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父です、とニコニコご機嫌な教授を紹介してくれたジェイドさんは、何故だか精神的ダメージを受けたらしく、どんよりした空気を纏っている。

「君のことは聞いてたよ、リアちゃん」

重い空気が漂う息子を放置して、教授が私に向かって笑顔を振りまいて口を開いた。

いや、私は今すぐジェイドさんを救済したいんだけども・・・。

「えっと、それって、ジェイドさんから手紙か何かで・・・?」

探り探り言葉を紡ぎながら、ジェイドさんとシュウさんを交互に見る。

シュウさんは、どういうわけか顔を背けていた。

でも私は見ましたよ、肩、ちょっと震えてますね。

視線を移した先にいたジェイドさんは、げんなりした様子で私を見ていた。

・・・え、これもしかして、掘り下げちゃいけない話題でしたか。

初めて見た表情に驚くのと、またしても選択肢を失敗したのかと不安になって、視線がうろうろしてしまう。

「うん、そう。手紙が送られてきてね。

 しかし、面白いねぇ、ほんと。

 渡り人に会うのは初めてじゃないけど、やっぱり、いろいろ知らないっていいよねぇ」

私がうろたえるのを見て噴出した教授が、両手でその頬を押さえてしみじみ呟いた。

「いろいろ知らない・・・?」

笑われたことよりも、その言葉が引っかかってしまって、私は小首を傾げる。

すると、いつの間にか立ち直ったジェイドさんが声をかけた。

「父さん、立ち話はもういいですから。座って、お茶でも出してもらえます?」

そう言って指差した場所には、応接セットの名残を残した、書類の山があった。



こぽこぽと、熱いお湯を注ぐ音が響く。

湯気が視界を塞ぐけど、顔にぶつかる瞬間にふわりとどこかへ消えてしまう。

そして、いつ聞いてもこの音は温かい。

ジェイドさんたら教授に言ったクセに、お湯が沸いた途端に気が変わったのか、私にお茶を淹れてくれって言うもんだから・・・。

私が淹れたらごく普通の渋みのあるお茶になりますよ、と念押ししたけど、案の定誰一人反対してくれることもなく、こうして罰ゲームのように私は王立学校でお茶を淹れているわけだ。

せめてため息を堪えてお湯を注いでいるのは、普通以下の味にしないため。


「はい、どうぞ」

トレーに乗せたカップをそれぞれの前に出して、教授に声をかける。

「いろいろ勝手にお借りしちゃいました。

 気をつけたんですけど・・・もし場所が変わっちゃってたら、ごめんなさい」

「うん、だいじょぶだいじょぶ」

ちゃんと聞いていたのかどうかは分からないけど、教授はニコニコしながらカップを口元に寄せて、お茶を含む。

こくりと喉を通るのを見届けて、私もなんとなく皆と同じように口をつけた。

あっちにいた時も、家族や彼氏相手に、料理をした時やコーヒーをドリップして淹れた時は、こうやってドキドキしながら自分も口をつけたっけ・・・。

料理といっても、私は刃物全般が苦手だから、あんまり出来ないんだけど・・・。

「・・・本当に。いつどこで淹れても普通ですよねぇ、美味しいですよ」

ジェイドさんが微笑んで言う。

ほぅ、というため息は、私のお茶を飲んで出てきたものとは思えない。

「・・・どうも・・・」

本気なのか。普通って褒め言葉のつもりなの。

この気持ちが人間不信の始まりだったらどうしてくれようか。


「それで、僕を訪ねて来たってことは・・・」

書類を片付けた若干埃っぽいソファに腰掛けた私達に向かって、教授が言う。

手にしたカップを、ことり、とテーブルの上に置いてから視線を上げた彼は、さっきまでのご機嫌な教授とは別人みたいに見えた。

紺色の瞳が、きらりと光った気がしてならない。

ふわりと微笑んでいたかと思えば、次の瞬間には不敵な笑みを浮かべていたりする・・・そういう、変わり身が早くて、空気を変えるところ、ジェイドさんとよく似てる気がする。

