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お姉ちゃんと初めてちゃんと話をしたのは、私が15歳の時だった。
「私と未菜お姉ちゃんは、従姉妹なんですよ」
2人を交互に見ながら、私は言う。
やっぱり意外な展開だったんだろう、呆気にとられたまま、彼らは私を見る。
携帯はまだ、シュウさんの手にあった。
あ、充電。
「あの、シュウさん、」
彼の目が、単純に先を促しているのが分かる。
お姉ちゃんのことを、もっと話せって言ってるんだろう。
「私のけ・・・その機械、充電・・・ええと、エルゴンが切れちゃうかも知れないので、
一度スイッチを切った方がいいかも知れません」
「・・・・・・・」
彼の手に力が入ったのが分かる。
えっと・・・あんまり力入れたら折れちゃうからね・・・。
「だ、だいじょぶです。
またスイッチ入れれば見れますから」
手を出して、彼に携帯を渡すように催促すれば、少し考える素振りを見せたけど、ゆっくりとした動作でそれを手渡してくれた。
お姉ちゃんのこと、もっと見ていたいんだろうな。
かいつまんだ話しか聞いてないし、私も全然信じてなかったから、2人がどんなふうに過ごしてきたかはほとんど知らない。
でも、話してくれた時のお姉ちゃんは、別人かと思うくらい綺麗だった。
返ってきた携帯の電源を切ってから、違和感を感じる。
あれ?充電、ちょっと増えてなかった?
疑問が湧いたけど、話の腰を折るのも憚られて、私は携帯を自分の膝に置いた。
ジェイドさんの家に戻ったら、もう一度見てみよう。
それから、シュウさんの視線が私の膝に注がれているのは、ちょっと無視してみよう。
「それで、あなたがミナの従姉妹だというのを、私達は信じるしかないわけですが・・・」
ジェイドさんが横から言う。
癪に障る言い方だけど、その言葉に悪意がないのを感じた私は、黙って続きを待った。
向かいの彼は、まだ携帯を見ている。
お姉ちゃんのことを考えているのは、火を見るより明らか。
この際だから、聞いてなくても放っとこう。
たぶんこの人、私には興味ないと思うし。
「ミナとあなたとでは、ずいぶん毛色が違うような気がしますねぇ。
ミナの住んでいる国では、黒目黒髪が大部分を占めているという話でしたが・・・」
ジェイドさんが小首を傾げた。
私は想定していた通りの質問に、ひとつ頷いて答える。
「そうです。私の国では、大部分の人達が黒目黒髪です。
私の母親も、未菜お姉ちゃんのお父さんと兄妹だから黒目黒髪です。
でも私の父親は外国の出身なので・・・つまりハー・・・混血なわけですね」
そう、私はハーフ。
だから薄茶色の髪と、光の具合でいろんな色に見えるほど色素の薄い瞳をしている。
日本人と、イタリア系カナダ人との間に生まれた。
ずっとカナダで暮らしてきた私は、16歳になった頃、母親と2人で日本に移住。
ちなみに両親はラブラブのデロデロです。視界に入れたら酔います。
ともかく、そんなわけで私は16歳から母親と祖父母と暮らしてきた。
移住するまで日本をちゃんと知らなかった私は、その前年に両親と一緒に日本を観光するために帰国したんだけど、そこで初めて、黒目黒髪の従姉妹に会って。
お姉ちゃんは、日本語が上手ではない私に根気良く付き合って、いろんな話をしてくれた。
いろんな場所へ、連れて行ってくれた。
移住してからは、高校に馴染めない毎日が続いて・・・。
帰国子女の枠がある学校なのに先生達は髪を染めろって煩かったし・・・最初の1年はまともに通学しないまま、私は別の高校に転校したんだったな。
あの時も、お姉ちゃんは私の側にいて、話を聞いてくれて。
多感な時期に、私の支えになってくれたことを、私はずっと感謝しているのだ。
