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猫の百鬼夜行

作者: 黒とかげ


 午後6時、東京の街はまるでケチャップをぶちまけたようにオレンジ色に染まっていた。

石井涼子は夕日を見上げて、溜め息をついた。

 右手に持ったスーパーの袋がガサリと揺れた。後ろを歩いていた見知らぬサラリーマン姿の男が前を遮られたことで、迷惑そうな顔で涼子を一瞥する。人々が行き交う通りの真ん中で、涼子はただ一人立ち尽くしていた。

 今日溜め息をつくのは何度目になるのかしら、と涼子はぼんやり思った。回数を10回ほど数えて、やめた。気が滅入ってしまう。

 そしてもう一度ため息をついて、とぼとぼと歩き出した。

 

 涼子の憂鬱の原因は勤め先の会社が突然倒産し、あえなく無職になってしまったことにあった。先月末、普段と変わらぬ時間に会社に出社すると入口の玄関の扉に鍵がかかっており、同僚たちが何やら騒いでいた。理由を聞くと、慌てた様子で扉に張ってある紙を指さした。その紙を読んで、初めて涼子は会社が倒産したことを知らされた。その頃には社長はじめ経営陣はすでに雲隠れしていて、退職金も貰えなかった。

 それでも貯金が残っていればしばらく暮らしていけるのだが、憧れていた東京での生活に浮かれ、あれもこれもとついつい買ってしまったため、いつの間にか貯金は底をついていた。このまま新しい職を得られなければ、遠からずアパートの家賃が払えず田舎に帰らなければならなくなるだろう。

 涼子は東京が好きだった。田舎とは比べようもない人の数が住んでいて、煌めきくような刺激もある。今更バスが半日に一本しかない田舎には帰りたくない。

 

 行き交う人々は学校や仕事から帰宅する頃合いということもあって、行き交う人々の人数も時間が進むにつれ増えてゆく。しかしこれだけ人が居ても涼子を助けてくれる人は誰もいないのであった。

 とりあえずアパートに帰って、今日の夕ご飯を作ろうと涼子は気を取り直した。右手に下げたスーパーの袋には夕食のための秋刀魚が入っている。秋刀魚は涼子の住んでいた田舎と比べ、大分値段が高かったが、懐かしいという思いには勝てず衝動的に買ってしまった。これを食べれば少しは元気が取り戻せるかもしれない。


 その時、人々の足の間を黒いものが通り過ぎるのが視界の隅に入った。涼子が思わずそちらの方へ目を向けると、30センチほどの黒猫が人ごみの向こうで歩いているのが見えた。

 涼子は立ち止まった。黒猫はテシッテシッとスッテプと刻むように歩いている。頭は前方に固定され、行き交う人間など見向きもしない。立てられた尻尾がゆらゆらと揺れていた。

 なんてお気楽なの、と涼子は思った。私がこんなにも仕事のことで悩んでいるのに、猫はそんなもの関係なように歩いているわ。


 涼子はもっと近くで黒猫を観察したいと考え、人ごみを掻き分けて猫の元へ歩き出した。家に帰ってからは夕食を食べる以外の予定などまったくない。アパートに一人暮らしだし、家に帰る時間が多少遅くなっても誰からも怒られることはない。だからもう少しだけこの黒猫を見ていたい。

 道路を横断したため、歩くのを邪魔された人々が顔をしかめる。誰かの足にスーパーの袋がぶつかり、袋の中の秋刀魚がぐにゃりと変形する感触が手に残った。

 人ごみを抜け、涼子が黒猫が1メートルほどにまで近づいても、黒猫は涼子を見ることさえなく優雅に前を見つめ街を練り歩く。

 涼子は黒猫の少し後ろを同じ速度で後を追った。黒猫の尻尾がメトロノームのように規則的に揺れている。至近距離て黒猫を観察すると、真っ黒な毛並みには汚れ一つなく、そこだけ空間に墨を一滴垂らしたように感じる。


