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◇旋律と蒼天のブライニクル◇  作者: 天弥 迅
収束へ向けて
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儚き創造物


一先ずは例の人物と接触をして交渉は成立した。まあある程度予想した流れ通りな具合だが、やはりこれまでとは全く違う展開が着実に進行しているのだけは確かであろう。現にノーマライズ・フィアナと接触をする未来は無くなったのだ。あれだけしつこくどんな場面でも先回りされ、散々未来を潰して来た菖蒲の少女の立ちはだかった存在から解放されるのは何か不思議な感覚だ。気を抜けば直様現れそうで不安な気持ちに襲われるが、あくまで時間を稼いでいるには過ぎないのである。その間に私は打てる布石を全て打って彼女に挑む準備をしなくてはならない。


最終的には私は必ずフィアナと雌雄を決する事になるのだから。


避けられない未来ーーそう考え、会場側を眺めながら皆の無事を信じて私は駆け足気味にまた彼方の目的地へと急ぐ。


本来の目的からどんどん遠ざかっているのは明らかではあるが、実際急がば回れが必要な状況は多いのに加えて"将を射んと欲すれば先ず馬を射よ"だ。しっかりと戦略的に動かなければ他の場所から一気に崩される訳で、しかも犠牲が間違いなく出てしまうのだ。それを先ず回避しなければ意味がない。


問題はこれから向かった先で相手をするのは果たして馬なんて比喩で形容して良いものかな域の相手ではある。


間違いなく強敵には違いないのだから。


そうして直進しながらセントラルの南側まであと少し。


その進行先でーー。


「ーー!」


えらく崩れた道があった。まるで何処からか吹き飛ばされて衝突した景色を連想する状況で確実に戦闘があったであろう爪痕が残されていた。寧ろ景観が意地されて来たこれまでがな不思議なくらいだ。


いや、最終的に向こうの目的が達成されれば全てが更地に変わると考えれば結果は同じか。


ともあれ場所が場所なだけにこれだけ派手なものならばきっとこの有様は彼等の起因によるものだろう。


或いは相手のーー。


「ーーアリスさん!?」


そこへ視界に収まった瓦礫の山中から東洋人の女性が力尽きた姿で倒れて埋もれていた。


驚きはあったが誰かがそんな事態になるのは予想出来たし、彼女には噛み合わない手合いなのは十分に把握していた。今一歩出鼻を挫かれた感があるがここは冷静に対応する。幸い致命的な怪我がある様子はない。まあこれまでを見ても割とアリスさんは簡単にくたばるような人ではない未来しか知らない私は心配が薄れてここは荒く介抱していく。


気付いた時にはやはり精神的に擦り減っているのだろうなと思いながらもここでめげていては意味がない。どうせ急ぎで起こす事には変わりない。


数回揺らしたところで小さな呻き声を吐き出しながらゆっくりと目を開いた。


覚醒したが早く、立ち上がって周囲を見渡しながら状況を把握して警戒を僅かに下げる一連の動作までが僅か一秒弱だ。どんな訓練をしたらそんな風になるのか関心よりも呆れが強いが今は事情を伺う余裕はない。


戦いはとっくに始まっているのだ。


「一先ず貴女が吹き飛ばされた方向に戻るわよ。急がないと皆やられてしまうわ」


「ーーあいつはただの魔導師じゃなかった。どう対象すれば………」


「心配しなくても打開策はあるわ」


向かいながら横目にやり取りをする。流石にあっさりと意識を飛ばされて戦線離脱していた彼女は沈んだ表情で頭を悩ませていたが、案外東洋人の女性が考えている程に事態は深刻ではない。


いや、深刻には違いないのだけれど。


「何で分かるの? 貴女はさっきまで別の場所にーー」


「その話は割愛させてもらうわ。だけどどんな敵を相手にしているのかは把握しているわ」


未来で散々苦しめられたのだ。どれだけの回数あの化け物と死闘を繰り広げたか。一番私が経験している以上しっかりとそのカラクリは解けている。


正確にはそう言う仕組みである推測だが。


試す価値はある。試すしかない。


「向こうの攻撃はもらうのに此方の攻撃はまるですり抜けるように当たらない」


状況を詳しく説明すると彼女はその紅の双眸を見開いて驚きを見せる。


「ーーそうよ」


「かと言って幻惑の、織宮さんのような類の魔法でもない」


「ええ………」


普通ならお手上げだろう。何せそこに実在している筈なのに法則が無視されているのだ。相手は幽霊みたいな現象よりも質が悪い。早い話既存の常識から逸脱した現象を相手にするのは誰でもお手上げなのだ。理解不能なものを柔軟に受け止めて対策するには状況も時間も彼女達には足りない。


とにかく仕組みやら原理やらはさておき、そんな私達が戦える土俵に向こうが入って来ないのだからどうにかして此方の土俵に引き摺り下ろすしかないのである。


じゃあそれをどうやって実行するかだがーー。


「ーー見えたわねッ」


「ッ!」


駆ける先は想定よりも悪化した惨状だ。


織宮さんとアルケ・フェイルさんが迂闊に動けずに居て対峙する相手と一番近い距離、寧ろ密着するくらいのルナさんが首元を掴まれて持ち上げられている姿。


それをする諸悪の根源。硝子のような女性ーーイリスが無の感情のままに場を支配していた。


圧倒的な差。これだけの英傑達が成す術ない状況に追い込まれるなんて並大抵の実力ではいかない。


しかしそれは仕方ないだろう。彼女には一切の攻撃が通用しないのだから実力がどうこうじゃなく、単純に反則的な存在なだけだ。彼女に対抗する為には普通の戦い方は全くの無意味に等しい。素手の試合で相手は魔法も使っているくらい理不尽なもの。


勝つ為には対処法が必要なのだ。


対処法であり、対策が。


隣を並走するアリスさんを尻目に私は加速する。


「ーー蛍星」


これは何の変哲も無い閃光の魔法。所謂目眩しだ。攻撃的なものじゃないが、奇襲する際の戦術に組み込む魔法としては単純に効果的である。実際にユリス先輩もダリアス・ミレーユと戦闘時に有効活用していた。残念ながら目眩し程度で怯む相手ではなかったが今回に限ってはその不安要素はないし、一瞬でも隙を作って朱髪の女性を助け出せればそれで十分なのだ。


ただ告知する余裕がないせいで周囲の皆も巻き添えにするのが痛手だが。


「大丈夫かしら? 先輩?」


「は? けほっ、今の貴女!? な、なんて魔法いきなり使うのよッ!? 何も見えないじゃない!!」


「うぉぉおおおおッ!!? 目、めがぁぁぁぁぁ!?」


折角危機を脱したのに盛大な不況を買ってしまった。おかげで私は助けたのに文句を付けてくるルナさんの怒声と既に予想出来た反応をする織宮さんの驚愕の声量に耳が潰れそうになる。と言うかどさくさに被害を被る彼に関しては知る由もないが。