・・・それから何年か経ったある日、お姉ちゃんが行方不明になったって聞いて、なんていうか、途方にくれたのを覚えてる。
そして10日くらい前に突然現れたというお姉ちゃんに会って、びっくりした。
驚くほど、綺麗になってたから。
「なるほど、混血ですか」
ジェイドさんが私を回想から現実に引き戻した。
ため息に似た深呼吸をして、彼はマグカップを傾ける。
私もそれに倣って、お茶をひとくち含んだ。
渇ききった喉に、渋みのある温いお茶が染み込んでいく。
お姉ちゃん、はちみつ入れるの好きだったなぁ。
そんなことを思い出しながら、私は続きを話し出した。
視線をジェイドさんに投げると、彼もそれを拾って私の方を見る。
「私の見た目は、そういうわけがあって、お姉ちゃんとは全く違うんですよね。
あと、名前も・・・」
「名前?」
彼が聞き返す。
咎めるような声色に、なんとなく気まずい思いで頷く私。
「はい・・・実は、カミーリアっていうのは、外国用の名前なんです。
私は16の時にお姉ちゃんのいる国に移住したので、今はパパからしか、リアって
呼ばれてなくて・・・。
ほんとは、松田つばき、なんです・・・」
ママが、私に日本人の血が流れている証にと、寒くても陽当たりの少ない場所でも綺麗に咲く椿の花を、日本の名前にしてくれた。
昔の武家とかでは、好かれることの少ない花だったみたいだけど、構わない。
だって、花には罪はないもん。
それに、私は椿の花が好きだから。
「・・・ミナも、マツダでしたね・・・」
「松田はファミリーネームです。名前は、つばき」
完全に見た目と名前がちぐはぐだけど、いいの。
ジェイドさんが険しい目つきで何かを口の中で繰り返している。
私に対しての怒りでないことを祈りつつ、彼の様子を伺った。
シュウさんに至っては、たぶん全然聞いてないと思う。
「・・・発音が難しいですね」
ジェイドさんが至極真面目な顔をして言うから、びっくりした。
つばきを連呼していたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。
「・・・あなたの素性については、一応納得出来ました。
まぁ、私は疑問があれば、いつでも訊くことが出来ますから。
・・・問題は、この飢えた狼ですね」
ジェイドさんの言う狼が指しているのは、目の前で携帯を見つめ続けているシュウさんのことだろう。
そんなに見つめるなら、手元に置いてあげれば良かったかな。
お姉ちゃん、ほんとに愛されてるんだな。
自分が愛されてるわけじゃないのに、なんだか心が温かくなる。
自分が辛い時に側にいてくれた人だから、彼女が辛い時に力になりたいと、ずっと思ってた。
だから、今は自分のことよりも、お姉ちゃんのことを優先する時だ。
世界から切り離されたのは、お姉ちゃんも同じだから。
大丈夫、つばきは強い。
私はシュウさんの面持ちを見て、意を決した。
すると、私が口を開くよりも早く、彼が言う。
「それは、」
それとは、きっと携帯のことだろう。
私は視線で先を促した。
「エルゴンが切れたら、使い物にならないのか?」
「・・・そうですね、もう、お姉ちゃんの写真は見れません・・・」
もう会えないことを伝えるのは胸が痛む。
たとえそれが写真の中であっても。
ああでも、もともと写真のない世界なんだから、見せてしまった私が残酷なんだ。
気づいたら、自己嫌悪に苦しくなった。
だけど、この写真が手元になかったら、私のこと、信じてもらえなかったと思うし・・・。
堂々巡りの思考が、私を追い詰める。
あんまり頭の回転がよくない自覚もあるし、このへんでやめておこう。
ああでもやっぱり、シュウさんには謝っておくべきかも。
「ごめんなさい。
結果的に、シュウさんを傷つけただけでした・・・」
じっと何かを考えているような彼に向かって、頭を下げる。
