↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
例えばこんな恋語り  作者: K+
4章 走馬灯(ソウマトウ)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/125

 ざざぁん、と多少大きな波音が届いた。

 すっかり聞き慣れていた琴巳(ことみ)も、寸時耳を澄ましてしまう。

 どうどうとうねり、ざざざと寄せ返す音の群れ。

 聞き慣れても、やはり夜はよく聞こえる気がする。

 そういえば、そう書こうかなって思ったことがなかったっけ。

 絵日記をしまったばかりのリュックサックに、琴巳は目を向けた。

 八月からの絵日記は、三十日の今日までスペースの余った日が無かった。見直しても、隙間は見つからないだろう。

 畳みかけだった服を終いまで畳んで鞄に入れ、琴巳は傍で同じ作業をしている弟を振り返った。うつむいている。

「コウ?」

 家に帰りたくないと言い出すんじゃないかと、支度を始めてから気がかりだった。

 正直、琴巳の心には半分帰りたくない気持ちが広がっている。昼過ぎに母から、迎えに行くからね、と電話があって、馬安に帰るのが定かになった。そうしたら、急にその気持ちが膨らんだ。

 どう宥めようか考えながら、琴巳は公士(こうし)の顔を覗き込んだ。近頃は紫外線が強くなってるからあんまり焼いちゃ駄目よ、と祖母が言ったけれど、弟はこの三十日近くでこんがり小麦色になっている。

 南の島の人みたいになった公士は、琴巳の危惧を余所に、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。宿題などの一式は片づけたようだが、服は半分もしまわれていない。座り込んだ周りに散らばったままだ。

 琴巳は、唇をすぼめた。

 この子って、どうしてこんなに単純なのかしら。

 久しぶりに母と電話で話した時も、これまでのことをまくし立て、これっぽっちも九十五里(くじゅうごり)の人達との別れに感傷をいだいていないようだった。明日ねー、とはしゃいだ声で締め括っていたから。

「コウ、寝るなら、横になって寝なさい」

 琴巳が肩を揺すると、うーん、と寝惚けた声をあげ、弟はころんと転がった。琴巳はペシと尻を叩く。「残念でした。そこはお布団じゃありません。ほら、起きて。お洋服しまうのは明日の朝でもいいから」

 ううーん、と公士は小さく唸ると、丸くなってしまった。完全に寝る体勢だ。

 泳ぎおさめとか言って、一日中泳いでたもんな。

 もう、と琴巳は一声発し、立ち上がった。弟の細い両腕を抱き込み、布団へとずるずる引っ張る。

「――コウ、ちょと、太ったんじゃ、ない?」

 思ったより苦労して、何とか琴巳は公士を布団に寝かせた。タオルケットを腹の辺りに掛けてやりつつ、もう、と再びぼやく。「汗かいちゃった。お風呂入った後なのにぃ。コウの馬鹿馬鹿」

 くすくすと笑う声に、琴巳は焦って振り返った。部屋の入口で、祖母が口許を押さえて立っていた。

「琴巳ちゃん、もう一回入ってもいいわよ?」

「う、ううん。平気」

 労働したことも加わってか、琴巳は顔がほてってしまう。「えと、えと、独り言だったから、だから、オーバーに言っちゃったの」

 そう、と祖母は微笑んで顔を傾けた。

「でも頑張ったわね、コウ君を一人でお布団に運んだのね」

「美味しい物たくさん食べて太ったみたい。重かった」

 あら、と祖母はまた優しい笑い声を洩らした。琴巳も、えへへと笑みをこぼす。

 ここに来る前は怖い人攫いのイメージがあった祖父母も、ひと月近く一緒に暮らした今は、母と同じくらいに大好きだ。

 明日で、お別れかぁ。

 思い出となった数々の出来事が、次々蘇ってくる。

 祖母には、料理と併せてバランスのいい栄養の摂り方から、怪我をした時の応急処置の仕方、小物入れ作りも教わった。

「お祖母(ばあ)ちゃん、あの自由課題の袋ね、返してもらったら、お家で使えるかなぁ」

 これまではボタン付けしかやったことがなかったから、アレは飛躍的な大作となった。できたことはできたが、実用に足るかはイマイチだ。

「使えるわよ。大丈夫」

 祖母はにっこり保証してくれてから、手にしていた小箱を差し出した。「でもね、使っているうちに綻びることがあるのよ。わたしのも何度か修復しているの。だから、これをあげるわ」

 母が指輪を入れている宝石箱に似ていた。琴巳は、どきどきしながら受け取った。

「開けていい?」

 勿論よ、と返ってきて、琴巳は蝶番付の蓋を持ち上げた。「わぁ……」

 中には、ぴかぴかの裁縫道具が並んでいた。針刺にまち針。脇には数種の針。糸通しにミニ鋏。中蓋の下には、白と黒と紺の糸まで入っていた。

「コウ君はちょっと興味無さそうだったし、これは琴巳ちゃんにだけのプレゼントね」

 内緒よ、と言いたげに祖母は人差指を口許にあてる。

 不意に、琴巳は涙が溢れた。あらあら、と祖母は包み込んでくれた。

「泣かない泣かない。けど、泣くほど喜んでくれるなんて嬉しいわ。どうしましょ」

 琴巳は涙を拭いながら、打ち明けた。

「あたし、お家にも、帰りたいけど、お祖母ちゃん、達と、離れちゃうの、ヤなの」

 きゅっと、祖母は抱き締めてきた。もらい泣きさせたのか、鼻声が頭上から聞こえた。

「じゃあ、又、お母さんに連れて来てもらってね?」

 あ――そうか――!

