−天才の真髄④−
「嫌味か?」
「捻くれているわね? 時には現実だけじゃなくて理想を見なければ変われない事もあるわよ?」
「お前はその力があるからだ!」
珍しく、声を強くしながら純粋に殴り掛かって来る細身の男性の攻撃を抑える。男女の力差を感じながらも私は上手に力める態勢でその勢いを技で止める。
「お前と違って俺には必要な時に必要な力はなかった。当然だ。努力も、才能も全てが常に備わっているなんて都合の良い世界じゃないのだから」
「それくらい分かっているわよ。だから人は挫折をする」
「お前に分かってたまるか!」
「ーーッ!」
感情的だ。まるで理不尽な壁に向かって吠えるように、もう取り戻せない昔の自身にぶつけるように当時吐き出せなかったあらゆる気持ちをこの場で曝け出している姿が心眼には映った。
多分彼の言い分は尤もだろう。カナリア・シェリーは後悔染みた部分はあるが、挫折みたいな要素は皆無だ。いや、皆無ではないかもしれないけど要は間違ったか間違ってないかの違いだ。私にはその時に無力な状況があったかで言えば無い。出来た事をしたかしてないかくらいの差でしかない。
それが彼には無力だった時期なのだ。
どうにかしたいのに何も出来ない。助けられない人を助けられなかった人。
「たまに聞くよな? 英雄の話を? 人は簡単に英雄にはなれないんだよ! 英雄こそ天才なんて比にならないくらいに選ばれた存在だからな!」
「ーーッ」
「俺は天才って呼ばれたいんじゃない! あの時大事な人を救う力が欲しかったんだよ!!」
ええ、分かるわよ。誰だって何かを切り開く為に力が必要なのだから。それが叶わない時が理不尽だって感じるのも分かるわよ。どれだけその場で願ってもいきなり真の力に目覚めるなんて都合の良い話は天才にだってない。
だけど違うでしょ?
貴方は知っているのかしら?
英雄達の中には天才ですらない落ちこぼれの英雄が居るって事を?
何故落ちこぼれなのに英雄になれたかを?
正直聞いただけの話だ。その人物に挫折や後悔、守れなかったり救えなかったものがどれだけあるのかも当事者ではない私には知る由もない。
ただ彼を語る人達の声に曇りはなかった。
胸を張って、誇らしげにさも本物の英雄はソイツだと迷わずに答えてしまいそうな程に彼等は言うのだ。
アイツならーーと。
「笑わせないでくれる?」
「何………?」
「ユリス先輩。貴方だって気付いているでしょ? その時に襲われた理不尽を今貴方自身がやろうとしているのを?」
「俺が………だと?」
「誰が居るのよ? 誰が貴方の望む先に救われたって感じるのよ?」
英雄って何が英雄?
悪と正義を自分の物差しで測って裁くのが英雄?
必要な時に必要な力を持つ人が英雄?
天才以上に選ばれた人が英雄?
全部違う。
「貴方のやり方はとりあえず真っ新にしてから考えよう程度の楽な道を選んでいるだけよ!」
ユリス先輩の勢いを受け流す。彼の力はそのまま目標を見失って前のめりになりながら数歩覚束ない足取りでフラフラと進む。
その振り返りに合わせてーー。
「本当に、本気で変えたいなら!! 全部背負って世界を変えなさい!!」
私は渾身の平手打ちをする。
自分の手が痛むのも彼の頬が痛むのも関係ない。私は彼の心に響かせるつもりで感情事全てをぶつける。ユリス先輩は片膝を付き、俯く。
私が言えた義理かは怪しいけど。
私が英雄達を代表するならばこうしただろう。
力で世界を変えるのではなく。
心で世界を変えろとーー。
「それが出来ない貴方に私は負けてなんてあげられないわよ?」
褒められた生き様ではないのは自身が一番よく知っている。しかしそんな私でも背負うものがあり、どれだけ重いかは少なくとも理解している。だからこそ負けられない気持ちがあるのだ。
ユリス先輩は英雄でも天才でもないだろう。対する私は英雄にもなれるかもしれないし、天才かもしれない。だけどそれ以上に私は私だ。カナリア・シェリーであり、カナリア・シェリーが求める救い方がある。その気持ちだけは彼と対等以上だ。
負けられはしない。負だけを背負って自己満足に浸ろうとするならば私は善を持って打ち砕く。何度だって戦い、何度だって声を大にして叫ぶ。
自分が胸を張って誇れる答えを見つけろと。
我儘を押し通すのには自信がある。
「本気で………か」
静かに立ち上がる。その動作には敵意や戦意と言った意思が全く感じられなかった。あれだけの戦いと言い分をぶつけた挙句に平手打ちを見舞った直後なのに凄く穏やかな声色であり、まるでいつものーー否、いつも以上に気の抜けた姿をそこに見た。
「そんな事も考えた時期があったな………」
間違いなく目の前に居るのはいつものユリス先輩だ。
だが何だろう? 何処かしら吹っ切れたのか憑き物が落ちつつあるような私の知る人物から離れていく気分だった。敵対している時だって相変わらずな様子の状態で立ち位置が変わっただけに過ぎない存在程度にしか思わなかった。気怠さと言うか、感情の起伏の薄さと言った輝きや、明るさから遠い空っぽな形をしていると。
今は違う。別人になったくらいの勢いだ。
何故私がそう感じるくらい驚いているのか?
