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会わせ屋

作者: 準々

 俺は一度、そのビルの外観に唾を飲む。

 そこはひどく古びたビルだった。

 窓があったであろう場所にはぽっかり穴が開いていて、それを囲むコンクリートは全体的に黒くくすみきってしまっている。それは廃墟と言っても差し支えの無い、終わってしまった場所。

 それでも意を決して、俺は中に入った。

 ――この町には死者と一度だけ会わせてくれる『会わせ屋』がいる。

 そんな噂が俺の耳に入ったのはつい先日。同じ大学に通う友人の口から聞いたのが最初だった。

 信じがたい話だったがそれでもこうして『会わせ屋』に会おうとしているのは、俺にどうしても会いたい人がいるからだ。

 ずっと好きな人。忘れられない人。今、会いたい人。

 砂が溜まった階段を上がって四階に着くと、そこにこの廃ビルには似つかわしくないドアが現れる。木目調のしっとりとした雰囲気のドアだ。

 俺は息を浅く吐いてからそのドアに手を掛けた。

 開いたドアの先、見える景色はやっぱり殺伐としている。

 やたらと広い空間。壁はむき出しのコンクリートの塊。部屋のあちこちに風に運ばれてきた枯葉が落ちている。

 そして広い部屋の中央あたり、半畳程の小さなボックス窓口がただ一つ立っていた。

 「いらっしゃいませ」

 ボックスの中で椅子に座っている若い女がそう言う。

 彼女は真っ黒のスーツを着ていて、それがただでさえ不健康そうな肌の白さを際立たせているようで、全体的にこの世のものではないような、まさしく都市伝説的な不気味な印象を与えていた。きっと彼女が『会わせ屋』なのだろう。

 「そこにおかけください」

 俺は促されるまま、ボックス手前に置かれた丸いすに座る。

 彼女の声には逆らえないような支配力があるようだ。

 「このたびは、『会わせ屋』をご利用いただき、誠にありがとうございます。」

 彼女はそう言って座ったまま浅くお辞儀をすると、

 「では、お名前と会いたい人の名前を教えてください」

 「東一樹。秋月洋子と会わせてほしい。」

 俺がそういうと、彼女は足元から一枚の紙取り出し、そこになにやら書き込んでいく。

 「なるほど。お会いにになるのはいつにしましょう?」

 「早ければ早い方がいい。できれば今日か、明日にでも」

 「では、明日で……」

 彼女の視線は用紙に落ちたままだ。

 それにしても、と俺は思う。

 小耳にはさんだ噂を頼りにここまで来たが、この会わせ屋というのはどういう組織なのだろう?生者と死者を会わせる。それは並大抵の人間や組織にできることではなかろう。そしてそれを可能にする不思議な何か。ここにきて、自分が信頼しようとしているものの正体について不安が出てきた。

 「あのさ」

 俺の呼びかけに女は書く手を止める。

 「はい?」

 「噂話だけでここを訪ねたんだが、『会わせ屋』なんなんだ?」

 分からずにここに来たんですか、と彼女はあきれたように言ってペンを置いた。

 「まぁいいいです。ここで提供しているサービスは名前通り、お客様とその方の望む死者の方を会わせるというものです。そしてそこには、いくらか制限があります。まず、会わせ屋は何度も同じお客様を相手にすることはありません。会わせ屋をご利用になれるのは一度だけです。そして――」

 一瞬、彼女の口元が緩む。

 「このサービスの対価としてお客様の寿命を五年、いただくことになります」

 「寿命!?」

 初めて聞く話だ。

 「そうです。このサービスの代金は寿命で払ってもらうことになってるんです」

 俺が固まっていると、女は追い打ちをするように言う。

 「どうされましたか?寿命を取られると聞いて怖気づきましたか?もし怖いのならやめてもらって結構ですよ」

 でも、そういう彼女の声音はやはりそっけない。

 そしてそれこそが「これは事実である」と物語っていた。

 俺は一瞬背筋が凍るような感覚に襲われ嫌な気分になったが、ここで引き下がるわけにはいかないと思い出して、

 「いや、怖くない。彼女と会わせてほしい。」

 あえて強がってみた。

 「わかりました」

 しばらく紙にペンを走らせると彼女は全てを紙に書き終わったらしく、持っていたペンを小さなカウンターに置いた。

 「それでは、簡単な説明をさせていただきます。期限は半日。明日午前九時から午後九時までの十二時間、死者との交流をご提供いたします。なお、再度会わせ屋をご利用になることはできないのでご了承ください」

