もう一人じゃない天才③
はっ、と意識が唐突に覚醒する。まるで長いうたた寝をして脳と身体がそろそろ起きろと反射的に刺激を促してカナリア・シェリーに目覚めを訴える。おかげで夢みたいな生と死の狭間から解放はされたが待っている現実は終わりのない一方通行の地獄ですらある。こればかりはどれだけ繰り返してきたか数えるのも馬鹿らしく思える失敗の積み重ねだ。今更ここからやり直してどう未来が変わるのかと嘆きたくなる出発地点。私がどれだけ苦しみ、壊れ、挫けてしまう旅の始まり。最終的にはそうはならなかったがここからの道則に良い印象はあまりない。
私の因縁の起点だ。
そこはーー。
「なら行ってこい。周りはきっと天才の到着を待っているぞ」
背中を押す応援が耳に入る。
私がヴァナルカンド・ユリス先輩との死闘が終わり正に今からアズール会場に向かおうと、駆け付けようとしている場面であった。
一度ならず二度三度と瞬きをして状況を理解しながら周囲を見渡す。
何か不思議な気分だ。これまでは未来を覗くだけだったからこんな巻き戻しをするような感覚にはならなかった。と言うか朧気な記憶ではなくしっかりとした記憶を残しているから変な感じなのだろう。しかし、紛れも無く私はこれより先の未来で奮闘をして戦いの半ばで力尽きたカナリア・シェリーだ。そうならないようにアズール会場に向かう間で様々な未来を予知して沢山の失敗を経験したが、結局最適解はどうあっても理想の半分にすら満たない結果でしかなかった。
やはり立ちはだかる相手は強大。未来を覗いてすらまだ及ばない天才を超えた先の住人達。どれだけ私達が足掻いてもその一歩先で嘲笑うように壁となる存在に理想を貫くのは不可能だ。
何かを常に失い続け、失敗と後悔だけを借金していく中でいつしか精神を壊されていた。でもそんな私を生かしてくれた人物の助力のおかげで今この場に立つ機会を貰えた訳だ。
多分この先はやり直しが効いてはいけない。先に答えを覗いても結果が変わらないし、下手したら再び私は理想と言う名の迷宮に閉じ込められてしまうだろう。そこで心が折れるまで失敗と後悔に押し潰されていく。
だからやり直しているが、その繰り返しに二度も頼れはしない。もうやり直せなく答えの分かる未来を通れないのだ。
文字通り最後の反撃である。
私を信じてくれている仲間達。そして全ての未来を託してくれたバーミリオン・ルシエラ。彼女を含めた私を産み出してくれた父や母、魔女と言う血族までもが私を助け、背中を押してくれた。
重過ぎる期待と役目。
だけど大丈夫。逃げない。負けない。押し潰されない。投げ出さない。諦めない。
次こそは私が皆を理想の未来へと連れていく。私だけじゃなく皆で未来を作って描いていくのだ。
もう私は一人じゃない。ずっとそうだったのだけどまた違う意味だ。
一人で未来を進むのじゃなく皆で未来を進む。
それが私が成さなければいけない世界だ。
私にしか出来ないなんて大層な事は言わないが少なくとも私達なら変えられる未来である筈だ。
今一度言おう。
もう私は一人じゃない。
もう一人じゃない天才だ。
「ーーシェリー?」
返事がない私へ呼び掛けるユリス先輩と様子を窺う彼等。どこか懐かしくて久しぶりの再会をした気分だ。一体どれだけ長い未来を見ていたのやら。そしてそんなあったかもしれない記憶があるのは自身だけで寂しくも思う。皆と共有出来ないと言うのは辛いものだ。
ただ、そんな余韻は今は必要ない。
私はもう過ぎた未来を振り返らないのだから。
「………駄目よ。貴方を一人にさせない」
「え? シェリー、それはどう言う………」