すると、彼は目元を和らげて、微笑んだ。
私はびっくりして、声が出ない。
「いや。君が来てくれたおかげで、ミナが無事だと分かった。ありがとう」
その表情が穏やかすぎて、見とれてしまった。
お姉ちゃんがシュウさんのことを話す時と、同じ目だ。
私にはまだ、きっと出来ない目。
綺麗で、温かくて、強い。
「本当に・・・、本当に無事で良かった・・・。
息をして、食事を摂って、安全な場所で眠っていると思えるだけで、十分だ。
彼女を・・・、本当に失ったわけではないと思える」
強い意志を感じる声に、私は息を飲んだ。
今なら、言えるかも。
緑の瞳をじっと見つめれば、決して強がっているわけではないのだと思えた。
隣のジェイドさんは、黙ってことの成り行きを見守っている。
私は、そっと言葉を紡いだ。
「お姉ちゃん、言ってました。
もしかしたら、私が彼を殺してしまうかも知れない。
そんなに弱い人じゃないって信じてるけど、怖い・・・って」
それを聞いた彼は、ふっ、と鼻で笑う。
その表情が不敵すぎて、私は呆気にとられた。
あの甘くて優しい、愛に溢れたカオはどこにしまっちゃったの。
てゆうか、お姉ちゃん、心配なかったみたいだよ。
隣から、ため息が聞こえてきた。
「見くびるな。
無事が分かれば、行動するだけだろう」
なんだか何かがメラメラ燃えているのを感じて、私はちょっと身を引いた。
誰に向かって、何を決意しているのかは分からないけど、とりあえず触れない方がいい気がして、ちょっと視線をずらす。
「行動って、何をするんです?」
見かねたのか、ジェイドさんが会話に入ってきた。
私が目を逸らしたことを尋ねた彼は、腕を組んでシュウさんの答えを待つ。
その問いかけを待っていたかのように、シュウさんは不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「決まっている。
ミナを、もう一度この世界に呼び戻すんだ」
「どうやって」
半ば呆れたような声のジェイドさん。
それも意に介さなかったシュウさんは、間髪入れずに言った。
「調べる」
「どうやって」
「史料を読む」
「それだけですか」
「王立学校の教授の中に、誰かひとりくらい仮説を立てられそうな奴がいるだろう」
ぽんぽんと、テンポの良い会話が目の前を飛び交った。
最後はジェイドさんが沈黙したから、シュウさんが勝ち誇ったカオをする。
なんなのこの大人たち。
「わかりました・・・エル、あなたの跡継ぎの件、急ぎましょう。
あと半月待ってもらえれば、候補の中から次期団長を選出して、陛下の了解をもらえます。
そうしたら、好きなだけミナのために動いてもらって結構ですよ」
ため息まじりにジェイドさんが言えば、シュウさんが少し考える素振りを見せて、それからゆっくりと頷いた。
とりあえず、お姉ちゃんを呼び戻すための方法を探すことは、決定したらしい。
「ああでも、あまり王都を空けられては困るんですよねぇ。
蒼鬼の目が届かないと分かると、犯罪が増える可能性が・・・」
ジェイドさんの呟きに、シュウさんがため息をつく。
お姉ちゃんの話では、シュウさんは蒼の騎士団の団長をしているらしい。
治安を守るための組織だって、言ってた。
そこのトップを務める彼は、「蒼鬼」と呼ばれて恐れられているって・・・。
お姉ちゃんたら、シュウさんに関することだけは、詳しく話してくれたっけ。
シュウさんが、ソファに背を預けた。
何を考えているかは全く分からないけど、ちょっと苛々しているようだとは思う。
ジェイドさんは、そんな彼には全く目もくれない。
仕事とプライベートは、完全に別なのか。
「そうですね、長く見積もっても1年以内に、王都に戻ってもらわないといけません」
1年・・・その単語が耳に入った瞬間、私は大事なことを思い出した。
