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◇旋律と蒼天のブライニクル◇  作者: 天弥 迅
収束へ向けて
137/155

−天才でも欺かれる⑤−



やはり無茶をしてしまった。


そう反省するシルビア・ルルーシア。今は先程のリミットブレイクも解除し、その白金に輝いていた髪もいつもの栗毛に戻っていた。


ただ僅かな時間の力であったにも関わらず、肩で息をしており煙のようなものが彼女の身体から弱々しく上がる。それは魂の灯火とすら言えるものであり、オーバーヒートした機械だ。


荒く息を吐きながらまだ虚に眩む視界を何とかハッキリさせ、担いでいるフローリアを優しく床に下ろす。


剣聖と戦った場所から随分と離れた街中にある民家の中、周囲の喧騒を耳に入れながら一先ず切り抜けられた事に安堵する。


危なかったと。


奥の手は確かに通じた。剣聖の、剣の頂にいる最高峰の魔導師に届き、僅かながら追い抜いた感触さえあっただろう。


だが、ほんの一瞬だ。


一歩間違えれば廃人にすらなりかねない代償を払った上で得た力が存分に発揮されたのは僅かな時間のみである。あれ以上の戦闘を続行すれば自我が崩壊しかねなく、肉体が負荷に耐え切れずにバラバラになっていてもおかしくないので倒せるか倒せないかの賭けに自身の全てを預ける程彼女もおろかではない。


当然だろう。何年、何十年先の自身の力を借りる行いが安い代償である筈がない。それでも利用出来たのだから寧ろ上出来とさえ言える。だから今の結果は良い意味でも悪い意味でも引き分けであろう。


それも多分、と付け加えてだが。


「思考は少し鈍い、肉体はーーあちこち悲鳴を上げていますわね。まあ………五体満足ではあるから良しとしましょう」


かなり微妙だが、最悪の結末ならば自己分析をする事すら叶わない状態に陥っているのは明白。次に繋げられる状況を残せた分、大成果であろう。


しかしーー。


「ここで前線は諦めるしかありませんわね………」


時間が経つに連れて身体が無理をした分のツケを支払うだろう。リミットブレイクをした肉体は人が無意識に制御しているものを解き放つものだ。そうしなければならないくらいに負荷が掛かる限界を超えた動きには暫くの休息が必然なのは言うまでもない。


不本意ながらも一か八かの綱渡りを既にした以上、ここからは無いものねだりをするよりも限られた手札でどうにかする他ない。


幸いまだ味方陣営の層は厚いのだから。


「一先ずは他の人に合流をしなければいけませんが」


真紅の少女も未だ目を覚さない。重症には程遠いが肉体的にも精神的にも大きな衝撃を与えられたのが一番効いているのだろう。目を覚ました後の彼女もある意味では心配だ。


そして悲観すべき視点もしっかりとしなければいけない。今も尚この戦局は分が悪いだろう。他の様子も分からない以上は楽観視する訳にはいかない。ただでさえオルヴェス・ガルムと言うエイデス機関最高戦力が向こう側に渡ってしまっているのだ。加えて彼を打破した脅威も行方知れず。正直気味が悪い。


「(私やガルムさんを出し抜くような人物が例の悪魔と呼ばれる存在?)」


残念ながら彼女は実際に悪魔と対峙していない。話自体は耳にしてはいるが、予想以上に出し抜かれている気がしていた。加えて悪魔に対して相性が凄ぶる悪いとされる聖剣を最初に抑えにいく発想をするだろうか? いや、成功する上での計画なら一番最適解ではあるが直近で聞いた話ではあの異端の天才が狙われていたとなっている時点で矛盾している。確かにそっちを狙いにいくだけの理由もあるがそんなあっちこっち摘み食いのようなやり方は中途半端過ぎる。故にまた別の思惑を感じられずにはいられない。


新たなーーと言えばそれもまた考えづらい。そもそも悪魔に話を、或いは悪魔が話を持ち掛けるにしても新たな対象の想像は難しい。


ただ、唯一可能性があるとすれば悪魔を呼び出した元凶だろう。詳しくは不明だが何者かが封じていた結界に穴を開けた報告を受けている。一番それが妥当な候補だろう。寧ろそこしかないのは明らか。


