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異世界に来て、3日目の朝。
13時間の海外線に乗った後みたいな、不思議な感覚で目が覚めた。
朝の光が窓から入って、部屋の中が優しい光で満たされている。
しん、と静まり返った中、小鳥のさえずる声が耳に染み込む。
もっと、目覚めた時に、現実を直視出来なくて錯乱するかと思ったけど・・・・。
自分で思うよりも、私の神経は図太く出来てるのかも知れない。
落ち着いた気持ちで耳を済ませていると、ドアの外を誰かが歩く音がした。
昨日サンドイッチを持ってきてくれた女の子達は、この家のメイドさんなんだろうか。
・・・てゆうか、ジェイドさんて本当にお金持ちなんだな。
ほんと、私には場違いな世界だ。
小さくため息を吐いて、私はベッドから降りる。
すると、空気に触れた足の先から、冷えが上がってきた。
思わず身震いして腕をさすりつつルームシューズを履いたら、ソファに掛けておいた昨日借りた服を手早く着込む。
昨日は気づかなかったけど、カシミヤみたいな手触りのワンピースは、とても暖かい。
暖かさに包まれて、ほぅ、と息をついたところで、彼の表情や視線を思い出す。
苦笑するのを止められずに、私は昨日と同じようにソファに座り込んだ。
普通にしているつもりだったのに、ジェイドさんのあの空色の瞳に、考えていることを見透かされるんじゃないかと気が気じゃなかった。
・・・面接官だって、あんなポーカーフェイス、しないって。
ずいぶん体が軽い。
そういえば、昨日は今時小学生でもそんな時間に寝ないでしょ、というくらい早く寝たんだった。
ジェイドさんがずっと部屋にいて、夕食も一緒に摂って、早々に「おやすみなさい」と言われたのを思い出す。
これは「部屋から出るなよ」ってことだろうなと空気を読んだ私は、いっぱいになったお腹が落ち着いたらすぐにベッドに入った。
目が覚めて、何かの映像で見た、錯乱した人みたいにならなくて良かった。
いつ帰れるのか分からないけど、今はとにかく携帯の具合を確認しなくちゃ。
防水になってるから、たぶん大丈夫だと思うんだけどな・・・。
私がやらなくちゃ、と思えることがあると、孤独や不安からは目を逸らしていられる。
そして私は少しだけ、せっかちだ。
半ば使命感のようなものを感じて立ち上がると、私はそっとドアを開けた。
左右に廊下が延びていて、落ち着いた色の絨毯が敷かれている。
小さな窓から外の緑が見えて、圧迫感を感じさせない造りは、品の良いホテルみたいだ。
それにしても、誰もいない。
さっきまでは足音がいくつか通るのが聞こえていたのに。
少しの間、どうしようか迷った私は、思い切って廊下に出る。
ドアをそっと閉めて、どちらに行こうか考えたあと、私はゆっくりと一歩を踏み出した。
突き当りまで進んだところで、下へ下りる階段を見つけて、どうするべきか考える。
ここが最上階なのか、上へ上る階段は見当たらない。
あまり部屋から離れて、誰かが入って私がいないのが分かっても、探すのに手間を取らせるし。
考えを巡らせて、仕方ない、とため息をつく。
お世話になっている身で、迷惑をかけるのは良くないな。
階段に背を向けて、部屋に戻ろうとした、その時だ。
「・・・リア?」
高くも低くもない、だけどちょっと不審に思っているのが分かる、そんな声。
しばらく呼ばれていなかった名前で呼ばれて、一瞬反応が遅れる。
振り返ると、階段の踊り場でジェイドさんが眉根を寄せて、私を見ていた。
その後ろには、メイドさんらしき女の子が数人。
驚いているのか、目を見開いて、そして何故か頬を赤く染めている。
中には目を両手で隠している子もいた。
え、なに?
「何してるんです」
怒気を孕んだ声に、はっ、と我に返る。
私が女の子達を見ている間に、ジェイドさんは静かに怒っていたようだった。
「・・・え?・・・あの・・・?」
勝手に出歩いたから、怒ってるの?
彼が怒るなんて、昨日の様子からは全く想像がつかなかったから、怖いというより、びっくりだ。
私が上手く言葉を紡げないでいると、さらに苛々したのか、彼が早足で階段を上がって。
そして私の目の前で立ち止まると、後ろを振り返った。
女の子達が、びくり、と震える。
え、とばっちり?
目の前で繰り広げられることに、半ば呆気にとられた私は、ただ口を開けて固まっていた。
「1人で構いません。
彼女の荷物を持って、部屋の外に控えているように」
『はいっ、かしこまりました!』
彼の硬い声に、女の子達のがっちがちに強張った声が応えた。
その1人を決めるのに、ひと悶着ありそうだな。
女の子達は、素早い動きで階段を下りていった。
行っちゃうの?
ジェイドさんしかいないじゃん!
