−これは天才ではない−
「以上、これが黒幕の真実でした!」
「………」
随分と様々な記憶が呼び起こされ、整合性を取る為に沈黙の時間が続いた気がする。
私は何を聞かされているのだろうか?
そう思うくらいには知らない場所で想像以上の思惑が働いていたのは認めよう。ただ、全てを間に受けて信じたとしても一番身近な存在が黒幕だなんて絵に描いたような展開が実際に起きるのはまた別問題な気がする。
が、言われてみれば全てが綺麗に当て嵌まるくらいには話の道筋は適合していた。だからこれは悪い夢の類いだと考えた方が楽にはなれそうだ。
ーー研究? 人工生命体? 何よそれ?
どれだけ相手が根本的に問題を起こしていた張本人だとしてもことの発端が私ならばどうこの気持ちに整理を付けたら良いの?
「そんな難しい顔しないでも天才なら分かるよね?」
「理屈じゃないって言葉はこんな時に必要なんでしょうね………」
大方は把握した。いや、把握せざるを得ないと表現した方が良いだろう。この際今は何でも良いと割り切ってしまうしかないくらいに聞きたい事は山ほどある。
とりあえずはーー。
「で、貴女が結果的にどんな未来を築くのかは知らないし興味もないわ。けど………」
「ーーけど?」
「私を止められる気でいるの? 出し抜かれたのは認めるわ。だけど大人しく降参する程、カナリア・シェリーは甘くはないわ」
この隣の魔女もね。と横目に彼女を覗く。
正直その横顔からは何を考えているかは分からない。実際私だって彼女との関係は長い期間を共にした仲間や友達なんて存在ではないのだ。分かるのは魔女はカナリア・シェリーの味方であろうと動いてくれている事くらいだろう。他愛もない雑談もしなければ一緒に買い物に行くような仲でもない。ただただいつも真剣な話合いの応酬だ。
だがそれでも今の彼女の表情がどんな物かを語るのは難しくはない。ある意味ではよく見て来たし、その見て来た中でも此度に限っては一番分かりやすいくらいである。寧ろ誰が見ても分かるだろう。
だからこそ思う。
怖いーーと。
「(………何て殺気を出しているのよ)」
殺気で人は殺せないが、この人なら出来るのではないか? と思わせる程にバーミリオン・ルシエラは憤怒の形相を浮かべていた。どれだけの仕打ちを受けたらこんな表情にさせるのか? 握る拳は血が滲みそうに強く、食いしばる歯軋りが此方まで届きそうなくらい怒りを抑え、鋭過ぎる目は瞬きすらしておらず、刺すとはこの時に使うのかと勘違いすらする。
向けられているのは確かにノーライズ・フィアナ。或いはこれまでの歴史そのものかもしれないが、隣にいる私がどうにかなりそうですぐにでも離れたい気持ちが渦巻く。
この二人に一体何があったのだ? 何もないだろう。何故なら直接的な邂逅はこれが初めてだ。初めてなのに二人は深い場所で繋がっている。寧ろ真実ならば私とフィアナはバーミリオン・ルシエラの副生体とでも表す事も出来る。
だからなのか? 利用されて産み出された存在が、いや子が親に歯向かうような構図がそうなのか? 若しくはそんな悪用されてしまった研究者にか? それとも全てなのか?
