−これは天才ではない②−
血に踊るピエロ。
その名称を耳にした瞬間には学園を意識して造られた廊下には惨状が広がっていた。
まるで予知夢で視た光景である。私は開いた口が閉じないままに眼前の状況を見下ろす。
開幕から困惑を突き付けられた。何故なら「さあ、戦おう」となった最初の彼女の行動が自決である。言っている事とやっている事が全く違う支離滅裂な状態だ。正直どうしたら良いのかが分からないままに血の池を作り出していくのを見守る。
その手に持つ鋭利な刃物を首に刺したまま倒れる彼女をーー。
ーー。
「ーー死んだと思った?」
「ッ!?」
何かに引っ張られるように身体を引き起こす異質な雰囲気と予想外の生存に驚愕した。生きているよりも死なないだけのような命を軽んじている装いに私は自分でも引き攣らせた表情をしているのを自覚する。死んだと思ったに決まっている。生物学上の知識が無くともそんな単語をひけらかすくらいには生きている方がおかしいと言えよう。寧ろそんな陽気に起き上がって来るなんて想像出来ない。
何故そんな事をする必要があったのか? それが魔法か何かを行使する為に必要な工程なのか?
確かに魔法名らしき呼称を使ってはいたが。
だけど単純に考えてだ。そもそもが死にも匹敵する対価を必要とする魔法ならそんな魔法は私は知らない。遥か昔に存在はしていたのかもしれない。実際に曰く付きの魔法なんて形態を変えて今にも存在するのは理解している。アリスさんが持つ魔眼とかも良い例だ。ただ現代魔法に匹敵するかと言われれば一度その価値を吟味しなければならない。だから吟味されて衰退していってるのだ。ならフィアナの扱う魔法ももし死ぬような対価に見合う効果を持つのかは一回死んでみて確かめるしかないのだ。とは言えだ。そんな狂人みたいな発想を実行する神経も疑うし、こんな場面でいきなり自身の命を捧げて発動する奥の手みたいな手段に興じるのも馬鹿げた話ではないだろうか?
今一度疑問するが、あれで何故彼女は生きているのだ? 前々から読み切れない人物ではあったがまさかこうも固定概念を裏切る振舞いをするとは思うまい。
逸脱した行い。まるで己れの存在を、価値を否定するかのように。
いやダメだ。呑まれている場合じゃない。先ずはそこへの疑問は後回しにするべき。今はそれだけの対価が為す力に向き合う必要があるだろう。払った分の利点がある程の能力なのか、見定めなければならない。
そう、私は初見の技に弱いのだ。故意にかは不明だが初手から早くも私の知らない未知であり、戸惑わせる行動に出ている以上は警戒心を上げるしかない。
流された彼女の血が動く。意志を持つが如く宙に浮き、核となるような何かに集合しながらそれは形を模していき、模った姿はそのままーー。
道家の姿になる。
つまりはーー。
「血で出来た………血の召喚魔法?」
「ピンポーン! 大正解だよシェリーちゃん。ちょっと大食いだけどね」
軽口で楽しげに語るが、ちょっとなんて量じゃない。常識的な定番の対価は指先から滴る一滴程度だ。術者の情報を与えれば十分なものをあれだけの量を与えて何になるのだ? しかも召喚魔法だとしても道家を使役するのに必要な対価なのか? 私の知る限りでは聞いた例がないものである。
まるで自身の複製でも創造するような対価。
が、彼女の背後に佇むそれは紛れもない異質だ。
一般的にはよく見るピエロ。いや、こうも大芸道以外で対峙する道家が恐怖に感じるとは思わなかった。私だって多少は街中で遠目からは覗いた事くらいはある。しかしあれは人々を笑顔にするものだ。ああも嫌悪感を抱かせる存在ではない。