すると既にその段階からここまでの流れを組み込んでいたのだろうか? この展開までも全ては最初から狙っていたのならばそれは絶対攻略なんて霞む。目隠しをしてチェスをやらされているに等しい。


一体黒幕は誰だ? 仮に先程の能力がこの戦局の予測に活用されていれば答えは出ていたのだろうか? 逆にそうまでしなければいけない相手であれば既に何段階も上手であるのが露見するだけの事実になる。


手の平で踊っているような不気味な感覚に悪寒を覚えながらも彼女は後に残る英雄達や天才達に命運を祈るしかなかった。





「無事避難は完了だな」


「うん、まだ屋内待機している人が居ないなら大丈夫」


「やむを得まい。把握出来れば良いが俺達も限界がある」


「英雄って名声が泣くわね」


「後二人揃ったらどうにかなりそうだけどな」


「それこそ仕方のない話ってのは分かってんでしょ?」


「そうピリピリするな。皆分かってるさ」


「ピリピリしてないわよ!?」


「ルナ、五月蝿い」


「はあ? あんたちょっと良い感じになったからって調子乗るんじゃないわよ!」


「なっーーどうしてそれをっ!?」


「ルナ、それは三人の内緒だって言ってたじゃないか?」


「ーーあっ」


「お前らもう少し落ち着け!! それどころじゃないだろ!!」


セントラルの南側にて民衆を都市の外に待避させている中、一つ役割を終えた事で織宮レイを筆頭とする彼等は不毛な仲間割れを始める。まあ彼等からすればいつもの事ではあるが、肝心な取りまとめ役が不在な以上は誰が頭を抱えて嘆くかは言うまでもない。勿論一番この件に首を突っ込んでいる彼こそがその緊張感を感じられない皆を見て頭を抱える。


とは言え、今の一喝で閑話休題した皆はこれからの方針について話し合う。そこは切り替えの早い面々だ。


しかしだ。なんやかんやで此方側の計画に綻びが出ている現状は看過出来ない。そもそも見張る筈だったレイニー・エリックは既に所在を探すのは困難で会場を見張るしかなかったが、予定よりも早い異変に収拾がつかない民衆をどうにかするしかなかった展開は最悪な開幕だ。そのついでかてら今何処にいるかが分からないカナリア・シェリーを探していたが、残念ながら全く気配がない。その時点で何らかの結界魔法が機能している考えを考慮するべきなのだが既に手遅れでしかない。更には会場をシルビア・ルルーシアとへカテリーナ・フローリアに任せてしまっているのも気が引けていた。優秀な魔導師ではあるが若い少女達だ。


ただ、遠目にオルヴェス・ガルムの存在が見えたのもあり、彼ならその場を任せても良い判断になった事により今となる。確かに探していた剣聖が現れたのは渡りに船だが、その実は洗脳されていて絶賛彼女達と死闘中だなんてそれこそ予想外だろう。


