13
「ジェイドさん、ちょっとお茶でも飲んで落ち着いて・・・」
カップをほんの少し滑らせて、彼の手元に近づける。
向かいではシュウさんが、言うことは言った、とばかりにソファに背を預けた。
カップを傾ける仕草が、嫌味なくらいに優雅だと感じてしまうのは、私が無意識にジェイドさんに肩入れしちゃってるから、かも。
それにしても、ちょっと目を離してる間に、2人は何の話をしたんだろう・・・。
変な空気の流れる中、ジェイドさんがイライラした様子を隠すことなくお茶に口をつけた。
こんな時になって、もっとちゃんとお茶の淹れ方を習っておけば良かったと後悔する。
美味しくないお茶で気が紛れるなんて、絶対ないと気づいてしまった。
念のため自分用に淹れたお茶を口に含んだら、きっと良い茶葉なんだろうに、いつもどおりの普通の味で、いつもどおりに少し渋かった。
これはない。絶対イライラを助長させる代物だ。
当たられたら素直に謝るつもりで反応を伺っていると、彼はふっと息を漏らす。
それこそ不安になって、彼の顔を覗き込んでしまった。
「・・・やっぱりこれですよねぇ・・・」
目に入ったのは、和んだジェイドさんのカオで。
頭の中に浮かんだのは、おじいちゃんになった彼が縁側でお茶を啜っている図だった。
茶柱とか、立っちゃってたりしそうな。
・・・なんだそれ。
「リアの淹れるお茶、とっても普通で和むんですよね」
あからさまにほっとした表情を浮かべられたら、さすがにツッコミをいれるわけにもいかず、私は何かが燻ったままの気持ちで、曖昧に頷いた。
大体ね、普通で和むって、どんな褒め言葉。
「ええと、どうも・・・」
微妙な気持ちで呟いた私を見て、何故かジェイドさんは満足そうで。
まあ彼がいいならいいや、険悪ムードにならずに済むならそれで。
「・・・・・エル、」
落ち着いたのか、彼が柔らかな声でシュウさんに声をかけた。
でもどこか、いつもの優しい彼とは違う気がする。
ソファに背を預けて、優雅にカップ傾けていたシュウさんがちらりと視線を投げる。
緑色の瞳が、ほんの少し剣呑な光をたたえていた。
もともと目つきとか、雰囲気がが柔らかい人じゃないみたいだから、ちょっと怖い。
自分が一瞥されたわけじゃないのに、気圧されてしまった私は、なるべく気配を殺して静かに2人のやり取りを見ていることにした。
ジェイドさんが、言葉の続きを口にする。
「やはり、出発は5日後から8日後に伸ばして下さい」
「・・・何故」
不機嫌さを隠しもしないシュウさんが、唸り声みたいな低い声を発した。
それを聞いてもジェイドさんは、全く意に介した様子もなく再びカップを傾ける。
「私も同行するからですよ」
「・・・えぇ?!」
素っ頓狂な声が出たのは、もちろん私1人だった。
行くの、ジェイドさんも。
決まってるじゃありませんか、と付け加えたジェイドさんは、シュウさんが絶句しているのを素知らぬ顔で一瞥した。
「何か?」
「・・・お前も行くのか?」
シュウさんが身を乗り出して尋ねる。
それを鼻で笑うジェイドさん。
「なんですその嫌そうな顔は」
「補佐官だろ」
「今はね」
「アッシュの側を離れて大丈夫なのか」
「それはあなたも同じでしょう」
「俺は代わりがきく」
「偶然ですね、私も代わりが見つかりました」
言葉がぽんぽん飛び交って、耳が右から左から声を拾う。
初めて聞く単語が入ると、会話の内容がかき混ぜられて理解出来なくなってしまうから困る。
いやこれは、たぶん私の理解力の問題なんだけど。
「あのー・・・」
「なんだ」
「なんです」
申し訳ない気持ちで割り込んだ私に、2人の綺麗な顔が向けられてたじろいだ。
イケメン慣れしてないから、あんまりじっと見ないで欲しい。
「アッシュ、さんて・・・?」
王立学校に向かうにあたって登場する名前なら、きっと私にも関係あるはずだ。
よく分からないのに曖昧に頷いて一緒に行動して、後になって目指してた所と違ってた、なんてことになったら大変。
どちらに尋ねたらいいのか分からなくて、とりあえず交互に2人を見る。
ぽかん、と隙だらけの表情をした彼らは、ちょっと面白かった。
「アシュベリア・・・陛下の名前ですよ」
答えてくれたのはジェイドさん。
でもその表情は、とっても不思議そうだった。
「陛下と、友達なんですか?」
今度はシュウさんに尋ねる。
すると彼は喉を、くっ、と鳴らした。
なんか私、馬鹿にされてる?
