−天才の到着②−
◆
少しずつ喧騒が広がる。結界が解かれたこの場は多少の破損の余韻は残りはするが、ある程度は魔法の保護化にある為、被害は軽く済んでいた。
とは言え、それが単純に結界魔法の発動者に適用されはしない。ユリス・ヴァナルカンドは確かに起きた出来事の被害を受けていて、それが負傷した形で残っている。
それもまた敗北したのだから当然の結果ではあるが、付近のいつも通りな空間を肌で感じると何とまあ違和感だとは抱きたくなる。
「生意気な後輩だよ、お前は」
喧騒に消えて行った方へ向けて微笑しながらせめてもの声援として言葉を送る。いつか似たような事を口にしたが、以前よりも遥かに込められた意味は違っているだろう。
ただの天才ではなかったと言う訳だ。
懐かしくも寂しい気持ちが織り混ぜているが、ともあれ勝者は走り出した。信念と信念のぶつかり合いは彼女に軍配が上がったのだから後はどんな結果を齎すのかを遠巻きに眺めるのみ。本音はカナリア・シェリーの為に手を貸したいが、やはりこのままでは足手纏いの上に周囲に混乱を巻き起こすのは目に見えている以上はここで静観しながら出来る事を実行するしかないだろう。
出来る事をーー。
先ずは引き連れた連中を纏めるのが先決。流石に彼女達によって全滅みたいな事はないだろうが、総崩れになったままな彼等にはしっかりと敗北したと伝えて下手な行動を招かないように手綱を握るしかない。それからは成り行き次第ではある。まあ委ねてしまった以上は大人しくするだけの話だ。
問題は連中全てが簡単に呑み込める程に単純な事柄ではない。数を集めると言うのはそう言う話だ。
誰もが同じ理由で納得する筈がない。しかもまだ全てが終わっていないなら尚更だ。
そう考えると後始末がどれだけ大変かが嫌でも分かってしまった彼はもう少しカナリア・シェリーが語ったように慎重になるべきだったと反省する。
自身の未熟さに呆れながらの吐息を。
「ーー」
深く息を吐いた瞬間。それは起こった。
何かが劇的に変化した訳ではない。しかし確実に何かが起きてしまった状況であり、馬鹿なと一蹴したくなるような何か。
朱が舞い、飛沫となる。
鮮やかな色は生きている者が持ち、生きている証だ。つまり命が散ってしまっている。
その息を吐いた口からは同じ朱が溢れ、視線を落とした場所からはまるで自身の腹部から禍々しさを帯びる剣が生えてしまったと錯覚してしまう。
ああ、違うなとーー。
これは魔剣に刺された結果の映像だ。
全く気付かない気配。こうも無防備に背後から刺客にやられるとは信じられない。確かに油断みたいな気を抜いた瞬間だったのは彼も否定をしないだろう。
それでもこうも簡単に命を奪う所業に気付けない事があるのか?
もはやその刺客は殺意のような感情を一切持たずにまるで初めからそこに居て特に意味のない動作をしたくらいな日常の一部が人を刺すだけの事だった。
無理がある。
しかし実際に起きてしまった悲劇だし、今はそんな相手の背景を考えている状況じゃないのは確かだ。
少しでも何かを得てこの場を凌げないにしろ、あっさりと死を迎える訳にはいかない。
口の端から唾液のように滴る血に逆らうように奥歯を噛み締めながらユリス・ヴァナルカンドは質問をする。
「………魔剣って事………は背後に居る、のは………お前なのか? レイニー・エリック?」
返事はない。その時点で背後の何者かが予期せぬ人物であるのは確信出来た。彼は黙って行動を起こすような性分じゃない。それに彼女達が揃っていたと言う事はあの混沌を求める少年は戦いに敗れた筈だ。実際遠い位置に居た細身の男性も感じ取った強大な力は幾ら彼と魔剣を持ってしてもどうにもならないと感じてしまったのだから後を想像するのは難しくはない。
だから断言出来る。ここに居るのはレイニー・エリックではないとーー。
でな果たして何者なのか?
