−天才所以に⑥−
「やれやれ、何時からそんなに偉くなったのかしらね? お母さん寂しくなるわ」
「え、えっと………」
どうやら断片的か、或いは丸々言葉に出ていたようで染み染みとした風にマライヤ・エミリアは頷いていた。
流石に呑気過ぎる母に困る。聞いていたならば結構難しい内容なのに感想が成長する息子に感動するだけだ。
と、そんな中不意に彼女は口にした。
「リアン。難しく考えないでやりたいようにやりなさい」
「………やりたいように?」
「そう。ああしたらこうなるなんてそんなのなって見なければ判らないものさ。まだあんたは失敗してもそれを取り戻す時間は沢山ある」
「でも………」
「お姉ちゃんの言葉を信じなさい」
「!」
反論しようとして挟まれた言葉がやけに心を揺さぶった。自分で口にする以上に響いたその台詞はとても力強く感じる。
「あんたは優しく良い子に育っている。それはきっとお姉ちゃんのおかげでもあるのよ」
「姉さんの………」
「お姉ちゃんを1番信じて上げられるのは一緒に育ったあんただよ。寧ろあんたが信じないで誰が信じるの?」
普段は放任している癖に説得力のある事を述べる母に何も返せなかった。
彼女はきっと誇って良い自慢の母様だろう。
おかげでもう自分の指針は決まった。いや、始めから判っていた事なのかもしれない。
そうだ。僕はディアナ姉さんの弟でディアナ姉さんは僕の姉なのである。忘れてはいけない大事で大切なもの。それを聞いてアースグレイ・リアンは何を望んでいたのか?
とっくに気付いていた。
「うん………そうだね」
「ならどうするんだい?」
「戦うよ。勝ち負けなんて気にしないで全力でぶつかる。そして認めてもらうんだ。僕だって姉さんを守りたいんだって。笑っていて欲しいんだって。その為に行動で示して口で伝えるんだ」
怒ったり泣いたりばかりは辛い。だから笑わせて喜ばすんだ。火種が自身なら消すのも自身だ。あの時の事にけじめをつけて謝ってもう一度やり直す。
その為に彼女と真剣に向き合って戦う。
僕の答えだ。
真っ直ぐに庭園の碧髪の少女を見つめながら拳を固める。決意の表れとでも言えよう。
そんな姿を後ろから見守る母親は優しく頭を撫でながらこう言うのであった。
「………あんたは自慢の息子だよ」
数日後、描いていた希望の地盤は無情にも残酷に1人の人物の狂気によって粉々に砕け散ってしまった。
優しくて、憧れで、大好きな姉は死に。甘くて、誇りで、自慢の母親も一緒に後を追って。憎くて、憐れで、狂ったもう1人の母親も道連れになった。
呪術を使って牙を剥いたベルモート・セシルの魔の手からアースグレイ・ディアナが僕を庇ってそれにより暴走した彼女を止めるが為にマライヤ・エミリアが命を賭して相打ちに。
最悪な瞬間だった。鮮明に覚えているようで朧げに見えた世界。何が、何処から、どのように間違っていたのか?
ただただ僕は何も出来ずにひたすら嘆いた。
これまでの何よりも辛かった。苦しかった。悲しかった。切なかった。悲痛だった。胸を締め付けられた。抉られた。絶望した。心を折られた。ぐちゃぐちゃにされた。狂わせた。破壊された。貫かれた。嫌だった。困惑させた。混乱させた。響いた。不安定にさせた。泣かせた。挫けた。傷付けた。喚いた。吠えた。叫んだ。怒りを覚えた。呆れた。傷跡を残した。納得がいかなかった。理不尽に思った。地獄だった。許せなかった。衝撃だった。震わせた。不幸だと感じた。最低だった。喪失した。壊れた。呑まれた。怯えた。崩壊した。噎んだ。悲憤した。慷慨した。悲哀した。感傷した。悲嘆した。嗚咽が込み上げた。憂いた。虚無した。
全てを吐き出した頃にはーー。
僕は心を閉ざしていた。
ディアナ姉さんはもういない。
全てがあの日から立ち止まってしまった。
僕のせいだ。僕の力不足だ。僕の弱さだ。と罪悪感に襲われる。何も出来なかった自身がその結末を生み出してしまった。
取り戻せない。巻き戻らない。事実は変わらない。それは人生の半分を、自身の半身を失ってしまったにすら等しい。
もう2度と立ち上がりはしないだろう。
そんな沈んでいく闇の中でーー。
『抗いなさい。盤石をひっくり返しなさい。貴方にはそれが出来る力があるのだから』
唯一奥底に置いやった感情が、閉じ込めた心がそれだけ何故か聞き入れ反響していた。
血の池の中でーー。
◆
「はぁ………はぁ………」
肩で息をする。口の中は鉄の味がする。嫌な汗が止まらない。全身に痛みが走る。身体が重く鈍い。気を抜けば意識が飛びそうになる。足が、手が震える。力が入らない。
正に満身創痍手前。そんな言葉が今のカナリア・シェリーには相応しくて仕方がなかった。まさかこの異端の天才がそうなる時が来るなんて思いもしなかったのだ。
天才所以にーー。
ただそれは相手も同じだろう。
足枷のある自身だが、それでもあらん限りの持てる最大限の力を見せた結果が顕著に表れていた。
その相手ーーオルトロスと呼ばれる化物はようやく重量感満載の肉体を地に預けた。
即ち倒したのだ。
強力な業火、凍てつく氷尖、貫く雷光、包囲する地山、切り裂く風刃、炸裂する水破、呑み込む闇沼、浄化する輝剣、原理を無視した物理、波動、魔力の散弾と様々な火力を与え続けて頑丈で凶悪な敵を打ち負かしたのである。