さっき言いかけて、すっかり忘れてしまってたことを。
ダメだ、長くても8ヶ月。いや、7ヶ月。
思い出して、口にしようとした時には、またしても言葉のキャッチボールがかなりのスピードで開始されていた。
早く言わなくちゃと思うのに、2人の会話に口を挟めずに気が焦る。
16から住んだ日本で、空気を読む、を覚えた私は、完全にタイミングを見失っていた。
「1年か・・・1年で仮説が立つと思うか?」
「さあ、質の良い史料を揃えるくらいしか、私には・・・。補佐官なものですから」
「そこは、俺にも分からないが・・・」
2人が一瞬沈黙した。
今だ、と思い切って声を発する。
「・・・あの!」
思い切った結果、ツッコミを入れるみたいに手が出てしまった。
ああ、テレビ見すぎたかも。
2人の視線が集まるのを感じて、自然と頬に熱が集まって。
肌の薄い私には、ちょっとの刺激でも効果絶大なのに。
気が弱りそうになる自分を叱咤して、私は息を吸った。
「1年じゃ長いです」
「何故?」
シュウさんの目が、私を射抜く。
お姉ちゃんのことだからか、目が真剣だ。
「それは、えっと・・・呼び戻すのが、大変になると思うんですよ」
なんとなく直球で伝えづらくて、ぼやけた言い回しになってしまった。
ジェイドさんも訝しげに、私を見ている。
ダメだ、やっぱりちゃんと言わないと全然伝わらない。
大事なところでヘタレる自分を叱る。
分かってるのに言葉が出なかった。
そしてもう一度息を吸って、ちゃんと言おうと心を決める。
「シュウさん、落ち着いて、聞いて下さいね」
彼の目をしっかり見据えれば、緑色の瞳が少し揺らいだ。
もしかしたら、彼も少しくらいは強がっているのかも知れない。
私が何を言おうとしているのか、怯えているように見えた。
でもね、いい知らせなんだよ。
「お姉ちゃん、お腹に赤ちゃんがいるんです。
だから、1年経っちゃったら呼び戻すのが2人になっちゃう」
「・・・・それは、」
弱弱しいシュウさんの声が、部屋に響いた。
息をするのも控えたくなるくらいに、弱弱しくて。
片手で顔を覆った彼の表情は、私からは見えないけど、手が少し震えているのが分かる。
「俺の子か、なんて訊いたら許しませんよ。
キッチンからありとあらゆる刃物を拝借してきます」
半分本気、半分冗談。
きっと私が言ったようなことなんて、考えてもないと思うけど。
隣ではジェイドさんまでもが、凍りついたように動かなくなっていた。
てか、なんであなたまで衝撃を受けるんですか。
「・・・本当なんだな・・・」
私の発言は耳に入っていなかったのか、シュウさんがゆっくりと顔を上げた。
覆っていた手を離すと、泣き笑いのような表情を見せる。
お姉ちゃんの無事を知った瞬間の表情とは、また違っていた。
「はい、ほんとです。
ちゃんと、検査薬使って調べたって言ってました」
こっちに検査薬があるのかは謎だけど、この際意味の分からない単語には目を瞑ってもらおう。
大事なことが伝われば、とりあえず。
検査薬、3種類使ったけど3つとも当たりだったって言ってたし。
「・・・そうか・・・」
シュウさんの、なんとも言えない表情を見て、私は何と声をかけたらいいのか迷う。
額を押さえて俯いた彼は、きっと遠いところにいる妻を思っているんだろうな。
「病院には、これから行くって言ってました。
あ、ちなみに、泣いて喜んでましたよ。
・・・シュウに似てるといいな、って言ってました」
「そうか」
俯いたままの彼が、静かに相槌を打った。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
迷いや戸惑いを吹っ切ったのが見てとれる、良い表情をしていた。
お姉ちゃんが言ってた通り、蒼鬼はとても強いひとみたいだ。