何で他の二人は冷静なのに貴方達二人は落ち着きがないのかしらね。


「私はこの眼の特性が目眩しを跳ね返しているから大丈夫だけどーー」


「………つまり大抵の相手には効果的な訳か」


片方は初めて聞く謎の反則だったのはさておき、もう一人の英雄であり聖騎士であるフェイルさんは視力を失っても尚、冷静な思考をしていた。多分彼は目眩しでも怯まない系統の人種だわ。


しかし、答えは説明するまでもなく出された。


「ええ、彼女ーーイリスだって目視して私達を見ているのだからこの戦法が効かないなんて事はないのよ」


条件が同じ部分さえ把握していれば効果的に働くのである。


ただし二度も三度も通じれば苦労はしないのだけれどーー。


ただ彼女の目眩しに対する反応は薄いが、僅かに怯んだ。まあ何回か試して成功した未来があるから狙えた初見殺しの戦法。


とにかくこれで戦況を仕切り直す事には成功する。向こうも視力が回復するまでは下手に動かないのも実証済みなのだから。


「てかシェリーちゃん何でここに!?」


「先輩達が頼りないからよーーってのは冗談で貴方達が相手する敵が手に負えないだろうから助けに来た訳よ」


「なあ、言い方違うだけで言ってる事に然程差があるのかそれ?」


減らず口が叩けるくらいには余裕が出て来た彼を確認してから一先ず私は立ちはだかる障害に向かって挨拶がてらの魔法をお見舞いするところからこの戦いは改めて始まり直す。


随分と苦しめられた相手であり、敵であり、細かく言えば同胞ですらある避けては通れない存在。


もっと違った形で出会いたかったかもしれないが超えていくしかない戦うべき者。


私より後に産まれてきて私より早く最後を迎えさせる大きな括りでは兄弟とさえ呼べる間柄の同じ人工生命体。


静かに息を吸い込み、正面から宣言するはーー。


「貴女を終わらせに来たわよ」


倒すべき因縁の相手。


「ーー勝負よイリス」



私は人によって産み出され、人を滅ぼす為に戦う存在。それでしか存在価値を見出せない兵器です。そして私が従い、尽くすべき者は私より後に誕生したシエルーーまたの名をノーマライズ・フィアナ。


彼女の命が私の使命であります。故にそれ以外の事に、個人的な思惑で動く事はないものだと思っていました。


が、どうやら私は人間に近付けるのを目標とした生命体です。人間のように自己に従って予想外な行動を取る可能性を考慮されています。


例えば自身より前に生み出されたオートマトンーーレギオン。実質のところ、私の兄様となる存在に関する話。残念ながら私が誕生した時にはその存在はこの世界から離れてしまった為に対面する事がなかった。どうしてもそれが人間が口にする"心残り"と言うものなのでしょう。


果たして私は兄様より優秀なのか? 兄様が造られた意味はあったのか?


それを確かめるのが唯一私が寄り道をしてしまう我儘です。


こればかりは使命に逆らっても後悔も何もありません。きっとそんな要素が私を創る上での人間らしさを帯びた部分なのかもしれません。


だからこそあの朱髪の人間ーーボルファ・ルナの話に興味を唆られました。


まさかこんなところに兄様を撃破したラステル・クロードと繋がりがある者が居るとは予想もしないのですから。それとも聞かされていないだけでまるで偶然を装わせるように彼女が仕組んだのか?


何せノーマライズ・フィアナは私に多くを語るようなお方ではありません。なのに私がそう考えるのを予想しているのですから。


ならば今回もつまりは手の平で踊らされているのでしょう。


が、もしそうじゃ無ければまたとのない絶好の機会を淡々と消化したりするにはいきません。是非とも初めて抱くこの気持ちに素直になって確かめようではありませんか。


意気込みはした。しかし、やはり当人でなければ得られるものも少ないのは自明の理でした。


真実には程遠いーーいや、百聞は一見にしかずが適切でしょう。この目で見なければ腑に落ちたり納得したり受け入れたり出来ないものがある。まあ、彼女もまた当事者かと言われればそうではない間接的なもの。他所から聞く噂話に尾鰭が付くくらいにしか思えないのが素直な感想でした。


となれば私ーーイリスは使命を果たす任に戻るのみ。


これ以上私の中にある"心"と言うものを揺さぶる事はないでしょう。


そう思っていたのですがーー。


「ーー勝負よイリス」


突如の閃光に襲われ、視力が回復する暇もない内に鼓膜を刺激する少女の凛とした力強い声。


何故か、何故かその言葉は私をこれ以上にない動揺に襲う。


やがて回復していく視力。視界がぼんやりとだが周囲を映し出していく中、私に宣戦布告を切り出したであろう少女の気配が正面にあるのを理解出来た。


分かっています。貴女が誰であり、私にとってどのような存在かを。


だから私はこの世に生まれ落ちて初めて不敵な笑みを浮かべる。


その力強い瞳。煌びやかな金糸雀色をした髪。まるで戦う前からどちらが上か明確になってしまいそうなくらいに強大な気配。


ああ、巡り合わせとはあるものなのですね。


私は彼女に感謝します。


こうしてーー。


「はい。私か貴女か………どちらが上か決めましょう」


より優れた存在を証明出来るのですから。



さて、そんな具合に誘いに乗るのはもう予想済みなのよね。散々目の敵にされたような未来を視たのを朧気ながらも私は覚えている。


死闘だった。


彼女の特異性を理解するのも一苦労であり、それを知った上での対策を見つけだすのにも莫大な失敗の上にあるのだ。もはや数ぞえるのすら嫌になるくらいに短い未来予知の狭く細い分岐道でようやく発覚したイリスの能力。初見で戦うとなれば百回やっても必ず負けるだろう。同じくあの菖蒲の少女にも適応される話ではあるが、未知の種類が違い過ぎる。つまり情報無くては攻略が困難極まる相手なのだ。大体はそれに当て嵌まるものだけれどそもそも普通の敵じゃない。だからこの場にいる英雄達が束になって掛かろうが、こんな惨状になるのは必然だ。


他の誰でもない彼女を知っている私が戦わなければならない運命的なーー宿命的な敵。


そんな意気込みを覚えるくらいには繰り返し戦い合った。意気込みよりかは使命感なのかもしれないが。


しかしそれもこれっきりだ。


一度ならず、何度も超えた相手に遅れを取りはしない。


貴女はーーイリスは強い。だけどそれは絶対的な強さにはならない。


私がそれを教えて上げるわ。


白黒付けましょう。


と、ここで硝子の女性は首を傾げて口を開く。


「しかし不思議です。私は貴女を初めて拝見するのに貴女はまるで私を長い時間通じ合っていたように思えます。もしかして以前に出会しましたか?」


その疑問についての言及は意外にも直近の話であった。


「深く語る気はないわ。だけど貴女こそ覚えていないのね? 私にぶつかって謝罪の一つもなかったのは忘れてないわよ?」


忘れもしないわ。あの雨が降る真夜中に何事もなかったかのように知らんぷりをして去って行った事をね。問題はその後の出来事で全部頭の片隅に追いやられたのだが、まあ私もそれに気付くのに随分と未来を視てはきたがおかげでその後散々な目にあったから頭から離れはしない。たまたまな巡り合わせがまさかここまでの事態になるのも何かの縁なのだろうかはまでは定かではないが。