 涼子はそのまま黒猫の後を追いかけていくうちに、なんだかこの黒猫がうらやましくなってきた。猫は失業することもなければ来月の家賃について悩むこともない。しかもきっとこのような美しい毛並みを持った猫ならばどこに行っても可愛がられ、餌に困ることもないだろう。それに比べ涼子は来月の家賃すら困る有り様なのである。涼子はまた溜め息をついた。


 突然黒猫が涼子の方へ振り向いた。黒猫と涼子の目が合う。涼子の体が、足を振り上げた格好のまま硬直した。

 黒猫の瞳に夕日が反射して、キラリと光る。

 数秒ほど黒猫は涼子と見つめ合っていたが、唐突に前を向くと、滑るように走り出した。


 「え? 待ってよ!」


 涼子は思わず叫び、黒猫を追って慌てて走り出した。今日はスカートじゃなくて、ズボンを履いていて良かった。右手に持ったスーパーの袋が邪魔だが走れないことはない。

 不意に前を走っている黒猫が消えた。いや、違う十字路を右に曲がったのだ。

 涼子も少し遅れてその十字路に辿り着くや否や、黒猫が曲がった道を凝視した。

 

 しかし十字路を曲がった先の細い道には黒猫の姿はなかった。


 「あれ?いない?」


 涼子は荒い息を吐きながら、言った。両脇に林立するビル、ゴミ置き場に無造作に積まれたポリ袋など周辺を見回すが、黒猫の姿は見当たらない。先ほどの人通りの多い大通りと違ってこの細い道には、人間は一人も行き交っていなかった。ビルばかりでお店が営業してないからだろうか、うら寂しい雰囲気が漂う。

 涼子は額の汗を洋服の袖で拭い、そろそろと細い道を進んだ。この先進んでも黒猫が見つかる可能性は少ないかもしれない。それでももう一度だけでいいから、あの黒猫の優雅な歩き姿を見れたらと涼子は思った。


 探し続けるうちに、日が落ち、周囲の風景は徐々に暗くなっていった。

 電柱の先に設置された街頭の光が灯り始める。

 

 さすがにそろそろ猫を探すのを諦めて、家に帰えらなければ、と涼子は思った。名残惜しいが暗くなったら闇と同じ毛並みの色を持つ黒猫を見つけるのは不可能だろうし、ずっと立ちっぱなしだったため、なんだかずいぶん疲れた。また明日この場所に来て捜索しよう。そうすればまたあの黒猫に会えるかもしれない。

 涼子がようやく家に帰ろうと決意した時、ふと周りの風景に見覚えがないことに気が付いた。黒猫を探すことばかりに意識を向けすぎでいたらしい。目に入る建物がビルばかりで変化がないことが原因だろうか。

 迷った挙句涼子は踵を返した。とりあえず引き返せば自分の知っている場所に出れるかもしれない。

 

 だが行けども行けども涼子の見知った場所に戻ることが出来なかった。

 涼子は自嘲の笑みを浮かべた。いい年の大人が黒猫を追いかけて迷子になるとはなんと情けない。この体たらくだから無職になるのも当然なものかも。

 そう思うと急に泣きたくなる。


 「何してるんだろうなぁ、私。」


 空は群青色に染まり、髪をはためかせる風は肌寒さを増している。

 体が鉛のように重いが、こんな所でのんびりして万が一不審者に襲われたら目も当てられない。足を引きずるように前に出そうとした、その時、

 

 「にゃあ」

 

