もう一人じゃない天才②
それはそれは刹那の一瞬のお話。
最初で最後であり、原点にして始まり。
既に過ぎてしまったがようやく全ての想いがこの瞬間に集約する。断片が繋がり、一つになる彼女達の物語。
繋いで継いでいく意志だ。
「ーー以上だ。それが、それがこの長い長い軌跡の道の………貴女の、カナリア・シェリーの物語の始まりだ」
「………」
あっという間に終わった物語だった。
きっと全てがようやく聞けたのだろう。ただ確かに私が過ごして来た道則は物理的にも長い時間ではあるのだが、語られた内容が今日まで生きて来た私の軌跡に劣るなんて事もありはしない。何故ならその始まりからずっと私は守られ、受け継いで来ているものがあるのだから彼等の想いは今も尚生き続けていると考える。その意志は決して色褪せたりはしないし、誇って良いものだ。
おかげで私も自分に向き直る事が出来た。
そもそもこれまでの説明が足らなさ過ぎたのだ。そして聞く為の準備が足りなかった。この瞬間だって最高の機会で知れたかと言えば嘘になる。既に心身を疲弊し切った状態で落ち着いてゆっくり聞ける場合ではない時に無理を押してでも聞いているのだ。もっとゆっくり聞きたかったなんて感想が浮かぶくらいにはある意味ここで全てを知ったのは後悔した。聞けた事に後悔はないが、今聞いてどうしたら良いのか。
これでは噛み締めて頷くしかないだろう。どれだけ感動的で悲しい話だろうと私がこんな状況で感情を曝け出す事なんて出来ないのだ。
そう、出来ない筈なのだ。
出来ない。出来やしない。
なのにーー。
ポタっと。
「あ、………あれ? ………何で?」
こんなにも私はーー。
戸惑いと困惑。
感情が言うことを聞かない。頬の上辺りが凄く熱くなり、震えるのを感じながら目の前が水面に沈んだかのようにボヤけて溺れる。
鼻からも流れ出そうな水分を何とか啜るのに必至で眼から溢れ出る雫を止める事が叶わない。上手く身体に力も入らず、頬を伝う涙を両手でゴシゴシと乱暴に拭うので精一杯だった。
それでも止まらない。止められない。
この始まりの話は、物語は私にとって大事にしなければいけない想い出として刻み込み、受け入れる儀式の代償だ。聞いた時点で拒否が出来ない一方的な感情の波に呑み込まれてしまう。
悲しいし、悔しい。
そしてーー。
「意識すれば、不安になると思った」
生まれた意味を考えればきっと私は塞ぎ込むんじゃないかと、受け止めきれないのではないかと怖かった。
「だから今の皆を、未来の皆しか残されていないと決め付けていた」
愛されていない。望まれていないか、若しくは自身の考える望まれた形ではないのかもしれない。おかげで託された役目みたいなものに縛り付けられずに自由に生きてきた。
だけど本当はそうじゃない。
ただ怖くて逃げていただけだ。
真実を知る事からーー。
「確かに私はカナリア・シェリーとして望まれた訳ではないのかもしれない」
その名前を今更捨てられはしないし、捨てたくない。
しかし、産まれて来なかった赤子の名前を与えられたのだからその名が必要だったのは私ではないだろう。
「それでも、父は私をカナリア・シェリーにしてくれたのね………」
割と押し付けられた気分は否めない。だがそれも父親だったら押し付けたりするものじゃないだろうか?
