祖父の葬儀で、一族本家の人達と初めて会い、寿司屋で精進落としをする
おそらく平成二十七年二月。
僕はがんで入院した祖父を見舞いに五年ぶりに九州を訪れた。
祖父は、なんだか小さく細くなってしまっていた。多少驚いたが、僕は介護の世界にも片足突っ込んでるので、寝たきりの老人が人相変わるくらい痩せることは知ってる。
動揺はそんなにせず。ベッドから抱え起こしたり、シーツを整えたり、手慣れたものである。
書道家で水墨画家の祖父は、五年ぶりに姿を見せた孫を見るや体を起こし、色紙に墨と筆で字を書いて、僕にくれた。
『人生春秋有』
食事も自力で取れなくなった老人の字ではなかった。「大ちゃんならわかる」と言ったそうだ。
じいちゃん流石に、まだまだその境地には至らんよ。
その後、しばらく病室で二人きりだった時。
祖父がぼそりと言った。
「大ちゃん、負けたらいかんよ」
最後に交わした言葉がそれ。
いまだにどういう意味なのかと考えることがある。
境遇に不貞腐れるな、ということなのだろうと僕は思うことにした。
他人を思いやれる言葉が吐ける人が僕の祖父だった。
その二つの言葉を、大事にできる人間になりたいと思う。
それからしばらくして、祖父が亡くなったため、礼服を持って九州へと再度飛ぶ。
湿っぽい話はここまで。
九州は都会だった。
僕の中では、地下鉄が走ってたら都会である。
母からもらったメモの通りに5回くらいバスとか地下鉄とか乗り替えたら、一人でも実家に到着できる。でも最後は最寄りのバス停からタクシー。田舎だ。
あとで調べたら、新幹線で行けるところまで行ってタクシー使えば、簡単に済むことも判明。
あれか、結局金か。
祖母と散歩の時だけ外に出る室内犬が迎えてくれた。犬ってなんでこんなにテンション高いんだろうな。なんでも柔らかく煮た鶏肉ばっか食ってるらしい。太るぞ。
葬儀場に行くと、先に着いた父と母となんか、僕が思ってた以上に親戚がたくさんいた。
母さんは○○姉さんとか××おじさんとか久しぶりに会う人だらけで心が慰められていた様子。
僕と父は完全なアウェイ感に支配されていた。特にこの中で唯一曽根崎一族の血が入っていない父の青ざめっぷりがアレだった。そういや父ちゃん、気を使う性格してるからな。
仕方ないので、礼服に着替えて、父方の祖父の形見の黒ネクタイと数珠でばっちり決めて、御茶を配って回った。
色んな人から「大きくなったねー」とか「えと、悦子ちゃんの旦那さん? え? 息子? じゃああっちの人は弟さん? え? あっちが旦那さん?!」とか色々と話をしながら挨拶して回る。
母から曽根崎本家の長男さんという人も紹介してもらった。
本家とかそんなんあったんか。
まあ、格式高くなくても、こんだけ親戚だらけなら分家も普通にあるわな。
九州の葬式は派手だった。あと、葬儀の日が友引だった。
ええんかな? と皆が思っていた。
そもそも喪主の叔父さん(母の弟)が「いいのかな?」とか言っていた。
祖母に確認すると「うちの宗派はいいったい」だそうなので、いいんだろう。
玄関に「友引ですが、うちの宗派はそういうの気にしないところなので大丈夫です」という旨を記した張り紙を張る。
というか、そもそもうちの親戚周り大体おんなじ宗派だから、皆知ってたみたいだけれど。
式は特に問題なく進む。
こんなに大勢の人が来てくれるとは、嬉しいことだし、忙しくて祖母も気が紛れたようだ。
あと、途中で出たお弁当がすごくおいしいのね。肉とか魚使ってないのに、こんにゃくとかがんもどきがおそろしくうまい。
「余ったから大ちゃん食べな」と3つ渡されたが、全部食べてしまったくらいうまかった。
そんなこんなで全行程終了。
家から歩いて五分くらいのところにある寿司屋で、精進落としをすることになった。
ここら辺の記憶があいまいで、あれが精進落としなのかわかんないし、一回忌の記憶と混じってるかもしれないが、親戚10数人くらいで飲んで食べたのを覚えている。
これもまたうまかった。
ただ、玉子焼きの味が全然違う。なんか甘い。
そうか。たまに母の作る玉子焼きが甘かったのは、この味だったんだな。
その日の母は、今まで見たことないくらいビール飲んでた。
後から聞いた話だと、本家の長男さんが、僕のことを褒めていたらしい。
父がそんなこと言っていた。わざわざ僕に言わんでいいのに。
というか、父ちゃんよく人見知りなのによく話せたな。
そうして「またおいで」、と言われながら僕は次の日仕事なので、帰途に着く。
たまに電話すると、疳高い声で祖母は電話に出てくれる。
この前九州で地震が起きた時も、震源地近くて怖かったが、電話したら普通に出てくれた。
「あ、また揺れ出したから電話切るね」と言われた時はびびった。
まあ、春秋有ということで。
机の上には、祖父の遺してくれた色紙が飾られている。
思い返せば、また訪れなければならない場所が多過ぎて困る。
それもまた、春秋有ということで。