ともかく面識がない事はない。


ただ彼女の知りたい真実に真面目に付き合うつもりはなく、これまでの伏線とやらを回収する意味で事実通りに答えるだけだ。


「ーーあの時の」


「思い出したかしら? なら分かるわよね? 貴女は私と物理的に接触していた事を」


「ーー!」


「攻撃はカラクリさえ紐解けば問題ない。そして貴女の種は既に割れている」


確かその秘密を暴いたのも私と彼女がすれ違い様に身体をぶつけた事を思い出したからだ。どのみち対応策はあると考えていたからその邂逅が無くともどの道答えには辿り着けただろう。


その代わり未来を覗いた回数が桁ひとつ増えていたかもしれないが。


ここで東洋人は懸念する疑問を口にする。ある意味当然の事だ。未だ私だけしか現状をしっかりと認識してるだけで他は蚊帳の外なのだから。


「問題はそれが俺達でどうにか出来るものなのか?」


同意、と言うよりかは共感する東横人の女性。


「ええ、貴女簡単に言ってはいるけど一応貴女の主観て私達に適応されないのよ?」


「織宮さんとアリスさんの時間が経つに連れて私への扱いが辛辣過ぎるわね」


私の主観がアテにされないって地味に傷付くわ。お願いだから遠回し風に邪険にしないで。共闘する前から解散の危機になっているわ。


ともかくこれが私が立ち回る最善手。打破すべき相手である中でも唯一私が居なければ勝ちを拾えない難敵であるのだ。


そこへーー。


「面白いです。では試して見て下さい」


言い残すようにして彼女は自身の能力は絶対的なものだと自負しながら動き出した。


その硝子のような銀髪の髪を靡かせながら接近して私へと襲撃する。あくまで守りや様子を見る気はなく、攻めに転じて来る。


圧が凄い。散々他の場面で何度も感じはしたが、今回は特に強大な気がする。


これまでに視た未来とは異なる状況。少し困惑はあるが好戦的になってくれるのは此方も望むところだ。


貴女の絶対は私の絶対には敵わない。


って絶対は私より相応しい人が居たわ。


「ーー!」


何の捻りもなく伸ばしてくる右腕。だが本来は一方的な蹂躙をする筈のものである。彼女の能力を攻略しない限りは防げない反則な力。


速くもなく遅くもないが、それが死へ直結するかもしれない事を意識すると少しばかり焦燥感に襲われる。嫌な冷や汗が頬を伝うのを感じながらーー。


バシッと。


その手を払い除けた。


「ーー嘘だろ!?」


驚きの声を上げる東洋人の青年。集中力が高まっているからか、彼以外の驚きの反応さえも情報として入ってくる。


当然眼前の彼女の僅かに変化を見せる表情も。


分かるわ。貴女の"何故?"、"どうして?"と言った理解が追い付かない気持ちが表情に出ずとも全面に現れている。ただしよく底を覗き込まないと分からないような小さな水面の揺れだ。そんな普通なら気付かない動揺をいち早く気付けたのはきっと私が何度もイリスと戦っているからだろう。


そして彼女以上に底知れない人物とぶつかり合って看過され過ぎたかもしれない。その心底不気味な観察眼さえ私は技術として吸収していた。


今はあまり考えている場合じゃないか。


私は払った返し刀に後ろ回し蹴りを放って硝子の女性を突き放す。比喩通りに砕けてくれれば良いのだが、生憎それは叶わない。


何故ならば相手はこの攻撃で負傷するような痛手は一才負わないのを私は知っている。だから攻撃を防げた程度で全く向こうに勝ち目がない訳ではないのだ。


「結局どう言う原理なのよ!?」


朱髪の女性が横に並びながら真実を尋ねてくる。


「相変わらず出鱈目な人」


更に逆側にはアリスさんも立ち、女性陣による陣形が出来上がる。彼女もまた名誉挽回するべく敵のからくりを知りたいのだろう。


まあ向こうが聞いたところでどうにか対策をしてくる訳でもないので手短に説明をする。


「簡単に言えばイリスはこの空間とは違う別の空間に実在してこの場には見えているだけで実際にはここに居ないのよ」


その本質的に一線を凌駕した能力をーー。


「ーーは? 居ないって………じゃあどうやって私達に干渉を?」


「幻でもなく幽霊でもない全く別の現象………」


俄かに信じられないと態度が物語っていたが無理もないだろう。簡単に結論だけを言ってしまえばそうなるのは仕方ないのだ。


ただしルナさんの疑問にはしっかり解答するべきである。


「そこも分かりやすく言うなら魔力だけを別空間から此方に放出して実体化。それを操って私達に攻撃している訳よ」


だからここに居る彼女が本体ではないと言うのは何となく皆にも分かってもらえただろう。有り得る有り得ないの常識的な話をし出すと一悶着議論はありそうだが。


「だから私達の攻撃は通用せず、向こうが一方的に攻撃が可能になるカラクリと?」


「ええ、成功巧みに実体が投影されてはいるけど私の眼が映し出す場所には魔力の気配しか存在しないわ」


ある意味幻影とも言えれば認識阻害とも言える。ただその実態が分かれば先程のように攻撃を防ぐ方法もある。


私がしたのは魔力の反発をしただけだ。これに関してはへカテリーナ・フローリアとの戦いで対策出来た魔力干渉の応用編と言っても良い。つまり実体が無くとも無力化する方法は相手の魔力を受け付けない事だ。まあ障壁を展開するだけでも問題はないのだけれど。


普通は魔法から身を守る為の用途だから近接攻撃に対して障壁を使うなんてしないから気付けない盲点よね。しかも彼等みたいな実力ある天才達は基本的な防御体勢で挑みはしない。地力で捩じ伏せようとする強者達だ。攻め以外の選択肢で探りはしないから余計に解に辿り着くのは難しいだろう。


「見事です。まさかこんなにも早く見破られるとは思いませんでした」


弾かれた手を眺めながらイリスは平坦な口調で素直な感想を述べる。そこには先程までの動揺はなかった。まあこれで向こうが不利になるかと言われればそうはいかないのだから仕方ないだろう。