ちょっとむっとして目で訴えると、彼は苦笑して言った。
「・・・悪かった。そうか、知らないのか。・・・ジェイド、」
何も答えてもらえないまま、彼はジェイドさんを呼ぶ。
「お前が話すか?」
シュウさんの言葉に、ジェイドさんは黙ったままだ。
視線がテーブルの上をうろうろしていて、何かを考えているようにも見える。
「・・・いいんだな」
シュウさんはそれを異論なし、と受け取ったようだ。
いつも、飄々としてるか相手に表情を読ませないように振舞うことが多いから、彼がこんなふうに何かを躊躇する姿に、私の方が戸惑ってしまう。
陛下との関係を聞いたのが、そんなにまずかったのか。
もしかして、陛下とただならぬ関係だったりするの。
イケメンなのに独身で、それなりの年だから不思議ではあったけど・・・。
いろいろと想像してしまった私は、事情を話しだしてくれたシュウさんに向き直った。
「まず、陛下とそこのジェイド、俺の3人は幼馴染だ」
「おさななじみ・・・」
言われたままをオウム返しに呟く私を見て、彼はひとつ頷いた。
「ああ。ジェイドの母親が陛下の子守だった縁で、一緒に育った。
・・・俺は陛下の従兄弟にあたる。一緒に育ってはないが・・・」
「従兄弟・・・」
言われた内容を反芻しながら、考える。
てことは、お姉ちゃんは王族と結婚したってことか。
そして私は、王族に限りなく近いところに渡って、保護されたってわけだ。
ただこの世界で、従姉妹を呼び戻す方法を、その旦那様と一緒に探せばいいだけなんだと思い込んでいた私には、驚きの連続だ。
お姉ちゃんのいた世界だって確信してからは、シュウさんに会うことだけを考えてたし、シュウさんに会ったら今度は史料を読み込んだりすることだけを考えて。
自分を取り巻く環境が、普通と違うことに目を向ける余裕がなかった。
よそ見している間にスケールが大きくなりつつあったことに、気が遠くなりそう・・・。
「そういえば・・・」
思い出したことがあって、私は言葉を並べた。
環境に驚いていたって、お姉ちゃんはこっちに来れないんだと、自分を奮い立たせる。
「お姉ちゃんも、子守をしてたって・・・」
「ああ」
シュウさんが目を細めて頷く。
私の向こうに見えているのはきっと、お姉ちゃんの姿だろう。
「俺が後見をして、子守の仕事を紹介した」
「そうだったんだ・・・」
思わず敬語も忘れて呟いた。
それでシュウさんと結婚するに至ったわけね。
「ちなみに、陛下の子ども・・・皇子の子守だ」
「おーじ・・・?!」
日常生活で、口にしたことなんかない単語だ。
もっとちゃんと、お姉ちゃんの話聞いとけばよかった・・・。
あっちで保育関係の仕事に就いてたから、子守といえば、ベビーシッターくらいのもんだろうと勝手に解釈していたのだ。
私がそんなふうに驚いたり後悔したりしている間にも、彼はすらすらと言葉を紡いでいく。
「まあ、聞きたいことはジェイドに教えてもらった方がいいだろうな」
そう言って、ちらりと視線をジェイドさんに投げた。
腕を組んだまま、再びソファに背を預けて。
「・・・雛鳥の世話も、まんざら嫌ではないようだし・・・」
彼は言葉の最後で、意味深に口角を上げた。
視線をジェイドさんに向けたまま。
それを受けるジェイドさんも、さっきまでの戸惑った表情はかけらも見せず、不敵な笑みを浮かべていて・・・。
一本の細い、見えそうで見えない緊張の糸が張り詰めた。
なんなんだこの雰囲気。
男同士の幼馴染って、大人になるとこんなふうになるの。
私は一人っ子だから、未知の世界だ。
「では、出発は8日後で構いませんね」
「ああ。・・・だが、本当に代わりが?」
「オーディエ君が、5日後に帰ってくるんですよ。
春までは学校はお休みだそうです。
ま、そのまま補佐にまわってもらっても、と思ってますが・・・」
また知らない単語が出てきたけど、今度はジェイドさんに聞いたほうが良さそうだ。
会話を止めるのも良くない気がする。
2人のやり取りを静かに見ていると、彼らは私の存在を気にするふうもなく・・・。
「オーディエか・・・大丈夫なのか?」
シュウさんが眉間にしわを寄せる。
それには目もくれず、ジェイドさんが飄々と言いのける。