代償はかなりのものだが。
そしてまだ倒さなければならないと言うのに。
「く………」
「あはは。人間にしてはよく頑張ったよ。でももう終わりだね」
呪縛の陣に閉じ込められ、自力で破った先に待ち受けたのは消耗した私を閉じ込めて封じる結界。更には個人が対処する域ではない化物との戦闘を終えても尚、終わりの見えないような戦力。もはやなす術がない私は宙に浮く小さな悪魔を睨むしか出来なかった。が、意に返さない相手は嘲笑うだけである。
今回ばかりは一番最悪な展開。彼女の召喚したケルベロスに襲われるリアンはおろか自身すら守れそうにない。
まだ私はマシな方だった。なす術がないで言えば彼の方がずっとなかったであろう。
ほぼ無抵抗にいたぶられ、宙を舞う碧髪の少年を助けたくとも助けられなく、自身の危機を乗り越えるだけで精一杯だ。が、彼に関してはそんな精一杯も出来ていないのは明らか。
引き裂かれ、吹き飛ばされ、引き摺られ、振り回され、転がされと玩具のような扱いを血しぶきを流しながらも淡々と繰り返された。
無惨にも。
完璧な詰みだった。
確かに魔天のエルドキアナの言う通りだろう。これだけ振り絞った結果、絶望的なのが何方かは考えるまでもない。頑張ったではなく善戦したと訂正させたいくらいだ。
もう良いじゃないか。これ以上は余計に苦痛を伴うだけの残酷な見せ物でしかない。無茶、無謀、無駄、無益だ。諦めた方が楽になれるなんて甘いかもしれなくともそれしか選ぶ道がないと言っても過言ではないだろう。それだけ疲弊し、傷付き、未来を塞がれたのだ。
だって仕方ないじゃないか。言い訳した所で救いややり直しが待っていやしないし、今更危機的状況に現れる英雄を期待する馬鹿でもないのだ。そんな浅はかな賭けが成立するならもっと早くに訪れている。
悪魔が嘲笑うのは油断や慢心からじゃない。全てが想定通りで、面白いくらいに私達が踊らされているから楽しいのだ。
切り開ける道なんて閉ざしてしまっている。
抗えはしない。覆せはしない。希望なんて持てやしない。
現状が見せ付けていた。
それでも私は諦められなかった。どれだけ薄い望みでも逆転を信じてもがく。
「り、………リアン」
「………」
血の池の真ん中でうつ伏せに倒れる碧髪の少年。返事がないから生きているのかすらも此方からは把握できないが、例え聞こえていなくとも聞こえていると信じて、彼が立ち上がると信じて私は言う。
「貴方は弱くなんかないわ。例え色々なものを失ったって罪の重荷に、罪悪感に押しつぶされても弱くなんてない」
「………」
いや、もしかしたら弱いかもしれないし、過大評価なのかもしれない。
でも知っている。
見た時から感じた内に秘める力を。
「辛いでしょう? 死にたいでしょう? でも全てから逃げ出さないで」
「………」
大切な家族を守れずに死なせてしまったのを。
「自分に………負けないで………」
「………」
それでも今日まで頑張ってきたのを。
「お願いーー生き抜いて」
きっと貴方の姉だってそう願っている。そしてそれをとっくに天才の貴方なら理解している筈だ。
救われた命を使い尽くして。
アースグレイ・リアン。
しかしーー。
「………」
返事はなかった。
「ふふ、無駄だよ。きっともう死んでしまっているのさ」
悪悪しく、悪魔的に嘲笑うエルドキアナ。
「そんな………」
「残念だったね? でも安心してよ。ちゃんと私のケルベロスが残さず喰らうから」
「ーーッ」
崩れる私。残酷な結末を自分はただただ眺めているだけしか出来ないのか? 天才魔導師は彼を救うのも守ることも叶わないのか?
悔もうが、絶望しようがもはや何も変わらない。アースグレイ・リアンは肉体も残らずに死んで、カナリア・シェリーもやがては追い掛ける。
それで全てが終わり。
本当に良いのかそれで?
自分は何でも1人で成してきたから神様頼みみたいなんて事はしなかった。いや、仮に私がこの場を逃れて生きたとしてもそれは変わらないだろう。
だけど今だけは心の底から願った。
奇跡でも偶然でも誰かでも良い。
彼をこのまま悲しみの結末でーー。
「リアンッッーー!!」
終わらせないで。
「喰らえ。ケルベロス」
命令が下された。自身の声も掻き消されるような大きな咆哮をした後に3つ首の獣は一斉に碧髪の少年に牙を立ててその大きな口の餌食にしようと駆ける。
きっと四肢は切断され、無造作に雑に肉や骨が千切られ、臓物が抉りだされ、血飛沫が舞って残されるのは精々衣類くらいだろう。最悪食べられゆく彼と目が合うかもしれないのをこの刹那数秒で想像してしまった。だが、間違いなくそうなる。
やはり願っても何も起こらないのだ。
どうにもならない残酷の未来から私は耐え切れずに目を閉じて背けた。
ごめんなさい。リアン。
身勝手に心中で謝罪をした。
「ーー声に出てるよ」
「ッッ!?」
いつの間にか、気付けば、よく判らない内に予想外な言葉が聞こえてきた。
まさか、嘘、奇跡が等と驚きの他感情や色々なものが頭に浮かぶよりも速くカナリア・シェリーは閉じた目を再び開いた。