愛と言う我儘をーー。
「私は………愛されていたのね………」
ようやく安心した。不安から解き放ってくれた。
私は、カナリア・シェリーは祝福されていた。
確かに今日までこの才能を含め、自分で自分を嫌いになりたくなるくらいには振り回されて産みの親すら恨みたくなった。
ひょっとすると菖蒲の少女は私の誤った未来の"もしかしたら"を体現しているのかもしれない。本音はまだ分からないが。
それでも私はこんな自分の運命は押し付けられたものじゃないと今なら言える。いや、私を守る為に押し付けられた愛ではあるかもしれないが、少なくとも私が不幸にならない為の術を与えてくれたのだとバーミリオン・ルシエラが前に言っていた意味をようやく理解する。
ありがとう。お父さん。
こんな私を愛してくれて。
「ーーにしてもどこまで本気で言ってたんだろうかしら? 普通に考えて死んだ赤子の魂が移り変わるなんて実現したら奇跡でしょ?」
正に奇跡か神の悪戯だ。
変な話だと、止まない涙を拭いながら私は笑う。
多分ーー確実に奇跡は起こっている。それだけは私が保証したい。
だって私の中に確かに産まれる筈だった"カナリア・シェリー"は居たのだから。
あの時は物心が付く前の一人だった寂しい自身だと思っていたが、もしかしたらそれとは別で父と父の愛した人の想いが残した魂だったのではないだろうか? 産まれ落ちずに魂が還ろうとしたが、私の中に居る事を選び支えてくれた。
きっと一人にさせないように、彼等の愛が奇跡に変えたのではないのか?
そうだ。いつも絶望的な窮地で"カナリア・シェリー"は、あの子は傍で励ましてくれていた。ついさっきだってあの子は私に寄り添い、一人にさせようとしなかった。
ただ、それを私は無下にしてしまった。
だからこそ全てを知った私は今一度あの子の為にもカナリア・シェリーとして生き抜かなければいけない決意をする。
この物語を私の我儘で終わらせる訳にはいかない。
一度ならず二度もカナリア・シェリーを死なせる訳にはいかないのだ。
父と母、バーミリオン・ルシエラ、それだけじゃない。今日まで私を支えてくれた皆だっている。
一つの身体に二人の魂。
カナリア・シェリーと"カナリア・シェリー"。
その重みを噛み締めながらーー。
再起する。
「ここで終わりたくない………」
泣くのを止める。泣くのはもう終わりにしよう。次に私が泣いて良いのは皆で大団円を迎えた時だ。
ゆっくりと立ち上がる。そして両の手を眺めながらこの瞬間に感じた気持ちを言葉にして魔女に伝える。
「皆が………私を助けてくれた」
それはもう一人のあの子を含めてだ。
父が、母が、織宮さんが、アリスさんが、光華が、リアンが、シルビアが、フローリアが、ユリス先輩が、ガルムさんが、セラさんが、ルナさんが、沢山の人が助けてくれた。
勿論"カナリア・シェリー"も。
そしてーー。
「ルシエラ………貴女も助けてくれて私はまだここに立っている」
「シェリー………」
「そんな私を、私が諦めて助けないなんて事があって良い訳がない」
両の手を強く握り、まだ間に合うのだと実感する。あれだけの未来を視てきて絶望の淵に立たされた自身が、諦めようとしていた私がそれでも立ち上がって良いのだと。
だったら答えは一つだ。
「やれるか、やれないか、じゃない。私は成し遂げてみせる」
きっとそれが一流の天才だろう。
もはや天才は関係ないのだけれど、自身の代名詞がここで絶対的な支えとなる。
後は行動のみだ。
だけどその前にーー。
まだ私の心残りがある。
「バーミリオン・ルシエラ」
改めて彼女に向き直る。引き締めた表情で、真剣に、真髄に伝えなければならない本心がある。
それは長い長い道則だった。
初めて学園で会ったあの日から、だが実際はもっと前からの私が産まれた瞬間からーー違う。産まれるよりも前に彼女と出会っていた。
その始まりから彼女なりの不器用な感情に振り回されて時には反抗し、振り解き、聞く耳を持たずに自身の我儘を貫いた。