 「あぁ。わかった」

 彼女は四つ折りにされた小さな紙きれを差し出すと、

 「それでは、ご健闘を祈ります」

 丁寧なお辞儀をした。


 

 洋子との出会いには何も特別なものは無かった。高校一の年の始めのクラスで前の席に座っていたのが洋子だった。ただそれだけ。

 入学式の日、初めて彼女を見て、かわいい人だと思った。肩までで切りそろえられた髪には少し癖がついていて、目がぱっちりしていて、笑うと形の良いえくぼが浮かび上がる。それはまさに高嶺の花のようで、でも彼女には人を遠ざけるオーラがなく俺と洋子はすぐに仲良くなった。

少しずつ話をすることが増えていって、彼女が茶道部に入っていることとか、漫画好きなこととか、数学が得意なこととか、いろいろ知った。

 そして高校一年の秋、俺と洋子は付き合い始めた。

 付き合うようになってからはデートにも出かけた。映画を見たり、カラオケしたり、ボーリングしたり。考えれる範囲で遊びまわった。

 でも、そういった日々はあっという間に終わってしまった。楽しい日々だから、時間の流れ方が早かったのもあるけど、それでもあまりにも早すぎる別れだった。

 今から三年前、高二の夏に彼女は帰らぬ人となった。



 小さな紙きれに書かれていたのは、簡単な地図だった。

 指定されていたのは土佐の目公園の噴水前。俺も何回か来たことのある場所だ。

 俺はそこに置かれたベンチに腰を掛けて洋子を待っていた。

 携帯端末を取り出し電源を入れる。時計が表示された。

 八時五十七分。約束の時間までもう少しだ。

 俺はこの一時間、落ち着かない様子で何回も時計を確認していた。昔の恋人に会うっていうだけなのに、散髪までして、服も新しく買ってそれを着てきた。まるで遠足を翌日に控えてる小学生みたいだ。