菖蒲の少女の倍はあろう背丈の筋肉質な体躯。赤と青二色の二股帽子を被ってその顔は悪目立ちする赤い鼻に真っ白に化粧された仮面を付けたような顔。そこまではどこでも居そうな道家だが、何かに飢えたような笑みを張り付けた姿は畏怖しか覚えない。
極め付けは血に染まる眼。思わず私は足を後ろに退きそうになるくらいに恐怖を与えてくる。
驚いたのはその後もだ。ノーマライズ・フィアナの首に刺さるナイフを引き抜き、それを自身の武器として手の平で弄ぶ動作はとてもじゃないが使役している光景には程遠い。確かに召喚魔法は時と場合によれば上手く手懐ける必要性があるけど、どう考えても制御下にすら置けてないような構図。
歪めた笑みを見て嫌悪した。価値観に相違があり過ぎると人はこんなに受け入れ難いものだとは今まで考えもしなかった。まだ悪魔を相手にする方がマシだとすら思うくらいにだ。
「品が悪い………。貴様がやっているのは魔法に対する冒涜だ」
舌打ちをしながら喋るバーミリオン・ルシエラも歯切れの悪い言い方だ。流石に抱く感想は同じと言った所だろう。邪悪で醜悪な魔法の見本とすら形容出来る力だ。願わくば今生の歴史の中に葬り去りたい。若しくは既に葬りさられたのかもしれない。
「あは、往生際が悪い魔女さん」
クスッと妖艶の笑みを浮かべる姿と道家の組み合わせが非常に不気味だ。その瞬間の笑みは正に同一視すら出来る。心臓を鷲掴みにされているような重苦しい存在と散々あれだけの長い時間を一緒に活動していたのにそんな顔が出来ると考えもしなかった私は本当に騙されていたのだろう。或いはそんな一面に気付けなかった私の落ち度か?
無邪気な邪悪。道家を出したのは向こうだが、どっちが笑い者か分からない。
完璧に呑まれた空気にされた。
さあ? どう出れば良い?
「そんな貴女に素敵な物を送ってあげる。まあ貰うのはシェリーちゃんだけど」
様子を見ている事にも勘づかれたかもしれない。
視線を向けられた途端に身体を悪寒が走る。
ーー来るっ!
その脅威に迷わず私は迎撃する。
「【竜の腕】」
何の合図もなく自身の意志のように道家が舌舐めずりしながらナイフを振り回す狂喜乱舞が最初の接触だった。単純な刃物を使った攻撃と言うのに違和感を覚えながらも遅れず対応。
堅いものと堅いものがぶつかり火花が炸裂する。間近で交差する血走った目に覗かれる。その狂気を含んだ瞳が私の感情を探ろうとしているのが伝わってきた。純粋な身震いを覚える。恐怖、或いは他の何かを求めているのか意気揚々と狂気をぶつけてくるその姿を長く目に映すのは毒だろう。いずれは呑み込まれるそんな予感がした。
歯を食い縛り、力技で無理矢理跳ね返す。膂力なら竜を模った腕が力を貸してくれ、その勢いのままに後ろに下がり僅かな間に更なる技を繋げる。
速さ勝負も割と自信はある。
「俊電【雷竜】」
薙ぎ払う腕の爪先から放たれる雷撃の衝撃波は避ける事すら叶わずにあっさりと道家に直撃する。
ブワッ、と近距離で風圧を浴び前髪が流されるのを感じながらド派手に廊下の窓を突き破って吹き飛んでいく姿を目にして確実に致命傷の筈だが、残念ながら手応えだけは全く感じなかった。
まあこの程度で終われば苦労はしないのだけれど。
と、その雷撃を受け流すように宙返りをして勢いすら完璧に消す曲芸を見せながら校舎下の中庭に着地する離れ業をやってのけた。つまりあの攻撃は衝撃を逃がせるくらい見切れているのだ。道理で手応えが無い筈だ。恐らく先ずはお手並み拝見と揶揄われた程度だろう。道家は愉快に笑っている。これが大道芸の一環なら拍手の一つでもしていたのだろうけど今は死闘の最中。笑えるような状況じゃない。
が、まだ此方だって手品のような魔法ならいっぱいある。