一先ずはここからどうすべきか再び再検討する必要性がある。


「会場に戻ろう。何が起きているにしても中心は会場だ。全てはそこに集結すると思う」


「だけどあんた。肝心な計画の要が行方不明なんでしょ? 良いの?」


「問題はある。だけど心配する程の扱いが出来ねえ域になってるから心配するだけ野暮だとも考えている」


「だからこそって線はないか? 俺達の中心の戦力であるカナリア・シェリーとやらに敵が集中しているのでは?」


「だったら尚更だ。その間に絶対に大魔王の現界を止めなければならねえ。そもそも俺らが全員避難誘導しているのが失敗だった」


「仕方ないよレイ。どうしてかエイデス機関本部に収容していた犯罪者達までが暴れ出していたんだから」


「あ、それよそれ! 何よアイツら! 何で私達が手を焼くような連中があんなにポンポン沸いて来るのよ!?」


ーー実はあれこれこう言う事情の方針上で機関内で収容していたのが何らかの思惑で、どうやら脱走を測られたらしい。


と、彼が説明をする。極力刺激しないように顔色を伺いながら恐る恐る丁寧に後ろめたさを感じながらだ。


案の定、ルナとフェイルから盛大な説教を食らった。


いや、彼の一存ではないからお門違いにはなるのだが、正規の構成員な以上は怒りの矛先として目先に居るのだから苦情を出すのは必然となってしまう。


「………ともかくだ。大体の連中は把握しているから俺が居れば対策は大丈夫だ」


「何が大丈夫よ!? この件終わったら政府に直談判するからあんたしっかり承認になりなさい」


「ひぃ、は、はい………」


「地味にルナ政府関係者との繋がりがあるから余計に怖い………」


「俺も外交の一環で来ているからこの内情を世間に広げたらどうなるかは理解しているから彼女に後は任せるが素直に勘弁してくれ」


各々それなりの立場上の問題があるからしっかり有耶無耶にはしない。実際問題、現在進行形で困っているのだからその制度には不備があるのは間違いないのだから。


「で、結局会場に戻る訳ね?」


「うん、残した学生達もいるしね」


どうせなら合流してから選択肢を増やす。そんな具合が現段階の予定だ。今はともかく情報が欲しいし、もう少し視野を広げたい。そして散り散りになっている有力者達を集めてこの状況を素早く沈静化させたいのだ。


アリスの言葉に一同は頷いてしっかりと目的を再認識して会場に向けて移動を開始する。


今からが英雄達の反撃の狼煙ーー。



となる筈が。



一陣の冷たい風が吹いた。



ーー!?


彼等はその場に足を縫いつかれたかのように動きを止める。


いや、止められた。


止めて吸い寄せられるようにソレを見た。


見てしまった。


いつが最後だっただろうか? こんな絶望的な危機感を覚えたのは?


まるで出会ってはいけない存在を目の当たりにしたかのように、ソレの出現は一同から言葉を奪う。


舞い降りたのか、単純に現れたのか、不明だ。


硝子ーーそれが彼等が最初に浮かべた感想だった。透けてそうな銀髪と水面のように此方を反映させる水の瞳。印象は正に白銀の世界からやって来た人物だ。


美しくはあるが、どこまでいっても脆く儚い。そう表現するしかないのが目の前に現れた存在はたった一人の女性だ。およそ戦場であるこの場に似つかわしくない趣きが彼等に息を呑ませて不思議な圧力を確かに与えている。


この場を制されていた。


「(何だ………コイツ)」


「(何も分からない………)」


東洋人の二人はかつて何回も死闘を繰り広げた時の感覚を思い出す。何者かなんて些細な事を考えている場合じゃない。既に喉元に刃物を突き立てられているに等しい程に呑まれている。つまりそれだけの個の実力差を感じてるのだ。


黒の使者の頭領?


冥天のディアナード?


否。


それ以上の脅威がそこにいる。


何回、何十回、何百回戦って勝てるか? 途方もない時間をかけてようやく互角に渡り合えるかもしれない底知れない人知を超えた力を秘めている。誇張抜きでこれまでのどの脅威も彼女を前にすれば霞んでしまうだろう。


その存在はまるで彼等の英雄が突き進んだ果てしない頂に近い。もはや寄り道をした者達には到底追い付けない先に居るのがこの硝子の女性だ。


それでもーー。


「(だが分かっているのは………)」


「(私達が止めなければならない)」


果たして誰ならどうにか出来るか? となればそれは特別な存在としか答えられないだろう。剣聖や異端の天才、或いはそれらを超越する真なる英雄。


しかしこの場に居ない人物達を頼りにしていてはいつまで経っても誰も守れやしない。だからこそ今一度彼等は問われるのだ。


何の為にここに居るのかをーー。


「決まってらあ」


「うん」


「そうね」


「ああ」


各自戦闘態勢に入る。懐かしい過去の延長にいるが状況は絶望的。加えて足りない部分の要素が大き過ぎる。


落ちこぼれの英雄に魔法医学の権威。この二人を抜きに立ち向かうには無謀。だが四人の気持ちに弱音は一切ない。


何故なら一人一人の仲間と言う存在が大きいからだ。


単純な計算で導き出せる可能性以上を常に出し続けて来た歴戦の強者達に乗り越えられない壁なんてない。


だから挑む。


「………」


硝子の女性は感情の見えない水の瞳で一瞥する。一切の波が立たない様子は余裕の表れ以上に何も感じてない。決められた場所に赴き、課せられた使命を熟すだけの機械にも似た彼女は構えとも形容し難いような地に足をしっかりと付けるだけの状態だけ見せる。