多分立ち上がり、言葉を漏らす細身の男性がーー。
「ーーッ」
「どれだけ真っ直ぐなんだよ。笑わせないでくれるはこっちの台詞だ天才」
初めて笑った素顔を見せたからである。
沢山の過去があって様々な感情が渦巻いて色々な葛藤があって数多の苦難があってーー。
幾度の後悔を経てこの場に立つ筈なのに、どうしてここに来て貴方は笑うのだろうか? いや、だからこそなのか? 若しくは本当に私の発言が可笑しいからなのか?
駄目だ。その表情を見せるのはーー。
上手く言葉に表せない。しかし、彼の行動はこれまでの時よりも大きく遥かに私を揺さぶる。私の感情を、心を、決意すら揺れ動かしてしまいそうな程に。
「賭けをしましょうーー、確かにそう言ったな?」
そしてーー。
「だったら俺が賭けに勝った時はーー」
いつしか何かの話であったようなもしもの話。発案した当人の酷い脚色の為か、カナリア・シェリーに訪れる機会は随分と先のような遠い未来の話だと思っていた。憧れはいつからかは秘めていたかもしれない。私だって一応は女性として生まれて来たし、他者が見せるその光景に心の何処かでは羨ましさを抱いていたと思う。だからいつになるかは分からないが、色々と落ち着いてしっかりと他人の感情に向き合えるその時が来たならば叶えてみようと。まあ、それまでに縁があった時の事なんて考えもしなかったし、そんな感情を向けられるとすら考えもしなかった。茶化される場面は度々あったが、私にだって心が動かなければ応えようがない。そして暫くはそれも有り得ないと考えていた。
なのにーー。
何故私は気付けなかったのだ?
どうしてこうも間の悪い時なんだ?
「お前が俺に力を貸してくれ。………俺を支えてくれ。きっとお前が傍に居てくれるなら俺は落ちこぼれだろうが、出来損ないだろうが何度でも立ち上がれる」
「そ、れはーー」
ドクン、ドクンと自身の心臓の脈動を感じる。
どうしてか、これまで以上に心を締め付けられる苦しさを感じて息苦しさすら覚えてしまう。
きっとこれは今伝えられた所で何も答えが出せないのが決まっている困惑と初めて伝えられる人が見せる感情の中で最も私にとって未知なるものへの抱く気持ち。
そしてその答えを教えてしまったら多分私がユリス先輩にこれ以上何かをする資格すら失ってしまいそうな隔たりの恐れがーー。
「俺はーー」
「や、やめ………」
瞬時に両手で耳を抑え、彼の言葉を遮ろうとしてしまった。それは酷く醜い行いだと分かっていながらも聞く覚悟を持ち合わせていない私は本能的にそうする事に負けてしまった。今の自身を見れば皆が失望するだろう。つい先日色々と踏ん切りを付けたばかりなのに再び現実から目を背けるようなカナリア・シェリーなんて情けないにも程がある。
やはり最近の自分はおかしいのかもしれない。依然の私はこんな他者に振り回される弱さはなかった。なのにいつしか、大切なものが増えていく内に失う怖さが肥大している。
今もそうだ。
いや、少し違うかもしれない。
これまでは自分が変わりたいと言う意志に基づいて変わって来たのだ。その事に何の戸惑いや後悔があるだろうか? だけどこの状況は別の問題だ。
誰かの意志によって自分が変わる、変えられるのはーー。
私はーー。
知るのが怖い。
「ーーお前の事が好きだ」
どうした所でその呪いのような私を苦しませる言葉から逃がれられはしなかった。
当然今の自身にそれを受け止めるだけの強さはーー。
持ち合わせてなどいない。
◆