廊下の向こう側で笑う菖蒲の少女は何も仕掛けて来ない。余裕の表れなのだろうか? それならそれで私は集中させてもらおう。
背後に二つの魔法陣を展開。双璧を為す陣から現れるのは鉱物を混ぜた土の柱。校舎の一部を崩しながら螺旋状の柱を形成して道家に襲い掛かり避けられるもその後を追跡する。ただ真の狙いはそこに在らず、もう一つの魔法陣から流れる電撃により柱と柱の中は特殊な通路のような空間を生み出す。加えて電撃に通常はしない工夫を労して作られた螺旋の道は所謂射出口として機能が発揮される訳だ。
上下左右天地と器用に逃げるピエロだが、追跡が可能な限り私の使う魔法からは逃げられない。
完成した螺旋の砲台ーーと呼ぶには些か戸惑うが、その破壊力をお試しあれ。
中庭を駆け回る道家を上階から見下ろしながら私は魔法を唱える。
「【電磁砲】」
高出力の熱線にも近い朱の雷撃が今も尚追いかける道家への通路を通り過ぎる。逃げれば逃げる程に延長される螺旋の道は雷撃を加速させ続ける為、これを防ぐには退いていては意味がない。
多分雷系統を使い熟す天才の中にはこのような芸当が可能な人物はいるかもしれないであろう磁力を応用した能力。破壊力は最上級を超えるだろうから国は禁止指定を設ける必要があるくらいには兵器としての一面を帯びる力だ。使える人が居たらの話ではあるが、欠点も多いのを扱いながら痛感する。
一つは前準備が必要で攻防を繰り広げている最中には隙だらけである事。今みたいに対単独ならば攻撃をしながら用意して放つも可能だが、気付かれたら直ぐに対処されるくらいな諸刃の剣。加えて特殊な素材が必要だからそもそもがその場で代用出来る手段の難易度が高い。土魔法すら高水準で扱えなければならない故に非効率な作業が土壇場では多過ぎる。最悪捨ての判断すら強いられる状況を考慮するとそれまでに捻出した魔力を破棄しなければならないと考えれば果たして術者は最適に選択を選べるか難しい破壊力がある。吐いて捨てるくらい余裕がないなら実戦には向かないだろう。どちらかと言えば戦争のような大多数を鎮圧させるのには向いている。
この所は雷系統を多用するから考案していたが、まあ私なら不採用ではある。だからユリス先輩の時には使わなかった。隙だらけだから。
初見殺しがてら通用したら良いくらいの手品に過ぎない。
そうして逃げ切れなくなった道家を捉えて爆発する。その強大な衝撃は対面の校舎に風穴を空け、更には周辺の窓を全て爆風と音だけで全て砕け散らせる。
そこへ口笛が風に乗って聞こえて来た。
「へえ? シェリーちゃんまた変な魔法を編み出しているんだね。私のピエロのお箱奪わないでよ?」
「寧ろ道家の癖に芸がないんじゃないかしら?」
軽口を叩く人物はいつしか死に至りそうな首の傷すら消え、あれだけの血の海すら何事もなかったように振る舞う。一番芸があるのはきっと彼女なのだろうが、一体どう言う仕組みなのか未だに理解出来ない。
道家だけでなく彼女も攻略したいがーー。
「大丈夫だよ。え? と思わせてなんて事ないのが道家なんだよ? だからあの時大道芸観に行こうって言ったじゃん?」
「いつの………話よっ!」
横槍が入る文句に苛立つ私は風刃を飛ばす。観戦は自由だが野次は不要だ。
掘り返す過去にすら一々神経が逆撫でられる。貴女は傍でこの展開を図りながらそう笑っていたのかと思うと余計にだ。
風刃はあっさりと防がれる。しかも防いだのは電磁砲が直撃した筈の道家だ。いつの間にかフィアナの前に立ち、手に持つナイフで風を切り裂く。あれで五体満足なのはどう考えても有り得ないが、ピエロならばそれくらいの手品を見せてもおかしくはないのかもしれない。
