第一章3 『もう一つのおなじみの場所』
物語は主人公のおなじみの場所から始まる。
凪がそう言っていた。
で、もう一つの俺のおなじみの場所――
それは、探偵事務所である。
決まったソファーに座って、隣にはいつも逸美ちゃんがいる。目の前のお客さん用のソファーには誰もいないことが大半だ。
ただ、実はこの探偵事務所の壁には隠し扉があり、その扉を開けると和室がある。少年探偵団メンバーが遊びに来たときは、みんなでその和室でくつろぐのが習慣になっていた。
しかし、たったいまやってきた凪は、
「やっほ~」
と、軽い挨拶をして、お客さん用のソファーに腰を下ろした。
「あら、凪くん。いらっしゃい。ゆっくりしてってね」
笑顔で迎える逸美ちゃんに、凪はさらりと答える。
「今日は開に借りてた物を返しに来ただけなんだ」
「そうだったのね」
「おう」
だから凪は和室に入らなかったのか。だが、俺には少し得心がいかないことがある。
「俺なんか貸したっけ? 覚えがないんだけど」
「ああ、確かに返すには早かったかもね。でも、ぼくはもうクリアしちゃったんだぜ。ほら、このゲームさ」
と、凪はバッグからゲームのソフトを取り出し、テーブルに置いた。それは俺がだいぶ昔に買ったやつだ。けど、こんなの貸した覚えないぞ。
「凪。俺はまったく記憶にないんだけど、いつ貸した?」
「つい先週くらいにキミの家に遊びに行っただろう? そのときさ。借りるよって言ったじゃないか」
「そんな覚えない! 勝手に持ち出すなよな。まったく、ちゃーんと断りは入れろ」
「エリートな優等生は細かいなぁ。どうせキミは最近このゲームやってなかったじゃないか」
「そういう問題じゃない」
「ぼくだって、タダで借りたりなんかしないさ。ちゃんと代わりにぼくのソフトを置いていったじゃないか。やってないのかい?」
あ! と俺は思い当たる。
「知らないソフトがあると思ったら、おまえのだったのか。どおりで記憶にないわけだよ」
「その様子だと、クリアどころかまだプレイもしてないのかい? あとがつかえてるんだ。さっさとクリアしてくれよ」
「俺の他にやるやつなんているのかよ? いつの時代のハードだと思ってんだ。俺はやらないから、いつでも返してやるよ」
やれやれ。俺はため息をつくしかなかった。
そんな俺とは違い、逸美ちゃんは明るい声を上げた。
「ねえねえ、開くん」
「ん?」
「ゲームで思い出したんだけど。凪くんのこと、もう誘ったの?」
「いや。ていうか、言わなくていいよ、そんなこと」
実はまだ言ってないし、言うつもりもない。だが、普段は人の話も聞かないくせに、凪はこいうときだけ目聡く聞いてきた。
「ゲーム? ぼくを誘うってなんの話だい?」
「なんでもねーよ」
俺は、凪なんて誘うつもりはないのだ。
けれど。
「あのさ、凪。仮想現実のゲームって興味ある?」
「今度、わたしと開くんでいっしょにその体験に行くことになってるの」
一応、それとなく興味があるかだけ聞いてみた。どうだろうかと凪をチラリと見ると、目を輝かせて俺に詰め寄った。
「なんだ、そういうことか。興味あるよ。当然じゃないか。キミとのゲームがつまらないはずがない。ありがとう」
なに勘違いしてんだ。俺は詰め寄ってくる凪の肩を抑えて距離を取る。
「なんでお礼が出てくるんだよ。別に誘ってないし、いっしょにそのゲームをしようなんてまだ言ってないだろ。ったく」
こいつの早とちりには呆れるよ。
逸美ちゃんがニコリと俺に微笑みかけて、
「まだってことは、やっぱり誘う気だったんじゃない。凪くんも乗り気みたいだし、よかったね、開くん」
「だからそんなんじゃないよ」
凪はひとりで「楽しみだな~」とかなんとかつぶやき窓まで行って外を見たりして喜んだあと、いつも持ち歩いているメモ帳を取り出し、ペンを握った。
「それで、どんなゲームなんだい? 体験ってことは、テストプレイをするってことかな?」
「ああ、ゲームの名前は《ルミナリーファンタジー》っていうんだけど……」
と、俺が切り出すと、凪は食いついたように前のめりで聞いた。
「え~!? キ、キミ、いま《ルミナリーファンタジー》って言ったかい!?」
こんなに驚いてどうしたというのだろう。
俺が「言ったけど」とうなずくと、凪はまくし立てるように言った。
「《ルミナリーファンタジー》って言ったら、幻のゲームだぞ!? 情報屋のぼくでさえ、それについて、ほとんど知らない。タイトル以外の情報として噂されていることは、たった2つ」
この情報屋の凪ですらその全貌を知らない幻のゲームだって!?