確かめなければならない。目的も狙いも意図も測れないままにこの魔剣の新しい所持者を放置する訳にはいかないのである。
願わくば、彼女達の前に立ちはだかる壁にならないようーー。
「ガッーー、………っくそ………」
血が流れ過ぎている。既に負傷の身だが、ここへ来ての一撃は正に致命のそれだ。ほぼ戦い切った状態で味わう不意打ちが如何に深刻かは言うまでもない。辛うじて急所が避けられているかもしれない程度の淡い生と死の境目を彷徨っている。
冷静な思考すらも精一杯だ。この状況からどうにかする算段や逃れる策も無い。未知な存在だが、只者じゃないのが分かるくらいのもので全てが墓に持っていく程度の何の役にも立てない行いしか叶わない。
しかし、もし万が一にも助かる事が出来たならば変わるかもしれない未来に繋げられる可能性が残されるだろう。
ならば最後の最後まで足掻くべきだ。
諦める事は今の彼にとって一番の悪である。
だからこそ食いしばりながら必死の悪態を付く事で意識を途切れさせないようにしてヴァナルカンド・ユリスは背後の強襲者をその目に焼き付けようと振り向く。
直後ーー。
「ーー! まさ………か、これを見せる為に………あの魔女は………」
本来なら有り得ない者からの贈り物の真意を理解して彼は遥か上をいく想定外な結末を描いてしまい、その眦を決する。
刹那、魔剣が引き抜かれた。
この場を更なる朱が彩りながら細身の男性は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
そして同時を狙うかのようにセントラルの上空には巨大な異質の魔法陣が展開される事となる。
奇しくも彼の当初の目的が達成されてしまった瞬間だった。
◆
試合会場内ーー。
選手達の戦いの始まりが目前に差し掛かった時ーー。
世界が暗天したーー。
ルシエラ・バーミリオンの予言通りにーー。
猛烈な歓声はそれだけで息を潜める。
それが意味するはこれから来たる災厄の始まりを意味する絶望の序章だ。一度始まれば止まらない滅亡の旋律。
終局はそのまま終わりを迎える。
終わるのが人か悪魔かの違い。どちらにせよこの街を含む大陸一帯が無事に済む事を約束はされやしない戦場の舞台へとなろう。
天才の到着は間に合わなかった。
決して最速ではないかもしれないが、遅れて参上する英雄なんて無能を発揮する筈がなかった。結果的には遅れてしまうのは悲劇としか言いようがない。
予定とは違う。予言通りではあるが、誰もこんな現実を叶える為に動いてなんていない筈だ。
上空に見える膨大な魔力が立ち込める。それによって描かれる陣はかつて見た事がないが、一目見た時点でどれだけのヤバさを秘めているかは素人目にも分かるくらいには理不尽だった。
ただし、素人は理解する前に現実を受け入れる事から逃れるので今がどんな事態を意味するかはまるで分かっていないだろう。
そして全てを受け止める準備が出来てないのは誰にも当てはまる事でーー。
「待っーー。どう言う事!?」
朱髪の英雄が声を上げる。直感的な人格の影響が強いからこの場で唯一最初に現実に疑問を投げられた。
「わからねえ! だが最悪なのは確かだ!」
それを皮切りに取り乱しながらも諦める姿勢だけは見せない黒髪の青年はいち早く状況に何とか具体性を持たせようと答えにならない答えで返す。
「これからどうなる………の?」
結論を求めようとする東洋人の女性は冷静を務めるが、その声色には恐怖が混じる。無理もない話だが、振り絞れるくらいには隣の青年の存在がまだ心強いのだろう。
「これは早急に対応しなければーー」
その面々の中では常に一番冷静であり、一番感情の波が安定している筈の短髪の男性は取り乱していた。やるべきは分かっているが、何から手を付けて良いかまでの計画性が言葉に乗せられない。
