−天才所以に⑤−
情けなのかもしれない。健康で才能あって有望視されているのを自覚させるように責められていると感じての余裕からなのかもしれない。
それでも良いと思う。こうして我慢してディアナ姉さんが悲しまなければーー。
「全部………全部………」
僕はーー。
やがて意識が遠退いてしまう。
その時だった。
「な………何をしている………の?」
無理矢理に飛び掛けていた意識が引き摺り戻される自身。
唖然とするベルモート・セシル。
はっ、と視線が向かった先。
そこには戸惑いと困惑に包まれたさせてはならない悲しみの表情をする。
「リ、リアン………お母様………」
這い蹲りながら小さく開いたドアにしがみ付くアースグレイ・ディアナが居た。
しまったなんてものではない。立ち上がるのもままならない身体に加えて眠っていたからとは言え迂闊だった。
我が母親の悲痛そうな声に穏やかではなさそうな気配を感じれば無理を押してでも動くしかないだろう。
その結果、見てはならないものを見てしまうとしてもーー。
「………ディアナ」
「………どういう事?」
最初は弱々しくすら思えた次の瞬間には震えた声色が聞こえ、言葉は別人のような刺々しくキツいものに思う。相手は自身の母親であり、弟の自身の前ですら見せない静かな覇気を当てられた気がした。
怒っているのか?
あの彼女が? あの優しい姉が?
信じられなかった。知っていることと全く異なるような事態に怖さすら覚えたものだ。
もしかしたら見てはいけなかったのは僕の方だったかもしれない。
「いや、その話はまた後でじっくり聞かせてもらいましょう。お父様を交えて………」
「ま、待ってディアナ………これは………」
「結構です。今は何も聞きたくはありません」
「ーーッ」
冷淡な口調で一蹴する。何とか説得を試みようとしてもそれを耳に入れたくない彼女は病弱な肉体に無理をさせて廊下を歩いて場を離れていく。
明確な拒絶。以前から良くない目で見てはいたのは知っているが、今回のでより険悪が募ったのだろう。
最悪な展開に実の母も何も出来ずに立ち尽くすしかない。
アースグレイ・ディアナは確かに弱々しく儚い。しかしあくまで外面的な部分だけであり、その内面は非常に大人らしく、知性的で、頑固なのだ。だからこそ才能に疎くとも高く評価されているのである。それはベルモート・セシルも十分に把握をしていた。
更にどうしてあんなに娘の前で弱いのかと言えば彼女の才能もまた良い出来ではないからだ。貴族だからって誰しもが恵まれた力を持っている訳ではないし、血筋や名声が自己を疎かにした結果によるものも無くもない。
所謂親の七光り。そのツケが巡り巡って現在に至ってしまったのだ。
故に才能が無いのは娘だけの所為と責められはしないし、そんな足枷を父であるアースグレイ・クリフの血が補っている。いやこの場合はベルモート家が足を引っ張ってすらいた。
これにより残酷にも母親と娘の立場が逆転してしまった。
それでも優しいディアナ姉さんは責任を押し付けたりも重圧に押し潰されたりもしない。
だけどこうなってしまってはどうしようもない。
「ーーッ。姉さんッ!!」
僕は追い掛ける。
怖かったよ。辛かったよ。苦しかったよなんて言葉が最初に浮かんで来ても良いのに何故か全く違った。逆にそれの方が多分良かったのであろう。若しくは何かしらの気持ちを持てさえしていれば結末は変わっていたかもしれない。
何も、何も浮かんで来なかった。
様々な思いが葛藤し、せめぎ合った末に答えは出なかったのだ。あるのは姉さんにとって都合が良くない未来の映像。ここで彼女が移した行動の先は損な方向にしかならない事実である事しか考えられず、それで良いのかの問題だった。だってこのまま黙認していれば周りの誰もが思惑を叶えられる筈なのに。
僕の場合は破綻しているかもしれないが。
「ま、待って………姉さん」
歩くような速さの碧髪の少女に追い付くだけで相当な体力を使ったような疲労感に襲われながらも腕を掴み何とか歩を止めさせた。
沈黙する二人は互いに見つめ合う。どう切り出したら良いのか判らない自分と、何を考えているのか判らない彼女。
あの場面を見て姉が決意したのは果たして何なのか?
僕には知る権利がある。そして必要あらば止める事も吝かではない。
それが彼女の未来を不利にさせる結果ならばーー。
「姉さん………今のは………」
「………ずっと………」
「え?」
「ずっと………耐えていたわよね?」
「ーーッ!?」
誤魔化せはしない。一時の感情的な現場で押し通せはしないだろうかと考えていたのもあっさりと看破されてしまい言葉が出ずにいたのを肯定と悟られた。
この人は僅かな光景からどれだけ見透かすのだ?