 どこかで小さく猫の泣き声のような音が聞こえた。


 その途端涼子の体が嘘のように軽くなった。さっきの黒猫がすぐ近くにいるのかもしれない。そう思うだけで嬉しくなる。

 さっそく黒猫を探そうと、声をした方に顔を向けようとした。

 唐突に涼子は足首にに柔らかい物が撫でるような感触を感じた。涼子の背筋に冷たい物が走る。

 慌てて足元を見ると、白い猫が足元をゆっくりと歩いている。その白い猫の体が涼子の足首に触れたらしい。

 小さく悲鳴を上げて、ペタりと腰を落とした。手に持ったスーパーの袋を路上に落とす。

 足元の白い猫はさっき見かけた黒猫よりも、かなり体の大きさが小さかった。子猫といっても通用しそうだ。左足に黒色の丸い模様があり、それ以外は真っ白な毛並みをしている。白い子猫は顔を前に向けたまま、そのつぶらな瞳で涼子を眺めた。


 「・・・・かわいい」


 涼子はこんな状況にもかかわらず、呟いた。まるでおもちゃ屋に売っているぬいぐるみのようだ。ああ、このまま家に持って帰って、抱きしめて眠りたいわ、と場違いな思いに捕らわれる。

 白い猫は涼子に興味がなさそうに瞳を戻すとそのまま涼子から離れて行く。 

 涼子は白い子猫を掴もうと手を伸ばした。けれども白い子猫は涼子の手が体に届く直前で、するり身をかわした。


 「・・・むぅ。」

 

 涼子は今度こそ白い子猫を抱き上げようと、アスファルトに手を付け、体を起こす。

 

 カタンッと金属を素手で叩くような音がした。

 

 路肩に駐車された車のボンネットの上を別の猫が歩いていた。どうやらビルの二階のエントランスから飛び降りたため、そのような音がしたらしい。日が暮れて薄暗い上に、車までの距離が遠いので、茶色っぽい毛並み以外詳しい柄までは確認出来ない。さらに猫はボンネットから飛び降り、先ほどの白い子猫と同じ方向へ歩いて行く。

 その猫の歩くさまを目で追うと、さらに別の白と黒が混じった柄の猫がその姿に重なる。二匹の猫も歩幅を揃えて白い子猫と同じ方向に歩いている。

 

 涼子はさすがにこの事態を不気味に感じ始めた。一匹一匹の猫は愛らしいけれども、三匹の猫が突然現れ、そして全ての猫が同じ方向に歩いていくとは、普通ではありえない異常な事態だ。

 涼子は立ち上がり、三匹の猫から離れようとじりじりと後さずった。

 左足の踵に柔らかい物を蹴るような衝撃が走った。振り返るとまた別の猫が腹を見せて、ひっくり返っていた。どうやらその猫の腹を踵で蹴ってしまったらしい。

 ひっくり返った猫の向こうには、色とりどりの猫が三匹の猫と同じ方向に十匹程度歩いている。さっきまではかわいいと感じた猫たちもこうなってしまっては恐怖すら感じる。


 「シャーーー」


 ひっくり返ったまま猫が、涼子を威嚇した。


 「ひぃ!」


 涼子は顔に両手を当て、怯えた。異常だ。異常なことが起こっている。もはや歩いている猫たちがおどろおどろしい怪物にしか見えない。

 猫は不機嫌そうに立ち上がると歩き去っていった。

 涼子は猫が自分に構わず去ってくれたことに安堵を覚え、とりあえずこの場から逃げるために顔を上げたと時、その光景が広がっていた。


 道路一杯に猫が溢れている。


 先ほどまでは確かに十数匹しか猫は路上にいなかったはずだ。

 それなのに今涼子が眺めている光景には少なくとも数百匹の猫がひしめいていた。大きさも、色も異なる猫がわずかに間隔を開けて同じ方向へ歩いてる。ある猫は大地の上を、ある猫はビルの軒下を、ある猫は道の両側に建てられた塀の上を飛び跳ねながら、一定の方向へ向かって歩いているのであった。しかも猫たちが涼子の居る場所を通り過ぎても後から後から新しい猫が現れる。まるで大河の中に立っているような感覚に陥る。そして猫たちはこうして観察している間も増えて行く。

