−天才なんてたかが知れている④−
相手の思惑まで誘導して裏の裏のそのまた裏を欠いてくるなんて彼女も及ばなかったのだろう。これで手を抜いているなんて恐ろしいが、ここまで他者を手玉に取る以上何処まで本気で手を抜いているかが怪しいとも言える。
が、素直に賞賛する他ないであろう。
ただまだ安心するには早い。
「逃げられると?」
「これだけの芸当なら無理だな」
滞空する彼は注意が上に向いているダリアス・ミレーユの足元を指差す。
この時私と彼女は理解が追い付かないままに視線を下に降ろす。
「ま、まさかッ」
「片方は囮だ。思ったより傾向が読み易くて助かったぞ」
言葉と同時に地面が眩い閃光を放った。暗闇の世界が一瞬で真っ白に染まる。それが果たしてどれほどの効果を生み出すのか?
単純な目眩しと考えてはいけない。完全に夜目になっている眼球が吸収する夥しい光の世界を一気に受けてしまえばどうなるか?
簡単だった。
翠の悪魔は声にならない悲鳴を上げ、そんな状況を私も直視出来ない事態に陥ってしまった。
まだ発光地点から離れた距離だったからマシだった自身は視界がボヤけるような感じで済んでいるが、至近距離でモロに閃光を浴びた彼女はかなり悲惨だろう。
しかし何故私までーー。
と、そこへ身体に何かが触れた。
「え、ちょっと?」
「悪いな。流石にそこまで気を配れるような相手じゃなかった」
「だからってもう少し優しく扱いなさいよ? 慰謝料請求するわよ?」
「慰謝料の前に医者がいる場所に連れ戻しても良いんだぞ?」
まだよく見えない視界の中でも持ち上げられる感覚と一緒にそんな言葉が投げ掛けられる。分かったことは私が彼にお姫様抱っこなんて失態を犯した状況なだけだ。
こうまで互いの関係が憎まれ口の応酬をしていると全くトキメキを覚えもしない。単なる罰にすら思えた。
まあやはり口ではああは言っていても大分手こずる相手であったのだろう。こうして逃げる選択をしている時点からも予想出来た。
ちょっとばかり追い掛けて来ないかも心配だが、恐らくはあの騒ぎで衛兵なり誰かが出向いているだろう。ついでに拘束してもらえれば助かるのだけどね。
「無理だろうな。あの手の輩は世界の裏側まで追い掛けて来そうだ」
「怖すぎるわね………」
「いずれ何処かで衝突する。彼女は遊び感覚で俺を殺す気だった。しかし次はそうもいかないだろう。ならこっちもそのつもりで戦わないといけないかもしれない」
「どうにかならないかしら………」
「エイデス機関の誰かに言えば取押えてもらえそうだが」
「一番現実的かもしれないわね」
幾らエイデス機関の首位の一人でも組織から圧力が掛かれば屈するしかないだろう。それに反抗を示すのならば最悪あの施設内にあった場所に隔離されるかもしれない。
この状況で本当に身勝手で厄介な人物である。正直相手している場合じゃないのは皆同じだと言うのに。
「それか悪魔とぶつけさせるのが案外有りかもね」
まさか最初に回避しようとした解答も候補に上げる必要が出て来るとは。でも形振り構っていられないし、共倒れとまでは言わなくても互いに縛れるのなら是が非でもない。
ただその悪魔を見付け出さないことには始まらないのだけれど。
「考えるのは後回しだな。目立ち過ぎた分ある程度離れておかないと」
「誰のせいよ?」
「お前しかいないな。言っとくが俺は仕方なくこっちに出向いている訳なのを忘れるなよ?」
「可愛い後輩の為なんだから仕方ないでしょう?」
「いつまでその言い方をーー」
他愛のないお喋りは唐突に遮断される。
硬直してしまうような気配、殺気、空気。全てが針の如く肉体を貫いてゾクッと背筋に悪寒を走らせる。
待って。嘘でしょ?