「全てを見なくとも判るわ。断片的でも今までの違和感から繋がって見える答えだってあるもの………」
「姉さん………」
見つめられる視線は強く厳しかった。そんな瞳で射抜かれた僕はなす術もなく背ける選択肢しか与えられなかった。
「貴方は、我慢していれば良いと………それで済めば良いとくらいにしか思っていない。私が知らない場所で解決すれば穏便に済んで解決すると………そうすれば………私が笑うだけの世界を過ごしていけると………」
「ね、姉さん………」
「馬鹿にしないでッ!!!」
聞き慣れたような乾いた音が響いた。倒れる程の勢いはないが、力の限りの精一杯な気持ちを込めたのだけはつたわる。ふらふらになりながらも口を結び、震える表情でーー。
それがどうしようもなく僕には痛くて苦しかった。
「弟である貴方にそんな情けを受けて甘えて生きていくほど私は弱く生きたいたつもりはないわッ!!!!」
屈辱なんて言葉が当てはまる台詞だ。とても彼女の口からは吐き出されないような誇り、或いは矜恃を傷付けられて激怒したもの。目尻に涙を溜めながらも凄まじい形振り構わない形相に返す言葉もない。ただ単純に信じられない状況に身を置いてしまって頭の中が真っ白な空白になるだけであった。
そんな中で薄々と見えて来る未来だけは僅かながら想像は出来てきた。
今の姉の態度、物言い、雰囲気。全てを向けて来るそれは明らかにこれまでの自身に対する優しいながら意地悪なものではない。
手の平を返したような敵意。埋められない溝かまたは隔たりの壁が互いに間に作られた。
そう。この瞬間からーー。
「ね、姉さん………」
「もう私を気安く姉なんて呼ばないでリアン………いえ、マライヤ・リアン」
「ーーッ!!」
「所詮は本家と分家の取り合いの為に生まれて来た私達は相入れない立場の敵なのよ」
恐らく一番感情が揺さぶられた。心の奥底から言いようのない様々な気持ちが喉辺りで震えて言葉にならない。酷く不安定になり、頭の中だけでなく視界まで真っ白になってしまいそうになる。
いやだ。止めてくれ。それ以上はーー。
だが、ディアナ姉さんは非情に徹して告げるのだ。
「家族ごっこ。姉弟ごっこは終わりにしましょう」
「………姉さん………」
「判らない子ね。まあ貴方がそうしたいなら勝手にすれば良いわ」
掴んでいた腕を振り解かれ、歩く。まるで決別の時みたいに。
もう追い掛ける事は出来なかった。
「惨めな思いをしたくなければ私を超えてみなさい。そうすれば考え直してあげる」
そして姉と弟の関係が崩れ落ちた。
僕の心の感情が爆発して廊下にぶち撒けられる。情け無く哀れに。最早既に惨めですらあるのを露見するかの如く、ひたすらアースグレイ・リアンは泣き喚くしか他に出来る事はなかった。
季節は冬から春に、春から夏に、夏から秋に、秋から冬に、やがて再び春を迎えた。随分と穏やかな季節の流れではあったが、自身ーーいや、僕以外も取り巻くアースグレイ家の空気は穏やかでも生易しくもなかった。
あれから大人達の間でどんな取り決めが下されたのかは知る由もないが、ベルモート家とマライヤ家は互いに隔離するように離された。干渉を極力禁じた状態は果たして家族であると言えるのかと思わせるのがこの一年の流れだ。
姉とも完璧に距離が空き、冬場の唯一の使命でもあった看病も無くなってしまった。否、身体の不調が回復の兆しを見せてする必要性もなかったのが正しい見解だ。もっともそうでなくとも今更どんな顔であの部屋に入れば良いのかも困る訳だが。
一年の月日は大きな変化を生んだ。碧髪の少女の調子が良くなった事により前より一層と勉学や教養に励み、以外にも魔法や武道の嗜みも獲得していた。その姿は本家当主の頭角を現し始めたとすら思えて周囲の人々の好感も得る。
若干気になると言えば体調面の都合で本来去年の春には魔法学院に入る予定だったのを見送り、今年の春。あとひと月後に入学する事になった件くらいだ。それも彼女の現状の才覚を見れば何ら問題なく、学年も年齢に合わせた編入なので負債よりかは恩恵の方が大きいかもしれない。
後は入学が僕と同時期になった事くらいだ。
と、肝心な自身はと言えばあの衝撃から立ち直ったのかいないのかすら判らない。着々と普通に成長しているだけだ。逆に姉との関わりが無くなった為に追い掛ける存在が遠退いて伸び代を失った感がある。
僕は元は平民だ。彼女のように大人相手でも霞みもしない悠然な振る舞いで相対なんて無理で貴族としての潜在能力は低い。
残っているのは他者を突き放す恵まれ過ぎた魔法の才能だけである。そこに関しては此方も頭角を現したとの言い回しが適切だった。
現時点で本家か分家の采配を決めるのは早計かもしれないが、周囲の見立てとしては秀才のアースグレイ・ディアナか天才のアースグレイ・リアンかで物議をかもしている。