 三分で何ができるというわけではないがざっとSNSを確認して時間を潰す。しかし、そこに心はない。心は記憶の海の中。

 思えば初デートの時もこんな感じだった。

 待ち合わせ場所は駅前で、場所こそ違えど俺はあの時もこんな風に時間を潰していたんだ。

 あの時は確か映画を見る予定だった。一時間前から待ち合わせ場所でそわそわして、何回も携帯を見て、洋子が表れるのを待ち続けた。

 でも予定の時間になっても洋子が来なかった。

 始めは「もしかしたら着てくる服を悩んでるのかも」とか「多少遅れてきても許してやろう」とか気持ちをなだめるようなことを思い浮べて時間を潰していた。

 でもあまりにも遅いからだんだん心配と怒りがこみあげてきて、乱暴に携帯を開くといくらかラインでメッセージを送った。でも既読すらつかなかった。

 そしていよいよ帰ろうかと思っていたころ、洋子はのんきに現れた。

 「どうして遅刻したんだ!」

 洋子を見つけるなり俺は怒った。初デートにしては最悪の始まり方だったと思う。でも、

 「遅刻?何のこと?てか、なんで怒ってるの?」

 洋子の態度は変わらない。むしろ不思議にさえ思っているようだった。そして、

 「集合時間、十時だったよね?」

 それを聞いて俺は唖然とした。一気に怒りが消えて、代わりに恥ずかしさが押し寄せてきた。

 結局その時は予定の時間を俺が勘違いしていて、洋子に笑われたんだ。

 思い出にひたっていると、

 「一樹!」

 正面から声がした。

 俺は目を見開く。それは紛れもなく、秋月洋子の声。

 懐かしい人の声。忘れられない人の声。

 俺は顔を上げる。そして見つける。三年前と変わらない初恋の人の姿を。

 「お待たせ」

 彼女が片手をあげると、

 「おう」

 俺も手をあげて応えた。



 噴水前で落ち合って俺たちは高校時代よく歩いた繁華街を歩いていた。この三年間で町はどう変わったのか見てみたいのだという。

 「で、今は何してるの?」

 洋子は横目にこちらを見ながら聞いた。

 「今は岬大に通ってる。まあ、平凡な大学生やってるよ。」

 ちなみに、岬大は地方の国立大だ。もともとこの地方で大学といえばここしかなく、地元志向の人間の多くがここを志望するのでこちらの地方では名の知れた大学である。

 「へー、すごいじゃん。国立大に受かるなんて。勉強頑張ったんだ。」

 「いや、そんなことないよ。」

 言っていてなんだか恥ずかしくなる。そこまで立派なことではないのに。

 「じゃあさ、さーくる?とか入ってるの?」

 洋子の「サークル」という言葉には何処か覚えたての言葉を振り絞ったような不安感が残っている。

 洋子の服装は私服であり、ぱっと見た感じは俺との年の差はないように見える。しかし中身は高校二年生のままで止まってるらしかった。

 「入ってるよ、軽音サークル。キーボードやってるんだ」

 「結構意外だね。一樹が軽音なんて、ちょっと想像ができないかも」

 「まぁ、最近始めたばかりだからうまくはないんだけどね」

 いつか聞かせてあげるよ、と言葉が浮かんだけど、いつかはもうないことを思い出して俺は口を噤んだ。

 「それにしても、もう大学生か……」

 ぽつり、と洋子は遠い何かを思うような口調で呟いた。

 でもすぐに、声音を切り替えて聞く。

 「どう大学?楽しい?」

 「まぁ、ぼちぼちかな」

 「なにそれ、もやもやする」

 拳がお腹に当たる。小突かれてしまった。

 それからしばらく街の様子を見ながら他愛のない話をした。

 高校時代の同級生が今では働いているということや、高校時代の英語教員が結婚して今では子供がいるという話。

 俺が話すばっかりになってしまわないよう適度に昔話を混ぜたりして洋子と二人、まるで昔に戻ったような感じだった。

 でもこれは今日限りのこと。

 だから、もうチャンスはないのだと噛みしめる。

 繁華街を抜けたころ、

 「あ」

 と、突然洋子は俺の袖を引いた。そして、

 「お腹すかない?」

 イタリアンレストランを指さした。



 店員に案内されるまま席に座ると、そこはちょうどガラス面に近い場所だった。

 黒を基調とした店内。店は木造で、一面がガラス張りになっているのだ。

 二年前にできたこのレストランを洋子は知らない。

 だからというわけか洋子は店内をぐるりと見まわして、へー、と興味津々だ。そしてその目はガラス玉のようにキラキラしている。

 「なんか、すごいね」

 俺は視線を洋子に移した。彼女はバジルソースのスパゲッティをフォークでくるくる巻き取っている。

 「そうかな?まぁ、この田舎にしては珍しいと思うけど」

 ミートソーススパゲッティを頬張りながら答える。

 このレストランも二年ですっかり街に溶け込んでしまっていて、俺にはそんな新鮮な感想は思い浮かばなかった。でも、

 「すごいよ。このパスタも、おいしいし」

 そう言って嬉しそうに笑う彼女を見て、俺はすこしだけうれしくなった。自分が料理を作ったわけでもないのに。

 すっかりパスタも食べ終わり、紙ナプキンで口を拭くと俺は改めて洋子に聞くことにした。

 「ところでどうしよう?何かしたいことない?」

 今日は彼女のわがままどこまでもを聞くつもりなのだ。

 あまりにも突拍子もなく投げやりな言葉だったので洋子には少し困った表情で、そんなの自分で決めなよ、と言われてしまったがそれでも自分で決める気にはならなかった。

 「じゃあ映画見ようよ。確かこの近くにあったよね、映画館」

 確かにあった気がする、と思い出す。

 そこはショッピングモールの中に併設されているような映画館ではなく、街中に映画館だけで店を構えていた。

 洋子と付き合っていたころは足繁く通ったものだが、今では映画館に行く口実がなく、気が付けば映画館にはいかなくなっていた。

 「私、最近の映画とか全然知らないからさ。なんか面白そうなやつ紹介してよ」

 「面白そうなやつ、ねぇ……俺も最近の映画はわかんないだよな……」

 「大丈夫だよ。だって一樹の選ぶ映画って全部面白いんだもん」

 あぁ、まいったな。俺は手を後ろに回して頭を掻く。

 「とりあえず行ってみよう」

 

 