まだ一方的に攻められる状況が続く限りは彼女に敗北の二文字はないのである。


そうして時間を稼がれれば相手の思う壺。


そんな思考を読まれているのか、向こうは私の予想を超えた妖艶な笑みを浮かべる。


誰かを想起させる不気味さだった。


「ーーッ」


何かが違った。


これまでの未来のどれとも重ならない彼女の姿。私が知る存在はもっと気薄な感情しか見せなかったように感じる。


どれだけ形勢が変わろうとこんなに楽しむような仕草はした覚えがない。


寧ろこんな事をするのはーー。


「私が誰かに重なりましたか?」


「ーーッ、一々勘に触るわね」


誰かなんて分かり切っている。しかしイリスが誰かに重なっていようがその誰かではない。ただ何度か私が視た未来の中でこんな不愉快な気分にさせた記憶は何回か存在した。


これは恐らくあの子が仕掛けた未来予知に対する先手だ。彼女は私が先読みするのを大前提に計画を組み込み、カナリア・シェリーの動きを制限させる為に仕込む手口。きっと複数の未来分岐を収束させるべく予め通達している作戦だろう。どこまで行っても付き纏う怨霊のようだ。


彼女に必要なのは時間だ。時間さえ稼げれば全ての状況が向こうには好転するのである。そしてそれを一番実現出来るのが菖蒲の少女。私と言う最終兵器を止める為に彼女自ら立ちはだかるのが目的だが、万が一上手くいかない状況ーー私が彼女を避けて行動した場合に何を仕掛けたら私が動きづらくなるかや、どう動かれたら不味いかをさながらチェスの駒のように考えて予想して潰してこようとする。


この場合は嫌がらせの方が適切だろう。私の中から消えない彼女の姿をイリスから連想させて隙を作らせるか、或いは手をこまねかせるようにする。


思わずしてやられたが既視感があるだけだ。


寧ろこれまでにこの展開がなかった事が一番の驚きであろう。


やはり歯車が噛み合ったのか、全ての未来が全く予想出来ない流れに向かっている。


硝子の女性の反応もその一貫なのだろうか?


それとも貴女はまた私を嘲笑いながら下すつもりなのかしらーーフィアナ?


そうはいかないわ。


「カナリア・シェリー。敵の攻撃の対処法は理解したが………」


不意に話し掛けて来るのはあまり私も会話をした記憶がない存在。聖騎士と呼ばれるアルケ・フェイルであった。その呼び掛けもあって気を引き締め直せた。


これまたこれまでには有り得なかった状況だ。何がきっかけなのか不明だが今は深く考えるだけ野暮だろう。


私は応対する。


「シェリーで良いわフェイルさん。確かに危機は脱せはするけど根本的な解決に程遠いのには変わりないわ」


単純な話だ。だけどその実態が浮き彫りになっているなら様々な攻略法は案としては出てくる。それらが果たして可能なのかはさておきね。


「例えば本体が居る空間に直接行って叩くとかは出来ねえのか?」


「織宮さん。簡単に言うけどそもそもこことは違う空間に行くってのは相当難易度が高いのよ」


「でもシェリーちゃんだって俺達を別の空間に………」


あれは自分で創った空間に皆を巻き込んでいるから移動出来ているのだ。そんな当たり前のように他者の居る空間に割り込めたら苦労はしない。だからこそ脅威なのだ。逆に向こうの空間からこっちの空間に呼び出すのも難易度は一緒だ。どちらにせよ相手の空間に干渉出来てこその話なのでどのみち直接行くのも来てもらうのも変わらない。


「別にそれなら倒せなくても良いんじゃないかしら? 根本的には彼女を無力化出来れば良いのだから早い話、こっちの空間に干渉するのを止めたり、私達に攻撃が通らないようにすればーー」


「良い発想ねルナさん。どれだけ厄介な相手で無敵に見えても万能じゃない。必ず欠点は存在するわ」


流石は英雄の一人であり、優秀な魔導師だ。気質が似ているのもあるからか考え方が私のそれに近い。


しかも今の発言はかなり確信めいた事であった。


私達が彼女を脅威とみなす理由。それは先ず一方通行な戦況である事だ。こうなれば戦力差なんて一切意味を成さない。そこに障害としてずっと立ちはだかるのは此方としては危機的である。


ただし一方通行にならなければどうだ?


これは様々な考え方が出来る。単純にその無敵に見える別空間に居る本体とも言える彼女から干渉を受けない、またはこちらからも干渉出来るような対等な条件を作り出す事。そうなればイリスの脅威は半減ーーいや私達が大きく優勢になるだろう。


しかしどうすれば良いのかだ。


簡単ではない攻略法だからこそ彼女の脅威さが伺えるわけである。


本来ならばーー。


「何か方法があるのか?」


東洋人の男性の問いかけに静かに頷く。


伊達に何回何十回と未来を視てきた訳ではない。その繰り返し経験して来た中で恐らくイリスの異能を攻略する糸口が見えたのだ。まだ実際には答えは出てはいないが、もしこのこれまでと違う展開を描ける世界だとすればきっと可能な筈だ。


その方法とはーー。


「貴方が鍵よ。織宮さん」


「ーー俺?」


「唯一それらの問題点を解決する術は貴方が握っている筈よ」


「そ、そうか。俺………なのか」


いきなりの予想外だったらしい言葉に少しばかり固まった後、何を思ったのだろう? 底知れない間抜け面を見せながら指名された愉悦感を感じたのか照れ隠しするように自身の後頭部を撫でながら大股で歩いて皆より一歩前に出る英雄は次の瞬間には自信満々な表情で構えるのである。


多分あれが蛮勇なのだろう。


何だコイツーー。


紙一重で馬鹿にしか見えなかった。


お調子者の性なのか、まだ何も具体的な説明もしないままに飛び出る彼が一体何をするのか興味本位で敢えて何も触れずに彼の思うがままにさせてみた。


そして見事無防備に返り討ちにされて間抜け以上の無様な雄叫びを上げながらこちら側に派手に滑り転がって来たのである。


ーー蛮勇潔く散る。


一体何がしたかったのだろうか?


普通に馬鹿だった。


「はぁ………シェリー。変に彼を唆さないで」


「いや、あのやり取りだけでどうしてそうなるのよ?」


何故私が悪いのか?


危うく切り札要員が戦犯要因になるところで肝を冷やしたわ。一先ずこんな状況でも相変わらずな雰囲気なのは悪くはないんだけれど。


「とにかく私達が足止めするからレイをお願い!」


「やれやれだ」


「いつもの事だけど今回は久しぶりに馬鹿だったわね」


少しは心身に余裕が出て来た英雄達は苦笑や、呆れを見せながら最前線に向かう。もしかしてそんな空気の入れ替えを意識したのだろうか? 絶対に違うとは思いながらもこの分だと此方が準備をする程度の時間は稼いでくれるだろうから私は彼の倒れている場所まで後退する事にした。


とりあえず無事かしら織宮さん?