一同は様々な感情を見せるが、皆同様に同じだったのは天空を見上げている事しか出来なかった事である。
そして他の場でもザワザワと騒ぎが少しずつ広がっていく。
「どう言う事だ!?」
「災厄の前触れ………。よりにもよってこんな時に」
試合所では無くなった世界の暗天した中で天才少女達はこればかりは悍ましさを抱く不安に包まれるしかない。
どうにか栗毛の少女は状況の理解をーー情報だけは把握していたかのように受け止められてはいた。寧ろこれは有り得た可能性であるとまで展開を先に予期していた風だ。ただその準備が全く出来ていないのは傍らにいる深紅の少女と同じではあるが。
「フローリアさん。一般市民達を避難させて下さい」
「逃げて下さいじゃねえのかそこは?」
「じゃあ一緒に逃げて下さい。少なくともここは戦場になりますので」
「てめぇはどうするんだよ?」
「勿論戦いますわ。避難する時間だけでも稼げるように」
「冗談じゃねえ! あたしだけノコノコと尻尾巻いて逃げれるかよ!?」
「言うと思っていましたので言わなかったのですよ。だけど最低限の役割は果たしてから参戦して下さい。役に立てるかも分からない戦いを優先して強いるつもりはありませんわ」
「言ってくれるじゃねえか? あんたは役に立つ戦いが出来るみたいな口振りでよ」
「状況をある程度俯瞰している点では貴女より数段優っていますわ。ここからは動ける駒でどれだけ素早く戦場の舞台を広げないかが鍵を握っていますから素直に指示に従って下さいませ」
「あー! 分かった分かった!! とにかく避難させるまでくたばるなよって言ってんだよ!!生徒会長!」
「分かってますわ風紀委員長。だから貴女も早く!」
それを最後に深紅の少女は全速力で使命を遂行しに動き出す。
「ーーそろそろ役に立つ時が来ましたよ?」
そして栗毛の少女は通信機を片手に何処かへと繋げた。
◆
異端の天才は上空の暗天と魔法陣を見て走力を上げるべく魔法に頼る。温存しとくべきなのだろうが、もはや悠長にしている暇はないと直ぐ様理解をしたのだ。予定より早くなる可能性は既に想定内だ。魔女であるルシエラ・バーミリオンが語った予言は結局外しはしていない。このまま全てを当てしまう事を回避出来るかは分からないのだ。ならば止められなかった時のやるべき事は決まっている。
もう立ち止まっている時間はないのである。そして予言が当たったのならば予言で語られてない未来の可能性を見出す事も考えて良い筈だ。
世界の危機だって乗り越えられる。
そう信じている彼女は歩みを止めない。
真っ直ぐ突き進むのみだ。
後ろを着いてきていた二人が遠く離れていく。仕方がない。彼等も疲弊しながらも限りある全力で駆けている結果がこれなのだ。素直に持ち味の良し悪しが差になって表れているのはどうしようもない。
どうせ行き着く先は一緒である。誰か一人でも到着が早い方が良いに決まっている。
問題はこのどさくさに思わぬ伏兵が姿を現す事だ。もう先程相手したばかりだから大丈夫だとは思われるが、結局向こうの戦力が読み切れていない為に足止めされているから警戒するしかない。行方を晦ましている存在だって居ていつ現すかも分からない不確定要素も相まっているのだから。
そしてーー。
「ーー!」
音を置き去りにする所まで加速する彼女の先には試合会場はあと少しまで来ていた。近付けば近付く程に巨大になる魔法陣。その大きさに比例して溜め込まれている魔力は暴発する寸前にすら見えた。
まるで母体。正に産まれるまでの準備が開始されているようにも受け取れた。
果たして止められるのか?
いや、止めるしかない。
そんな矢先だ。
カナリア・シェリーは意外な人物を視界に収める。
この状況だ。見知らぬ人でもない以上、脅威が間近に近付いていようが声を掛けてあげるしかなく、彼女はとある人物に向かって名前を呼んだ。
「フィアナ!」