竜の彼とのこの状況(6)
お風呂に入り、やっと落ち着く。
冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り、蓋を開けながらベランダに出た。
「わぁ……いい眺め」
超高層マンションの最上階から、横浜港からその周辺の夜景が見渡せた。
(暗い部分は海か……)
静かだ。
そういえば、エルガイラが甦ってからずっと忙殺していた。
いつもエルガイラが引っ付いていたし。
今、静かなのは彼が傍にいないからだと気付く。
「……」
――色んなことが一気に押し寄せてきたな……
父の仮説で殺されかけて、エルガイラが復活して。
私は彼と一緒に重要人物となってしまった。
――世界を異世界生物から救う。
(武器……)
分かる。
私は竜を動かすための、今でいうコントローラー。
そして、
大きな力を持った凶器になった。
(私の意志一つで世界を壊せる)
若い私に危険な武器を持たせて、もし気が変わったら――と、上の人間達は怖いんだ。
新しい化物が。
だから、こうやっていい暮らしを提供して、いい気分にさせて戦ってもらう。
帆波さんや自衛官達を付き添わせ護衛――というなの『監視』をする。
私が誤ったことをしないように。
(……深く考えるの止めよう)
これからもっと窮屈でキツくなる。
近い未来を考えると憂鬱になる。
「利香がいればなぁ……。愚痴ったりできるのに……」
今はそんな泣いたり笑ったり喜んだり、感情を露にできる相手がいない。
「――紫姫」
「わっ!?」
ベランダの隔て板の向こうから、エルガイラがひょっこりと顔を出してきた。
「この板、邪魔だ。取っ払って良いな」
決定事項だった。
バキバキと音を立て、縁や支えまで取っ払ってしまった。
「あっさり壊しちゃって……。というか、人の姿でも力は強いんだ」
「当たり前だろ。でないと普段からシルマーである紫姫を守れない。……今は俺しかいないんだしな。他のやつが来るまで目を光らせとかないと」
「ふーん……」
護衛さながらな彼。
きっと中世ヨーロッパなら騎士とかなんだろう。
大方、私は姫か女王か。
(……女王)
自分の考えにはた、と気付いた。
「ガイ、もしかしたら私。誰かに狙われてるの?」
君臨する者が『私』なら、その座を狙う者が現れてもおかしくない。
いつの世もそうじゃない。
「まあ、まず『異世界生物』からは当然。――それから、過去では、同じ人間にも狙われていた」
「……私が『竜』の『シルマー』という存在だから?」
「文明が進んでも、いつの時代も考えることにそう違いはない。『シルマー』を殺せば、『竜』を自分が支配できると考える。――実際、できるはずもない。『シルマー』あっての俺達だ。『シルマー』が死んだら俺達も骨に戻るだけ」
そう説明しても理解できない人間の多いこと、とエルガイラがぼやく。
「その『シルマー』って、どこからやって来たの? ガイ含む他の竜達も、私の先祖も……」
沈黙が流れる。
お父さんが話した。
『他の人間とDNAの配列が違う』
突然変異でも、異常でもない。
私のお母さんもそうだと話していた。
ミトコンドリアイブ――共通女系祖先の愛称。
厳密に言えば、世の女性はたった一人の女性の祖先から派生したわけじゃない。
共通の女系祖先は存在する。
――だけど
私のミトコンドリアDNAは、地球上にいるどの女性にも見られない配列があったらしい。
『どのミトコンドリアイブよりも古い』
どの女系祖先よりも古いというと、人類が誕生する前だということじゃないだろうか?
だとすれば――
私の祖先は、地球以外の世界からきた、ということ。
「……教えてやりたいが……」
エルガイラは困ったように、艶やかな黒髪をかき混ぜる。
「教えられない理由があるの?」
私がショックを受けるからとか?
「私は平気。どんな辛い事実でも受け止めるよ」
大体、こういういつどこで異世界生物に殺されてもおかしくない世界で。
友人も殺されて
父の仮説に殺されかけて
衝撃的な出来事が連続で起きていれば、いくら十代だって馴れて神経太くなる。
「俺、一人で全部説明するのが面倒で」
「……えっ?」
今、なんて言った?
「いつも、他の三匹がほとんど説明していたからな。その量を俺一人で話せと言われても困る」
「ええと……じゃあ、今までの『シルマー』には、四体揃ってから説明していたの?」
「いや。今までと順番が違うから。俺が甦るのは大抵三番目か四番目だった。それまでに先に甦った奴等が説明していたんだ」
それが今回、いきなり一番目だったから……と、エルガイラはぼやく。
「……ようするに、説明馴れしてないのね?」
「俺達やシルマーが出てくる時は、紫姫達が言っている『異世界生物』が出現した時と決まってる。そんな背景だから、大抵シルマーの精神は逼迫していて、最初は『哀しみ』か『不安』の竜が甦っていたからな」
「そうなんだ……」
「今回のシルマーの紫姫は『怒り』の俺を真っ先に甦らせたからな……。まあ、今までより逞しいというか怒りっぽいのか……」
「普段からそんなに怒りません!」
「ええ? そうか?」
エルガイラはニヤニヤとからかうように私を見る。
「いつもムッとしていて怒ってる顔だぞ?」
「――っ!?」
思わず自分の顔に触れる。
「まあ、『怒り』の竜の俺としては、もっと目くじらを立ててほしいがね」
「やだ。ガイって嬉しそうな顔をするんだもん。マゾっぽくて気色悪い」
「マゾじゃねえよ。痛いことは嫌いだし」
「言葉責めが好きなマゾなんだよ、ガイは」
「マゾっじゃない」
珍しく私の言葉でエルガイラがムッとした。
いつもの大人の表情と、比べられないくらい子供っぽい。
私はおかしくて、つい笑ってしまう。
エルガイラはますますムッとしてそっぽを向いてしまった。
「ごめんごめん。そんなに怒るとは思わなかった」
「俺を怒らせてどうするんだ。紫姫が怒らなくちゃ、敵が来たとき思いっきり力がだせないんだぞ?……敵がきた時、お前の感情次第でどの竜達が主導権を握って戦うかが決まるんだから」
「それって……今はガイしかいないから……」
「紫姫の『怒り』が最高潮の時のタイミングで敵がやって来れば良いが、そうもいかないだろう?」
――だから帆波さんに、他の竜の骨を持たせろ、と苛立っていたんだ。
「紫姫が骨の一部でも手にしていて、『悲しみ』『不安』『喜び』に付随する感情が強く出ている時に、血も骨に注げば――すぐに甦るんだがな……」
エルガイラはそうぼやきながら、ベランダからの夜景を眺める。
彼も戸惑ってるんだ。
いつもと違う順番に。
「……じゃあ、なるべく怒るようにする」
仕方ない。だって、他の竜が甦るまでエルガイラが戦わなくちゃならないから。
「わざと怒っても俺の力にはならないぜ? ――まあ、紫姫ならそんな心配は無用だろうけどな」
にやっと嫌味な笑顔を向けてきたエルガイラにカチン、ときた。
「私が怒りっぽいと言いたいの!?」
「もう怒ってる」
「あんたのその嫌味な表情に腹がたったの! ――て、何!? そのむちゃくちゃ至福の顔!?」
本日最後の餌やり(エネルギー充電)が終了した。