「………で、どうすれば良いん………だ?」


「言ってる事とやってる事が前後してるわね」


ともかく作戦会議。とはいかない。向こうだって少なからずこの勢いを潰す方向で仕掛けてくるだろう。この英雄達は希望がある限り厄介な壁になってしまうと。


今は微かな不穏としか彼女達は捉えない。が、いずれその希望の光の抗いが障害となるのだ。そんな未来を散々視てきた私だからこそこの戦局は大きな起点になり得ると断言出来る。


だから一気に畳みかけるのだ。


詳細は不要。今は結果だけを見据えて動くのみだ。


問題ないだろう。何せ数々の危機に彼の力は多大な活躍を見せてくれたのだから今回だって必ず局面を左右すると言っても過言ではない。


いつだって世界を救ったのは彼じゃなくとも彼の力が皆を支えてきたのだから。


それはーー。


「そろそろ貴方のーー魔法の真価が発揮される時よ」


「………なるほどな。そらぁ大変な事で」


ゆっくりと重い腰を上げるように起き上がる彼は言葉の意味を理解して気を引き締める。


多分彼にとってその魔法は様々なしがらみがあるのだろう。敢えて触れたりはしない。


実は本音を語ると織宮さんがもし敵だとしたら間違いなく私は彼と相性が凄ぶる悪く、戦えば相当苦しめられただろうと予想が付く。と言うのも以前からその力を高く評価する理由が対人の五感に訴えかける効果が非常に有能な点だ。


幻惑魔法。有りもしない虚像を見せて惑わすそれは当然気配すら誤魔化すものであり、単純に視界が効かない場所で戦うよりも姿を追えないくらいに騙されるのだ。初見で私は見破ったには見破ったが、あくまで偽物が分かっただけだ。姿をくらましている本体なんて探せる自身はなかったし、その気になれば誤認させる方法もあっただろう。元来の織宮さんの気配を消すと言った技法も相まって彼の魔法はただでさえ珍しいのに唯一無二の力として強化されているのだ。数々の難敵を打破して英雄として呼ばれたり、あれだけおちゃらけてもエイデス機関が務まるだけはある。しかもそれでいて仲間を引っ張る資質の先導力も今は開花し始めている。地味に幻惑魔法以外にも天器は使えるわ、最上級難易度の複合魔法すら扱えた上に元殺し屋、忍と東洋で伝えられる隠密性能や対人対処法まで備えている。


どれだけ才能の塊なんだこの人。


更に驚きはこれだけの自己紹介を並べても彼は"馬鹿"の一言で全てを相殺ーー台無しにさせて実力が鳴りを潜めてしまうのだ。しかも狙ってそうしている訳ではなく、大真面目にしてて上手く機能するのだからやはり"台無しにしている"が適切だろう。故に彼を最大の壁として排除される優先順位が上がらないからしぶとく無意識に暗躍する立場にある。


中々悲しい話だが、普段の素行さえ考慮しなければ魔導師としても英雄としてもなんなら殺し屋だろうが忍だろうが総合的に頂点に近い位置付けに置ける天才だ。人には真似出来ない唯一が色々と彼には多過ぎる。


あれ? 何で私が織宮さんを褒めているのだろうか?


ちょっと腹が立って来たわ。


「なあ? 今失礼な事考えなかったか?」


「しかも何故か自分の話題だけは読心出来るのよね………厄介さが上乗せされたわ」


「俺の質問に答えないままに俺を傷付ける事実を伝えないでくれるかな!?」


主役補正とでも言うべきなのだろう。正に神に見初められたかのように不憫な能力すら搭載された意味では素晴らしい逸材ではある。


褒めてはないけど。


要するにだ。彼の才能を認めた上で私が抱いた考えは"勿体無い"だ。何故そう思ったかと言えば肝心な自身の唯一無二の魔法を最大限に活用していないからだ。


幻惑魔法で相手を惑わして戦う?


否、そんなものじゃないだろう。少なくとも私ならそれだけの使い道をしたりはしない。


しかもこれは対策をしていない相手への初見であればある程に大きく刺さる。


そしてこんな言い方になるだろう。



幻惑魔法で掌握するーーと。


「実体がこの場に無い相手でも貴方の魔法は通用するわ。ただしその幻の見せ方次第だけどね?」


「………」


口を閉ざす東洋人の青年。私の言葉の真意を理解したのか、表情には曇りが見えた。


きっと前までなら何でそんな使い方をしないのだろうか? と効率や有用性だけを考えて無神経に疑問をぶつけていただろう。


今でも簡単に私は言ってしまっている自覚はある。しかし、もし私が彼の立場になって同じ状況を想定してその真意の向こう側を考慮してもこの場では彼を頼るしか残されていなかった。


だから私は言う。イリスを無力化する術を。


「貴方の幻惑魔法で彼女を、彼女の精神を永遠に惑わし続けるのよ」


正直永遠に幻術を掛け続ける事は普通は無理だ。対策していたりしたら尚更ではあるが、根本的に何らかの拍子に幻術とは解けるものだからだ。


簡単に言えば多少強い衝撃を与えられれば意識が眠りから覚めるように覚醒する。そんなのこんな戦火でなら有りえる話だし、ずっとその場で立ち尽くしていたらいずれ誰か第三者が声を掛けたりするだろう。つまりこの世界に居る限り、一人の世界じゃない限りは永久に幻惑に閉じ込めるなんて不可能なのである。


ただし、その条件に一致しない相手なら可能性はある。


そして私の考えが正しいならばーー。


「恐らく、イリスの実体がある空間には何もない。此方の空間と行き来をするならば尚更彼女が潜む世界はいつでも用済みで破棄出来る簡単な空間な筈よ。私が造るような凝った空間なんて必要性は全くないのだから」


実際の所この目で見るまでは確証はないが、役目に忠実に動くだけの人形に近い存在がわざわざ利便性ある別空間を用意しているとも考えられない。


きっと真っ暗で人一人程度が収まる空間に身を置いているのが私の見解だ。


そこで本体が幻惑に惑わされて幻術に掛けられれば一生覚める事のない夢の世界ーー夢の監獄として別空間から抜け出せなくなる。


それはイリスの無力化であり、悪く言えば彼女をこの世界から消し去る事を意味するのだ。


なに。たった一人に幻を見せるだけの簡単な役割だ。それだけで情勢が一気に変わり、世界滅亡を防ぐ為に繋がって一躍英雄の名前に更なる名声が上積みされる。こんな上手くて都合の良い条件はないだろう。