 もはや逃げ出そうにも足の踏み場もないほど、猫たちが道路にひしめき合っている。

 涼子はその光景を呆然と眺めていた。あまりに非現実的な光景である。このままでは流れている猫たちに埋もれてしまう可能性すらある。涼子は死の予感を感じ取り恐怖に震えた。

 

 しかしその一方で、それでもいいかもしれないという思いも頭の片隅によぎる。もしかしたらかわいい猫たちに囲まれて死ぬのも悪くはないのだろうか。最近悪い事しか起こってないし、このまま生きていてもどうせ良い事なんてないだろうし。

 

 「なんじゃお主、こんな所まで付いて来たのか。」


 低く深い男の声が路上に響いた。

 涼子が我に返ると、目の前に黒猫がちょこんと座ってた。その黒猫は大きさといい、漆黒の毛並みといい、最初に涼子が追いかけた猫に違いなかった。黒猫がペロリと前足を舐めた。

 猫たちは涼子と黒猫の居る場所だけを避けるように流れて行く。


 「ね、ね、猫が喋ってる!?」


 涼子は猫を指さして、震えた。次々と起こる異常事態に付いて行けない。

 

 「何も知らずに迷い込んだのか。わざわざ付いて来れないようにお主を振り切ったのに。」


 黒猫の声に呆れのトーンが混じった。顔をわずかに傾ける。

 

 この黒猫はこの異常な状況の原因を知っている、と涼子は直観した。何故猫が喋るのか答えてくれなかったが、もっと情報を聞き出さなければ。他の猫たちは涼子に視線もくれず、歩いて行くだけなのだから。それに喋れる猫はこの黒猫だけの恐れもある。

 それでも意思疎通出来る者に会えたことで、涼子は少し気を落ち着けることが出来た。


 「あ、あの、どうしてこんなに猫たちが集まっているんでしょうか?どうしたらこの場所から逃げられるんででしょうか?」


 涼子はなぜだかこの黒猫に対して敬語で話しかけていた。それだけ猫たちの流れの中に鎮座してる黒猫は威厳のようなものがあった。


 「面倒くさい。」


 黒猫は斬って捨てた。


 「なぜ儂がお主にそんなことを教えなきゃならん。お主がここに迷い込んだのは、儂のせいではない、自業自得というものじゃ。ちょっとした興味で話しかけてみたが、基本的にお主がどうなろうと知ったことじゃないわ。」


 黒猫はプイと明後日の方を向いてしまった。

 涼子は困り果ててしまった。このままでは情報を聞き出せそうにない。この黒猫だけがこの事態が起こった原因を教えてくれる唯一の存在なのに。黒猫が去ってしまったら、自分はどうしたらいいのだろうか。どうにか黒猫のご機嫌を取る方法を考えねば。

 涼子がうんうんと悩んでると、黒猫が鼻をスンスン鳴らした。


 「ん、なんだか、良い匂いがするのぉ、これは秋刀魚か。」

 

 涼子自身すっかり忘れていたが、スーパーの袋に夕食用に買った、秋刀魚が入っていた。袋は涼子の足元に転がっていた。幸いにも他の猫たちが秋刀魚に関心を示さなかったため、無事に残っている。

 涼子はスーパーの袋を取り上げ、秋刀魚をパックから取り出した。そして尻尾を掴み、黒猫の前にぶら下げた。


 「これで質問に答えていただけないでしょうか?」


 黒猫はすぐさま秋刀魚を咥え、自分の方へ引き寄せた。そして秋刀魚の腹の辺りを一口齧り、


 「うまい。やはり秋は秋刀魚に限る。秋刀魚の礼にしばしの時間、お主に付き合ってやろう。」


 と嬉しそうに頷いた。 

 涼子はホッとした。黒猫が質問に答えてくれるなら、この事態を打開できるかもしれない。だけど最初にどれを質問するべきか。下手な質問をして臍を曲げられては、非常に困る。しばらく悩んだが一向に考えが纏まらない。