怒りのオーラが消えないままの彼が、こちらに向き直る。
男性の怒った顔をあんまり見たことのなかった私は、一歩後ろに下がった。
もはや本能で、といってもいい。
「リア」
「は、はい・・・」
「いえ、もういいです。
行きますよ」
怒られる気でいた私に、彼は冷たく言い放つ。
そして、私の前で少し姿勢を低くしたと思ったら、急に私の体が宙に浮いた。
「・・・ぅあ・・・!」
お腹の辺りに、圧迫感を感じる。
視界が逆さま。
頭に血がのぼる・・・!!
「じぇ、ジェイドさ・・・!」
彼の背中が見えて、私は自分が肩に担がれたのだと知る。
「何か」
「お、下ろして・・・!」
「下ろしたら逃げますよね」
必死に振り絞った叫びが、ばっさり切られる。
彼のシャツからいい匂いがして、諦めそうになる自分が憎らしい。
足をバタつかせようにも、彼の手がそれを許してくれない。
そうしている間にも、ドアが開いて、私は部屋に連れ戻された。
歩幅、広すぎ。
いやいや、こんなことされなくても、口で言ってくれれば大人しく歩いて来たのに。
「や、もう、なんなん・・・」
ですか、と言いかけて、
「・・・ぅわぁっ」
ぼすっ、と投げられた。
着地したのは、ベッド。
「・・・うぅ・・・」
ベッド?
視界は忙しく切り替わるし、体は締め付けられたり浮いたりするし、散々だ。
おまけに投げられて頭の中が一瞬白くなった。
目元を押さえて体を起こそうとしたところで、何かに肩を押されて、ベッドに沈まされる。
気づいたら、そこにはジェイドさんがいた。
「・・・え?」
私の頭を挟むようにして、彼がベッドに手をついている。
上から見下ろす空色の瞳は、苛々に満ちていた。
「・・・髪を・・・」
言いたくなさそうに、苦々しい表情で彼が呟く。
髪?
意味が分からず、内心首を捻る私。
「結い上げろと、言われませんでしたか」
その表情は、なんで俺がこんなこと言わなきゃならんのだ、とでも言いたそうで。
ものすごく嫌そうだったから、そっちに目がいってしまった。
「・・・え?」
聞き流しかけて、思い出す。
「・・・あ」
言われました。
おばさまに、痴女扱いされちゃう、って。
血の気が引く音がする。
「すみません!」
早口で謝罪すれば、彼はため息をついた。
思い切り、私に呆れてると思う。
「いいですか、」
彼がゆっくりと、体勢を低くしながら言う。
謝ったのに、何故近づいてくる。
あんまり近づかないで、顔がすぐ赤くなるから・・・!
色素も皮膚も薄い私は、温度や気候の変化に弱いんです。
きっと今も、ものすごく赤くなってる。
「髪は必ず結い上げること。
でなければ、どこに触れられても構わない、という意思表示になりますよ」
耳元で囁くように言われたら、もうノックアウトだ。
今なら全力で謝り倒せる。
なんなら土下座だって出来る。
「はい、すみませんでした」
こくこく頷く。
すると、熱を感じるほどの距離にいた彼が、ゆっくりを身を起こした。
途端に呼吸が楽になって、私は息を吹き返す。
「・・・大丈夫ですか」
顔が真っ赤ですね、と苦笑する彼は、完全に私を苛めていた自覚があるだろう。
「普通に言ってくれればいいのに」と呟けば、「それじゃ嫌だったという記憶が残らないでしょう」とすんなり返されてしまった。
それ、犬のしつけレベルの話ですよね。
「・・・何してるんでしょうね、私」
「・・・う、すみません」
ソファに腰掛けて、ジェイドさんに背を向けている私。
背後で彼の動く気配を感じつつ、目を閉じた。
彼の手が、私の薄茶の髪をするすると梳いては、編んでゆく。
「いっそのこと、ばっさりショートにしますか」
「ふざけてないで、練習しなさい」
お小言をもらって、沈黙する。
ベッドから降りて、鏡の前で髪を結い上げようと格闘していたら、呆れ顔のジェイドさんが、こっち来て座れ、というジェスチャーをした。
そして、今のこの状況に至るわけだ。
自慢にならないけど、私、ポニーテールくらいしか出来ません。
不器用ですみません。
「ほんの少しでも、隣国からの間者かと疑った自分が、いっそのこと情けないです」
ぽろっと本音をこぼした彼に、私は振り返ろうとして頭を押さえられた。
間者って、スパイってことだよね。
ちょっとは疑われてたってことですか。そうですか。
渦巻く思いは飲み込んで、私はされるがまま、じっとする。
そして、彼が手にしていた紐か何かで髪を留めて、
「はい、いいですよ」
穏やかな声をかけてくれた。
私は振り返って、お礼を言う。
「ありがとうございます。
・・・簡単なお団子くらいは、練習しようと思います・・・」
「当然です」
隣国の云々には、触れずにおこう。
聞いてもろくな展開にはならないと思うし。
自ら傷つきにいく趣味は、私にはない。
「あなたの荷物は、これで全部です」
ほんの少しの間部屋を出ていた彼が、何かを包んだ布を持って帰ってきた。
そして、テーブルの上にその包みを乗せて、ゆっくりと開いてゆく。
「・・・あれ?」
包みの中にあったのは、携帯と、靴。
「服とカバンは、まだ乾かしてるんですか?」
靴はあるのに、服はまだ乾いてないとか、有りえる?
