7
帰りの車の中、ジェイドさんは行きと違って、頬が緩んでいた。
どこか機嫌が良い気がする。
私はというと、ほっとしたのと車の揺れが心地良くて、瞼が重くなり始めていた。
「そういえば、」
「・・・ふぁい・・・?」
「眠いんですか?」
彼の、どちらかといえば明るい声に、私のふわっとした声。
案の定ご機嫌ナナメになりかけた彼が、訝しげに眉をひそめた。
よそ見運転は危ないから、たぶん欠伸をしたのは見られてない。
「欠伸するなら、手で押さえなさい」
バッチリ見られてた。
「う、ごめんなさい」
パパみたいなこと言うんだから・・・。
なみだ目で彼を見ると、ちらりと視線を寄越した。
分かってるんですよ、とでも言いたげに。
「彼女は、現れた時に何か持っていませんでしたか?」
彼女というのは、お姉ちゃんのことだろう。
私は眠気を振り払うように、首をふるふると振った。
「どうだったかなぁ・・・?
私、お姉ちゃんが戻った瞬間には、立ち会ってないから・・・」
わかりません、と言おうとして、ひとつ思い出す。
そういえば伯母さんが、不思議そうな顔をして言っていたような。
ジェイドさんは、私が首を捻る気配に、静かに前を向いたまま黙っていた。
「あ。
おたま、持ってたらしいです。あとお皿」
気づいた時には、彼女が食事の準備をしているかのような格好をして、実家のキッチンに立っていたらしい。
コンロにはお鍋も何も出ていないのに、おたまの中には、スープが入っていたんだって。
伯父さんも伯母さんも、恵お兄ちゃんも家にいたのに、誰かが玄関から入ってきた気配はなかってって言ってて・・・。
私はとてもじゃないけど信じられなくて、半信半疑のまま聞いてたんだっけ。
回想にふけっていた私の横で、ジェイドさんが喉を鳴らした。
「・・・わかりました。
これで、あなたを信じられます」
彼の言葉に、私は眠気が吹っ飛んだ。
行きの車の中で、「信じることにする」みたいなこと、言ってなかった?
無意識に責めるような視線を投げていたのか、彼が苦笑した。
全然、悪びれてないのが・・・なんか腹立つ。
何と言葉を返したらいいのか考えていると、彼が言った。
「気を悪くしないで。
これで何があっても、私はあなたの味方でいられると、自信が持てました」
下げられて上げられた私の心は、ものすごく揺れた。
揺れ幅が大きいほど、着地する場所に困る。
私は何の反応も返せないまま、彼の横顔を見つめていた。
「彼女は、夕食の準備をしている時に、消えてしまったそうなのです。
エルがほんの少しの間、彼女に背を向けて作業をしていて、振り返った時には、
もういなかったと言っていました。
・・・あなたの言う2つの物も一緒に、なくなっていたそうです」
真剣な表情に、彼らの日常からお姉ちゃんがいなくなってしまったことの重大さを感じる。
きっと、大事にされてたんだろう。
そんな彼女が、羨ましくもある。
「あなたは、ミナがあちらの世界に居たいと思っているとは、考えませんでしたか?」
「え・・・?」
唐突な質問に、私は乾いた声しか出せなかった。
お姉ちゃんの意思なんて、聞きもしなかったから。
ただ、帰ってきてくれて嬉しいってハグしたら、優しく抱きしめてくれて。
その後、困ったように笑ってたのを思い出す。
あの笑顔は、どういう意味だったんだろう。
「お姉ちゃんに聞いたことはないです。
でも・・・」
呼び戻せるかどうかは分からない。
でも、私はシュウさんのお手伝いを申し出て、それを了承してもらっていた。
だからこれから私は、お姉ちゃんを再び世界から引き離そうとしている。
ぐるぐると回転する思考が、だんだん淀んできた。
「わからないです」
私は呆気なく考えることをやめる。
何度も言うけど、私はあんまり頭の良い子じゃない。
だから、自分の考えられる範囲で正しいと感じた事を、私に出来る範囲で相手を思いやって、すり合わせて行動していくしかないのだ。
「わからないけど、お姉ちゃんは、シュウさんに会いたがってます」
「ええ」
彼が静かに同意した。
車はもうすぐ、市街地に入る頃だ。
「私、お姉ちゃんには笑ってて欲しくて」
「そうですか。なら・・・」
彼の片手が、ハンドルから離れる。
視線を前に向けたまま。
教習所で、ハンドルは10時10分の位置で、両手でしっかり握ること、って教わった。
だから、手を離しちゃダメだって・・・。
言おうとして、息が止まった。
彼がちらりと私を見る。
その目が、今までのどれよりも、優しかったからだ。
ハンドルを離れた手が、膝の上にあった私の手を包む。
私は体温が低いから、きっと冷たいはずだ。
その証拠に、彼の手がすごく熱く感じる。
落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせると、彼がふっと笑った。
「まずはあなたが、そんなに思いつめた顔をしないことです」
包まれた手から伝わる熱が、膝から背中を通って、頬まで上がってくる。
皆私がハーフだからって勘違いするけど、私は決して、人と触れ合うことに慣れてるわけじゃない。
普通に、ドキドキする。
だから今だって、精一杯何でもないと自分に言い聞かせて、恥ずかしさからくる、彼の手を振り払いたい衝動を抑えているのだ。
「幸運は、笑顔の元にやってくるものですよ」
そう言って、彼は大きな手の親指を動かして、私の手の甲を撫でた。
あんまり近づきすぎちゃいけないと思うのに、彼が優しいことを初めて思い知ってしまって。
味方になるだなんて、嬉しすぎる。
私は心が温まる自分に、途方に暮れた。