だからこそこれまでの予定をひっくり返す。
唐突な路線の変更に戸惑う灰の少女。無理もないだろう。確かに短いようで遠い記憶を遡ればここで私はこのまま彼を置いてでも急いでアズール会場に向かう為に彼の離脱を余儀なくしたのだ。普通にそれが最善な考えなのである。
と思っていた。全てを知るまではーー。
「結論から話すわ。この状況を打開する為に必要な仲間があともう少し必要なのよ」
現状まだ空すら暗天していない場面での私の言葉はまるでこの先の命運を知っている口振りに聞こえただろう。
まあ実際視てきたのだけれどね。悪い結末に限っては。
が、そんな説明を割愛して皆が訝しげな様子で注目する中、私の考えを述べる。
「まだこの戦いは序の口でしかないわ。これから戦う相手はこれまで以上に手強く、知恵が働き、異質な連中達よ」
「………その議論に関してはもう話を付けたんじゃなかったか?」
「ええ、だからこそやはり駄目。足を負傷している貴方でさえ立ち上がってもらわなければいけない状況に変わったわ」
「無茶なことを………」
「物理的にもお願いするわ。幸いアズール会場にはシルビアがいる。彼女なら応急処置で貴方を再起させるくらいなら可能だわ」
これまでに試さなかった可能性。それがここから始まっていく。現状の計画の角度を上げるにはどうしても幅広く対応出来て尚且つ私が目を離した先で柔軟な思考で動いてくれる必要のある存在として彼は欠かせない。
だってその試合会場で待つのはーー。
「相手はオルヴェス・ガルム。剣聖にして魔導師の最高峰よ」
「なっ、何でそれが分かるんだい!?」
「確かに相手が彼であるのならば戦力をしっかりする必要はありますが何でいきなり………」
驚くリアンと光華。が、不思議とユリス先輩だけはその先すら意識した真剣な眼差しを向けながら耳を傾けてくれている。
そこが私の中で新たな未来を確信した瞬間だった。
やはり貴方の存在は大きい。私が多くを語らずとも汲んでくれる思考力はきっと私が見通せなかった未来の可能性を導いてくれる大事な鍵になるだろう。
その時点で彼を戦力から抜くのが間違いである事にこの場で改めて理解させられた。
「残念ながら細かい説明は無しよ。とにかく彼が敵に回っているのは変えようのない事実。彼を抑える為には会場に居るシルビアとフローリアだけじゃ足りない。それ程にガルムさんは強い相手だわ」
「納得はするが、お前が居れば解決する話じゃないのか? 悪魔だって会場に現れるのは間違いないのだから」
「………ごめんなさい。私は会場には向かわない。私を覗いた皆で駆けつけてちょうだい。多分道中で邪魔が入るかもしれないけどそれでも急いで」
「え? シェリーはどうするんだい?」
これも急な方針展開だ。確かにわざわざ目的を達成する為に向かわないと行けない場所へ肝心な私が行かないは計画のちゃぶ台返しも良いところだ。しかも邪魔と言う更なる予定外もあるのに人数を割くどころか削っているのだ。私と負傷しているユリス先輩を入れ替えて上手くいく展開に転ぶなんて想像付かないのは当然だ。
が、そうしないと行けない理由はあり、例え私が会場に向かおうとしてもその願いが叶わない可能性が高い。と言うよりかは間違いなく叶わないのだ。
どうしようもなく私に固執する最悪の敵が待ち構えているのだから。
「私はこれから騒ぎになって大衆が避難する南側で織宮さん達と合流するわ。きっと誘導しながらそこに来るだろうから」
「それ………は、優先する必要があるのですか?」
歯切れ悪く尋ねる灰の少女。きっと私が傍に居ない展開の不安もあると思う。だけど逆に私と彼女が一緒に行動する未来の果てを知っている。