ここまで来れば嫌でも理解する。
そう。
それはまるで口煩くいつでも私を第一に考える私のーー。
「いいえ、………お母さん」
「ーーッ!? シェリーッ」
「………変な、感じね。私が貴女をそう呼ぶなんて」
だが事実だ。彼女の遺伝子を受け継いで誕生し、魂だけとなっても私を赤子の時からずっと見守り、怒ってはいても助けてくれる。
そんな存在を親として、母として見るのは普通の筈だ。今更ながらだし、私こそ彼女を母として慕う資格があるのか分からない。
だけどもう口に出してしまった。
だからきっと認めたんだと思う。
バーミリオン・ルシエラが私の紛れも無い母親としてーー。
「貴女の願い通りに生きて来たかは自信はないわ………けど貴女の娘で良かったわ」
「しぇ、シェリー………」
「ありがとう」
ようやく話せた素直な言葉に口元を両手で押さえながら涙ぐむ桜の魔女は静かに"あぁ………"と答える。
良い意味で気分が良かった。
これからはきっとお互いもっと素直に話せるだろう。
この戦いが終わったらーー。
そんな明るい未来を想像する。
「ーーすまない。私の役目は終わりなんだ」
「そう、よね………」
が、現実は甘くない。いや、分かっていた筈だ。予期して良い事であった。
何故なら、こんなにも彼女の魂が以前よりも遥かに弱々しく感じているのだから。
「そもそも魔女バーミリオン・ルシエラはあの時、あの後直ぐに死んでしまっているのだ」
私を知人に預けて自身の存在を世界から消す為にその命を持ってして最後を迎えた。そしてカナリア・シェリーの精神に入り込み、今日までずっと見守ってくれていたのである。
元より潰えた命。魂だけになっても約束を守り続けてきた。
これが本当の意味での彼女の最期。
やっと、やっと分かり合えたのに。これから沢山話が出来て、母との時間を取り戻せただろうに。
どうしていつも私はこうなのだろうか?
どうして肝心な所でいつも手が届かないのだろうか?
沢山の未来を覗ける力があるのにどうしてーー。
「何で、何でなのよ………」
すぐに先程の決心したものが崩れる。弱虫な私はそれしか出来ない。
「泣くな。貴女とーーお前と今日まで繋がっていられただけでも十分に奇跡を繰り返しているんだ。これ以上贅沢をしたらバチが当たるさ」
「本当に………ここで終わり………なの?」
「ああ、この魔法が向かう先にはもう私は居ない。曲げ過ぎた因果に抗うのはここら辺が限界と断言出来る」
「ーーそう」
返事する声が震えてしまった。同時に頭では様々な解決手段を頭に浮かべては却下する事を繰り返していく。
どうすれば彼女と離れないように出来るか?
どうすればお母さんとずっと一緒に居れるか?
考えた。考えた。
必死に考えた。
奇跡でもズルでも何でも良い。
どうすればーー。
どうすればーー。
考えた。
そしてーー。
「ーーグスッ、ご、ごめんなさい」
「理解してくれたな。良い子だ」
真に避けられない運命とはこれなのだ、と私は結論付いてしまった。
もう未来は確定して、確定した過去を変える事がどれだけ不可能な事かを、仮に変えたとしてどうなるかを考えたら諦めるしか他にないのだ。
既に亡くなった者を取り戻す事は出来ない。
亡くなると無くなるは違う。
亡くなると失くなるも違う。
これから使う魔法が時間遡行をして過去に戻れるのならばーーと悪い事を考えた。しかし、戻って彼女が死なない未来に変えたとしても代わりに私は沢山の幸せを犠牲にしなければならない。それは父を助けても一緒だ。
今日まで頑張って来た私の全てが無に帰す。フローリアを初めとして織宮さんやアリスさんに出会った出来事、ガルムさんやシルビアだって居る。そのおかげでリアンを助けられたし、光華とも巡り会えた。誰一人失う事無く彼等と歩めて来た事がカナリア・シェリーの全てなのだ。そんな皆との大切な思い出を捨てられるのか?