正義に真っ直ぐで仲間想いな彼なら二つ返事で実行してくれるだろう。



ーーと、そんな簡単な話ではない。


それが私が散々未来を視て来て微かな記憶の中で繋いでいる精神的な教訓だ。


不安と言う名の自身の問題である。


「シェリーちゃんには参ったぜ。自分の十八番でもない魔法なのにまるで得意気に語るんだから」


「別に得意気じゃないわよ。相手がイリスじゃなきゃ提案するつもりもないくらいには織宮さんが危惧する問題は理解しているつもりよ」


「ますます参ったぜ。お前も読心術使える口か?」


「そんな大層なものじゃないわ。貴方から教わったからこそ辿り着いた結論なのだから」


特に私は彼が語った中で印象に残っているのがーー。


「数多い中から敵を見つけるんじゃない。"信頼に足る仲間を見つけるんだ"だったかしら?」


「ーー!」


「あれから色々迷走したわ。信頼してるだとか信用してないだとか、仲間達に対する見方から抱く感情までもう掻き乱され過ぎて時には絶望して立ち上がれそうになかった」


「ちょっとそれは考え過ぎと言うか誇張し過ぎじゃねえか?」


「貴方の見てない所で色々あったのよ」


色々あって、色々視てきた。


経験談をひけらかす気はないけど、少なくとも成長はしたのだ。


単純な力の強さじゃなく、精神的に。


だから彼の不安だって考えられてあげられる。


「織宮さん、怖いでしょ?」


「こ、怖いって何が?」


「これまで貴方が積み上げてきた信頼や信用、仲間との絆に亀裂が入るかもしれない事が」


「ーーッ」


「幻惑魔法って赤裸々にすると悪く言えば騙す魔法なのよ。それでも貴方の戦い方や魅せ方は仲間を第一に思い遣った使い方だからこそそんな風には見えない」


だけど露骨な魔法の力そのもので他者を陥れてしまうような扱い方をすればどうか? 何せ幻術を相手に掛けるのは彼にとって造作もない事だ。下手したら何時掛けられたか、掛けられたかも実感出来ない程に精巧なもの。


そしてこれはそのまま相手を術中に嵌めれば対象を精神操作する事にも繋がる。


もし味方にそんな魔法を使う者が居てある日唐突にでも疑問を抱いてしまえばどうなるか?


これまでの道則もそうだし彼を想う評価や彼に対する感情、惹かれた心さえ最初から織宮さんが見せている幻の影響だったのじゃないか?


今こうして隣で立つ英雄が英雄欺人じゃなく、ただただずるい人じゃないのか?


そう周りが感じた途端、きっと織宮さんの積み重ねた全てが瓦解してしまい、文字通り独りぼっちになってしまうだろう。


積み重ねて来た真実なんて、なんて事ない嘘一つが紛れる事で一気に崩れてしまうものだ。


私が彼にお願いしているのはそう言う話だ。


貴方に英雄擬人の座から欺瞞の英雄になれとーー。


「ーー昔、仲間が………セラが敵の魔法に操られた事があるんだ」


「………」


既にその話は私にとって既知のものだ。その余波がまさかつい先程の出来事にまで及んでいるのは流石に彼も気付かないだろう。


人を操る魔法に苦しめられた経緯があるのだから自分の魔法が人を操る事になるのを拒むのは必然だ。


彼にとって仲間を救う為に仲間を失うは同じくらい苦しい選択。


「そんな事をする相手以上に俺自身が許せなかった。あの時に俺に出来た事なんて何もなかったのだからな」


"俺に出来たのは仲間を救う力じゃなく、敵を殺す力しかなかった"と、織宮さんは悪くないのにまるで仲間を助けられない自分の無力さすら悪として考えていた。


だけどそうかーー。


元殺し屋として育った彼だ。新しい生き方でも変えられない自身の在り方に苦しみながら戦って来ていたんだろう。そうしてここまで来た自分の力では仲間を救う事は出来ても仲間を苦しめた連中と同じ枠組みの力でしかどうにもならないだなんて事実を受け入れて割り切るのもその後の仲間から向けられるかもしれない疑いの目にも織宮さんは耐えられるか分からないのだ。


そしてーー。


「アリスに嫌われたくねえなー………嫌われたくねえよ………」


額辺りを手で抑え、情けない表情を隠すように俯く東洋人の男性。ここまで弱気な彼を見たのは初めてだ。いつもがどれだけ無理をしているのかが窺えるくらいに本当の本音を漏らす姿に私も胸が締め付けられる思いを覚える。


そう言えばアリスさんは元々当時の敵陣営でもあったから余計意識する可能性があるのね。


気持ちは分かる。皆から嫌われて独りぼっちになるような事を進んで選べない。


だけどまだ織宮さんには可能性が残されている。その可能性の高低はどれだけ努力して積み上げて来たかで決まっている。


だから私は鎮痛な表情を隠せないままに伝える。


「失うことを恐れないで」


「シェリーちゃん………」


「世界が滅ぼなければ幾らでもやり直す機会はあるわ。貴方の欺瞞は恥じゃないし誇って良いのよ」


誰かがやらなければいけないし、誰にでもやれる訳じゃない事だ。そんな苦渋の決断をした英雄を私は後ろ指を差したりする真似はしない。胸を張って貴方と言う真の英雄を誇れる。


「皆を信じなさい。少なくとも私は貴方を信頼しているわ」


全てを取りこぼさないで未来を掴むのは難しい。失うかもしれない決断を余儀無くされる場面なんて幾つも乗り越えていかなければ理想の未来には辿り着けないだろう。


私は取り戻せない人達が居るからこそもうこれ以上失う訳にはいかないが、失った時の事ばかりを考えて立ち止まるつもりもない。


「今だって皆が貴方を信じて戦っているわ。だから貴方に出来る事はその期待に応えるだけよ」


きっと何もしなかった方が後悔する。周りが優しく寄り添ってくれたとしても助けられなかった自分の心の弱さを責め続けるだろう。そんな人だ。


もう答えは出ている。


過去はやり直せない。過ぎた時間だ。後はやり直せない過去に後悔するか後悔しないかだけの問題だ。


貴方なら分かる筈よ。


彼はゆっくりと立ち上がる。


そして静かに何かを口にした。


「全く………立ち止まる暇さえないな」


「織宮さん?」


「一体どんな修羅場をこの短時間に潜り抜けて来たらそうなるんだよ? 敵わねえわ」


もはやヤケクソ気味な降参を示すように両手を小さく上げて苦笑する。先程よりも余裕を感じる口振りだ。


「ま、全部今更だよな。気にしたってキリがねえし、難しく考えたところでちゃんとした答えが出るもんでもない」


ようやく気付いたと言ったところだろう。そう。もしもとかの可能性を広げても仕方ないのだ。それこそ私が視てきた未来よりも多くの想像量になる。


そう言う時に限って案外悩んでいたのが馬鹿らしくなったりするもんだ。


「貴方なら大丈夫よ。私が保証する」


「お、天才様のお墨付きがあるなら恐れる必要はねえな」


「英雄様が変なところで繊細過ぎるのよ。織宮さんがどれだけ信頼されて信用されて好かれてるかを知っているに過ぎないわ」


「そうなのか?」


「ええ、嫌って程見せつけられたわよ」


"なんじゃそりゃ?"と言われたが私は笑って誤魔化した。あったかもしれない未来の話だ。わざわざ教える必要はない。と言うかそれこそ保証がないから話すのも野暮だ。


自分でしっかりと噛み締めなさい。


皆の期待をーー。


「さあ、派手に見せてあげなさい! 貴方の本領を!」


「ああ! まあ地味な魔法だがな!」


締まらないようで締まるやり取りを経て織宮さんは構える。


その瞬間に空気が一変した。周りもそれを悟ってか、各々が遊撃しながら此方に気を配る動き方を始める。


恐らくとてつもないナニカが来るーーと東洋人の青年の気迫から感じ取ったのだろう。


彼のそれは正に明許止水だ。波すら立てないような静かな集中力は中々真似できるものではない。あの域の技術は私が知る中でも神門 光華みたいな者しか扱えない東洋人の特有の能力とでも言うべきか、彼を中心にしてしまう程に穏やかな空間だ。