結局一対ニの構図を維持したままだ。しかも何方も何を考えているか分からない手合い。厄介極まりないがまだ私だって伊達に修羅場を潜っちゃいない。
「限定解放ーー【心眼】」
瞳を金色にさせ、普段なら見通せない景色までを視界に収められる。手品を巧みに扱おうがそれすら見破るのも可能だ。いい加減しぶとい道家には退場を願おう。
「【簡易魔導書】」
原初魔法の中でも一番燃費が良い魔法を保存出来る能力を使う。宙に幾つもの魔導書を展開しながらそこから様々な魔法を繰り出し向こうの動きを抑制しに掛かる。
下位魔法から上級魔法まで、最上級までは現状の私には難しいがそれでも手数は多い。これ以上あれやこれよ求めると直ぐに息が上がりだすから使いどきを選ばないといけないのだ。
ともかくは道家の秘密を暴こうじゃないか。
幾重に張り巡らすような雷撃を準備しながら私は砲台を滑って中庭に降りていく。
一旦もはや邪魔と化した電磁砲の砲台を変換。砂鉄を操り、嵐になってピエロを取り囲む。今の所はしっかりと閉じ込められた状態が私の目には映るが、どうやら肉体を形成している感じを見ると基本的には魔力と対価に使用した血の核だけなのでもしかしたら通常の対処ではどうにもならないのかもしれない。正に手品みたいな謎だ。
だったら雷撃が狙うは砂鉄で足止めしている道家ではなくあの菖蒲の少女だろう。これは魔導師同士の戦いなのだ。術者を倒せば大抵の魔法は停止する。
急な方針転換だが、多少の不意は付けるだろう。そしてそろそろ彼女の動きを心眼で把握していく必要も。
「ーーあら?」
二桁はある雷撃を一斉射撃。僅かに面を食らった様子ではあるが、彼女はどう凌ぐのか?
しかし、ここで道家に動きがあった。
砂鉄に閉じ込められた中で姿形を大きく変えて粒子状に散会した後に再度フィアナの正面で核からまた形成を成して憎たらしい笑みを浮かべたピエロがナイフを使わずに赤黒い壁を作り上げて雷撃を弾いた。
流石はと言わせたいが、その過程を全て心眼で理解してしまったが故に気味が悪すぎた。防いだ壁も含めてあれは手品なんて可愛い表現は出来ない。
あれは全てフィアナの血だ。彼女が流した血が意識を持つかのように動いているだけだ。だから一度形を崩して砂鉄を潜り抜けて再び形成し直した。
「血に魔力を混ぜたらそんな芸当が………」
「正しくは魔力に血を、だよシェリーちゃん」
どっちでも良いと一蹴したくなる。見た目に反してその実はメタモルフォーゼをしているに過ぎないカラクリだ。
彼女の血そのものがーー。
「早い話、自身の血肉は自身の魔力が一番相性が良いんだよ。それも量が多ければ多い程にね?」
「理屈の話よ。普通なら死ぬような代償を払ってまで作る訳ないじゃない」
「あはは、ここまできて普通の発想が通用する段階じゃないのはシェリーちゃんが一番分かっていると思ったんだけどなー? 見込み違いかな?」
「ーー後悔するわよ?」
以前なら飲み込めた事案だが、もはや本気で敵に回るならば話は変わる。いや、この場合は個人的な激情も加わってくるだろう。
簡単に許せる許容を超えてしまった彼女においたでは済ませやしない。
自身の命から他者の命まで軽んじる行いには制裁が必要なのだから。
簡易魔導書から湾曲する光の柱を撃つ。雷撃よりも速く雷撃よりも強い不規則な魔法はその場で防ぐにはあまりにも手数が多いだろう。それを絶え間なく速射する事で防戦を道家には強いてもらう。まだ術者であるフィアナが動かないのが気にはなるが、攻めの一手を崩さない。私の土俵だ。
と見せかけてこれは誘導だ。こんな適当に魔法で押し続けた所でどうにかなるなんて甘い考えを捨てた私は無詠唱の風刃を織り交ぜる。