あまりにも怒りの規模が大き過ぎて冷や汗が止まらない自身はそれ以上口を開くのを憚れた。
ーーが、彼女は違った。
「いいや、甘いねシェリーちゃん。摩天のエルドキアナを思い出してよ? と言うか思い出したら手遅れにしか気付かないけど」
そうだ。
先程の話がその通りであるなら私はもう雁字搦めな状態に陥っている。
何故ならこの状況は向こう側が作り出したのだからーー。
つまり、フィアナが正体を明かし、私とルシエラを前にこうして姿を現した時点で既に思惑は殆ど遂行されているのだ。
彼女からしたらもはや私達は脅威ではないのかもしれない。エルドキアナと言う悪魔を例に出しているのは今がその時の再現に近いのだろう。
種明かしをしても問題ない場面にまで来てしまう。いや、あの様子だとどこで疑われようが意に介してない風にも窺える。それだけの余裕の表れは不気味以外のなにものでもない。
「聞かせて貰おうか? 話したところでもう手遅れだと言うなら」
ここで私の代わりに発言したのは魔女だ。少し冷静さを取り戻して来ているのかさっきよりかは幾分かは怖さも身を潜めている。
「聞かせるってよりかは証明するしかないんだけど、そもそも貴女がそんなに怖い顔をして殺気を向けても残念ながらそれ以上の事が出来ないのは分かっているんだよ」
「そ、それはーー」
「別に普通の事だよ。シェリーちゃんの意識の中に居る存在は精々こうして魔力によって姿が見える程度が限界。シェリーちゃんの意識を乗っとればシェリーちゃんの身体を使って干渉は出来るかもしれないけど、それをしないなら殺意しか出せない哀れな観戦者って訳だよ」
バーミリオン・ルシエラは脅威にはならないのを最初から看破していた。確かに思念体だけの概念が物理干渉まですれば死と生に然程の差も無くなる。既に彼女の存在も大分怪しい概念ではあるが、魔法が万能で全てじゃないってのを如実に表していた。
ただ、以前に残された力による予知をしたりは出来ているのを知っているからよく理解し難い。
そこへフィアナは補足する。
「魂と魔力を合わせ、思念体となる。魔女は特別な異能を持ち、そこにとある天才が立案した術式がそれを可能にして本来は未来を魂が覗くだけの力を他人を介して残し続ける事が出来るんだ」
理には叶う。私が見た光景も正にそれに近い。まるで魂だけが肉体から抜け出して知らない有りもしない世界を覗いているようだった。妙に現実的で、だけど朧げで、なのに魂に刻まれたような記憶。
思い出せない事もある。しかし、確かにあった筈の未来を見てきたと思わせる程に印象的な映像の正体がそうだと言うならば納得する。
魂だけが覗くのはあったかもしれない世界で、肉体と魂が一緒に繋がっている時の世界が実際の真実であるならば人はそれを夢と混合してもおかしくはない。
ただ、もし話を鵜呑みにするとしたらーー。
「本来バーミリオン・ルシエラは既に肉体を放棄した魂だけの存在として生き続けている。還帰る身体が活動する力を残していない。もう魂との共鳴を拒絶するんだよ。だから今も尚、誰かの肉体から魔力を借りなければ魂が残り続けようともしない。永遠に眠りながら夢を見続けている悲しい魔女が彼女だよ」
「………」
正直死して尚、何が彼女をそう動かさせるのか未だに私は知りもしない。勿論当人が話さないのもあるが、果たして今いるこの人物の言葉が全て事実なのかも疑いたくなるくらいに存在自体が凄く不安定である。
ただ、それでも私は信じなければいけないような気がした。理由を上手くは説明出来ないが少なくともバーミリオン・ルシエラは此方の意図に逆らってでも、なんとしてでもカナリア・シェリーを助けようと足掻いている。そうでなければ話の根底が覆りそうだ。
誰かの為に戦い続けている姿に偽りは感じられないと思う。
だから悲しい魔女なんかではないのだ。
少なくとも私にとってはーー。
「色々言っているけど、結局まだ私の質問の答えにはなってないわよ?」
「ふーん………多少は揺さぶられるかなって思ったけど意外に知らないところで強くなってるんだね」