その底に見る瞳は一点しか見ていない。ただただ対峙する相手だけに全てを注ぐ一撃に等しい奥義とも思える幻惑魔法の真骨頂。


果たして私ならどうしたら良いかだなんて考えが浮かんで来る新しい感覚の魔法に胸を膨らませながらその一瞬を見守る。


違和感に遅れて気付く硝子の女性は直様に敵意を変える。先程までの慢心して見ていた有象無象の一部から最優先の障害として見据える。


ただその僅かな遅れは大きい。


もう彼は詠唱を口ずさんでいた。


私達が普段言葉にするようなソレとはまた違う東洋独特の、或いはその魔法の性質が生み出す全く新しい言語として発せられる。


その間も硝子の女性は真っ直ぐ一直線に織宮さんを目指す。遅れを取ったものの邪魔をする障害がない為に突き進む速さは最速だ。彼の慣れない詠唱魔法と言うのもあってか恐ろしく長い時間に見えてしまう。


間に合うのか間に合わないのか正確に判断など周りからしたら分からない。


だから皆は信じて行く末を見守るだけだ。


私もその一人。同じ位置間から横目に詠唱する姿を置いてイリスを少しでも足止めしようと牽制の魔法を放つ。


芸はないが、再び閃光を放つ魔法。この場の偽物目掛けてではなく別空間に居る本体を狙っての視覚を封じる為の魔法。


織宮さんは目を閉じて明許止水。これならば彼女だけを狙っての妨害が成立する。


ほんの少しでも今は時間をーー。



「同じ手は通用しませんよ」


が、やはりそう甘くはない。


視覚妨害の魔法なんて初手で切る手札ではそもそもないのだ。決定的な瞬間を狙っての撹乱であり、隙を作る為の手段である。だから一度見せた手をこんな分かりやすい状況で使うなんてのは向こうからしたら読めているのだ。対策や想定なんて済んでいる。


ただ、そこまでだ。


彼女だって未知には弱い。そこから先の展開を考えてはいない筈だ。と言うよりかは考えられない。


だって知らないから。


その自身の無敵とも思える能力がある故に対処された経験が少ないから把握している引き出しにしか対応出来ないのは必然。こればかりはどれだけ追い詰められた経験の数が想定外の事態にも左右するだろう。


つまりここから先の私の隠し玉は確実に通用する。


振り払うように閃光を凌いだ先に待ってるものはーー。


「深淵の(アビスノワール)


一寸先は闇なんて言葉は今の私に相応しいが、物理的に相応しいのは彼女だろう。


今この場は暗闇に染められた。


以前に見た夜目が効く相手にユリス先輩が実行した閃光魔法の逆に当てはめたやり方だ。特殊訓練をしていない人物には非常に効果的なものになる。加えて視界を遮る程の光の直後の暗闇だ。普通に眼がその状況に付いていける筈がない。勿論私や織宮さんにも言える事ではあるが、私に関しては心眼の恩恵を最大限に活用している。不必要な情報を遮断し、魔力によって作り上げられている反応だけが映り込んでいるのだ。


そして隣に立つ東洋人の男性はこんな中でも乱さずに仕上げに掛かっていた。


さあ、このほんの僅かな隙間さえイリスの動きが止まればーー。


「残念ながら視界に頼っていません。最初からそのつもりでしたので」


「(止まらないッ)」


やはり初手のやり方が仇となった。


甘く見積もっていた訳ではないが、突貫工事のように急いだ為に詰めが甘くなってしまった。幾ら経験値が無かろうがこれくらいの展開に合わせるくらいの技量はあったらしい。


一つ打つ手が潰されてしまった。


ただ、まだ私が残っている。


一歩前に踏み出す。既に攻撃を受け止めている私だ。彼の前に立ちはだかる壁の役割程度を熟せなければ皆に顔向け出来ない。


ほんの少し足止めすれば良いカナリア・シェリーにしては簡単なお仕事だ。


まだ俯いて情け無い姿を見せて自身が足を止めている時間の方が長かっただろう。


暗闇の効果が晴れていく。晴れると同時より早いくらいには硝子の女性が手を伸ばして来た。向こうも彼の魔法さえ止めて振り出しに戻せば打開策があると思ってか無駄な動きが一切ない。


それでもまだ貴女には決定的に勘違いしている事がある。


それはーー。


「イリス。貴女の前に居るのが誰かを重く考えていない」


「ーーッ」


無彩色に歪んだ空間。その湾曲した歪みは全てを捻じ曲げる理だ。物理現象はおろかこの場所に発生する事象すらも全て呑み込んで無かった事にする。


つまり別空間から魔力を使って遠隔操作する彼女の分身もだ。


それが向こうに明確な損失を与える訳ではない。寧ろ引き換えにする対価は私の方が遥かに重いだけだ。何せ魔力体を幾ら消失させたところで向こうの魔力供給が途切れない限りは永久に復活して向かってくるのだから。


だけどほんの僅かな時間を稼ぐだけならば純粋な阻害として役に立つ。


そう思っていた矢先だ。


「そんなに私が目障りなら一度消えてあげましょう」


「しまっーー」


「そんなっ!?」


イリスの魔力体が塵となって周囲に拡散してしまった。文字通り供給を絶った事により姿を維持出来なくなって自ら消失してしまったのである。


つまり対象を見失ってしまったのだ。


これでは折角の織宮さんの奥の手が全て無駄になってしまうと焦る英雄達の声が響き渡る。


しかし自分でも驚く程に心は穏やかに落ち着いていた。


それには理由がある。


そもそもがだ。別の空間から此方の空間に魔力体をどうやって場所を指定して放出しているのか?


何らかの目安が無ければ正確な場所に顕現する事は叶わない筈だ。魔王の降臨も然り、決められた場所に魔法陣を展開するからこのセントラルが選ばれているのである。


ならどうやって彼女は再び姿をこの場に現すのか?


それには正確に舞い降りる為の座標を決める手段があるからではないのか?