凪は指を二本立てて、
「VRゲームってこと。十年も前から製作が開始されているってこと。これだけさ」
「え、そんな前から……?」
「だから幻のゲームなんて大仰に言われているのさ。一時期はあれこれ妄想を交えた話がされたんだけどさ、それも五年も前には、ゲームの実現性がないものとみられ、まったくされなくなってしまった。あまりに漠然とした噂しかないため、元々そんなゲームが作られていることすらいまじゃあデマだと言われてる。最近になって、ネット上に、体験をしたという人の書き込みがあったらしいが、内容に関する情報は一切ない。ばかりか、体験をしたという書き込みの信憑性も疑わしく、書き込み自体も二分と待たずに消されたという話だ。この体験の噂についてもたいして話題にならなかったしね」
「へえ。まあ、二分で消された書き込みじゃね……」
「そんなにめずらしいのね~」
凪は、呆然と驚く俺と逸美ちゃんに、
「めずらしいなんて騒ぎじゃないって。激レア具合なら、ツチノコみたいなもんなんだからさ。いくらで取引できる情報か」
これほど凪が熱弁をふるうとは、相当の激レアってことらしい。
感心している俺と逸美ちゃんに、凪は期待の眼差しで聞いた。
「ふふ。ぼくの知的好奇心がかなり刺激されてるよ。で、どんなゲームなのさ? 色々と教えておくれよ。スケジュールも確認しないと」
「じゃあわたしから説明するわね」
所長から聞いた話と手紙に書いてあったことなどを、逸美ちゃんが要点をうまくまとめて説明してくれた。
「なるほど。くぅ~! そうだったのか。やはり、VRMMOか。いいね。それも、ゲーム会社のイリアスとオデュッセイアを取り込んだマスターズ・カンパニーが製作とはね。これはおもしろい。うん、スケジュール的にも問題ないぜ」
「そのスケジュール、確認する意味あったのか?」
八月一日から十三日まで真っ白だったってことじゃないか。
「それとね、人数のことなんだけど」
と、逸美ちゃんはあと一人誘えることも説明した。
説明を聞き終えると、凪はメモ帳から顔を上げた。
「そのもう一人って決まってるのかい?」
「決まってないよ。俺は誰も誘うつもりもなかったし。凪は誰か誘いたい人いるの?」
正直、俺はもうこの三人でもいいんだけど、まだせっかく枠があるなら使ってもいいだろうとも思う。
凪はちょっとだけ思案したあと、うんとうなずいた。
「一人いる」
「そ。じゃあその人誘っていいよ。せっかくあと一人誘えるんだし」
「ありがとう。ではそうさせてもらうね」
「ちなみに、どんな人?」
凪は片目をつむり、薄い笑みを柔和な顔に張り付けた。
「それは、当日のお楽しみってことで」
そして、凪は期待に満ちたような笑顔を作った。
とはいえ、こいつの友達なんてろくな人がいなかった気がするんだけど。
「開、八月一日から十三日まで、思いっきり楽しめたらいいね」
凪にキラキラした目で見られて、俺はそっぽを向く。
「まあ、俺はそれほど子供じゃないけどね。でも、せっかくやるからには楽しまないと損か。うん、凪もそこまで言うなら付き合ってやるよ」
「うふふ、開くんもすっごい楽しみだって」
と、逸美ちゃんが凪に教えるように言った。
俺はコホンと咳払いをした。
「別に、そこまでは言ってないけどさ」
しかし凪は俺の顔など見ずに、
「よし、そうと決まったら準備してくる。開、おやつはひとり300円までだぞ~」
そう言って探偵事務所を飛び出した。
気が早いやつめ。遠足が楽しみな子供か。
「凪のやつにも困ったね。まったく。ところでさ、逸美ちゃん。VRマシン使ってたらおやつとか持って行っても食べられないのかな?」
「食べちゃえばいいのよ~。ちなみに、バナナ代はおやつ代に含まれないわよ」
おお。あの永遠の難題も簡単に解答をくれる。
すると、俺に電話がかかってきた。
「もしもし」
『もしもし開? ちょっと聞きたいことがあるんだけど』
「ああ、バナナはおやつに含まれないぞ」
『サンキュー。これでこっちのクッキーも買えるぞー。あれ? でも、なんでぼくが言おうとしたことわかったの? さすがは探偵王……』
プチ、と通話を切った。
さて。
俺たちがゲームを初プレイする八月一日まであとわずか。
夏休みも始まり、当日を迎えるのみとなった。
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