それだけで地鳴りがした。空気が凍てついた。


そして脆く儚い姿の硝子に見えた彼女がこれ以上にない不気味な化け物を想起させる。


一時的ではなく常時緊迫させる圧力。ここから一体どんな暴虐不二を振り翳すか考えただけでも恐ろしい人ならざる気配と魔力。


悪魔ではない。が、人ですらない感覚。


多分それ以外の何かだろう。


「先手必勝っ!」


速さなら勝る自負を持つアリスが仕掛ける。迸る紫電で加速した閃光の一撃。それはシルビア・ルルーシアと同様かまたは超える本家に一番近付いた音速の世界に入る技。紫電と言う特殊な雷を宿し、チリチリッと空気を切り裂く音と抑えきれない出力の放電が周囲すら巻き込もうとする。対人戦では抜群に優位な力を遺憾無く発揮し、その速さを持ってして早期の幕引きを測る。


この場に居る仲間の誰もが知っている彼女の能力は強大だ。ただの雷撃ではないそれは邪眼の呪いをかけられた代償故に得たものであり、不本意な力かもしれないがそれが皆を守る為なら惜しまないくらい頼りになる力。


速過ぎる為に置き去りになるのは残像ではなく、代わりに一度駆ければ見失ってしまう動きで硝子の女性を五感の全てを置き去りにする。そして的を絞らせない高速移動で翻弄し死角からの一撃を繰り出す。


東洋人の女性からすれば見える景色は色すらも忘れるように白黒の中、全てが止まったかのように感じている。


冥天のディアナードはそんな世界でも色褪せずに同じ軸に入ってきたが今回は違う。周囲と同じく置き去りにされている感覚だ。つまり動きについていけてない証拠。


多少の違和感は拭えないが、最大の好機とすら思えるこの瞬間。ややこしくなる前に終わらせる。それがアリスの狙いだ。


あと半歩。半歩くらいの距離で無防備な敵へ紫電を纏う一撃が届く所ーー。



ーーだった。


「ーーぇ」


アリスが見る白黒の世界は瓦解した。


まるで亀裂が入っていく硝子のように。


「がっ!?」


アリスは大きく吹き飛ばされ、転がって建物の中に吸い込まれて行った。


音速の域に入る攻撃は少し姿勢を崩させ進路を変えさせる事によって軌道は大きくズレると共にそこに更なる受け流しの勢いを利用すれば想定していた衝撃すら大きく上回り、備えていた強化魔法の耐久を簡単に破壊して自爆させる事が出来る。


そもそもできればの話だが。


限られた人物にしか使えない上の弊害。今回は特に異質な展開により如月 愛璃蘇は戦闘が始まった瞬間に戦線離脱を余儀無くされた。


刹那の出来事を誰も把握しないままにーー。


「ーーは?」


「………な」


ルナとフェイル。どちらもが初動だけしか知らないままに出た結果に言葉を失う。


一瞬の幕引きだ。


彼等から見れば何が起きたかなんて理解は不可能だろう。あまりにもの一方的な出来事にしっかりと現状を受け止める事さえ困難な反応しか出来ないままでいる。戦いとはこんなあっさりと蹂躙されるようなものであったか? と。


唖然とする中、織宮 レイだけは違った。


どうなった過程なんて彼も同じく分かってはいない。ただ、その起きた結果から戸惑いや困惑で固まるのではなく怒りを秘めた攻めを選んだ。


いや、全てにおいて先に怒りが押し出された。


「テメェッーー!!」


宝だと、大事な人だとこの瞬間にこそ一番実感した彼は元殺し屋としてではなく、純粋な殺意を表面化しながら天器を手にがむしゃらな攻めに転じる。


安直だ。


そんなものが通用すれば苦労はしない。


理屈では分かっていても本能が止まる事を許しはしなかった。


だからこそ次はしっかりとルナとフェイルは硝子の女性の動きを目視出来たのかもしれない。


彼女が一体どんな存在なのかをーー。


「ーーッ!?」


「うそっ!?」


「馬鹿な!?」


結論から言えば動きすら見せていなかった。


レイの天器ーー【スサノオ】の大太刀で袈裟斬りにした筈なのにその刀身は斬り結ぶ事なく真っ白な身体をすり抜けて空振りに終わってしまった。


怒りから一気に驚愕に感情を塗り潰される彼は直様幻影の類を疑った。自身の専売特許である魔法をまさか敵が扱う想定はしてはいなかったが、天器が擦り抜けてしまう以上はそこに実態がなく、偽者であり魔法でその場に投影しているとしか考えられなかった。