全ては分からない。確証のあった未来を視て来た訳ではないのだから。


だけど少なからず私達を見ている眼があるのは間違いないのだ。


私は既にそれが何処からなのかを把握している。


「そこね?」


「ーーッ!?」


「全部の供給を経つ筈がないのよ。そうすれば貴女は事実上、この場からの退場になるから現状で貴女がそれを良しとするなんてあり得ない」


とは言え、復帰する手段は存在するだろう。しかしそう簡単に多用出来る訳がない。或いは時間が掛かるのかだ。


半分は賭けではあるけれどね。


ともあれ現実問題、戦線離脱をしていない彼女を捉えた。姿形が崩れようが魔力の残滓は周囲にこびり着く。その先で集まる場所にあるのは魔力体の核だ。そこからイリスは私達を覗いている。


問題ない。貴女が私達を五感で認識していれば彼の魔法は通用するだろう。


さあ、後はお願いするわ。


「織宮さんッ!!」


声を荒げ、最適な瞬間を合図した。


それに応える東洋人の青年は瞳を開き、極限までに溜め込み集約した魔力を解放する。


そしてーー。




「儚き覚めぬ夢の果てーー黄昏の門【ゲート・オブ・トワイライト】」





暗い場所です。生まれた瞬間からまだ世界が誕生していないような感覚と実はこのままずっと暗闇なのじゃないかと思ってしまう。


私は誰に、何によって産み出され、何をする為の存在なのか? 存在価値すら分からない。私は誰に従い、誰か尽くすべき者が居たのだろうか? どうして何も知らないのか?


いや、私にはイリスと言う名前がありました。何故忘れていたのでしょうか? 唯一の自身が自身である証明で有る筈なのに。


この暗闇の世界は果たして本来の居場所なのか? 本当はもっと別の場所で、別の世界で特別な役割があったのではないだろうか?


誰かが聞いているなら私は問います。


私は生まれているのでしょうか? それとも死んでいるのか、或いはまだ生まれてすらいないのでしょうか?


そして私と言う存在には意味があるのでしょうか? それか意味があったのでしょうか?


きっと何も返事が返って来ないのは分かっています。だからこれは自問自答になるのでしょう。


つまり私はどう成りたいのか?


世界に存在を認められたいのか? いや、少し違いますね。そもそもが私には名前だけはしっかりとはっきりとあります。だから私にイリスと言う名前を与えた人が間違いなく居る筈なのです。だから私に生を与えた人に聞きたいのかもしれません。


貴方は、或いは貴女は私に何を望んだのでしょうか? 何を願って私を生んだのですか? そして私はしっかりとその使命を遂げれたのですか?


私は名前以外何も知りません。何も覚えていましはさん。果たしてどんな心を持っていたのか?


笑っていましたか? 泣いていましたか? 怒っていましたか? もっと別の心を持っていましたか?


分かりませんよね?


結局何が理由でこんな状況になっているかに答えは出ませんでした。


だから私は待つしかありません。


誰かが来るのを、若しくは何かが始まるのをーー。


そして私の中にある"心"と言うものが揺さぶられる世界の始まりがある事をーー。





「ーー」


少しした夢から覚めるような感覚に陥りながら意識を取り戻す私を何とも言えない感情が埋め尽くす。


今のは私の事じゃないイリスの迷い込んだ世界での彼女の心。それを主観で私に投影したものだ。


思わず引き込まれそうになった彼女の深い深い内側。


どうしてそんな部分を私が見ていたのかと言われたら原因は一つしかない。


顔だけ振り返って肩に手を置く存在が苦笑いしながら私を呼び掛けて起こしたのだから。


「私まで巻き込まれてますけど!? どう言う事かしらね!??」


「待っ! だって相手が見当たらねえから仕方なくて、それに俺が起こせば良いからーーって何で敬語!? てか髪引っ張らないで!!」


「やられる側の気持ちも考えなさいッ!! 本気で訳分からないわ貴方の魔法!」


詰まるところ彼が対象を指定出来ずに範囲魔法に切り替えた為に側に居た私まで被害を被ったのだ。それでも影響下に居る私だけを解除すれば良いだけだから織宮さんも楽観的に捉えてはいるが、まさかあそこまで効力が強い幻術とは想像もしなかった。


「いや、幻とか意識操作なんて概念にも似つかないわね………もはや記憶操作よ。貴方は以後その魔法禁止ね」


「お前が使えって言ったーーぎゃんッ!?」


歯向かう彼にとりあえず適当な魔法をお見舞いしといた。その痛みを噛み締めて欲しい。私からしたらそんな感覚すら失われそうになったのだから。


信頼は地に落ちた。いや、勝手に落下して行っただろう。


「とりあえず?」


「片付いたで良いのよね?」


「………」


確認は取るが、一先ず私達の雰囲気を察して多少の緊張の糸を緩めたと彼等がゆっくりと歩んで来る。


そう。皆からしたらよく分からない状況には感じられるが、難敵であったイリスを無力化する事には成功した。


したにはしたがーー。


「この戦いが落ち着いたら、彼女を再び魔法から解く必要はあるわ」


「シェリーちゃん………」


硝子の女性の記憶操作された意識を共有した自身だからこそあの状況のままにして上げる事が最適とは思えなかった。


もし仮に自力で魔法を解除された場合に果たして私達に対してどんな報復をしたものか分かったものじゃない。


それに私には彼女が絶対悪とは思えなかった。


イリスを悪の立ち位置に置いて、戦わせたのは他の所為なのだからーー。


きっと違うきっかけならば彼女はもっと別の生き方だって出来たと思う。


例え造られたものだとしても。


「勿論次は私だけの力でどうにかするつもり。だからその時まではーー」


とは言え違う空間の中で幻術に囚われて幽閉されている存在を此方からどうこうするには研究が必要だろう。もう世界を隔ててしまったのだから彼女を見つけ出すのは雲を掴む所業に等しい。


それでも、私はやらなければいけないだろう。


これがイリスの意識を共有してしまった弊害だろうが責任を取らなければカナリア・シェリーはきっと後悔してしまう。


「シェリー。貴女の考えは間違っていないわ。だから任せる」


「アリスさん………」


「ほんと大物だよシェリーちゃん。お前は十分に英雄だよ」


「英雄ね………そんな柄じゃないけどね」


「だったら救世主だ」


「ーーッ、フェイルさん?」


「良いわその響き。確かに敵ですら救う所業なのだしこれから先もきっと多くの人を救うつもりだろうしね?」


「ルナさんまで揶揄わないでよ」


飛躍された称号がむず痒い。私の勝手を周りに押し付けているだけなのにそんな呼ばれ方をされる資格なんて果たしてあるのだろうか?


救えなかった人が、想いが、未来が沢山あるこの私にーー。


「お前はそれでもやるんだろ?」


ポンポン、と頭に手を置かれた。


笑い掛ける織宮さん。子供扱いをされている気分ではあるが、居心地としては悪くはなかった。


当然答えは出ているのだから今更何て言われた所で考えを変えるつもりはない。


とりあえずペシッ、と置かれた手を払い除けて照れ隠しを誤魔化す。


ただそれだけだったのだが。


「え? シェリーちゃん? ってアリス!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!?」


「セ・ク・ハ・ラ!! 浮気者!!」


「いやいや! そんな他意は!?」


「あー、それは無いわね」


「どゆこと!? ってアリスも髪引っ張らないで!!?」


「全く。いつも締まらん奴だなお前は」


「お前も笑ってないで助けろって!!」


「ーーあははっ」


こんな英雄の彼等の賑やかなやり取りに混ざれた自分の幸せを噛み締めながら私は思わず笑ってしまったのだった。



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