波状攻撃の最中に隠すように放つ魔法が突破口の鍵だ。
一見ただ真っ直ぐに進むだけの風刃。が、魔法はその気になれば術者の意思に応じて動きを与える事が可能だ。大抵は細かい操作をする事を怠りがちだが刺さる時は刺さる。
曲がれーーと命じれば対象の背後から急展開して奇襲もする。
「ーー!」
弾幕に紛れた風刃に遅れて気付いたみたいだけどもはや遅い。道家が庇うにはの話ではあり、それくらいの速度の風刃ならきっと避けては来るだろう。あわよくばちょっと怪我する程度の想定だ。しかしあの貼り付けた笑みを崩すには十分な攻撃である。
いつまでも余裕で、舐めて掛かれる相手じゃないわよ私は。
くいっと人差し指で上手く操作をしてフィアナの二の腕辺りに狙いを定めた。
さあ、貴女にも苦渋ならず苦痛を味わってもらうわ。
そんな精神的な優位を奪いにいこうとした。
ただそれだけのつもりだった。
ーー甲高い摩擦の振動音が響いたのは。
「ーーえ」
間近に見た景色は赤く塗り固められた。あまりにも刹那的な出来事が自身を冷たくするのを感じさせる。間違いにはならない間違いを犯した気分を味わいながら視線が追いかける先にはボトっと弾力を持つ物体が転がった後だった。
やけに生々しかった。何ならまだ脈動して動いてさえいたソレの切り口からは思った以上の液体の放出をし、足掻いていたように私は思っただろう。
瞳孔が開くかと、瞳が右往左往しながら周りを見渡して現実から逃げようと必死だ。
が、それは嘘にはならない。残った結果であり私が見る全てが答えである。
そう受け止めて私は改めて認識する。
ノーライズ・フィアナの右腕を斬った事をーー。
「………」
意外な展開に直面した私は言葉を失う他なかった。気持ちは確かに怒りに偏ってはいたが改めて人に、ましてや友人として接していた相手の腕を吹っ飛ばして平気な筈がない。逆にどうしようもない罪悪感すら抱けた。
早い話そんなつもりじゃなかった。
ただ彼女も言ったようにだ。もう簡単な手合いじゃない。普通の段階を過ぎている状況だ。言葉だけを労しても駄目なら多少の痛みを知ってもらうしかないのである。
自分でやった事に対して悲痛な表情を浮かべるが、腕を落とされた彼女はこんな自己都合な私よりももっとーー。
「痛いなーシェリーちゃん。ちょっと酷くない?」
「ーーッ!?」
語りかけてくるフィアナは変わらず妖艶に染めた笑みを浮かべたままであった。
その失くした腕に目もくれずにーー。
「あ、貴女………」
「へぇ………そんな顔するんだ? いつの間にか変わったよね? 列車で人が死んだ時はあんなに冷たい顔をしていたのに」
「な………」
「間に受けるな! さっき自分で首にナイフを刺していた姿を忘れたのか!? あれは普通じゃない!」
動揺する私に喝を入れたルシエラにハッとする。
確かに死んでもおかしくない行いをして健在な状態なのだから腕の一つや二つが無くなった所で大した問題ではない。
いや、あるでしょうーー普通に。
しかし実際平気な様子を見る限りは菖蒲の少女にとって腕を失う事は問題ではなさそうだ。その異質な環境に吐き気すらする。もしかしたらワザと腕を斬られたのではないかと今更ながら考える。
「良いじゃないルシエラちゃん。シェリーちゃんが人間らしい一面を見せたのは友達としては成長だよ」
どんな教育を受けたら腕を落とした人に叱責をする人物を宥める事になるのだろうか? そして今も友達と口にする情緒に一種の恐怖すら覚える中ーー。
「ま、異端の天才としては退化したかもしれないけど」
彼女は落ちた腕を拾い、歩み寄る道家に渡す。