何より動きがない硝子の女性が証明している。アリスの時も一切の行動を目に出来なかった。つまり隠れて別の角度から仕掛けていたとすれば傍から見れば東洋人の女性が弾け飛んだ結果にしか見えてないのにも納得がいく。


ならば本物はどこだ? 気配を消すのも探るのも得意なレイや、見通せる筈のアリスが感知出来ない程の隠密行動を可能とするのを探し出すには困難を極める。


だが必ずこの周囲のどこかに居るのは確かだ。だから長年の経験を活かせば残りの二人にも周知させて見つけ出せる。そうすれば或いはーー。


そんな作戦を練り続ける彼は全く意識を向けていなかった。


動きがなかった筈の背を向けた存在が此方に振り向き、その水の瞳に彼を映している事にーー。


「ーーえ」


「レイ!」


「【氷結界】」


呆気に取られる彼は嫌な予感を覚える。同時に朱髪の女性が動いた。実態が不明な上に何をしているかすらも分からない状況下で彼女は確かな攻撃手段を持ち、物理攻撃を通さないのならば氷漬けにしてやろうと言う実に単純な捕縛を試みた。成功すれば大きな優位を取れると彼女は前線を退いた身でありながら正しい判断をしていた。


加えて上級魔法を詠唱破棄で難なく行使する所も流石は元英雄の一員であろう。純粋な戦闘魔導師としては並ぶ相手が少ないと今の一瞬に隣にいるフェイルは感じた。


しかしその捕縛も束の間のものであった。


巨大な岩くらいの質量で凍らされた硝子の女性は凍った状態の中で動き出すと同時に氷に亀裂が入って粉々に砕け散る。


焼け石に水みたいな足止めにもならなかった。


「天器ーー【トリシューラ】」


そこへ入れ替わるように短髪の男性、または聖騎士の称号を持つ彼が三叉の槍で刺突をする。


「断罪の激」


延べ十三連撃の目にも止まらぬ音速に及ぶ連続突き。全てが遅れて発生する衝撃が物語る攻撃は彼の積み重ねた研鑽が編み出した必殺必中の技だ。過去よりも遥かに強化されたそれに誰もが目を見張る。


聖騎士と呼ばれるまでにただ一人の矛が軍勢を跳ね返したとされた技。魔法が一切使えない代わりに魔武器による戦闘力を極限まで磨き上げ、やがては天器を扱うまでとなった。


対人戦ならば彼も目劣りはせず、寧ろ更なる成長をしている。


槍の先が霞み、空気の割れる音が響く。


しかし、それだけ強力な連撃も正体不明な硝子の女性には通用しない。既に予測出来た結果ではあるが、何らかの違和感を見つけ出すには攻めるしか手立てはない。


そして更にフェイルは新たな技を使う。


「爆槍」


突き出した槍の尖端が爆破し、透ける実態のない彼女を消し飛ばす。幾ら攻撃が通らずとも空間諸共歪むような破壊力をもたらせば何らかの現象を確認出来るか、或いは手ごたえが発生するのではないかが聖騎士の選んだ考えだ。それはあらゆる防御をも貫き、自身が仕える姫を幾度も守ってきた彼の強さの土台だ。レイやルナも久しぶりにその技を目にしたがやはり槍を使わせた実力で右に出る者は居ないと確信する。加えて聖騎士とは剣聖に並ぶ名声なのは有名だ。ただ呼称に限らず聖なる加護ーー聖霊の力を与えられた存在であり、聖剣は持たずともその加護が十分に彼の守りたい意志に呼応して力をかしてくれる。


ある意味努力が成せた奇跡だ。その聖騎士の背中は彼等が見て来た英雄の背中によく似ている。どこまでも真っ直ぐ直向きに進む姿が。


無理もない。何故ならずっと一緒に力を磨き上げて来たのがアルケ・フェイルなのだ。落ちこぼれと言われた英雄を見限らずに傍で共に高め合っていた彼の強さに安心出来ない筈がない。