 結論から言えば、映画館は閉まっていた。

 閉館を知らせる張り紙によると、去年の四月になくなったのだという。

 だから代わりにボーリング場で遊ぶことにした。街の隅っこにある、ここも随分ご無沙汰している場所だ。

 俺はボーリングも久しぶりで投げ方もすっかり忘れてて、始めにガーターを何回か出して、得点はさんざん。最後まで投げて得点は七十も行かなかった。

 一方洋子はというと、二、三回投げただけでコツをつかんだらしく四回目からはスペアやストライクを出すようになってきた。得点は百十二。

 圧倒的な差でぼろ負けした。

 「それにしても映画館、残念だったね」

 一ゲームが終了したころ、洋子はそういった。

 休日のボーリング場はそれなりに人がいて、老夫婦の姿もあれば高校生グループの姿もあってそれなりに騒がしい空間だ。

 特に二つ隣のレーンでは男子高校生らしき三人が競い合って、騒いでいた。一人はスポーツ刈りで、一人は長髪で、一人はくるくる頭だった。

 俺はそれを見ながら答える。

 「まぁ、仕方ないよ。この町も人が少なくなってきてるし、映画館ももうからないんでしょう」

 少し突き放した言い方になってしまったが、あの映画館には思い入れがあって正直言ってショックだった。

 あの受付に立っていたおじいさんはどうなったのだろう。

 今更になってそんな考えが浮かんでは消えた。

 おー、と男子高校生のレーンが沸く。どうやらくるくる頭がストライクを出したらしい。

 「なんか、変わってしまったなぁ」

 洋子は思い出したようにつぶやく。それは独り言のようにも聞こえたし、俺に話しかけてるようにも聞こえた。

 「寂しい?」

 俺はあえてそういった。

 洋子はどこまで行っても洋子だ。それは死んでもそう。でも、今日の洋子は洋子らしくない。俺の知ってる彼女より、よっぽど感傷的だ。

 だから聞いてしまったのだ。

 「いや」

 洋子はすぐに返した。そして、

 「ずっと変わらないものなんてないよ」

 それは親の言いつけを守る子供みたいな言い方だった。

 終わりあるものを引きづらない。そういった価値観を自分に言い聞かせてるみたいに、ゆっくり、力強く、口にした。

 だから思わず、

 「生きたかった?」

 と聞いた。

 聞いた後すぐに、妙な空気になった、と思った。だから慌てて、今のは忘れて、って言おうとした。でも、洋子はそれを遮るように答える。

 「そうだね。生きたかった」

 声のトーンを一つ上げて、明るく話した。でもその目は湿っている。

 「一樹みたいに大学生になって、サークルに入って、新しい友達とおしゃべりして、いろんな服も着たかった。行きたい場所もいっぱいあったな。私、一度も北海道行ったことなくてさ。冬に行って流氷とか見てみたかった」

 洋子はたくさんの言葉を吐いた。そしてその言葉の数だけ、悔しさが詰まっているのだと分かる。

 やっぱりそうだよな。死んだことを悲しく思わない訳がない。胸のどこかに大きなとげが刺さってるみたいに、ずきりと痛んだ。

 洋子は話し終えると一つ、大きな深呼吸を入れて、

 「はい、この話終了」

 ぱちん、と手をたたいた。そして、

 「あ、ほら、もう一ゲームしよ?」

 そういってごまかした。

 なんか、洋子にはかなわないな。そう思った。

 


 洋子がなくなったのはデートの帰りだった。

 あたりは薄暗くなっていて、山の向こうから夜がやってくるのが分かった。楽しくて、ついつい遅くまで遊んでしまったのだ。

 「じゃあ」

 いつも通り駅で別れて、それぞれが自分の家に帰る。

 しばらく歩いて駅と自宅の真ん中ぐらいに来た頃、俺は洋子の忘れ物に気が付いた。ユーフォ―キャッチャーでとった景品を俺に預けたままだったのだ。

 明日学校で渡せばいいか、とも思ったがさすがにクマのぬいぐるみを学校に持っていくのは気が引けて結局引き返して直接渡すことにした。洋子の家までの道はよく知っていた。

 道すがら、人が倒れているのが見えた。人通りが少なく、常夜灯も離れた間隔で設置されているような場所で、かろうじて人の背中が照らされていた。

 嫌な予感がした。

 見覚えのある服装。お気に入りって言っていた白いワンピース。でも、今ではどす黒く染め上げられている。

 恐る恐る近づいてみる。心臓が早鐘を打つのが分かる。張り裂けそうな感覚だった。それでも近づいたのは、どうしても洋子ではないと確認したかったからだ。よその誰かが不幸になっているというのがいいというわけではない。ただ、人間だれしも不幸は自分から遠いところに降りかかってほしいのだ。

 そっと、のぞき込む。そして、淡い幻想が一気に打ち砕かれる。どす黒い血だまりに顔をつけていたのはまぎれもなく洋子だった。でもその姿は変わり果てていて、しゃくりあげるような呼吸をずっとしてた。