「そうね。説明が少なくて申し訳ないけどその場所にも刺客がやって来るわ」
「俺達に剣聖と言う最強の敵を任せてまでも南側に現れる存在を優先する程な訳だな? つまりエイデス機関もとい過去の英雄達が総出で戦っても勝てないような存在」
不意な助け船のような簡潔な説明に呆気に取られてしまいそうになる。
「恐ろしいくらい察しが良いわね………」
ほぼ正解であったが、流石にそれ以上に理由があるのまでは及ばないだろうから今はそこまで把握してくれれば充分だ。
ある意味ではガルムさん以上に手強い相手ーーイリス。彼女は正直フィアナと同格の存在である。実際に戦ってみて感じ取った異質さは紛れも無く盤上をひっくり返す障害だ。早い内に手を打たないと剣聖以上に流れを変えられてしまう。何故ならもたもたすればフィアナと合流する未来すらあったくらいだ。そうなると手の施し様がない。普通に詰みだ。
ただ、単独ならもう大丈夫。
ある程度はイリスの秘密については解けているから彼等と協力すればーー。
「本当は光華も私に付いて来て欲しいんだけれど貴女の剣技が唯一ガルムさんに並ぶから必要なのよ」
「光栄ですがそれなら私がそちらに向かえば………」
色々と事情を飲み込みたいが、不自然なくらい相手の手の内を暴き出す私の言動に納得しづらい様子を見せる。
それでもまだ助かる方だ。彼女は自身が適材適所で活躍出来るかに不安を覚えているからそう言って来ているのだから。
後は後押しする為の材料を伝えるだけ。
「駄目よ。剣聖には魔法が効かない。あの聖剣は私達が思っている以上に反則な剣だからしっかり剣戟を受ける事が出来る貴女が必要なのよ」
事実、と言うよりかは実証済みだ。魔剣も大概な代物だが聖剣はそれを遥かに超えてしまっている。未だにどうやって彼をフィアナなのか或いはイリスが撃破したのか分からないくらいだ。
一振りで魔法を消し去ったかと思えば一振りで空間に裂け目を作る正に超魔法みたいな破壊力すらある上に彼の皮肉がよく理解出来る程に剣士としての一流さが伝わってしまう。あれに渡り合えるとすれば光華しかいないだろう。何故ならそんな反則的な聖剣の唯一の救いが剣を握る相手の剣だけは消さない事だからだ。聖剣がそう望んでいるからとかつてガルムさんは話していたからそこを上手く利用するしかない。
加えてーー。
「僕は果たして君の要求に応えられるのだろうか?」
碧髪の少年も不安ーーよりかは自信がない口振り。確かに急展開する流れに壮大な相手の名前が出てくれば場違いだと思ってしまうのも無理もない。
ただそれは違う。
敢えて私は不敵に笑って不安を取り除く。
「あら? そんなに自信を喪失されても困るわよ? 何も渡り合えないからって戦えない訳じゃないわ」
「と言っても………」
「貴方の戦い方は正当な剣士とは違うわ。だからこそ勝機はそこにある」
そう。剣で戦えるのが適用されたリアンも既に彼との戦いにおいては必須の戦力だ。そして様々な変型をして立ち回れる天器はガルムや聖剣の知らない戦い。虚を付ければ勝ち筋は十分にもぎ取れるのだからもはや貴方の活躍は約束されたようなものなのよ。
「安心しなさい。戦略と補助する人達が貴方を更に強くしてくれる。だからリアンは真っ直ぐに剣士の頂に挑戦しなさい」
そして頂点から引き摺り落とすのよ。
肩をぽん、と叩いて最後に私は柄にもなくこう励ました。
「男の子ーーでしょ?」
すると彼は予想外な事を言われたのか、あまり見慣れないぽかんとした間抜けな表情をする。
はて? 私何かおかしい励まし方だったかしら?