教授は真剣な目をして、シュウさんに問いかけた。

「手紙に書いてあった、エル君の奥さんのこと?」

「ええ」

間髪入れずに答えたシュウさんに、教授が苦笑する。

「前代未聞だし、前人未到だよ?」

親が子どもの我侭に付き合ってるみたいな構図だ。

教授はたぶん、本気にしてない。

「あの、」

音を立てて、3人の視線が私に向けられた。気がした。

一瞬怖気づいてしまいそうになる自分を叱咤して、私は言葉を繋いだ。

「私がシュウさんの奥さんの、従姉妹だっていうのは・・・?」

伺うように尋ねれば、教授は小さく驚いたみたいで、目を少しだけ見開いた。

そして小さくかぶりを振る。

「ううん、初耳。

 ジェイド、どうして教えてくれなかったの。

 ・・・君が渡り人で、うちの庭に落っこちてたことくらいしか、僕は知らない」

否定してジェイドさんを詰った後、私に教えてくれた。

「もう少し、君と彼女のこと話してみてくれる?

 僕も、何か気になったらその都度質問させてもらうから」

「・・・わかりました」

何を話せばいいのか、どこまで答えればいいのか分からないけど、やっと役に立てそうな予感が私を突き動かす。


まず思い出すのは、私がこの世界にやって来た時のこと。

まだ最近のことだから、大丈夫。覚えてると思う。

「ええと・・・私は、さっき言った通り、シュウさんの奥さんの従姉妹です。

 こっちの世界に来たのは、20日くらい前で・・・」

「あれ?」

教授がソファに体を沈ませて声を漏らす。

「ねえエル君。

 君の奥さんが消えちゃったの、どれくらい前?」

「・・・・・30日くらい前かと。

 そういえば、リアは、あちらに戻った彼女と会っています」

「会ってるの?」

シュウさんの言葉に、教授が驚きを隠すことなく身を乗り出した。

そのまま胸倉を掴む勢いで、私の方を見る。

「ほんとに?会ってるの?!」

何をそんなに興奮してるのか分からない私は、こくん、と首を縦に振った。

もはや気圧されていると言い換えてもいいくらい、教授は真剣なカオをしている。

「お姉ちゃんが突然キッチンに現れたって聞いて・・・。

 私が会ったのは、戻ってから何日か経ってからだったと思いますけど・・・」

「ああ、ちょっと待って」

言いながら立ち上がった教授は、紙とペンを持って戻ってくる。

「奥さんが消えたのが30日前、リアちゃんが渡って来たのが20日前・・・。

 リアちゃん、あっちの世界で奥さんが消えちゃったの、いつ?」

そして視線を上げもせずに殴り書きをしつつ、私に問いかけた。

「ええと・・・確か、3年半か4年くらい前・・・かな」

思い出して言葉を選んでいると、今度はシュウさんが質問される。

「エル君、奥さんがこっちに来たの、いつ?」

「・・・3年半から、4年ほど前・・・ですか」

「・・・同じですね」

ただならぬ雰囲気の中、ジェイドさんの呟きが重く落ちた。

ペンを走らせてから少しの間沈黙していた教授が、口を開く。

「時間の流れは、ほとんど変わらないみたいだね・・・。

 年単位でこっちにいたのに、さほど時間のずれはないらしいし・・・。

 ねぇ、エル君・・・?」

紺色の瞳が、ゆらゆら揺れながらシュウさんを見つめている。

シュウさんはただ、その視線を静かに受け止めて、目だけで先を促した。

「君、どうしても彼女に戻ってきて欲しい?