 しかたなく、


 「これはなんでしょうか?」


 そう訊ねてから、直後なんと自分は曖昧とした質問をしてしまったのだろうと後悔し、唇を噛んだ。

 しかし黒猫はそんな涼子の様子を気にすることなく、秋刀魚を齧りながら、


「百鬼夜行。」

 

 とだけぶっきらぼうに答えた。

 百鬼夜行。滅多に聞かない単語に戸惑いながら、涼子は懸命にその言葉の意味を記憶から引っ張り出そうとする。


 大小様々な妖怪たちが、大勢で騒ぎながら街を練り歩いている。


 そんなイメージが涼子の頭の中に浮かんだ。

 確かに大勢で街を練り歩いている部分は、涼子の置かれた状況に合致してはいるが、


 「でも、街を練り歩いているのは妖怪じゃなく猫ですよね?」


 「ほう。百鬼夜行がどんな意味を持つのか知っておるようじゃのぉ。感心。感心。最近の人間どもは百鬼夜行の意味すら知らない。最近の人間の知能ときたら、まったく嘆かわしいことじゃ。確かに猫じゃ。儂もここに居る皆もな。人に飼われてる猫もおれば、儂のように野良猫として生きている猫もおる。じゃが昔は皆、妖怪だった。」


 「こ、この猫たちが妖怪だった?」


 涼子は足元を歩く無数の猫を改めてまじまじとと観察した。ピンと立った尻尾と三角の耳、つぶらな瞳がとても愛らしい。どうみても外見上は普通の猫である。どうにも信じられる話ではないが、この異常な状況では完全に否定できる話でもない。

 黒猫が口の周りをペロリと舐めた。


 「儂もな200年ほど前にはな、黒猫ではなく立派な妖怪じゃった。がしゃ髑髏という妖怪の名前を知ってるかね? 丁度そこのビル程度の大きさの骸骨でな、自分ので言うのもなんだが、それはそれは恐ろしい妖怪じゃった。悪さをしては、儂を討伐しようとする人間どもとよく遊んだものじゃ。あれは楽しかったのぉ。」


 黒猫はカラカラと笑った。


 「ちなみにそこの耳の欠けた猫はろくろく首、ほれ、あっちの小さい猫は天狗じゃった。」


 黒猫は次々と猫を指し示したが、目の前を歩く猫が多すぎて特定できない。

 次々と新しい猫が来ては、去って行く。

 

 「妖怪が猫に化けているのですか?」


 俄かに信じられない話ばかりだった。もし本当に黒猫が妖怪だったのなら、猫に化けて何やら良からぬことを企んでるのかも知れない。だが涼子はそれを口に出せなかった。


 「いいや儂らは猫に化けているのではない。猫という存在に成ったのじゃ。」


 「成った?」


 「儂らはもう元の妖怪には戻れん。それが成ったということじゃ。儂らはもう猫以外の何物にもなれない。もはや空も飛べんし、人間に化ける能力も失った。知能すら失った仲間も多い。寿命が存在しないこと以外には普通の動物と変わらん。こうして人間のお主に食べ物を恵んで貰うのが良い証拠じゃ。」


 黒猫は秋刀魚を器用にひっくり返し、身の反対側を齧り始めた。


 「じゃが妖怪としての能力は大部分失ったが、妖怪としての長年の習性は残っている。かつて儂らは妖怪の力を迷い込んだ人間に誇示するために夜な夜な百鬼夜行を行っていた。その栄光が忘れられない訳がでもないが、なぜだが今も時折こうして大勢の猫が集まり街を練り歩くのじゃ。それに意味があるかと問われれば、ない。まったくない。ただの栄光の残骸に過ぎないことはわかっているが、どうしても儂ら自身には止められないのじゃ。」