ーーそれでも。


「駄目か………」


一切顔色の一つも変えない硝子の女性が居た。直様反撃を警戒して皆の場所まで下がる。


「何なのコイツ!? 魔法も効かないなんて」


「物理攻撃は完璧に擦り抜けた。もしかしたら俺の幻影魔法の類かもしれねえが………」


「にしては気配はずっとあそこに居る彼女からしか感じない。ルナの魔法も何の影響も与えているようには見えないぞ」


「確かに偽物ならあんな破り方されるのは違和感しかないわ」


「そこなんだよ。干渉している時と干渉していない時があるようにしか見えないから一概に幻影魔法って決め付けられねえ。俺も知らねえぞあんな現象………」


法則も分からず、此方からの決め手が一切ないままにアリスの意識を奪われて戦力が駆けているのは痛過ぎた。代わりに冷静さを取り戻しつつあるが戦線離脱をした彼女の欠損は大きい。こんな時に彼女の宿す眼ならば打破出来るかもしれなかったと言うのにだ。


まだ向こうのしっかりとした攻撃手段も分からない。


最初から壮大な危機を迎えていた。


「単純に大技を使っても意味がねえ。反撃されないように隙を見せない攻撃をしながら通用する手段を探るしかない」


「それしかないのは分かるけど」


「時間をかけてて良いのか? 手を拱いていれば………」


「大丈夫だ………作戦はある」


あまり期待はするな、と内の声が聞こえてきそうな気がしたが一番頼りに出来るのは冷静な彼を置いて他はない。作戦があると言うならばそれまでは指示に従って今出来る事をする他ないだろう。


ただし相手が待ってくれればの話だが。


「………」


水の瞳が左右に動く。三角形の陣形で囲まれている彼女は特に何の感情も浮かべはしない。思考すら読めないが不意に真っ直ぐと一人の人物に近付いていく。


「え………」


ボルファ・ルナにーー。


「お、おいーー」


「(全く反応出来なかった。ただ歩いていただけなのに)」


動作を起こしたのに一切の注意を払えないまま彼女と真正面から対峙した状態が出来上がる。出遅れた二人は全力で寄って来るが、まるでその間の世界が時の流れを緩やかにしているように感じた。


そして硝子の女性は口を開く。


「貴女からは兄様を倒した者と同じ匂いがします」


「ーーッ!?」


不意に発せられた初めての言葉に戸惑いは隠せないが、何故か心当たりを覚えてしまう。


あまり考えたくはないがーー。


こんな理解に苦しむ化け物を倒せる人物なんて身近な人だと一人しかいない。


「(私の知らないところで怨みを買っているんじゃないわよっ)」


その不満に満ちた怒りが身体を動かし、硝子の女性を氷柱で閉じ込める。効果が無いのは分かり切ってはいるが距離を離さない事には魔導師としての戦いを発揮出来ない。


「無駄です。私には通用しません」


振り払うように腕を薙ぐだけで氷柱は砕ける。


そのまま彼女の手はルナの首を掴み、か細い身体を持ち上げてしまう。


「ーーぁ、ハッ!」


「ルナッ!!」


「今なら実態がッ!」


レイより一足早くフェイルが硝子の女性に三叉の槍を穿つ。


擦り抜ける肉体とは言え現に今朱髪の女性に干渉出来ている状態だ。多少囮としての役割を負わせているがこの機会を逃す訳にはいかない。寧ろ早くどうにかしなければ彼女の生命すら危ういだろう。


瞬時に彼等はそう判断し一緒に攻撃を仕掛ける中、ルナも身体から冷気を出すように無詠唱魔法を使う。それくらいしか抵抗が出来ないが、唯一間近で直接干渉を受けているからこそ一番攻撃が通用するかもしれないと思った。


もしこれで駄目ならそれはーー。


「ーーな」


「そ、………んなっーー」


「本当に何者だよ………」


三者の攻撃は依然擦り抜けている。感触のない空振りと貫通。冷気すらそのまま通り過ぎて風に流されていく。


到底彼等が理解出来る現象ではなかった。


確かにそこに透明感のある銀の髪を持つ白銀の存在はある。物理的に干渉しているが故にルナに触れている筈なのだ。


なのにどうして此方の攻撃が通用しない?