信じたくないが現実から目を背けられない。半ば強制的に、或いは本能的な反射で私達は感じる力の根源の元へ振り返る。
「つまらない真似をしてんじゃねえぞ」
最初は理解が追い付かなかった。が、確かにその声はあの人物のもので変わったのはさっきまでのやり取りからは考えられない口調であった。いや、もしかしたらこれが元来の彼女本質であるのかもしれない。
単純に怒りが募っただけにしては考えられない狂い気味な形相を浮かべた悪魔がそこにいた。
直後、周囲が爆風に見舞われた。当然動きが止まってしまう所へ回り込んでくる。
ただでさえ怯んだ隙を見て逃げた筈なのに追い付いて来た事実も去ることながら一番驚いたのはーー。
「貴女………まだ目が………」
目は開いてはいる。が、強力な閃光を浴びた弊害が抜けていない。明らかに此方の位置は把握しているが視線が、焦点が合っていないのだ。
それでも尚、気配のみでここまで追いかけて来るのだから恐るべき執念である。
「この私から逃げられると思うな。次背を向けて逃げたらその綺麗な尻の穴に鉛玉ぶち込んでやるからな?」
「下品ね………」
「品性があれば強くなれるか? 戦争で見たのは品性ある奴の面がボコボコに腫れた惨めな姿だ」
「なら何でさっきまでは普通だったのよ」
「わからねえか? 私がその野郎と戦争するつもりになったんだよ。それだけの力があるのは十分判ったからな」
「俺はそんなつもりないんだがな」
「知るかよ。テメェがまだ手を抜くなら抜いとけば良い。大人しく殺してやるからよ」
全く持って理不尽な意見だ。勝手に仕掛けて来て勝手に怒り上がり、殺すと来た。この手合いは世界が滅ぶとしても気にしないだろう。
いよいよあーだこーだ言っていられない。寧ろ一番最重要で最悪な危機に直面してしまっているのかもしれないのだ。
この土壇場をくぐり抜けるにはもう戦うしかないのかもしれない。
状況が状況で私は解放される。チラッとそこでユリス先輩の表情を伺った。こんな時に一体彼はどんな雰囲気になるのか。ただそれだけの興味本位で。
しかしーー。
「殺されたくはない。が、殺す気もない」
変わらない。何処まで行っても彼の振る舞い。彼の基本は揺るがなかった。冷静と虚無と真実を悟っているような怒りも悲しみも表さない表情。まるで予期したのか、世界はそんな風な仕組みだと分かり切って心得ているとでも言っている感じだ。
違う。
何がと聞かれると難しいが、簡単に言えばこの細身の男性は天才ではないと思う。いやもっと凄い何か。天才なんてたかが知れていると見せていた。
これはそう。もっとも他者との差を示す意味で、或いは更に超えた世界の中心で測るようなもの。
例えば織宮さんから聞く例の落ちこぼれさん。
例えば悪魔の中でもずば抜けた存在だった冥天のディアナード。
例えば神門家の当主である神門 光華。
例えば謎に包まれた魔女であるバーミリオン・ルシエラ。
探し出したら案外いっぱいいるが、確かに天才なんて枠からはみ出した存在。その単独が世界を捻じ曲げるくらいに強大で選ばれたような者達。
特別性ーーアウトローだ。
そんな意味では眼前の彼女もまたそっち側なのかもしれないが。
「だが手は抜けなくなった。だから一つだけ言っといてやる」
「あ? なんだよ?」
視線が先輩に向けられる。
その僅かな間の後に放たれたのは。
「全力でこい。戦争したいならな」
淡々とした口調。だが歴とした挑発。
聞いたダリアス・ミレーユがこれに乗らない訳がない。
「おもしれえ」
悪魔みたいな否、正に悪魔の笑みを浮かべて彼女は視界から離脱する。
消えた。と錯覚する速さ。純粋な身体強化だけで為す術にしてはかなりの水準だ。正直アリスさん辺りの音速の移動に肉薄出来そうな程だ。まさかまだ上があるなんてどれだけ底無しなのか。
響く音を置き去りにして彼女は視力が戻らずとも正確に細身の男性へと牙を剥く。手にするのは二対の刃物ーー小剣と言っても良い鋭い得物。一瞬のうちに見えたものだからもしかしたら違うかもしれないが、間違っていなければ両方を逆手持ちにして動いていた。
対する先輩も更なる加速をして姿を揺らめかせる。まるで数人に増えたように見せる速さは彼女の動きに遅れは取らない。
武器こそ持たずともこれだけの潜在力を持ってすれば些細なことかもしれない。寧ろ彼事態が一種の武器とすら言えよう。
もはや手出しなんて出来ない衝突が瞬きする間に始まってしまう。
果たしてどんな展開を生み出すかは私には予想すら出来ない。
息を呑んで見守るのみ。
ーーその筈が。
「ッ!?」
「!」
「ーーあ」
交差する短い時間に。
いい加減そろそろ現れてもおかしくない存在達がとうとう来た。