 琴巳はゲンキンにも、ぴたっと涙が止まった。考えていなかった。夏休みは来年もある!

 きゅうっと祖母に抱きつき、琴巳は約束した。

「絶対、お願いする」




 近海で発生した四つの台風はいずれも関東地方に立ち寄らず、激しい夕立は何度かあったが、概ね晴れの日が多い八月だった。

 最終日も相変わらず暑い。

 加賀家の門前に、(わたる)が白い乗用車を停めた。助手席のドアロックを解除する。

 門柱脇に立つ栩麗琇那(くりしゅうな)に、並んでいた光乃(みつの)は小さく微笑んだ。

「じゃあ、お留守番、お願いね」

 栩麗琇那は少し口許をほころばせる。

「いってらっしゃい」

 ひと月ぶりに九十五里にやって来た千鶴子(ちづこ)は、一瞬、目を見張った。義母と栩麗琇那に視線を交互させる。

「あ、ちょっと六人は無理……?」

「えぇ」

 栩麗琇那が応じると、そっか、と呟き、千鶴子は手を差し出した。

「一ヵ月も琴巳と公士の面倒を見てくれて、ホントにありがとう」

「俺は、大したことしてません」

 気恥ずかしい心持ちで、栩麗琇那は握手した。千鶴子はもう一方の手も重ね、元気でね、と気持ちのこもった口調で言う。

 黙って栩麗琇那が頷くと、千鶴子は子供達を促した。姉弟は、少々慌てた様子でこちらにお辞儀する。二人共、九十五里駅まで全員で行くと思っていたようだ。

 光乃が助手席のドアを開け、子供達の荷物を分かち持った千鶴子も後部座席へ足を向ける。

 琴巳と公士は、練習でもしたかのようにそっくりの仕種で、車から大人達、栩麗琇那へと目を移動させた。揃って、泣きそうな顔をする。

 皇子(みこ)も、切なかった。初めて得られた妹弟との日々は、流星のように過ぎてしまった。それだけ、充実していた。

「元気でな」

 栩麗琇那が言うと、琴巳は唇をちょっと噛んで顎を引いた。こういう時は姉に即準じていた公士は、今回ばかりは狼狽を見せた。姉と兄を見上げる丸い目が、素早く行き来する。

 そして少年は、彼なりの見事な解決策を思いついた。

「お兄ちゃんも馬安(うまやす)に来ればいいんだっ」

 幼子は真剣な顔で栩麗琇那の腕を掴んだ。「ねっ、ねっ!? お兄ちゃん、ボクんチに遊びに来て」

「あぁ」

 栩麗琇那は腕を取られたまま、腰を曲げて弟の目線に合わせた。「機会があったら行くよ」

「明日は?」

 弟の発言に、隣の姉は目を丸める。栩麗琇那は目を細めた。

「俺も、公士と同じで学校が始まるんだ」

「あ――じゃ、今度の土、日に来て?」

「無理言っちゃ駄目よ、コウ」

 傍観していられなくなったのか、琴巳が割って入った。「ここに来るまでどれだけ時間がかかったか、忘れちゃってるんでしょう。お兄ちゃん、来てくれても、遊んでくれる時間無いわ。月曜は学校だから、すぐ帰らなきゃいけないもん。大変じゃないの。我が儘はよしなさい」

「う……う……」

 公士は目に涙を溜め、大人達を見た。訴えるように言う。「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、学校ないでしょ? ボクんチ、来て」

 光乃は困り顔で頬に手をあてた。亘は、眉をひと撫ですると、ゆっくり言った。

「駄目だ。わたし達が馬安に行ったら、琇那が独りになってしまう」

「う……っ、く」

 日に焼けた顔をくしゃくしゃにした公士を、琴巳が懸命な口ぶりで慰めた。

「又、連れて来てもらお? 又、夏休みに」

 千鶴子が言葉を繋いだ。

「ん。連れて来てあげるよ、コウ」

「う――ふぇええん」

 ぼふっと公士が突っ込んで来て、栩麗琇那はよろけながらも抱き留めた。片膝をつくと、ぽんぽんと背中を叩いてやる。しゃくりあげる耳元に、小声で話しかけた。

「いいか、母さんと姉さんを助けてやれるくらいになって、来年は公士が二人を連れて来い。できるよな?」

「っく……う……う……」

 できる、と涙声を聞き、栩麗琇那は弟の髪をくしゃくしゃっと撫でた。

 妹弟は、煌めく夏と一緒に、九十五里を去って行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。