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例えばこんな恋語り  作者: K+
14章 唇から(クチビルから)

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 辺りがチカチカしている。

 シルトンの展望台?

 足元が、覚束ない。

 そういえば、キスしちゃったんだっけ……

 傍に、誰か居る。

 朝倉(あさくら)君……?

 琴巳(ことみ)は顔を上げ、ぼんやりした。栩麗琇那(くりしゅうな)の綺麗な顔が間近にある。

 あれ――?

 恐る恐る、手をのばした。

 淡い茶色の髪は、思った通り柔らかくて――

 重ねた唇は、思っていたより温かかった。

「――良かったぁ」

 琴巳は、やっと、心の底から幸せを感じた。

 わたし、お兄ちゃんとキスしてたんだぁ。良かったぁ……

 身体が、ふわふわする。夢のよう。

 意外なことに、栩麗琇那が耳元まで赤くなっている。照れているんだろうか。

 美青年は口許を手で覆い、くぐもった声を洩らした。

「酔ったままか」

 何の話?

 そんなことより、聞いて欲しいことがたくさんある。

 お兄ちゃん――他の女の人とデートしないで。わたしの傍に居て。お家で二人きりになると離れて行っちゃうの、嫌。行かないで。

 仕方無さそうに、栩麗琇那が髪をかき上げる。琴巳は、我儘だった気がした。不安になる。

 ごめんなさい――お願い、嫌わないで。

 ふわりと栩麗琇那が頬を撫でてきた。おずおず見上げると、美貌が静かに傾いて近づく。

 自然と、瞼を閉じた。

 優しく、唇をついばまれた。

 頭の芯が、痺れた。


 琴巳は、もそもそとベッドで半身を起こした。こめかみに手をあてる。頭がずきずきした。

 雨戸が閉まっていて部屋は真っ暗だったが、鳥の声がするから夜は明けているだろう。

 自分の部屋だ。昨日出かけたままの恰好をしている。

 昨夜の記憶が曖昧だ。

 みんなでシャンパンを飲んで、頭がぽかぽかしてきて……

 弟が風呂の準備をしに場を離れたら、栩麗琇那が二人きりを避けようとした。

 行っちゃう――と切なく感じた辺りから、よく覚えていない。二階まで自力で上がってきたのかも、あやふやだ。

 ただ、見た夢が頭に残っている。

 栩麗琇那が、キスをしてくれた。

「夢だったんだ……」

 呟くと、たちまち目頭が熱くなった。涙がこぼれ落ちる。

 シルトンホテルの二十一階で見た、(たけし)のはにかんだ笑みが胸を刺す。幸せそうだった。琴巳も、寸前までは幸せだった。

 なのに何故か、唇同士が離れた後、あげちゃった、と後悔に似た思いが浮かんだ。それで落ち着かなくなってしまい、家族にクリスマスプレゼントを買うなどとでっち上げ、早々に帰宅の途についてしまった。

 琴巳は両手で顔を覆った。

 朝倉君はあんなに、わたしのコト覚えてくれてるのに……きっとキスも、しっかり覚えてる――どうしよう――

 夢想があまりにも甘美で、現実を思い出せない。

 こんなに、栩麗琇那のことが好きだったなんて。

 フられる前より気持ちが溢れて、止まらない。けれど、この気持ちを栩麗琇那に知られるわけにいかない。彼には恋人がいる。困らせたくない。

 涙を拭い、ベッドを降りた。着替えて、部屋を出る。今日は順子(よりこ)が遊びに来てくれるから、頭痛だけでも何とか解消したかった。

 ほてほて階段を降りたところで、洗面所のドアが開いた。朝風呂に入ったのか、首にタオルを掛けた栩麗琇那が出て来る。こちらに気づいて、ぞくぞくする低声を響かせた。

「おはよ」

 濡れた髪を撫で上げ、栩麗琇那は美麗な眼差しを流してくる。「去年みたいに二日酔い?」

「ん。ちょと頭痛い」

 琴巳は情けない気分になる。「おまけに、どうやって布団まで行ったか覚えてないの。去年より悪酔いしちゃった」

 栩麗琇那は、タオルで頭を拭った。短く喉を鳴らす。

「コトミ、小学生の頃と重さが変わってなかったよ」

 どきんっとした。

「お兄ちゃんが運んでくれたの?」

 夢が蘇った。琴巳が栩麗琇那にキスできたのは、至近距離に顔があったから。

 抱き上げられてたからじゃ――?