ニタァ、と口元が裂けそうなくらいの狂気の笑みを浮かべる姿は多分一生の心の傷になりそうだ。
受け取るピエロがそれを食べた。
「ーーッ!? なんてものを見せるのよ!」
「あはは、さっき言ったじゃない? 自身の血肉と魔力は相性が良いって」
ギリッと奥歯を噛み締める。どんな感情で受け取れば良いのかも分からないままにその言葉の意味について吟味する。
いつだってフィアナは自身の考えからズレた答えを導き出す。故にこれが何を意味するのかをしっかりと考えなければならないのだ。
血を魔力に混ぜた結果が曲芸を見せている。いや、もう少し簡潔にすれば与えた分、道家は成長するのか? それも違うか。相性が良い部分に着眼点を置くべきなのか? ならば道家は言わばフィアナの分身に近い存在であると推測する。では血の次は肉を与えた事になる。本当にその通りかは不明だ。だけど腕を与える必要がある程の意味を考えるならーー。
「考え過ぎも悪い癖だよシェリーちゃん」
「なっ」
聞こえた内容を精査するより速くピエロの顔が触れ合うような距離にあった。
先程までとはまるで次元が違う動きだ。速いなんてものじゃない。全く別の個体と戦っているくらいにこの差は測り知れない。
が、ある程度の推測は繋がってはいるようだ。
それ程までに彼女の右腕が道家を強化している。
溢れ出る狂気、殺意や憎悪が入り混じったのを間近に受けた私は身体を強張らせて一瞬の判断を遅らせてしまう。
その結果はとても致命的なものであった。
自身から隠すような態勢から突き出すナイフの刺突。緩急を持たれた上に細かな体捌きを体得した駆け引きによる死角からの一撃は確かに命を奪いにかかる必殺を感じた。
が、私には竜の腕がある。胸を穿とうとする瞬間には割り込ませる反応は辛うじて叶った。
甲高い音と火花が散る。肩前にナイフと竜の堅い鱗が衝突する事で発生した現象だ。本来ならばナイフなんて簡単に割れてもおかしくないくらいなのだが、いつから私は見落としていたのだろうか?
竜の腕を具現化しているとは言え、強化魔法が決して絶対的ではない事にーー。
「ーーまっ」
軋む腕が悲鳴を上げるのを横目に彼女は言った。
「お返しだよ。シェリーちゃん」
道家と菖蒲の少女の笑みが同期する。
ーー直後。
右腕に纏われる強化魔法が砕け散り、ナイフが生身の私の腕に刺さった。
「ーーッ!!?」
言葉にならない痛苦の声が漏れる。焼けるような感覚が支配し、呼吸を忘れたような苦しさを味わう。しっかりと刃が腕を貫通するくらいに食い込み、歯を食い縛って走る激痛に精神を折られないようにする。
が、素直に痛い。以前にも腹を抉られてしまったがあれはもはや痛みすら得られない状況と必死さの方が優っていたのだ。深刻さは違えど単純な苦痛は此方の方が伴っていた。
そして刺したナイフを遠慮なく引き抜かれる。鮮血する右腕を押さえ、脂汗が滲み出るのを覚えながら道家を睨む。そんな事をしても意味はないがこの展開を歓喜する姿にドス黒い感情を抱かないと言えば嘘にはなる。
加えて指示をしたであろうフィアナも。
「だからお返しって言ったじゃん? まだ腕が残っているだけ感謝してよね?」
「気軽に、言ってくれるわね………」
流れる血が止まらない。今更だがこうなってしまった時に応急処置をする準備もしてなかったのが悔やまれた。しかもどうしてか知識の転生と言う恩恵がありながら私は回復、治癒、再生系の魔法の分野だけは全く扱えない。あれもまた特別な枠にしか当て嵌まらない類ならば意外に私は天才ではないかもしれない事に気付いた。
自覚する場面ならあちこちであった筈なんだけどどうして疎かにして対策して来なかったのだろうか?