 どうしても彼女じゃないと、駄目・・・?」

「愚問です」

シュウさんの、硬い声が教授の言葉をばっさり切る。

彼は、その瞳に少しだけ怒りを燻らせているようにも見えた。

一瞬も迷わない言い方に、教授はため息を吐く。

それは、どこか問い詰められて観念した人のように見える。

「・・・わかった。協力する」

そのひと言が場の空気を軽くしたのを感じて、私は胸を撫で下ろした。

「・・・僕だって、このひとだけ、と決めた人と家族になった人間だから・・・。

 きっと自分がエル君の立場になったら、なりふり構わずに何でもしたと思うんだ」

紺色の瞳から揺らぎは消えて、とても穏やかな表情を浮かべた教授は、柔らかく微笑んでシュウさんに向かって言う。

「君がそういう、温度のある人間でいることが嬉しいと思うよ」

教授から教え子へ、というよりは父親から息子へ・・・と、そんな温かさを感じる。

私は思わず頬を緩めた。

ちらりとジェイドさんに視線を向けると、彼は静かにお茶を飲んでいる。

まぁ確かに、彼は私の保護者のつもりで今回の訪問に同行することを決めたようだったし。

彼の様子が気になったのはほんの一時で、私は自分のことを考えていた。

時間の流れが同じなら、私が帰っても、少しの間行方不明だったという事実だけで、そこさえ乗り越えればまた元の生活に戻れるんじゃないかと、漠然とした希望を抱いて。

方法を聞くのはまだ先にしておきたいから、今日は口にしないと決めていた。

まずは何をおいても、お姉ちゃんとシュウさんのことなのだ。

「・・・僕は、協力すると決めた。

 だから、先に話しておかなくちゃいけないことがあるんだけど・・・」

しばらく続いた穏やかな空気が、またしても緊張を孕んだそれに変わる。

私は、居住まいを正して教授の方を見た。

グレーの前髪を指先で弄んだ彼は、一気に言葉を放つ。

「実は、ずいぶん前から渡り人を召喚する方法を探る動きはあって・・・」

私達の誰かが息を飲む気配がした。

教授の表情が苦しげに歪められて。

「・・・僕達がしようとしてることは、たぶんやっちゃいけないことなんだ・・・」

彼は、声のトーンを落として静かに語りだす。


ジェイドさんがカップを置く音が、やけに耳障りに感じて。

息苦しいと感じたのは、部屋の喚起が足りないせいなのか。

「渡り人が、嵐の日にやって来るのは知ってる?」

私達は無言で頷く。

たぶん、この世界の人達には「叩かれたら痛い」くらいに常識といえる事実。

音も立てずに肯定したのを見届けた彼は、ひとつ頷いてもう一度口を開いた。

「渡り人が、この世界の文明を発達させたことも?」

私の目を見た彼に向かって、小さく首を縦に振る。

この前本で読んだし、きっと、2人には聞くまでもないことだ。

「・・・この世界の文明は、今、頭打ちになってしまってる。

 この世界の人間は、元々何かを造り出す力に乏しいから、かも知れないけど・・・。

 渡り人が発明してくれた物を少しずつ改良して売り出して、なんとか経済は回ってる。

 うちみたいな小さくて平和な国はともかく・・・。

 大きな国では、嵐がやって来るたびに渡り人を捜索する動きがあってね」

「・・・保護という名目の、隷属ですか。

 それは私達が生まれるずっと前に、廃止されたはずでは?」

ジェイドさんが何かを考える素振りを見せつつ、呟くように言う。

同意したのは、シュウさんだ。

「一国でもそういう動きがあれば、紅の連中から報告が上がると思いますが」

「うん、そうなんだよね。

 だから今のところは、この程度の報告しか上がってきてない」

「・・・なるほど。父さんが事情通なのは、あとで追及するとして・・・。

 紅の連中には、大国が広い国土のどこかにやって来ているかも知れない彼らを、

 見落としてしまわないように、捜索隊が動いているように見えるわけですね・・・」