 本当にこの歩いてる大勢の猫一匹一匹が元は妖怪だったというのだろうか。


 「どうしてあなた方妖怪は猫に成ったのですか?」


 涼子はおずおずと尋ねた。

 黒猫は少しの間秋刀魚を咀嚼するのを止め、語り出した。


 「300年ほど前、外国の船が日本に到着したのが妖怪の衰退のきっかけじゃった。今では何と呼んでおったか。そうだ、思い出した、人間の教科書では黒船来航と呼ばれておる出来事じゃ。それまでは儂ら妖怪は人間たちに畏怖された存在であった。ところが外国の文化が日本に浸透するにつれ、儂らに関する関心が徐々に薄れて来てしまったのじゃ。勿論儂らもやれるだけの手は打った。新しい脅かし方を考えたり、逆に恩恵を与えてみたり、果ては多くの人間を殺傷してみたものの、人間が儂らに無関心になってゆくのを止めることは出来なかった。ああ!無関心!!」


 黒猫は突然悲痛な声で叫んだ。

 涼子は喉の奥で小さな悲鳴を上げた。


 「人間の無関心こそ儂ら妖怪を殺す刃!儂らは人間が儂らを認識してくれるからこの世に留まれる。忘れられた妖怪は消え去るのしかない。そして月日が経つごとに消える仲間の数は増える一方じゃった。」

  

 路上は夕方から夜の入り口に入り、黒猫の体は闇に同化していた。その眼だけが暗闇の中でギラギラと輝く。


 「そして妖怪が絶滅することすら危惧されるほど数が減った時、儂らは妖怪あることを自ら捨てた。いかなる手段を用いても人間の関心を再び妖怪に向けることが不可能と悟ったのじゃ。しかし儂らはどんな事をしてもこのまま消えたくはなかった。だから儂らは猫に成った。」


 「猫に・・・」


 「お主もここまで来たのなら、猫が好きなのじゃろう?猫は人間から見てとてもかわいい姿をしているじゃろう?儂らはな、人間の愛玩動物になることで生き残ろうと考えたのじゃ。人間が好むような容姿を研究し、そして人間な好むような仕草を身に着けた。さらに残った力を使い尽くし、猫という存在が人間に飼われる存在であるという認識を人間に無理やり植え付けのじゃ。勿論妖怪の誇りを捨てることに反対した仲間も居た。その仲間がどうなったのかは儂は知らん。」


 黒猫の瞳が真っすぐ涼子を射貫いた。

 咀嚼音が途切れた。どうやら秋刀魚を食べ終えたらしい。

 涼子はなんだか急に黒猫が可哀そうになった。自分の境遇と重ね合わさずにはいられなかったのかも知れない。


 「お主、儂らを憐れむ必要などないぞ。確かに儂らは以前よりも脆弱な存在になった。もう人間と戦うことなど到底不可能になった。じゃがその代償としてに新たな力を手にいれたのじゃ。微弱な力と侮るでないぞ。現に儂らは人間に可愛がられ、愛されることで繁栄しているのじゃからな。現に全国人間の住むところ猫が居ない街はない。儂の感傷など些細な問題じゃ。」


 暗闇を冷たい風がヒゥと流れ、消えた。


「さて、詰まらない話を長々としてまったのぉ。ここが百鬼夜行の最後尾じゃ。」

  

 いつも間にか周りを取り囲んでいた猫たちは消えていた。

 闇に染まった路上では、ただ、黒猫と涼子が向き合っていた。


 「このままこの道を引き返すとよい。そうすれは人間の世界へ戻れるじゃろう。儂らは力を大部分失ったといってもこれだけの数集まればそこにはある程度の力が生まれる。百鬼夜行にこれ以上付いてくれば二度と戻れなくなるぞ。」


 そう言って、黒猫は猫たちが去って行った方向へ体を向けた。それだけで黒猫の姿は周囲の暗闇に溶け込む。闇と完全に同化して姿が消える。その暗闇に猫の足音だけが響く。

 

 涼子はその場に立ち尽くしていた。黒猫が去って行った方向には一面に暗闇が広がっており明かり一つ見えない。そして振り返るとビルから漏れた光や雑多な生活光が満天に輝く星々のように輝いてた。