 声も出なかった。

 怖くて、どうしていいかわからなくなって、そしてそのまま、自分の家に引き返した。

 後から聞いた話によると、飲酒運転の車に洋子ははねられたそうだ。

 はらわたが煮えくり返りそうだった。

 自分の不始末を他人に擦り付けて行くんじゃねぇ。もしも、その運転手に出会うことがあればきっとそういって殴りかかるだろう。でも、それ以上に腹が立ったのは自分の無力さだ。

 もしも、あの時、早めにデートを切り上げていれば洋子は車に引かれなかったかもしれない。

 もしも、あの時、一緒に帰っていれば、暴走する車に気づけたかもしれない。

 もしも、あの時、冷静な対応で救急車を呼んでいれば助かったのかもしれない。

 そんな「もしも」が頭から離れなくなった。



 「帰ってきちゃったね」

 芝の広場を抜け、噴水を見つけると洋子はそういった。

 俺たちはボーリングで何ゲームか遊んで、カフェでゆっくりしてから街を歩き回って、結局元の噴水前に帰ってきたのだ。

 時間も丁度、九時に近くなっていた。

 言うなら今しかない。

 「洋子」

 噴水を眺める洋子に俺は声をかけた。

 「なに?」

 洋子は一歩だけ先にいて、俺の声に振り向いた。

 手を伸ばせば届く距離。でもその距離は少し遠いように思えた。

 「ゴメン」

 俺はそういって彼女を抱きしめた。

 「え、え?なに?」

 慌てる彼女にもう一度、

 「ゴメン」

 そういって絞り出すのがやっとだった。


  

 俺にとって地元に残るというのはとっても不健全な考えだったのだと思う。

 ここにいると洋子がいなくなってしまったことを思い知らされるようで、つらかった。

 だから、洋子が死んでからは用事がなければ家に引きこもってばかりで、友達と遊ぶこともしなかった。

 でも、ここから離れて楽になったらきっと自分を許せなくなってしまう。直感でそう感じた。

 あの時自分が一緒に帰っていれば。あの時自分が逃げ出さなければ。

 何回も同じ夢を見た。

 倒れている洋子を見て、怖くなって逃げ出す夢。でもいくら逃げても倒れている洋子から離れることはできなかった。

 わざわざ勉強を頑張ってこの地元に残ったのもそう。

 逃げないことこそがせめてもの罪滅ぼしのような気がしていた。

 大学一回の冬、軽音サークルに入ることにした。もともとは音楽には興味なかったが、何か外に出る口実が欲しかったのだ。そして、隣町にあるキャンパスに通うようになると少しは気が楽になった。自分が逃げられるような気にさえなった。でも、そういう気持ちと一緒に罪悪感は俺を蝕んだ。

 苦しみを逃れれば自分を許せなくなって、苦しみの中にいると死にたくなってくる。

 どちらにしろ俺が救われることはない。

 ハリネズミのジレンマみたいだ。


 

 「自分でもよくわからないんだ」

 ぬくもりを肌に感じながら話をつづけた

 「俺さ、洋子が死んでからずっと考えてた。自分は洋子を救える最後の人間だったんじゃないかって。でも俺、怖くってさ、逃げ出したんだ。見殺しにしたんだ。」

 ぬるいものが頬を伝う。それが涙だと気付いたころには視界はすっかりぼやけて、声は震えていた。

 「こんなこと言っても知るわけないよな。ゴメン」

 俺が抱きしめた腕を緩めると、今度は洋子の腕が俺を抱きしめた。

 「それは違うよ」

 力強い声だった。

 「一樹は悪くない。だってこれは仕方ないことなんだから」

 「でも、洋子は生きたかった」

 ボーリング場で吐いた洋子の言葉が頭によぎる。

 「そうだね。私は生きたかった。したいこともいっぱいあって確かに納得はできないよ。でも、理解はしてる」

 それは俺よりもよっぽど大人の人の言葉みたいだった。

 「人間はいつか死ぬんだよ。これは絶対で、もちろん一樹だって死ぬ。私はちょっと早かっただけ」

 すると洋子は抱きしめた手を緩めて、一歩引いた。そして俺の顔に掌を当てて親指で涙をぬぐった。

 「後ろばかりむいてて、今を楽しめないなんてもったいないよ」

 俺はただ突っ立って、また涙が溜まるのをそのままに彼女の声を聞いた。

 「だからね、私の分まで生きて」

 ぼやけた視界の中で初恋の人がほほ笑んだ気がした。

色んな作品を読んで、その破片をつなぎ合わせて作りました。

やっぱり自分の作品は面白くないけれど、やっとまともな作品を作ることができたのではないかと思います。

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