ただやはりこのご時世は魔法による恩恵が強いので互いに一歩も引かない立場であるのだけど、引っ掛かるのが以前の僕をベルモート・セシルが虐待していた件だ。あれはどんな裁定を為されたのかは不明。しかし今の穏やかじゃない対立の切っ掛けはそれであり、どんな話を経たのかによっては結局有利不利の差は大分変わる。
とまあ難しい内容から目を背けていた自身ではあるが、やがてそれも避けられない時期が訪れる。
父であるアースグレイ・クリフより前から行なわれている通過儀礼。
簡略すると僕と姉が模擬試合をするのだ。
それが必ずしも本家と分家を決めるものではないが、将来の行く末の第一歩を担うくらいには重要な催しである。お遊びではないのは勿論だが、険悪になっている両家からしたらかなり殺伐な戦いだ。
単純に負ければ主導権が握られる程の勢いになってしまっている出来事が数日後には開催されてしまうのである。
幼いながらにしてそんな事情を考慮するのは中々に憂鬱だ。
「………」
僕は屋敷の窓から庭園を覗く。見える先にはディアナ姉さんの姿。彼女は遅れを取り戻すかの如く鍛錬に励んでいた。
それを見る自身はもう少ししたら眼前で対峙しないといけなくなるなんて考えたら確かに憂鬱だと改めて自覚する。
一年振りの絡みがピリピリした場での試合だ。何方もが蹴落とそうとするいがみ合いなんて望んではいない。が、そんな思惑なんて向こうには関係はないだろう。
姉さんは本気で牙を剥いてくる。見限った弟相手に躊躇はしない。負ければ一年前に言われた”惨めな思い”をする。完璧に上下関係が決まってその先がどうなるかは予測も出来ないが、良好な関係にはならないのは確実だ。
ただ逆に僕が勝って良くなるかも判らない。
こればかりは姉弟のみならず、互いの家系にすら影響するものだからややこしいのだ。
背負うものが大き過ぎた。同時に失ってしまうものも。
「何お通夜に行くような顔をしているの? リアン?」
「………母様」
いつの間にか隣で一緒になって庭園を眺めながら声を掛けて来たのは僕の生みの親であるマライヤ・エミリア。物凄く柔和でお人好しな性格の彼女はこんな不穏な雰囲気に包まれた屋敷でも相変わらずの母親であった。
元々が平民出もあるからか、あまり欲深くなくて特に何の注文もしないおかげで気楽に過ごせてはいた。
多分それに甘えていたから僕は不真面目になってしまったのかもしれない。
そんな放任主義である甘い母。
でもこうやって自身が思い詰めている時には必ず声を掛けてくれていた。
「嫌かい? お姉ちゃんと戦うのは?」
「判らない」
「何で?」
「戦っても良い事がないから」
「良い事?」
「僕が負ければ多分居場所が無くなるような惨めな思いをしてしまう。けど勝っても今度は姉さんがそうなるだけ。もしこれで恨みっこなしな後腐れのない関係ならまた話は違ったかもしれないと思う」
「遺恨が残ると?」
「うん」
「なら嫌で良いんじゃないの?」
「………」
あまり言いたくない話だけど姉さんはグングンと成長している。何れは全然駄目な魔法の才能も勤勉な彼女なら努力で補って九大貴族に恥じない高みを目指せさえする。既に能力的には並の魔導師の同年代に目劣りしないくらいだ。一年前まで冬は部屋からも中々出られなかったとは思えない豹変ぶりだ。
全てが生半可な頑張りではない。加えて他にも時間を費やしながらの結果だ。
素直に凄いし、溝が出来た今でも憧れる所業だと思う。
しかしーー。
どれだけの苦労を、頑張りを、執念を、重荷を背負っていてもそれは報われない。
恐らくは僕にはーー勝てない。
姉さんが獲得した技能を自身はとっくの昔に通過している。決して埋まらない差がもう完成しているのだ。初めが違った時点で魔法に関しての有利がある分この催しの結果は決していた。どう足掻いても彼女が魔法で僕を超えられはしない。だから数日後にある試合で負けるなんて事は有り得ない。
断言出来る。もし負けるとすればそれは僕が手を抜いたからに他ない。
それ故に判らないのだ。
手を抜いて負ければ姉さんを傷付けるだけである。この一年の努力をまた情けに助けられたとなれば周りが良くても本人は納得しやしない。
またあんな台詞を言わせる訳にはいかない。言われたくない。
しかし自身が勝てばそれはそれで努力が無駄であった結果に終わり、やはり情けを掛ける存在であったのだと思わせて結局はどっちにしても彼女を傷付ける可能性がある。
そんな戦いに救いはない。
どうすれば良いのだろうか?
ふと脳裏に浮かぶのは姉さんが考え直してくれると言っていたあの日の記憶。あれがこの時を指していたのならば普通に思考すれば迷う必要はない。
それでも悩むのだ。ディアナ姉さんを蹴落としてまで取り戻す関係が望んでいた未来なのだろうか?
まあ、全てが模擬試合で決まる訳ではないと父からも十分に聞かされはしたが、僕からしたら一世一代の分岐点にしか考えられない。
こんなのまだ人生の半分も生きていない自身に正解が判る筈もないのは仕方ない話だ。