既に知っているのだ。私はーー。
皆を失うのがどれだけ辛く、苦しい事かをーー。
「過去を、それも自分達に深く関わる過去を変える事はつまり未来を大きく変えてしまう。きっとお前の生い立ちが変化すればーー」
「皆と………出会わなくなる」
過去改変でどれだけ今の状況が崩れるかすら予測不可能。もしかしたらどこかで収束して再び巡り会う可能性もあるかもしれない。
が、結果だけだ。過程そのものが今と変わりない訳がない。皆と頑張ってきて笑い合った記憶は二度と帰って来たりしないのだ。
皆がその私を知らないのはきっと寂しい。
いや、辛い。
「そうなればきっと変化する未来に近づくに連れてお前の記憶からも彼等との思い出は消えて忘れ去っていくだろう。それが改変する代償だ」
何が大事かを見失いそうになる話だ。しかももしそうなる未来を選んだ上でこの状況になってしまうとしたら果たして私は彼等を助ける意志があるのだろうか?
分からない。答えが出せない未来に縋るには私は強欲な事を自覚しなければいけないのだ。もう取れる選択肢は少ない。与えられた機会は一度しかない。
後は私のーー我儘だ。
胸が締め付けられる。先程の嬉し泣きの感情とは真反対の悲しい涙が溢れ出る。こんなに揺さぶられる気持ちは初めてではないだろうか?
この決断は私の歩む人生そのものだ。これから先を後悔しながら生きていくしかない呪いだ。
例え私が異端の天才だとしてもこの運命に抗えはしないだろう。
今から未来を変える事よりも今から過去を変える事がどれだけ大変で危険で愚かなのかーー。
甘んじて受け入れるしかない。
だからーー。
「おかぁ………さん」
か細くすする声でそう呼びながら彼女を抱き締める。
もう二度と彼女の前で呼べない呼び名をーー。
今日までの、そしてこれから生きる未来の分を少しでも取り戻そうとまるで未練がましく精一杯甘える。その抑えられない感情を吐き出してもしもの未来を想像するのが私に出来る最後の抵抗であり、我儘であった。
これが子と親と言うものであるのを体現していた。
それに応えるようにバーミリオン・ルシエラは私の頭を優しく撫でながら抱き締め返してくれた。
優しく、温かかった。
ごめんなさいお母さん。
ありがとうお母さん。
私、頑張るからーー。
僅かであり、短いようか長いような余韻に浸る。
産声のように激しい感情を曝け出しながら。
ややあって。
「………大丈夫か?」
抱擁を止め、手だけはしっかりと握り締めて尋ねてくる彼女。
もう時間が無いのもあるだろうが、きっと私が落ち着きを取り戻して踏ん切りが着いた頃合いを見計らったものだ。
だから私は次こそ泣くのを止める。
決意を固める。
力強く握り返した。
「ーーええ」
いつも通りのーーいや、そんな過去の自分を乗り越えたカナリア・シェリーとして立ち直る。
立ち上がる。
「やり直せる機会は一度だけだぞ?」
彼女の姿が透けていく。
握り返している筈の手から温もりや感触が消えていく。
それが何を意味するかは説明する必要はないだろう。
これが最後。
だけどもう迷いはない。
「分かってるわ」
「新たな未来に向かう覚悟は?」
「任せてちょうだい。絶対に今度は挫けない」
「次こそは本当の命懸けだ」
「問題ないわ。もう負けない」
「私やあいつだけじゃない仲間達の未来すら背負って進む意志は持ったか?」
「当然よ。私が誰の子供で何て呼ばれているかよく知っているでしょ?」
僅かに下がり、正面から向き合う私達は今生の別れの狭間に立って最後の言葉を交わす。
静かに息を吸って、私は精一杯の挑戦的な笑みを浮かべながら桜の魔女に高々と言い放つ。
そう、私はーー。
「異端の天才ーーカナリア・シェリーよ!」
すると彼女は"フッ"と静かに笑いながらーー。
「ああ、知っているさ」
瞬く間に光の塵へとなって姿を消すのだった。
それを見届けながら私は最後の彼女の言葉に従う。
"さあ、行きなさいシェリー。"
"貴女に蒼天の加護が在らんことをーー。"
世界が極光の輝きに包まれた。