紅の連中って・・・あの紅の騎士団のことだろうか。

私の知らない単語がぽんぽん飛び出す会話に、口を挟む余地はなさそうだった。

せっかく彼らが同じものを見て話をしているんだから、と私はただ静かに彼らのやり取りを聞いていることにする。

「まぁ、僕がそう読んでる、ってだけなんだけど・・・」

「いや、教授の読みなら概ね的外れというわけでもないでしょう」

「何か、信じても良さそうな証言や証拠があったんじゃないんですか?」

シュウさんとジェイドさんが交互に言って、教授は首を捻った。

「いや、確証はないんだ。

 ただ、ここは留学生も多いから、入国の敷居が低いというか・・・。

 人の数だけ、諸国のいろんな噂が耳に入ることも多くてね。

 そこから推測しただけの話なんだけどさ・・・」

視線を彷徨わせる姿に、何かを考えながら言葉を選んでいるんだと思っていたら、教授の目が私に向けられる。

「ねえリアちゃん、」

「え?」

くるかと思ってたら本当に話しかけられて、思わず声が出た。

ジェイドさんとシュウさんは、突然話題が変わる予感に顔を見合わせている。

「君の世界の文明は、この世界よりも発達してるよね?」

「え、あ、はい。発達、してますね」

問われるままに答えれば、彼は眉根を寄せた。

「やっぱり、そうだよね。

 じゃあ、この世界になくて、あっちの世界で使ってたものを作って、ってお願いしたら、

 リアちゃんにも作れちゃったりする?」

ぽん、と質問されて、私は首を横に振る。

「いやいや、無理です。

 専門知識も技術もないですもん」

「だよね」

彼はうんうん、と頷いて息をついた。

どういう意味が、全く分かりませんが。

私の視線に気づいたのか、教授が微笑んで口を開く。

何故、彼は寂しげに微笑んでいるんだろう。

「やっぱり、やっちゃいけないのかも知れないなぁ・・・。

 僕が、善だけで出来た人間だったら良かったのにね」

「え・・・?」

ただならぬ単語を、私は無意識に声を返していた。

これは、なんだか聞いちゃいけない種類の話だったんじゃなかろうか。

「今、世界が欲しがってるのは、経済を回すための起爆剤。

 それを生み出すための、渡り人なの。

 でもそれは、嵐の日にやって来ることしかわかってないから、希望は薄い。

 ・・・そこで、僕たちが渡り人を召喚する方法を成功させる・・・」

教授の真剣な瞳が、私を射抜いた勢いで、ジェイドさんとシュウさんにも向けられた。

しん、と部屋の中が静まり返る。

「もし、それを他国が欲しがったとして。

 盗むなり、僕らを拉致するなりして、手に入れたとしたら。

 きっと彼らは、自国を発展させて、強くするためにそれを利用するよね。

 ・・・たとえ、渡り人の多くには、何の力も備わってないと分かっていても」

彼の言葉が、床に静かに落ちていく。

私はまだ、彼の言いたいことがよく分からないままだ。

なんだか、頭の中に入ってきた言葉が、いくつもの鏡にぶつかって乱反射してるみたいで。

「きっと、ぽんぽん召喚し続けるよ。

 自国に貢献しそうな、当たりを引くことが出来るまで。何度でも」

紺色の瞳が、ゆらゆらと小さく揺れた。


「そのキッカケになりうることに、僕らは手を付けようとしてるってこと。

 脅かすような言い方で悪かったと思ってる。

 きっとそういうことにはならない、とも思う。

 だけど・・・前例のないことをする、ってことは、そういう危険を孕んでるってこと、

 知っておいて欲しかったんだ・・・」



気休めみたいに聞こえた台詞を、どこまで信じたらいいのか。

やっぱり私にはよく分からなくて、呼吸をするごとに重くなる胸に、手がいっぱいだった。

シュウさんは、一体どうするんだろう・・・。







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