遅かったのか速かったのかはいまいち判断し辛いタイミングではあるが。
「ダリアス。止めなさい」
「君も落ち着きたまえ。でないと無事では済まなくなるよ?」
紫電と白銀が周囲を支配する。
特別な二人の間に割って入る特別な二人。場の空気が、空間が悲鳴を上げているように感じた。これほどに嫌な空気は数えるくらいしかない。かつてない対面、いや会わせてはいけない面子達の方が適切だ。
言うまでもなく辺りは殺気で満ち溢れていた。
「どいてもらえますか? 如月少尉?」
「話を聞いてなかったの? 止めなさい。それと昔の呼び方もね」
多少の上下関係があるが間違いなく同僚である互いが敵意を剥き出しにする。逆に残りの二人はと言うと全くと言って良いくらいに波も立たない気配で見つめ合う。その冷ややかで静かな視線はまるで底を覗きあっているかのようで違う意味で気味が悪いが。
と、そんな感想を抱いている所に東洋人の女性が此方へ視線を向けて来た。
ああ、あれは怒っていそうだわ。
「確か今頃病院で静養している筈だよね?」
「いや、ね? 流石にジッとしていられない状況だから………」
「ちょっと動けばこうも騒ぎに巻き込まれているのに?」
「ぐっ………」
返す言葉もない。正直事態は悪化しているような展開のこの惨状を見れば当然だ。最初に止めるべき存在は他の誰でもなくこの私自身なのかもしれない。
「とにかく。この場は解散させてもらうよ。騒ぎを起こせば何が起きるかわからないからね」
オルヴェス・ガルムが切り出す。
そうだ。本来はこそこそ悪魔の張り巡らす策を見破り抑えて出し抜くのが目的なのだ。こんな派手に暴れてしまっては更に警戒を高められてしまうかもしれない。いや、そもそも行き当たりばったり過ぎるのが不味かったのだろう。もう少し動く前に計画して置けば良かっただろうし、せめて織宮さんかアリスさん辺りに伝えていれば私も無理することもなかった。
まあこんな状況に巻き込まれるなんて思わなかったから結果論なのだけれど。
「聞いてたかしら? 悪魔と戦いたいなら素直に指示に従いなさい」
「素直に従った結果がこれですよ如月少尉。私は指示された任から帰って来てたまたま出会して何かを良からぬことを企んでいそうな二人を見つけた。ただそれだけですが?」
「カナリア・シェリーは貴女も面識があるよね? 独断で黒みたいな扱いをしないで」
「別に黒だなんて言ってませんよ? ですが実際何かを企んでいたのは会話からも感じ取れるのですから話をするくらい良いではあまりませんか?」
「話? その膨れ上がる殺気を放ちながらよく言える」
「そんな如月少尉も人のことを言えませんよ。そもそも貴女が普通の人間みたいに会話をしてくるのが私には気持ちが悪い」
嫌な予感を禁じえない。何故ならまるで彼女の過去に仕舞った罪を引きずり出してしまうような、今の獲得した新しい彼女を否定してしまうような雰囲気がしたから。
「貴女はそんな存在ではないですよね? 数々の人を殺め、蹂躙し、憎悪を滾らせた呪われし化け物。世界そのもの憎んで崩壊させようとした黒のーー」
直後雷雲が鳴った。
或いは東洋人の女性の怒りが。
「黙れ。知った風に私を語るな」
「(アリスさん!?)」
初めて聞いた彼女の怒りの口調。どこまで行っても大人しく、冷静で、ぎこちない感情の持ち主がこの上なくーー。
「ほう? 私は怒った貴女を知りませんね。もっと人形みたいな人物だったと記憶していますが?」
「その口を閉じろ。私を語って良いのは大事な仲間だけだ。それ以外は許さない」
「許さない? 許されないのは貴女でしょう? あれだけの大事件に加担して増してやあの隠れた英雄すら一度は手に掛けた貴女が特例で死罪を免れているのがおかしいではありませんか? まあ言い出せば私も言え訳ではありませんが」
「二度は言わない。この場で関係ない話を持ち込むな」
「おや? やっぱり如月少尉も過去の遺恨を知られるのは怖いですか? それともーー」
愉快げに語る台詞が中断された。
紫電を辺りに撒き散らしながら。
「もういい。黙らないなら黙らせるだけ」
「はっ! なかったことになんて出来ないのに貴女は本当に落ちぶれた! アリスと呼ばれた英雄殺しの頃に比べたら取るに足らない!」
ぶつかり合う二人。完璧に挑発に乗ってしまっているのは明らかだが、それだけ揺さぶる話だったのは側から聞いていてもわかってしまう。
触れられて欲しくない以上に聞かれたくないと言う感じ。
言わせておけば良い訳でもないそれはもはや実力行使でしか収まらない気配だ。
ただこれでは思う壺でもある。結局止めに入って悪化してしまうなんて逆に此方が冷静さを取り戻す。
しかし問題がある。
この二人を止められるのか?