逆にこちらまで釣られて間抜けな表情でリアンを覗き込むが、次の瞬間には口元を緩めてーー。
「分かった。僕に任せてくれ。絶対に君が満足いく成果を上げてくるさ」
頼もしさを感じられる天才がそこに居た。一体何が彼を励ませる理由になったのかは私には知る由もないが、一先ずは上手くいって良かった。
これで計画は固まって各々の配置が決まる。
丁度その頃合いであった。
「ーーッ」
「これは………」
「来たか………」
まるで夜のように空が暗闇に染まりかける。が、あくまで太陽が月に隠れただけでありその端から漏れる光が遠くの雲の色を変えていた。そんな神秘的な、または畏怖を覚えそうな世界に変貌して皆は驚きと緊張を走らせる。
私も嫌と言う程視て来た光景だが、表情を引き締めた。
空が唐突な暗天になる。それが意味するは魔王の復活が目前に迫ってきていると言う訳だ。
うかうかしていられない。
何としてでも迅速に相手の戦力を奪って展開を、未来を変えなければ。
「時間がないわ。話した通り貴方達はアズール会場へ。私は南側に向かうわ」
「はい! ご武運を」
「シェリーまた後で」
バッと即座に行動に移す光華とリアンはまだ終わったばかりの戦闘直後なのに素早く街路時に消えていく。自分より前を進んで行った背を見て多少の心配は残るが信じるしかないだろう。
ただ、ユリス先輩だけはどうしてもまだ足の負傷がある為ゆっくりと歩き出している。多分遅れても間に合わないなんて事はないだろうが少し無茶をさせている姿に申し訳ない気持ちになりながら見送ろうとしていたらーー。
「シェリー。実は肝心な事を聞いていなかった。まさかお前はーー」
振り返って見透かしたような視線で喋る。
「………」
その台詞で私はやはり身震いを覚えながらもこれまでに視ていた未来とは全く状況が変わる確信を持った。
多分これは一番考えられないであろう未来。
しかし、これが唯一私が選ばなく覗かなかった先だとも言える。
そのカナリア・シェリーが選択した考えとはーー。
「いや、その反応で十分だ。後は全部任せる」
「鋭過ぎて気持ち悪いくらいよ。貴方どうやって気付けるのよ?」
「さあな。いきなり俺に無茶をさせようとしている時点で既に違和感だし、どうしてそんなに最適解な動かし方が出来るのかに辻褄を合わせただけさ。まあ現状一つだけ達成が困難な計画が浮上はしているがな」
多分先に答えが出ているから後は過程に戻る考え方なのだろう。或いは彼はもしかしたら私の不可解な言葉の理由に説明が付いているからかもしれない。
じゃないとあんなにお利口に意見に口を挟まない事を彼がしない筈がない。しかも話の後半は一切話さずに聞いていただけだ。
そこで答えが出たのだろう。
そして立ち止まって動かないのもーー。
「いや、もしかしたらアレに頼むつもりか?」
「それは勿論。だけど貴方の頭に浮かべる計画とはまた違う場所に当てるわ」
「そうか、まだ黒幕とやらが存在している訳だな」
「ええ、ごめんなさい。無理に付き合ってもらって」
「全くだ。これ以上は説明されたら余計にやる気削がれそうだから俺も先に行かせてもらう」
背中を向けながら手をひらひらする彼には色々と敵わない。これからの展開を把握しながらも意見を挟まずに協力してくれるのだ。そしてその不器用な返事が逆にさっぱりとしていて幾分か気が楽になる。
「だが………助かった。拾った命の分は働くさ」
「ーー」
小さくぼやいたユリス先輩の言葉に私は返事はしない。いやお礼ならば他に言って欲しいが、もう伝える術すらない今、もう独り言だと思って聞き届けて上げるくらいしか私には出来ないだろう。
代わりに軽く微笑してあげながらまだ私は残された役目を全うする事に専念する。
静かな殺気が当てられる。
恐らくもうすぐそばにいるだろう。ユリス先輩も気配を察知はしていた。まあアレと呼称する辺り私の考えに正気を疑っていそうな聞き方であるがその正体を誰かまで把握しているのはきっと見覚えのある気配を漂わせていたからに他ならないだろう。どこまでも優秀過ぎた。
そして私が把握していなかった唯一の最後の駒。これが私達を逆転させるある意味大博打の魔導師ーー。
きっと申し分ない働きを見せてくれるだろう。
この時ばかりは藁にもすがる言葉の意味が分かったような気がしながら私は隠れている人物に呼び掛ける。
「出て来なさい。取引をしましょう?」
現れた人物は待っていたと言わんばかりに笑みを浮かべるのであった。