それを代わりにフィアナは代弁する。
「自惚れているからだよ。今まで上手くいけてたからなだけ。でもここでは助けてくれる仲間もこれ以上に閃いた奇策で打開すら叶わないよ」
「貴女こそ………言い切るじゃない? 私の底を見抜いたつもりかしら?」
挑発染みた物言いのおかげで強気な姿勢は取り戻せた。唯一の救いは対話に応じている間はピエロも仕掛けて来ないのでやはり菖蒲の少女が操作しているのだろう。つまりその間は対策を考えられる訳だ。あまりやり取りに付き合い過ぎると変な感情に振り回されるがここは我慢。
ただ、思っている以上に彼女の潜在能力が高い。道家の強さが先程よりも打って変わって飛躍したのはあの右腕を食したからだ。多分術者の血肉を喰らった質や量に応じるので多ければ多い程フィアナに近付くと考えるのが妥当だろう。
なら右腕1本が私の生死を脅かす域にまである。これがもう少し道家に自身の一部を与えたら果たして私の手に負えるのか?
正直これ以上下手に両者に仕掛けても消耗は此方の方が酷くなりそうだ。
先にやはり何をしてくるか予想出来ない道家を倒すしかない。
まるで不死身のピエロを。
「なら見せてよ? シェリーちゃんの底を」
「ええ、見せてあげるわよ!」
ここで流れを変える。此方も片腕を失った状態に等しいが魔法しか使わないなら大きな支障もない。あれを倒す魔法一つと心眼さえあれば良い。
そもそもが心眼を上手く活用していなかった。それでも竜の腕がある余裕ならず慢心があの場で回避よりも咄嗟に防御に回ってしまったのだ。
まさかナイフによって貫かれるなんて全く考えもしなかったからだが一体どんな業物なんだろうか?
と、要するにまだ現時点での相手の動きにはギリギリ間に合う。これ以上フィアナの血肉を受け取ればそれも叶わないが単純に血肉を与えられない限りは強化されない。これ以上でもこれ以下でもないのがせめてもの救いだろう。
だから機を合わせてあの魔法を打ち込む。
後は問題はーー。
「(痛みが引かない………意識がそっちに持っていかれてしまう)」
負傷した中で扱えない魔法なんて使えたものじゃないがどうしても繊細な作業が必要になる。基本的にはどの魔法にも適用はされるがこれから行使するのは特に難易度が高い。理由は失敗した時の不発か暴発だ。最悪暴発をすれば術者に返ってくる被害が甚大なものになる。非常に均等な配分を意識する必要がある為に何かに気を取られていては上手く発動が難しいのだ。おまけに言えばあまり多用する機会もない分手慣れた魔法じゃないのが一番の欠点と言っても良いだろう。しかも最初の一回しか通用しないのは明白だ。
そんな条件下で様々な能力を維持しながら道家を出し抜けるのか?
否、出し抜くしかない。いっぱい食わされはしたが決して敵わない相手ではないのだ。
冥天のディアナードはもっと凶悪だった。
ダリアス・ミレーユは更に不死身だった。
ヴァナルカンド・ユリスはそれまでの経験値がなかったら確実に勝てはしなかった。
そんな面々を、修羅場を潜り抜けてきたのだからピエロ程度に遅れをこれ以上取る訳にはいかない。
集中しなさい。カナリア・シェリー。曲がりなりにも異端の天才の名を冠しているのだから。そんな私について来ている皆に顔向け出来て胸を張れるようにーー。
「【限定解除】」
黄金の魔力を纏って駆ける。僅かな時間で一気に決着をつけるつもりで怒涛の勢いで魔法を乱射する。最上級すらお構い無しに即発動出来る分著しく魔力と体力を持っていかれるが血肉を差し出すよりは幾分もマシである。
業火がうねりをあげて襲い、濁流が逃げ場を潰していき、その二つが相殺される事によって発生する水蒸気すら目眩しに雷光を差し向けて吹雪を散らす。その先すら塞ぐように大地を迫り上げて出口を一方向に絞らせてからの先程披露した電磁砲を出口である場所から射出。崩れた大地の壁の次は爆発。
普通なら粉微塵になるであろう連撃だが、心眼に映るのは消し飛びながらも再び道家が形を取り戻している姿だ。
これが単なる再生をしているだけなら良いが、本体が別にあるんじゃないかと不安がよぎる。ただし再生中に関しては無防備だ。核となる部分から形成される順序に関しては絶対の公式がある。だからその間は大きな隙を見せていると言って良い。