幻影でもない彼女は一体何をしているのだ?


そこに居るのは本当に生物なのか?


「(物理も駄目。魔法も無意味。実態がないから魔力で生み出したような特別な召喚獣ですらない。この世界のどこを見ても類似する例がない。ましてや悪魔ですら出鱈目にも程があるぞ)」


苦い表情を浮かべながら脳内の情報を精査して様々な憶測を立てていきながら同時により可能性のある次なる手と今も生殺与奪を握られたルナの救助を模索していた。


そこへ再び硝子の女性は口を開く。


「質問をします。ラステル・クロードをご存知ですか?」


「ーー!? だった………ら、ど、うな、のよッ」


やはり、と同時にまさかの問いではあったが、初めて対話に可能性を感じられつつも慎重にかつ出来るだけ曖昧に答えて遠回りしながらの解答をする。


少しでも時間を稼ぐしかない以上、この状況は大きな変化だ。


あれだけ人間身を帯びなかった存在であり、機械のような無機質さを感じられた彼女が何かに関心を持ったのだ。このやり取りを長引かせない手はない。


強かに向こうの会話に合わせようと言う意思を持っているとスルリと首を掴む手が離された。


急な解放に尻餅を付くルナを見下ろす硝子の女性。


その視線からは動けば死ぬーーそんな威圧感を覚えた朱髪の女性は猛獣を前にした時と同じ発想で対応するしかなかった。


そうして対話が成立する。


「私はイリスと申します。兄様、レギオンを倒したかの英雄の所在を知りたいです」


「げほっげほっ………会ってどうするつもりよ?」


と言うかこんな化け物の兄か何だかをあの馬鹿どうやって倒したのか聞きたくてこっちが場所を把握したいくらいであった。どんな経緯でそうなったのかまで興味はないが仕事を増やされた気分にげんなりしている。


そもそも目的は果たしてそれだけなのか? ならばこの場に現れたのと現状の騒ぎが全く別になってしまうから余計に質が悪い。


しかもこの硝子の女性と来たらーー。


「会って………? 分かりません」


「ーーは、はあ? 分からないって何よ?」


目的が鮮明なのか、不明瞭なのかどっちかすら分からない返答に困惑しか抱かない。ただただそんな曖昧な理由で此方は壊滅しかけているのだ。しっかりとそこら辺は敵なりに敵としての矜持を見せてもらいたい。


それはそれで問題ではあるが。


「私は生まれながらにあの方からの指示に従う事が使命です。それ以外の自己に従った行動をするのはこれが初めてになります」


「あ、あの方? 使命?」


「私の使命はあの方の指示を聞いて遂行する事です。今回ならばセントラルに集まる主力の魔導師を壊滅させるのがあの方からの指示になります」


「………」


心配が杞憂に終わった。どのみちすれ違いがあった訳ではなく、衝突するのは確定事項なのは残念な知らせだ。今はたまたま硝子の女性の不思議な気まぐれが発生しているに過ぎない。逆に言えばこんな所でも落ちこぼれであった英雄の影響が偶然にも彼女を助けた訳だ。


が、ここから先は頼れはしない。


「じゃあ貴女の質問って指示に関係ない事じゃないかしら?」


「ーー」


その気まぐれがもしかしたら展開を大きく左右するかもしれない。本来なら既に文字通りルナ達は壊滅していただろう。しかしその兄様に繋がる情動は恐らくこれまでにない彼女の変化。機械みたいに動く存在に違った動きを与えたのならこの会話は非常に大事なものになる。


そう感じた朱髪の女性はこの機を逃さない。


何かに縛られて制限された日常に身を置いていた事がある彼女にはその変化を特に敏感に感じていたのだから。


「私は命令以外の情報を与えられた事は少なく、今後も必要のない事だと考えています。ですが、兄様の事だけは興味がないと言えば嘘になるのは確かです」


「それは気持ちは分かるけど………」


ボルファ・ルナ自体も兄と言う血縁関係は存在する。昔は堅物で融通が利かない人であったが、今は良き兄として支えてくれている。


そう、今も居るのだ。


しかし断片的な話の中では硝子の女性の兄はもうーー。


「兄様とは私は面識はありません。ですから感傷的になりはしませんからご安心ください」


「そこは違うのね………」


「ただ、兄様は優れた能力をお持ちではありました。未完成の試作品とは聞いていますがそれでも兄様を倒したラステル・クロードはとんでもない偉業を為し得ています。だから伺ってみたいのです」