「この一連の流れが貴女の仕業なら強くしたのは貴女よ」
多少は冷静さも取り戻してきた。依然不利な状況なのは認めるしかないが結局全て跳ね除けたら何の問題もない。
私は負ける訳にはいかないのだ。
異端の天才の名に懸けてーー。
そう息巻くがーー。
「でも、まだ何も分かってないんだからシェリーちゃんは………」
静かに、私の浅はかな思慮へ呆れたような言葉を彼女は漏らした。それはそのままの通り、未だにこの状況を作り出した当人の真意を浅く理解し、不気味な深淵の奥底も分かっていないからこそ出てきたものだろう。つまりそれが無知なのだ。
無知だからこそ。
「それはーー罪だよ」
言い放たれた直後だ。
「ーーッ」
ぞわぁ、と心臓を鷲掴みにされているような感覚に襲われて息を荒くする。今の一言にどれだけの殺気ともまた違う闇の感情を確かに感じ取って私はこの感覚をこれまでにも教えられてきた事を思い出す。
そうだ。度々会話をした時、不意に彼女から感じる不穏な気配の正体はこれだったのか。
ただひたすらに不気味で、悍ましく、怖い。少しでも自分を見失えば直様にそれに呑み込まれてしまって上書きされそうな深い闇。
やはりカナリア・シェリーは無知だ。
そう思わせる出来事すら待ち受けていたなんて今の自身には想像すら叶わなかった。
これだけの間、ずっと近くで暗躍し続けて幾度となく私を自分の手を汚さずに脅かし、かの魔女にすら探られない舞台裏を築き上げて世界を混沌に陥れようとするノーライズ・フィアナの実態。素直に恐ろしい。
もしかしたら私達は反撃の狼煙を上げようとしているが、実際は退路を断たれた鼠でしかないのかもしれない。
「だから、見せてあげるよシェリーちゃん」
「ーーッ!」
空気が震える。その発生源の様子も同時にこれまで私が知るどの彼女の姿とも酷似すらしなかった。狂ったように大きく開かれる双眸と裂けそうな程に弧を描いた口元。ある意味悪魔よりも悪魔らしさを抱く姿の背後からは具現化するまでに昇り上げる黒い影が魔力だと気付くのに数瞬の時を要するだけの歪さ。仮初の世界だと言うのにその仮初の場ですら彼女を拒絶する表れとして悲鳴を上げているのが自分には手に取るように分かる。
分からないのは探せばそのまま呑み込まれそうなくらいに深い彼女の底だ。天井知らずなんて希望めいた前向きな言葉ではなく、底知れずの方が今の菖蒲の少女を表すには丁度良くさえ感じた。
走馬灯のように流れる無邪気でお転婆でどこか抜けている明るい天真爛漫なフィアナが消えていく。いや闇に染まってゆく。
これがーーあの子なの?
予告よりかは宣言に近い言葉はそのまま殺意よりも悍ましい何かへと質を変えて乗せるように放たれる。まるで心臓を鷲掴みにされた感覚は既に生殺与奪の権利を得たかに思わせるくらいだ。
隠し切れない気配が肌を突き刺し、肉体に負荷を掛け、嫌な汗が滴る。よくもこれだけの気を封じ込めていたまま一緒に居れたものだ。今考えただけでゾッとする光景である。
同時に胸を締め付ける感情と静かなる怒りを覚えた。
「ーー貴女が友達と言ってくれた時、私は嬉しかったわ」
本心だ。あの一言が無ければ、きっかけが無ければ自身は変わっていかなかったのかもしれない。
「友達だよ。今でもちゃんと友達だと私は思っている」
そして相手も本心を語っていると感じた。
ただ何かが捻じ曲がっている。
「一方通行になるのよそれは。友達で済ませられるお茶目じゃない」
「それはシェリーちゃんの定義でしょ? こうなったら友達じゃないなんてそれこそ勝手だよ」
「定義に合わせるつもりもないわフィアナ。貴女の覇道に力を貸す友達じゃない。私は止める友達よ」
そう、と自身が知る彼女なら言わないだろう口振りで最後の決別の意は示された。
ややあって。
「じゃあ戦おうシェリーちゃん」
待ち望んでいたかのように笑うーー嗤った菖蒲の少女が手にしたのはーー。
「………ナイフ?」
思わず疑問を漏らした次の瞬間だった。
彼女はーー。
「ーー血に踊るピエロ」
その刃を自らの首に突き刺すのであった。