 たちまち琴巳は頭に血が上ったが、背後で公士(こうし)の笑声が起こった。階段を降りてきた弟が、腹を抱えて言う。

「兄ちゃん、片手で軽々運んでったもんな。やっぱり姉ちゃん、育ってねーんだー」

 公士はげらげら笑いながら洗面所に入って行く。言い返せずに立ち尽くす琴巳を、栩麗琇那がすまなそうな目で見た。琴巳はぎごちなく笑みを繕う。

「あの、ありがと、お兄ちゃん」

「あぁ」

 栩麗琇那は台所へ足を向け、何気無く続けた。「俺の感想は参考にならない。ルウだから」

「ん」

 琴巳は、何とかえくぼを作る。

 弟が傍に居たら、彼はキスなんてしない。

 安易に期待してしまった自分に、溜息をつきたい心地だった。




 馬安(うまやす)で下宿を始めてから、栩麗琇那は毎年、十二月三十日から九十五里(くじゅうごり)に帰省している。

 昼前、栩麗琇那が九十五里の加賀家に着くと、(わたる)が開口一番に告げてきた。

「シェリフ君から、九月末に手紙が来た。帰って来た時に開けばいい程度のモノだと、添え書きがあってな。机の、大きい抽斗に入れてある」

「分かりました」

 栩麗琇那は亘に頷き、不安げな様相の光乃(みつの)に微笑みかけた。「開けてみます」

 光乃は、小さな笑みを返してきた。お昼御飯を用意するわね、と台所へ向かう。

「呼んだら、途中でも降りて来なさい」

 亘はそう言うと、光乃に次いで台所へ足を向ける。はい、と応じた栩麗琇那は、階段を上がり、夏以来の自室に入った。

 カーテンや布団カバーなどは、養母がきちんと冬物に替えている。扇風機の代わりに、小型ヒーターがお目見えしていた。それ以外は、別段変わり無い。

 ベッド脇にバッグを置き、栩麗琇那はコートを脱ぐと窓辺の机に寄った。言われた通りに、大きい方の抽斗を開ける。

 雑多なダイレクトメール類の下に、A四判ほどの白い封筒があった。差出人の名前も、宛名も無い。これがシェリフからの手紙だろう。多分、もうひと回り大きな封筒で、亘宛に届けてきたに違いない。でなければ、養父は封を切らずに栩麗琇那を呼んだ筈だ。

 量があるようで、重みがあった。軽めの封印が施してあり、ペーパーナイフで外す。中には、紙の束が詰まっていた。少々質の悪い紙を紐で束ねた物と、手紙だろう二つに折った数枚の紙片。

 束は後回しで、栩麗琇那は紙片を広げた。中央に、短い日本語の文面。マーニュ家の連絡先をメモしたモノと同じ筆跡。シェリフの字だった。

【君の要望通り、向こうに知らせた。蒼杜(そうと)からの返信が届いたので、同封する。】

 栩麗琇那は椅子を引き、腰を下ろしながら次の手紙を見る。シェリフと似た文字には見覚えがあった。春に見た、蒼杜のモノだ。

【御希望通り、先日、大君(おおきみ)にお伝え致しました。更に、大君からラル家の方々へ。

 待望の朗報に大層喜んでおられる由。願わくば三年後と言わず、すぐにでもと言う声もあるとか。皆、お帰りを心待ちにしているとの事です。】

 皇子(みこ)は一旦黙読をやめ、窓の外、防風林の隙から冬の海を見やった。

 今現在、大君は誰が務めているのか。祖父ではないだろう。九年前の時点で、老衰からだいぶ弱っていた。既に亡くなっている……

 祖父との思い出が次々浮かび、しばし青鈍色(あおにびいろ)の海を眺めた。

 帰郷したら、真っ先に一族の墓前に行かねばならない。栩麗琇那は父の弔いもそこそこに、こちらの世界に来てしまったのだから。

 一つ息をつき、手紙に目を戻した。

【その上で過日、ラル家の老がお越しになりました。御帰還後、即に執務に携わって頂きたいのでしょう。皇子の失踪より九年分の記録の、写し書きを始められたそうです。

 そちらでも種々事情有られましょうが、先ずは六暦六〇三年の一年分、是非に目を通して頂きたいという事で、これを同封します。

 拝見したのですが、よくまとめられており、大変勉強になりました。今後、八年前、七年前と見せて頂くのが楽しみです。】

 知神の申し子らしい文章に、栩麗琇那は僅かに口許がほころぶ。紙束はそれか、と納得した。

【最新の情報として私が知る限りでは、本年、遂に六神(ろくしん)が直々にルウの民との会合を設けられました。

 以後、年に二回、春分と秋分に、大君にのみお会いになられるとか。異世界の存在と、昨今の大陸の情勢に懸念をいだかれたのでしょう。】

 皇子は眉をひそめた。大陸に不穏でも起こっているのだろうか。

【異世界と言えば、イー・ウー神の使い(がみ)、エ・ウ・ゼンが、シェリフの便りから、栩麗琇那がお住まいの世界を〝碧界〟と命名されたそうです。又、私達が居る世界は〝翠界〟とか。

 六神、六方共々お気に召したそうで、ルウの方々の間にも広まっているようです。】

 碧い世界か、と海を一瞥し、栩麗琇那は残りの丁寧な挨拶文に目を走らせた。読み終え、手紙を元に折りたたむ。

 丁度良く、昼食に呼ぶ亘の声がした。栩麗琇那はさっと立ち上がる。

 亘が言葉を添えなくとも、栩麗琇那には目下、翠界(すいかい)よりも碧界(へきかい)での事々が大事だ。

 栩麗琇那は足早に、部屋を出て行った。

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