兄様ーーレギオンは優れた人工生命体だったかを。


「………」


言葉を失った。


そもそもお互いの身の上話みたいな感覚で捉えていたのが間違いだったのだと気付かされた彼女はその思考を理解したくなかった。


何がどう問題かを定義するにも規模が違う。


彼女ーーイリスからしたら兄が作られた存在であり、その残した功績だけが生まれた意義みたいになっている。


人工生命体。既にその点に置いてこれまでのどの騒ぎよりも壮大な何らかの思惑が交錯している。一体自分達は何に巻き込まれているのかすらも全く分からなくなってくるだろう。


ただ腑に落ちたのは戦う魔導師として世界に何らかの歪みを生むべく創られた戦闘兵器が兄なら彼女のこの訳が分からない強さ、異質さも納得が出来る。もしかすればイリスも人工生命体なのかもしれない。


ラステル・クロードが撃破したのだろうが、彼に挑んだレギオンと呼ばれる者を彼女は未完成と言わせているのだ。生半可な英雄には荷が重いと感じざるを得ない。


そうして全てにおいて混乱状態の話ではあるが、ようやく硝子の女性の用件は知り得た。


では後は向こうの要求をどう答えるか?


やや沈黙をして深く息を吐いて朱髪の女性はーー。


「残念ながら私の口からあいつの居場所を教える事は出来ないわ」


「………話す気がない、と?」


重たくなる口調になった瞬間、付近で聞いているレイとフェイルは冷や汗をかく。駆け引きも通じそうにないのだから相手が放つ圧力は脅しではなく本当の死を運ぶだろう。次には首が吹っ飛んでもおかしくない雲行きの悪い展開だ。


ただしそんな危ない橋を渡る当人は臆する事なく自身の意見を述べる。


「そもそも放浪癖のある奴の居場所なんてこっちが知りたいわね」


「つまりご存知ない訳ですか?」


「ええ、だから代わりにあいつがどんな奴かってのなら教えてあげれるわ」


食い付くか、それとも興味はそこじゃないのか。


しかしそんな向こうの事情はお構い無く彼女は落ちこぼれの英雄について語り出す。


「貴女がどれだけ化け物染みているかはもう分かったわ。だから兄様とやらが同じくらい化け物なのは聞くまでもない。でもあいつを見ていれば未完成な存在だからとかそんな考えは無くなるわ。だって誰しもが生まれながらに完成しているなんてないのだから。貴女が兄様の何を知りたいのかを深掘りするつもりはないけど重要なのはイリス、貴女が兄様を知ってどうしたいのかよ」


「私がどうしたいか………ですか」


「そう、貴女はーー」


「兄様ーーレギオンの成果が今後の新たな人工生命体の役に立つから………では駄目でしょうか?」


「ぁーー………」


即答であった。色々と彼女への新たな可能性に賭けてはみたが彼女の軸は動かないようだ。全ては彼女を創り上げた存在が諸悪だろう。これ以上の化け物を産み出す為への試作品でしかない。


それはあんまりだろう。


それだけが存在意義にしかならず、その為だけに生を受けただなんて寂し過ぎる。


もっと自由に生きて良い世界な筈だ。


もっと我儘な生涯で良い筈だ。


なのにーー。


「駄目だ………私に貴女を変えられるだけの何かが………」


きっとそれが出来るのが彼なのだろう。


もしここにあの落ちこぼれの英雄が居ればーー。


何かが変わっているのか?


答えは分からない。


「これ以上は有意義な情報は得られそうにありませんね」


ゆらりと動き出す硝子の女性。


それは死の宣告の合図であった。


もはわ今の彼等に止められる術はない。ただただ蹂躙されるのみ。


朱髪の女性は心中で吐露する。


ーーごめんなさい皆。


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