「大丈夫も何も・・・アッシュがしっかりしてくれれば、問題ないですよね。
普段サボりにサボってるんですから、こういう時くらいはしっかりしてもらわないと。
オーディエ君だって、もう子ども扱い出来ませんから、いい機会でしょう」
「まあ確かに・・・そろそろ次の世代を育てたい頃ではあるが・・・」
「王立学校でしたら、戻ろうと思えば1日で王都まで戻れる距離です。
治安は問題ないですし、国境の難民もとりあえず落ちつきましたから・・・」
シュウさんが頷く。
どうやらジェイドさんが一緒に行くのは、決定しそうだ。
波風が立たずに場が纏まったことに、私はようやく胸を撫で下ろして、残っていたお茶を口に含む。
もうとっくに冷めていたけど、とりあえず喉を潤してくれればいいや。
そう思って、冷めて渋みの増したお茶を飲み込んで・・・。
「可愛いうちの子を、妻帯者と一緒に遠出させるのは心配ですしね」
「ぐっ・・・!」
すんでのところで噴出さなかったのは、我ながら偉いと思う。
胸をどんどん叩いて、器官に入りかけたお茶を食道に誘導する。
あ、危なかった・・・。
「お前、何言ってるんだ」
完全に呆れたカオのシュウさんが、素知らぬ顔でお茶を飲むジェイドさんを見る。
「・・・そうですよ、何言ってるんですか!」
お茶で溺れかけた私も、ジェイドさんに向かって言った。
「・・・私を置いて行くんですか?」
すると彼は、らしくもない上目遣いで、私を見つめてきたではないか。
空色の瞳が、悲しげに揺れるのを見てしまった私は、う、とひと言呻いてしまった。
それが面白かったのか、彼は楽しそうに目を細めて。
「ね、一緒に行きましょう」
小首を傾げられたら、もう、頷くしかない。
ジェイドさんに言われたら断れない、という構図が完全に出来上がっているのだ。
そんな私達のやり取りを見ていたシュウさんは、ただひとつ、ため息を吐いた。
たぶん心の内は、「好きにしろ」だ。
「そうだ、リア」
シュウさんが帰って、カップやポットをトレーに纏めて侍女さんに渡す。
洗い物をしてくれるのは、本当に助かるな。
「はい」
彼の執務机に置いておいた史料を、もう一度応接セットのテーブルに運びながら返事をする。
籠の中に、食堂から拝借してきた食器をしまって、とりあえず片付けは終了だ。
後でお礼を言って返してこよう。
「明日、少し早めに仕事を切り上げて買出しに行きましょう」
「・・・食料品ですか?」
彼の方から、クスクスと笑い声を漏らすのが聞こえて、私は振り返る。
思ったとおり、口元に手を当てた彼がいた。
案外近くに。
「違いますよ。あなたの服とか、日用品です」
「・・・ありますよ?」
もともと、服や装飾品に興味はない。
可愛い格好をするのは好きだけど、たくさん欲しいわけじゃない。
自分に似合って、身の丈に合う、等身大のものに囲まれている方が安心出来るからだ。
私は小首を傾げて彼を見る。
「でもそれ、借り物でしょう?」
「ああ、そっか。
持ち主の方にお返ししなくちゃですね」
最初にラズおばさまが渡してくれた衣服は、全部借り物だったのか。
・・・全然気にかける余裕もなかったな。
洗濯して早く返さないと。
私のはっとした表情を見たのか、彼は手をぱたぱた振って言う。
「今身につけているものは、ミナからの借り物なんですよ」
「お姉ちゃんの・・・」
どうりで少し、丈が足りないような気がしてたんだ。
お屋敷のメイドさん達のを借りてたのかと思った・・・。
呟いた私を見た彼は、ふっと息を漏らす。
「だからね、それはエルに返して。
あなたの物を、買いに行きますよ」
そう言って、ぽん、と頭に手を置かれた。
目が柔らかく細められて、背中がむずむずする。
あの、ハグをおねだりした夜から、彼の手の届く距離にいることに戸惑ってしまう自分がいた。
今はそんなことに気を取られてる場合じゃないのに。
「王立学校に行ったら、数日滞在するでしょうからね。
今のうちに、しっかり準備しておきましょう」
私の心の浮き沈みなんか知る由もない彼は、ウキウキを隠すことなく書類を広げる。
そんな彼を見ては、思わず頬を緩めてしまう自分が単純で可笑しかった。
それにしてもジェイドさんてば、遠足か何かと間違えてるんじゃないだろうか・・・。