疑問符が頭の中を埋め尽くして、私は彼に問いかけた。
すると彼が、首を横に振る。
どこか申し訳なさそうに。
「いえ、これで全部です」
「嘘、私、服着てたんですよね?」
隠す理由が理解出来ない。
私はいつの間にか、詰め寄るように身を乗り出していた。
「ええ、服は着ていました。
でも、あなたが身につけていた物は、これだけになってしまったんです。
あなたが目を覚ます前に、ひとつずつ、消えていきました」
「え?」
聞き間違えたと思った私は、聞き返す。
「消えた?
消したの間違いじゃなく?」
「ええ、光の粒になって、消えました」
理解出来ないやり取りに、言葉が出ない。
消えたって、どういうこと。
鼓動が変な音を立てて、警鐘を鳴らす。
聞いちゃいけないことを聞いた気がした。
「落ち着いて、リア」
ジェイドさんの声に、目線を上げる。
「渡り人の持ち物が消えてしまうのは、よくあることなんですよ。
あなたには不思議かも知れないですが、そういうものだと、納得して下さい」
彼の申し訳なさそうな表情に、いくらか平常心が戻ってくる。
そうだ、とりあえず携帯が無事なら大丈夫。
いや、携帯もいつ消えるか分からないんだったら、急がなくちゃいけない。
今度は焦りが私を支配した。
とりあえず、今、目の前にいる人に証人になってもらわないといけない。
携帯が消えてしまったら、私には術がなくなる。
ゆっくり息を吸って、目の前に置かれた携帯に手を伸ばす。
周りがこぞって新型に機種変更していく中、私は愛着のあるこの携帯をずっと使い続けて。
写真もたくさん、思い出と一緒にしまってあるのだ。
たしか、この前撮ったのがあるはずで・・・。
「リア?」
どこか緊迫した雰囲気を纏ってしまっていたのか、彼が訝しげに私を見ていた。
それに気づいて、少しだけ笑う。
「大丈夫です。
物が消えたのは、納得しました」
自分でも分かるくらい早口で言えば、彼はますます訝しげに私を見つめるだけ。
分かってる、自分でも必死すぎて可笑しいくらいだ。
「どうしたんです?」
困惑したような様子を見て見ぬ振りをして、私は携帯を開く。
「あ、危ないものじゃないです。
ちょっと、見て欲しいものがあって」
目もくれずに言って、画面を確認した。
シンプルな待ち受けは、友人達から悪評をもらうことが多かった。
・・・大丈夫だ、ちゃんと生きてる。
ほっとしたのもつかの間、充電が半分をきっているのに気づいた。
見せたら電源を切らないとダメそうだ。
もう結構使い込んできたからか、充電の減りが早いのが悩みで、買い替えを考えてたところだったのを思い出す。
もうこの際、ここが圏外になってることとかは、後回し。
大事なのは、そこじゃない。
手早く操作して、最近の写真を呼び出す。
「見て欲しいもの・・・?」
彼が半ば呆然と問いかける。
きっと、猛然と携帯を操作する私のカオ、怖いんだろうな。
目当てのものは、すぐに見つかった。
手が、少し震えている。
「あの、これ見て下さい」
言葉を搾り出して、彼に向かって携帯の画面を見せる。
空色の瞳を、ひた、と見据えて。
「見覚え、ありますよね・・・?」
あるって、言って欲しい。
彼が身を乗り出して、恐る恐る画面を覗き込むのを、固唾を飲んで見守った。
手、震えるな。
頑張れ、私。
自分を叱咤して、彼の様子をつぶさに観察する。
お願いだから、知っていると言って欲しい。
早く。
早く。
一瞬のはずなのに、とても長く感じる時を、携帯を握ったまま過ごす。
「・・・・・っ」
やがて彼が息を飲む音が聞こえて、私は胸を撫で下ろした。
驚いてるってことは、知ってるってことだ。
「何故・・・?」
呆然と画面を見詰める彼が、呟いた。
私に向かってなのか、それとも・・・・・。
「・・・彼に会わせて下さい、お願いします」
私の小さな声が、静かな部屋に響いた。
電源を切った携帯を、ぱちん、と閉じる。
冷え切った携帯が、汗ばんだ手のひらには心地良かった。
彼はしばらく沈黙してから、ひとつ、頷いてくれた。




