまだ中一だからな。冒険は過酷になるかもしれないからしょうがないよ」
ぶーぶー、と文句を垂れる花音に、俺は笑ってお茶の間を飛び出した。
「それじゃ、いってきます」
玄関を出るとき、花音は顔だけ出して笑顔で言った。
「うん、いってらっしゃい!」
あいつ、なんで急に笑顔になったんだ。なにかくだらないことでも考えてなければいいが、それより急がないと。
さあ、行こう。
俺と逸美ちゃんは駅前で待ち合わせて、電車に乗った。
三十分とちょっと電車に揺られて、電車から降りた。
マスターズ・カンパニーのビルは、秋葉原にある。
秋葉原は、情報の発信地として、世界の文化を牽引する街といっていいほどだ。
最寄り駅である秋葉原駅の駅前――電気街口の改札を出たところで、俺は凪の姿を見つけた。凪たちとの待ち合わせ場所はここなのだ。
現在、午前九時半。
凪の横には、令嬢然とした一人の少女がいた。
金髪碧眼。背は低く華奢で、目元こそ逸美ちゃんと同じく柔らかいが、その他は逸美ちゃんとは逆のタイプ。ツインテールの髪型や小さな口が幼く見えるが、意外に目鼻立ちはハッキリしている。
実はこの子も、少年探偵団のメンバーの少女なのだ。
御涼鈴。
現在中学三年生で、少年探偵団の雑用係だ。凪にはリアクション担当とも言われている、ちょっと怖がりなところもある女の子。
凪が誘ったのは鈴ちゃんだったのか。
そうなると少年探偵団のメンバーのうち、残り二人――作哉くんとノノちゃんは誘えなかったことになる。
高校生の作哉くんと小学生のノノちゃん。同じ孤児院育ちで現在はふたりで同居している兄妹みたいな感じなのだ。交渉人をしている作哉くんは普段から忙しいし、誘ってもダメだったかもしれないから仕方ないかな。
鈴ちゃんの前に立ち、凪が軽く手をあげた。
「ふたりともおはよう」
「開さん、逸美さん、おはようございます」
凪に続いて鈴ちゃんも丁寧なお辞儀で挨拶する。
「おはよう」
と俺が返すと、逸美ちゃんはマイペースに笑いながら、
「は~い。おはよう。でも鈴ちゃんだったのね~。それなら言ってくれたらよかったのに~」
鈴ちゃんは苦笑して、
「あたし、昨日も探偵事務所に行ってましたからね。ただ、先輩からは、昨日の夜誘われたんです。場所と時間だけ言われて電話切られちゃいまして」
「そうだったんだね」
しかし鈴ちゃんも物好きな子だ。凪に誘われても断ればいいものを。目的もわからないのにちゃんと予定を空けるなんて、俺ならできない。
「開さん、いつも凪先輩がご迷惑をおかけしてすみません。今回も先輩が無理やり押しかけたって聞きました」
と、鈴ちゃんが苦笑交じりで凪の代わりに謝った。
鈴ちゃんは、凪のことを「先輩」と呼んでいる。鈴ちゃんはお嬢様学校に通う中学生だから凪の学校の後輩ではないんだけど、ひょんなことから習い事だかなんだかの場で知り合って、それから先輩と呼ぶようになったらしい。
「鈴ちゃん、ぼくはそんなこと言ってないよ。開が気持ちよく誘ってくれたのさ」
「どうせ、そう思ってるのは先輩だけですよ」
さすが鈴ちゃん、よく凪のことをわかっている。
あはは、と俺は苦笑いを浮かべた。
「いや、いいよ。凪はあんなだし、鈴ちゃんこそあいつのことでなにか困ったことがあったらいつでも言ってね」
「おう。ぼくからも言っておくよ」
凪が景気よく答える。
「おまえには言ってねーよ!」
「だってさ」
と、凪が鈴ちゃんを見る。
「それは先輩に言ってるんですよっ」
俺ばかりでなく鈴ちゃんにもちょっかいばかりかける凪だった。
「さあ、みんな。そろそろ行かない?」
「うん、そうだね。行こう」
逸美ちゃんの言葉に俺がうなずいて、凪と鈴ちゃんもいっしょに四人そろってマスターズ・カンパニーへと向かった。
ラジ館前を通り、電気街を歩く。
秋葉原の街を心地よさそうに闊歩する凪が言った。
「この街はいいよね。情報の流れる音がする」
「音? そんなのあります?」
凪と共に前を歩く鈴ちゃんが、そう問いかけた。
「鈴ちゃん、これは感覚的なものだ」
「そ、それはわかってます。比喩ですよね。ただ、あたしには大きな街特有の雑音にしか聞こえませんけど」
「雑音にまぎれた情報を集めないとね。今日もいい風が吹いている。鈴ちゃんも風と音を感じたまえ」
しかし、俺も人並みにアニメとかマンガとか好きだけど、凪は普通な俺とは比べられないほどにアニメやマンガやラノベ、そしてゲームが好きだ。この街にはそういったものが溢れ、世界に発信しているし、また、情報が行き交う街でもある。
当然、凪が嫌いなはずはないのだ。
「風と音ですか。慣れてないあたしにはちょっと不思議な感じです」
と、キョロキョロとアニメコラボとかしている看板を見る鈴ちゃん。
逸美ちゃんは、ゆったりふわふわとした足取りで俺の隣を歩く。
「わたしは好きよ。なんだか楽しそうなんだもん」
「賑やかな街ではあるよね」
俺が相槌を打ったとき、逸美ちゃんの横を、なにかのロボットが追い抜いて行った。
お掃除ロボットのようだ。
ゆっくり歩いていたから、お掃除ロボットにも追い抜かれてしまったみたいだが、ロボットは、俺たちを追い抜くと、鈴ちゃんの足元に来た。
「どいてください」
ロボットが言った。
「きゃっ」
鈴ちゃんは驚いて飛びのく。
凪は「はは」と笑った。
「ただのAIを搭載したお掃除ロボットさ」
「この街には、そんなのまでいるんですか?」
「そんなのとはなんですか」
と、ロボットは鈴ちゃんの周りをくるくる回った。
「きゃっ」
鈴ちゃん、また慌てている。
「実験都市といえば筑波のイメージが強いけど、ここでもこんなのあるんだ」
つぶやくと、凪が振り返って、
「ああ。今週はロボット実験の特別ウィークってことらしい」
へえ。そうだったのか。
凪は言葉を継ぐ。
「いまの時代、AIはぼくらの生活と切り離せない存在だからね。日常生活で意識していなくとも、AIとの関わりはもはや必然だ。彼らは、ぼくら自身の一部にもなっている」
「先輩、それは言い過ぎなんじゃないですか? だって、AI――つまり人工知能ですよ? 究極的には、人間の頭脳には勝てないですし」
「鈴ちゃんの反問もわかるけど、囲碁や将棋のAIはトップをも打ち負かす強さ――すなわち頭脳を有する。それほどの頭脳だ、あらゆる分野でそのブレーンを担うのは当然さ」
まあ、どちらの言い分もわかる。けれど、やっぱりAIが人間世界のブレーンを担うのは、完全には難しいだろう。
「きゃっ」
未だお掃除ロボットに絡まれている鈴ちゃんを見て、俺と逸美ちゃんは顔を見合わせて小さく笑った。
「さあ、逸美ちゃん。凪たちの元まで行こう」
お掃除ロボットが動くもんだから、二人は先に行っている。
「そうね」
逸美ちゃんがうなずき、二人で駆け出した。
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