カナリア・シェリーは幼い少女だ。元来の素質ととある理由により年相応以上に精神年齢は成長してはいるが、あくまで知識や常識と言った感情面を経由しないようにした物事に限った話である。つまり彼女が幼い根拠としてはそんな真っ白な感情だからだ。真っ白よりかはまだ何も詰め込まれていない空箱を連想するのが正しいだろう。外面は大人と同じ箱の形をしていたとしてもその中身こそ何もない状態。これからどんどん様々な経験や思い出を入れる為の下拵え。それはとても可哀想な始まりと言えるだろう。何故なら赤子のように泣いたりして訴えるにはあまりにも知識や常識を持ち合わせ過ぎていた。赤子にはそんな情報はなく、自由な感情を表現しながら育ち、大きくなっていくのに対してカナリア・シェリーはそんな自由が縛られている。故に彼女が出来る方法は拒絶と変革の繰り返しだ。言うなれば彼女が感情豊かになる度に並々ならぬ分岐点を超えている。特にその強大な力も加わって右か左を選ぶだけでも彼女の人生は180度変わるような状況だ。普通の人なら何日も何十日も費やして判断する選択を押し寄せるめぐるましい状況の為に数分数秒で選ばなければいけない。ある意味今の彼女にとっての最大の敵は自身であろう。聡いあの娘ならば少し考えれば分かる先の未来を、いや過酷な先を受け止めるにはまだまだ心が未熟。小さい箱に無理矢理色々な物を力任せに詰め込んでぎゅうぎゅうにしてしまう所業に等しいだろう。そんなことをすれば当然箱は壊れてしまう。例えば今のカナリア・シェリーのようにだ。
とは言え、そんな彼女にも僅かな時間を与えれば乗り越えてくれる。詰め込む器が今は小さいだけで、いずれは大きくなるのだ。あの娘はいきなりの他人から向けられる新たな感情に困惑していたり、怖がっているだけに過ぎない。初めての事なのだから当然だ。ただ、少しばかり他の人よりも感情の起伏が大きなだけでほんの僅かな時間があれば整理出来る力もある。
問題はそんな僅かな時間すら与えられないような刹那の戦いに身を投じている事だ。乗り越えるべき分岐点が来る時に限っていつも抱えている運命が強大で失敗を許されない。失敗出来ない舞台に立ってしまっているのだ。もはや未来を予知する力は逆に彼女の足枷になりかねない程に事態は深刻の一途へ向かっている。
またかもしれないし、またじゃないかもしれない。
もはや私の力で彼女を助けられる範囲は限られている。やり直しが出来るのは本来有り得ない事だ。それでもやり直しを、再挑戦を繰り返せたのは運が良かったと言わざるを得ない。
一人の人生は一つしかないのだからーー。
カナリア・シェリーの人生がカナリア・シェリーだけのものであるようにだ。
それでも未来予知と知識の転生の弊害が因果の糸として絡み少しずつ袋小路に追い込まれていく。これ以上は限界だと言わないばかりに終曲の音を奏で始めた。恐らくはこれっきりだろう。私の手から離れ、授けた力が確実に彼女だけのものとなるのもあと僅か。そうなれば次こそは本当に導き手としての役目が終わってしまう。既に今の私は魂の残滓を知識に混ぜただけの異物だ。この先の成長を見守れるかも怪しいくらいに消えつつある。
もし今回が最後ならばーー。
いや、よそう。カナリア・シェリーとはあの時に約束をしたのだ。
任せてと。
だったら信じるしかない。ここまでに積み重ねて来た彼女の力をだ。
願わくば彼女がこれから先に訪れる危機を私とではなく、手を取り合える大切な者達と乗り越えられるように。
そして。
蒼天の加護があらん事を。
どうしようもない決められた未来を彼等と彼女と仲間達と打ち破ってくれ。
だからあと少しだけーー。
あと少しだけーー。
魔女の最後の一人である私が貴女を助けよう。
それが償いであり、あいつとの約束だから。
なあに。この私も皆の中では天才と呼ばれていたのだから最後の悪あがきをしてやろうじゃないか。
見えない黒幕に天才の真髄を見せてやろう。