 戻らなければないらないことは涼子にもわかっていた。

 

 しかし涼子の足が黒猫の去った方へ一歩進んだ。

 

 それはままならない現実からの逃避だったのか、それともかつて妖怪だった猫の話に同情したのだろうか。あるいは涼子自身が猫に成りたかったのか。


 二歩、三歩と進んだ。一歩ごとに暗闇が深くなり、もはや自分の手足さえ見ることが出来ない。だが涼子は恐怖を感じなかった。むしろ黒猫を追いかけるのがあたり前の事であるとさえいう思いさえ、涼子の胸に去来する。

 

 その時、暗闇の中で黒猫の苦笑するよな声が小さく響いた。


 「お主、儂の話を聞いていなかったのか。まあ、儂も長年人間と付き合ってきたのじゃ。漠然とだが、お主の置かれた境遇も想像できる。」


 涼子の足がピタリと止まった。


 「じゃが猫だってお主たち人間が思うほど、自由に生きてる訳じゃないぞ。」


 そう言ってる間にも、黒猫の声がどんどん小さくなっていく。

 

 「でも・・・。」


 涼子は何か言おうと考えたが、言葉が喉に詰まって出て来ない。

 

 「それにな。儂は時折人間が羨ましいと思うこともある。」


 もはや黒猫の声は辛うじて聞き取れるほど小さくなっていた。


 「儂ら妖怪はかつて自らの存在を変えるために多大な犠牲を払った。しかし人間という生き物はそれをいとも簡単に成し遂げてしまう。お主はそれを素晴らしいと思わないか?」


 最後にそう言って、黒猫の気配が完全に消えた。もうこの路上には涼子しか残っていなかった。

 涼子は黒猫に置いて行かれて悲しかった。最後に励まされたようで嬉しかった。それらの思いがごちゃませになり、涼子の頬に涙が伝った。

 そして溢れる感情をこらえ切れずにしゃがみ込み、両手を顔を覆い、嗚咽を漏らし始めた。

 

 

 それから数年経過した。

 涼子は苦労の末、次の仕事を見つけ、この街に住み続けていた。

 あの日から黒猫にもう一度会おうと百鬼夜行が起こった場所の周辺を何度も探したが、結局見つけ出すことは出来なかった。

 そもそも涼子には百鬼夜行が起こった場所が具体的にどこだったのかよく思い出せない。あの夜、泣きやんだ涼子は黒猫を追いかける前に歩いていた大通りの真ん中に佇んでいた。深夜になっていたらしく、夕方と違い涼子以外に人は見当たらなかった。空を見上げると、満天の星空がやけに美しかった。


 生活が安定した涼子は、猫を飼い始めた。アパートの前に捨てられていた猫を拾ったのだ。黒猫ではないが、愛嬌のある顔と声をしている。

 そして涼子は時折、その猫に対して


 「ねえ。あなたも妖怪だったのなら百鬼夜行って知ってる?もう一度あの黒猫と会わせてくれないかしら?」


と訊ねる。

 

 しかし涼子の飼い猫はそんな言葉などまったく無視して、今日も優雅に散歩に出かけるのであった。

   

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― 新着の感想 ―
[一言] じんわりと、心が温かくなりました。 世知辛い世の中、本当は怖れるべき存在である妖怪、その変化後の姿である猫たちの可愛いらしさ、のコントラストが良かったです。 百鬼夜行を上手く取り入れられ…
[一言]  はじめまして。  和風ものを探していて、タイトルを見て「これは!」と思い読ませていただきました猫好き人間です。  はっきりとした「妖怪」が登場していないにもかかわらず、和風ファンタジーの雰…
[良い点] 最後が、人間界だったので、安心しました。 [一言] ごめんなさい。 はじめましてを言うのを忘れてました。 初めまして、ホラーの嫌いな者です。(笑) 子ども時代のトラウマです。 こちらにお…
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